2019年05月07日

574近江散歩 23 伊藤女史に言われるまま向かった式内社 “兵庫県豊岡市の與佐伎神社”

574近江散歩 23 伊藤女史に言われるまま向かった式内社 “兵庫県豊岡市の與佐伎神社”

2018017

太宰府地名研究会 古川 清久


 近江散歩での書き残していたものを報告しておきます。

 これも、伊藤女史のご指示のままに向かった式内社の一つで、奥まった集落の最奥部の小高い崖と言った場所に祀られている神社です。

 場所は比較的容易に見つかりました。狭い集落の道路を歩くと、強固な鉄製の扉で守られた参道が見えてきました。何やら仰々しい神社と思いましたが、猪が集落への侵入を塞ぐものであり、できれば神様は檻の内側にと思わないでもなかったのですが、致し方ない事でしょう。

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こんなことは普通に飼い犬が集落を走り回り巡回していた時代には、鹿や兎はともかくも、猿も猪も狼も里には下りてこられなかったのですが、戦後、保険所が利権とした狂犬病ワクチンから、飼い犬が鎖で繋ぐようになると、鎖に繋がれた犬の前を悠々と猿が歩き、猪も堂々と子連れで登場するようになるわけです。

 そのうち、狂犬病予防による実益と飼い犬の放し飼いによる実害とが逆転する時が来ることでしょう。実際にはもう起こっているのかも知れませんが。

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さて、赤石、下鶴井は丸山川右岸の奥まった所にあります。特に鶴のような細長い小河川が注ぐ下鶴井は地形と地名とが対応する見た目で分かるような関係にあります。

 伊藤女史が何故この神社を選んだかは聴きそびれましたが、但馬に関しては私が先行しており、彼女も下調べからランダムに踏んでいるのだと思うものです。

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式内社 但馬國城崎郡 與佐伎神社旧村社 御祭神 依羅宿禰命 配祀 保食命


式内社・與佐伎神社に比定されている古社。本殿扁額にあるように、以前は伊與永大明神と称していた。

祭神・依羅宿禰命は、開化天皇の皇子・彦坐王の後裔。『特撰神名牒』では、宇麻志麻遅命を祭神としているらしい。

以上は敬愛する無題.pngによる


別のサイト「神社拾遺」も見ておきましょう。

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依羅宿禰 

出自とする依羅氏(よさみうじ、依網氏)は、摂津国住吉郡大羅郷(おおよさみごう、現在の大阪府大阪市住吉区我孫子・庭井周辺)・河内国丹比郡依羅郷(よさみごう、現在の大阪府松原市天美地区周辺)付近を本拠とした古代氏族である。一帯では、依羅氏の奉斎とされる式内名神大社の大依羅神社(大阪府大阪市住吉区庭井)が現在も鎮座する。依網男垂見は、この依羅氏の祖先伝承上の人物と見られる。

依羅氏は初め「依羅我孫(依網吾彦)」姓を称したが、天平勝宝2年(750年)に「依羅宿禰」姓が賜姓された。元の「我孫(吾彦)」は5世紀頃の地方官的官職名に由来するとされる原始的なカバネで、阿毘古・阿弭古・吾孫とも表記される。このカバネを有することから、依羅氏を古い時期からヤマト王権と関係を持った氏族とする説もある。

この依羅氏に関して、『古事記』では開化天皇(第9代)皇子の建豊波豆羅和気王を「依網之阿毘古」の祖と記している。一方『新撰姓氏録』摂津国皇別では開化天皇皇子の彦坐命を依羅宿禰の祖とし、日下部宿禰と同族とする。また『新撰姓氏録』では、饒速日命を氏祖とする神別の依羅連・物部依羅連や、百済国人の素禰志夜麻美乃君を氏祖とする諸蕃の依羅連らの記載もある。

ウィキペディア(20180518 1851による


「祭神・依羅宿禰命は、開化天皇の皇子・彦坐王の後裔」とありますので、ここで開化天皇の皇子とされる彦坐王について百嶋由一郎氏見解をご紹介しておきます。

ただ、その前に、この神社が与佐伎(ヨサキ)神社と呼ばれている事が気になります。

無題.pngもしも、「ヨサキ」が「ヨサギ」の清音化であったとしたら、「鷺神社」はウマシマジの父とか祖先神とされるニギハヤヒに通じるだけに、もしかしたら、開化天皇の皇子・彦坐王の後裔とニギハヤヒ系もともにこの地を拠点にした可能性もあるのではないかと思うものです。

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百嶋由一郎金神神代系譜(部分)


 百嶋神代系譜を見れば分かるのですが、天足彦=彦坐王は阿蘇高森の草部吉見と武内足尼(金山彦〜ナガスネヒコ後裔)との間に産まれた人物で、ヤマトタケル〜仲哀の祖先になるのです。

 実は、この金山彦の後裔という事に気付くと、同社の鳥居の横に置かれた宮司家に思える下宮家の謎が解けた思いがしています。その家紋は紛う事無き木瓜紋で、金山彦の神紋なのです。

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宮司家と思われる下宮家は金山彦後裔で間違いないでしょう

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赤枠の武夷鳥(ヤタガラスと武内足尼の子)=鳥子も「鷺」と呼ばれているのです。

 どうも、どちらの系統もありそうですが、現段階では保留させて頂きます。

 天足彦=彦坐王は開化と直接の関係はないのですが、年嵩ながら名目的に開化の子として扱われたものと理解しています。


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記