2019年05月25日

582 出羽から陸奥への道 A “山を森と呼ぶ人達”

582 出羽から陸奥への道 A “山を森と呼ぶ人達”

20180610

太宰府地名研究会 古川 清久


青森県弘前市を最後にいよいよ九州に向かって南下する時がやってきました。

弘前から国道7号線で日本海沿いに南下するのが無難で普通の選択なのでしょうが、同じ道を引き返して帰るは愚である…とばかりに、古代出羽の国の中心部を南下する事にしました。

勢い、105号線でマタギの里として知られる秋田県北秋田市阿仁辺りを通る事にしたのですが、その途中でかなり興味深い事に気付きました。

突然妙な話を持ち出しますが、皆さんは山を何と呼ばれているでしょうか?

山は山じゃないか…と言われるでしょうが、実はそうとも言えないのです。

 これまで、高知県の西部と言うか南部と言うか、当然ながら愛媛県の西南部も含むのですが、このエリアでは山は「〇〇森」と表記されているのです。

勿論、会話上では「山」で通じないなどという事はないのですが、地図をご覧になればお分かりの通り、大半、「〇〇森」と表記されているのです。

 これをどう考えるかですが、かつて山を普通に「森」(モリ)と呼ぶ人々が多数派であった痕跡ではないかと思うのです。

 この「〇〇森」は四国の西南部に広く分布しており、以前から注目していました。

 ところが、今回、青森、秋田、山形、福島…など東北地方の神社調査、民俗調査に入ったのですが、秋田県北秋田市の阿仁地域を横断したところ、「〇〇森」型表記が支配的である事に気付いたのでした。

 まず、山を「山」以外で表記する例は外にもあります。

 当然ながら「岳」「嶽」「峰」は普通に存在しますが、「山」でも「セン」と呼ぶ傾向も中国地方から兵庫県に於いてかなり見掛けるもので、大山(ダイセン)、氷ノ山(ヒョウノセン)、蒜山(ヒルゼン)、弥山(ミセン)、烏ケ山(カラスガセン)…これらは、一応、山岳修験のもたらしたものと理解しています。

 これで、山を「ヤマ」「サン」と呼ぶのが必ずしも当然とは言えない事がお分かり頂けたのではないかと思います。

 さて、ここで多少思い当たることがあります。

 そもそも「山」という文字はホコ(鉾、銛)の形をしています。

海神(ネプチューン)の持つ三叉槍の形が「やま」であるとすれば、祇園山笠の山鉾が「山鉾」(ヤマボコ)と呼ばれている事にも奇妙な付合を感じています。

 まずは、山が森と表記されている四国南西部の事例をご覧頂きましょう。

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これは高知県須崎市の西の津野町の○○森ですが、別に特殊なものではなく、四国南西部全域に普通に分布している一例ですので、後はご自分でお調べになって下さい。

 まだ、半信半疑かと思いますので愛媛県の例を出しておきましょう。

 司馬遼太郎の効果で良く知られるようになった西土佐の檮原町の直ぐ北の西予市○○森の例です。

 無論、山奥の集落には違いが無いのですが、恐らく四国全域には数百の○○森型表記が確認できるのではないでしょうか?

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まだまだありますのでご自分で


では、秋田県の○○森型表記をご覧ください。

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秋田県大館市、北秋田市の境界領域にある2峰ですが南西四国と東北に○○森型表記が残っているのか?


秋田県大館市、北秋田市の境界領域にある2峰ですが南西四国と東北に○○森型表記が残っているのでしょうか?いずれも辺境と言えば辺境の地ですので、通説派の学者の様に好い加減に答えれば、ただの方言でしかない…となるのですが、では、ただの方言ならば何故○○森と一致しているのか?と言えば答えに窮する事でしょう。

こうして、普通に考えれば列島の先住者たちに広く○○森型表記=表現が普遍的に存在しており、それが、○○山、○○岳、○○嶽、一部に○○峰(これは明らかに半島系でしょう)駆逐されていった様に見えるのですが、中間系と言うか移行期と考えられる表記も拾えます。

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この雄物川は秋田県南部の大仙市から北流し秋田市に注いでいますが、この一帯には○○森山型表記が拾え(南の横手市にも三ツ森山があります)、森とは山の事ですよ…と敢て説明しているような表記に見えるのです。

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山を「山」と呼ぶ人々が新たに進入し、山を「森」と呼ぶ人々を駆逐され始めた時期に成立した地名の様に見えるのですが、共存も垣間見えるのですが、どちらの民族(氏族)にも分かるようにと森でもあり山でもあるという「森山」表記が成立している様に見えるのです。

 では、山に対して「山」と呼び、「山」という表記を使っていた人々とは誰でしょうか?

 地図を見ればご覧の通り、「土筆森山」の隣の「伊豆山」には森が含まれていません。

 百嶋神社考古学の者には、この「伊豆」地名を使う人々とは大幡主系(白族)氏族であり、山を「森」と呼ぶ人々とは倭人の進出(侵入)以前に先住していた人々だったのではないかと考えるのです。


「伊豆」地名を使う人々とは大幡主系(白族)氏族であり…については、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から以下をお読み頂ければある程度ご理解頂けるでしょう。


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伊豆能売の神とは何か? E “伊豆能賣の中間調査を終えて思う事” 

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伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?”

436

伊豆能売の神とは何か? C “遠賀川左岸に伊豆能賣を発見した ”遠賀町の伊豆神社“ 

435

伊豆能売の神とは何か? B “遠賀川右岸の二つ目の伊豆神社の元宮か?”久我神社 

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伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イヅノメの神が少し分かってきました

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伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”


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これは田沢湖周辺を国土地理院地図から拾ったものですが、この部分切り取りの中にも○○森型表記が11、○○森山型表記が4、○○山型表記が5、○○岳表記が6例拾えます(岳、山が一例重複)。

 如何に○○森型表記が普通に存在している事がお分かり頂けるのではないでしょうか?

 詳しくはインター・ネットで「地理院地図」を検索され確認して頂きたいと思います。

 少し調べただけですが、青森、岩手、秋田、福島、山形、東北地方に広く見られる傾向である事が分かります。ただ、何故か山形県では数例しか拾えません。また、新潟県には村上市の鹿森山など僅かしか拾えないようです。

 恐らく、福島、新潟(新潟は東北=古代の出羽国)になると激減する事から、かつて、毛人、蝦夷と呼ばれた人々が普通に使っていた山の呼称が「森」だったのではないかと思うのですが、では、何故、四国の南西部と東北地方(この他にもあるかも知れませんが…)にしか認められないのでしょうか?

 全国の山の呼称を拾い出しているデータ・ベースでもあれば助かるのですが今後の課題です。

 これを単純に方言とか縄文人と弥生人といった対立構造で理解しようとする傾向には迂闊に乗れないのですが、私達、百嶋神社考古学の立場からは事代主系、恵比須(3000年以上前から入っている古古代ヘブライ系の)ではないかと考えています。

当然、アイヌも加え、漂白民としてのサンカ(山窩)にマタギの問題も横たわっています。

ここには未だ解読できない列島の民族成立に関わる問題が横たわっているようです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記