2019年05月24日

581 出羽から陸奥への道 @ “往復4500キロの大遠征”

581 出羽から陸奥への道 @ “往復4500キロの大遠征”

20180609

太宰府地名研究会 古川 清久


52728日に掛けての薩摩川内(道真は薩摩の藤川へ落ち延びた)への泊まり込みトレッキングを終えたのですが、予定していた31日の熊本のトレッキングが中止になった事から、実質三週間の余裕が出来ました。

三週間の時間的余裕があれば東北地方への遠征が可能になります。

東北には梅雨がありませんので、五月晴れが続いているようなもので、懸案だった秋田県男鹿市の真山神社と青森県五戸町の高良神社探訪…へと足を延ばす事にしました。

最低でも片道2000キロ近い遠征になることから、いくら燃費の良いホンダ・フィット・シャトルと言えども、往復160ℓ近い燃料消費(20,000円)となる上に、正味100時間の運転に耐えなければなりません。

予定では15日間を考えており、毎日8時間程度の運転が必要となります。

実際には道を間違えたり、急に思い立ったコースに入ったりとフィールド・ワークには色々な事が起こります。

勿論、人身事故や車の故障や私自身の体調の急変と言った不慮のトラブルさえ考える必要があり、実際には4500キロ近い行程になるでしょう。

思えば地球の半径が6000キロである事を考えれば、かなりの大遠征に成る事は間違いありません。

全て車中泊の予定ですから、燃料代と食費だけの勘定になるのですが、一般の方々の様に面白くもない上に危険だけが覆い被さる上に法外な料金をふんだくられる高速道路など利用するはずもなく(高速を使えば純粋な燃料代の五倍程度のつまり十万円近い出費になるでしょう)、そのうち、高速道路など誰も見向きもしなくなるでしょう。

豊かな旅とはその土地 土地の風物を楽しむ事であり、高速の「旅」など本来の意味での旅ではないのです。

理想は江戸期の旅であり、「東海道中膝栗毛」や「奥の細道」や古川古松軒(フルカワコショウケン)や頼山陽の世界になるでしょう。

ましてや、閉鎖された空間でトンネルと橋だけを見せられる航空機から新幹線やリニヤに至ってはお笑い草でしかないのです。

さて、4月の近江、5月の糸魚川〜山梨の調査は順調に行きましたが、今回はそれ以上の大遠征となるため極度の緊張に耐える精神力が必要となります。

暫く前、キリストの墓として知られた青森県新郷村の野田温泉の休憩室でブログを書き始めたのですが、初めての十和田湖、奥入瀬渓谷、戸来岳、五戸町の高良神社と好天に恵まれ順調に推移しました。

「日本中央碑」(十和田市)はあいにく休館日でパスしましたが、十三湊の安倍安東の拠点を実感する事ができ感慨もひとしおです。ついでに弘前市の鬼神社…と廻ったのですがポット出の新参者においそれと理解できるはずもなく、山形の出羽三山を見てようやく南に下る決心が着きました。

全体として好天に恵まれ、有難い限りでした。

朝は外気温が12℃まで下がりますが、日中は30℃近くまで上がり始めましたので、涼しい時間帯にしっかり睡眠を取らなければなりません。

しかし、百嶋由一郎氏が辿った神社を粗方廻る事が出来ましたので、アウトラインの把握はできるような気がしてきました。

今回の移動中にも、家族でテントを張って神社調査を行っておられる女性メンバーから何社かの代行調査の依頼を貰いました。

まずは、新潟県の手前、富山県朝日町の山崎神社をご紹介したいと思っていますが、地名や民俗学や古代史に関わる問題にも踏み込むことになるため、ひぼろぎ逍遥では地名や民俗学や古代史を、ひぼろぎ逍遥(跡宮)では神社を扱いタイトルとしての通し番号を共通とすることにします。

529日の夕方に出発した大遠征も、ようやく但馬の小代(オジロ)にまで辿り着き(残り6700キロ程度)、温泉に浸り畳の部屋の休憩室で休養しながら写真の整理を終え、記憶が鮮明な内にブログを書くことにしました。

最近、京丹後を通過する事が増えてきました。

但馬でも鳥取市から海岸沿いに香美町を経由して豊岡市に抜けるコースと、9号線で鳥取市から養父市を通過する場合が増えており、考えれば、四ケ月続けてこの小代温泉に浸っているようです。

ここは氷山(ヒョウノセン)とかハチ高原(ハチはすり鉢の「鉢」の意味です)といった明治期に開発されたスキー場にも近く、小代にも立派なスキー場があるのですが、衰えたりとは言え復活し始めたスキー・ブームに乗り遅れまいとあの手この手の振興策が行われているようです。

ただ、高度経済成長期に一気にブームとなったスキーも、バブル崩壊から売国奴小泉竹中改革のせいで国民の所得が半減し、大手企業がほとんど外資系ユダ金のものとなり(買いたたく為に経済成長が抑えられた日銀白川出てこい!)、非正規雇用の拡大、生産拠点の海外移転、切り捨てによる労働法の無視、競争激化…の中、特にまともな所得が得られない若者たちは、恋愛、結婚、子育て、次世代の再生産を諦め、結果、国民経済が縮小する中、三十年間の長期低迷から未だに浮揚できずに明らかな低落への道をひた走っているのです。このためスキーはおろか車からさえ遠ざかり、頼みの綱は韓国人や中国人と言った品性の低い連中で、国民所得の下った日本は昔の後進国並みの格安の旅ができる格好の観光地として扱われ、それを奨励しているのが行政権力と言うのですから情けない限りです。安倍は国慶節に日本観光を宣伝。

スキー場の目を覆うばかりの陰りから話が脱線しましたが、この小代は山も川も素晴らしく、何度も訪れたくなる隠れた温泉地です。

往復4,500キロにもなる大遠征のため、まだ、何から書き始めるか考えがまとまりません。

ここではウォーミング・アップを兼ねてこの小代温泉をご紹介する事にします。

最初から息抜き(閑話休題=本当の意味は違うのですが…)では先が思いやられますが、まだ、6700キロ以上ある帰路も残るため興奮が収まっておらず、直ぐには神社のリポートには入れない気分なのです。

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伊勢の松坂牛とは、本来、但馬牛の小代


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まず、不思議なことに…伊勢の松坂牛とは、本来、但馬牛の事なのです。


松阪牛の起源は松阪牛…ではなく、但馬地方に生息する「但馬牛」という牛です。

但馬牛は小型な牛で脂肪分が少なく、ほどよく筋繊維が含まれた良質な肉質を持っていました。

明治時代以降は肉専用の牛とされ、改良が進められながらも但馬牛のみを交配に用い、但馬牛の純血を保ってきました。そのため、他県の血統を入れない純粋な但馬牛が生産されているので、どの和牛よりも明確なルーツを持っています。

松阪牛、神戸牛、宮崎牛、近江牛などといった和牛の85%以上が但馬牛をルーツに持っているほど。

但馬牛という存在があったからこそ、現在の極上肉牛がいるのです。


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当ブログをお読みの方には自明な事ですが、伊勢は博多の櫛田神社の大幡主=神産巣日神、神皇産霊尊、神魂命(その子がヤタガラス)と書かれる最高神の領域であり、但馬とは宗像大社の鎮座地の「田島」であり、佐賀県唐津市の田島神社の田島である事は、過去、何度も書いてきました。

つまり、大幡主、ヤタガラスと濃厚な関係のあるところだからこそ、本物の松坂牛の生産地が但馬であり小代になる事がお分かり頂けるのではないでしょうか。

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では、上の地図をご覧ください、矢田川がこの地から流れ下り日本海に注いでいる事がお分かり頂けるでしょう。この矢田川がヤタガラスと無縁であるはずはないのです。

その事が分かるだけでもこの小代温泉に入りに来る価値があると言うものです。


支配階級に迎合し媚びへつらったユダヤ人は出世しましたが、反対に権力に反抗・抵抗したユダヤ人達は中央・都市部から地方・山奥の河原等に逃れて最下層の賎民として扱われる事になりました。仏教の国教化によりユダヤ人の牛の屠殺が穢れたものとみなさ ...

「天皇家とユダヤ人」による

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鳥取から京都に掛けて国道9号線が氷ノ山(ヒョウノセン)の北麓を貫通していますが、そこから谷田川沿いに5キロほど山に入った所にあるのですが、渓流の美しさ、水の美しさ、山々の重なり、僅かばかりの良く手入れされた水田…と心惹かれる山間の景勝地です。

冬こそ雪に閉ざされますが、目の前を流れる渓流には清冽な水が注ぎ、夏でも都市部とは異なり冷涼な過ごしやすいひと時を提供してくれます。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記