2019年06月04日

588 出羽から陸奥への道 G “酒田平野の大物忌神社(遊佐町)”

588 出羽から陸奥への道 G “酒田平野の大物忌神社(遊佐町)”

20180615

太宰府地名研究会 古川 清久


基本的には前ブログで取り上げた酒田市本楯字新田目85の縣社大物忌神社 と同様の神社なのでしょうが。

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式内社 出羽國飽海郡 大物忌神社 名神大 出羽國一宮 旧國幣中社

御祭神 大物忌神

山形県遊佐町にある。遊佐駅から直線で南東に3Km、鳥海山の南西麓、蕨岡に鎮座し、当社は、蕨岡口之宮と称されている。

鳥海山の西麓、吹浦にも、吹浦口之宮が鎮座しており、本殿は、鳥海山上(2236m)にある。

社伝によると、景行天皇の御代に出現し、欽明天皇二十五年、鳥海山上に鎮座した。

他説では、欽明天皇七年の鎮座とする。

祭神・大物忌神については、倉稲魂命・豊受大神・大忌神・広瀬神などと同神とする考えがある。

鳥海山は古代日本の北の境界に位置し、異狄に対して神力を放って国家を守ると考えられており、更に、穢れを清める神でもあるという。

社殿内正面には「鳥海山大物忌神社」の額が掛かり、右手には、「鳥海山大権現」の額。

当社は、鳥海修験としての歴史が長く、往時には三十三坊を有していた。

『和漢三才図会』によると、鳥海山は慈覚大師が始めて登山したとあり、麓の社は鳥海弥三郎の霊祠とする。鳥海弥三郎は、鎌倉権五郎景政と戦い、右目に矢を受けながら、返しの矢で敵を射殺した。

眼にささった矢を抜き、近くの川で眼を洗ったといい、そのため、その川の鰍は一眼であるという伝説がある。いくつかの境内社がある。

赤い鳥居の境内社は、社殿横の案内板には「荘照居成神社」と書かれていたが扁額には「摂社 風神社 末社 稲荷神社」となっていた。その境内社の横にも祠が並んでいたが、その中に荘照居成神社があるのだろうか。

敬愛する「玄松子」による

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鳥海山大物忌神社 由緒(略記)には酒田市本楯字新田目85の縣社大物忌神社と異なり、大物忌神をはっきりと豊受大神(伊勢の外宮の主神)と書いている以上に月山神=(月読命)が併祀されているのです。

 これは、遊佐町教育委員会の解説盤にもはっきり打ち出されており、どちらかと言えば、月山が月読命(実は大山祗命)系の修験である事までが垣間見えたのでした。

 つまり、大物忌神社の本質とは豊受大神を表に出した月読命を祀る神社であり、百嶋神社考古学が熊襲=トルコ系匈奴と考える大山祗命を本体とする神社である事までが見えたのでした。

 では、百嶋由一郎最終神代系譜(部分)をご覧ください、表に出された稲倉魂命とどう繋がるかがお分かり頂けるのではないでしょうか?

 大山祗命が博多の櫛田神社の大幡主の妹である埴安姫をお妃として産まれた神太市姫=罔象女神がこの

神社の主神とされる稲倉魂命の母神にあたるため月読命(実は大山祗命)が独立した神殿に祀られているのです。

付け加えれば、遊佐町教委が置いた境内案内図において、何故、神殿の左隣に白山姫神社が置かれているかも、白山姫を天御中主命とする百嶋神社考古学では難なく謎解きができるのです。

 何故ならば、天御中主命と現在出雲大社の客人(マロウド)の間に祀られる可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコチ)の間に産まれたのが月読命(実は大山祗命)だからなのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

百嶋由一郎氏が残された音声CD,手書き資料DVD,神代系譜を必要とする方は09062983254までご連絡を!


 今回、天御中主命が白山姫であり、月山の神が月読命=(実は大山祗命)であることがより鮮明になった思いがしています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記