2019年06月08日

590 出羽から陸奥への道 I “青森県五戸町の高良神社”

590 出羽から陸奥への道 I “青森県五戸町の高良神社”

20180615

太宰府地名研究会 古川 清久


 今回の東北探訪の目的の一つは五戸町の高良神社を確認する事でした。


高良神社

高良神社の創成は大同年間となっており、祀神は軍神竹内宿禰です。前身は毘沙門様であったといわれ、現在は毘沙門様との合祀になっております。宝暦13年(1763年)に第34代藩主・南部利雄が奉納した、五戸地方最古といわれるお御輿には「奉納御輿、崇高三四代南部大膳大夫利雄公」「武運長久」と記され、南部候にかかる由緒ある自慢の御輿です。

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倉石郵便局前に交差する旧道沿いに鎮座する神社です。

ご覧の通りの丘陵地の住宅地といった場所に鎮座する神社ですが、宝暦13年(1763)に第34代藩主の南部利雄が奉納した神社である事が分かりそれなりに納得したところです。

 南部氏は、山梨県の身延を拠点として青森の東部に進出しており、その際に持ち込んだものと理解すれば謎が解けた気がしています。

 ただ、山梨県(山梨市には窪八幡神社末社高良神社ありますが)でも身延地方は今年の五月に入っていますが、高良神社は発見できていない事からこの神社の元宮がどこであったのかは今後調べる必要があるでしょう。

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参拝殿には蔦紋の幔幕が掛けられていました。

 南部氏は向かい鶴のはずですので、これは宮司家の紋章なのでしょうか?

 高良神社では通常蔦紋は見ませんので多少奇妙な印象を受けます。

 九州島以外では顕著なのですが、高良神社の祭神を武内宿祢とする傾向があります。

 これは、江戸期に武内宿祢とするか高良玉垂命とするかの争いが起こり、結局、久留米の有馬の殿様の裁定によって武内宿祢とされてしまった事が全国に影響を与えているものなのですが、これはとんでもない誤りであって、高良玉垂命こそ九州王朝の天皇(藤原によって第9代とされた開化天皇)であり、仲哀死後の神功皇后との間に5人の皇子をもうけているのです。

 その長子こそ有名な仁徳天皇になるのですが、それも藤原によって応神の子などととんでもない系譜が造られているのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記