2019年04月28日

ビアヘロ080 ひぼろぎ逍遥はアメーバ・ブログから離脱しました! “1〜12月の(跡宮)の実績から”

ビアヘロ080 ひぼろぎ逍遥はアメーバ・ブログから離脱しました! “112月の(跡宮)の実績から”

20181111

太宰府地名研究会 古川 清久


 既に、ひぼろぎ逍遥 スポット207 アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱します! を12月に公開していますが、12月のひぼろぎ逍遥(跡宮)の実績が確定しましたのでご紹介しておきます。

 ご覧の通り、平均900件程度のアクセスで、この状態を一年に均せば単独でも三十数万件のアクセスにはなる訳で、本来ならば先行ブログでありブログの数も1.5倍はある ひぼろぎ逍遥 のアクセス数が、桜ブログ版のひぼろぎ逍遥(跡宮)の三分の一というのは、アメブロがアクセスに何らかの制限を掛けているとしか考えようがないのです。

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以下、前ブログ部分再掲載


普通に考えれば、ひぼろぎ逍遥(跡宮)よりもアクセス数が多いはずで、二つのブログを併せて年間70万件以上のアクセス数になっていてもおかしくないと思われますが、2019年から、緊急避難的に桜ブログでひぼろぎ逍遥版(新ひぼろぎ逍遥)を公開し、将来的には複数のプロバイダーからの発信(自前のミラー・サイト)を目指したいと思っています。しかし早めにアメブロから離脱して良かったと思います。

予想していたこととはいえ、最早インター・ネットは自由な空間ではないのです。

と言うよりも影の権力による情報収集のための諜報媒体と考えるべきで、発信する側もそれを分かった上で利用すべきなのです。

勿論、村興し、町興し、世界遺産登録運動団体などといった方々による人畜無害なお祭りサイトはどうでも良いでしょうが、本質に迫り真実を訴えるにはこの問題を避けて通る事はできないのです。

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ちなみに上は現在の ひぼろぎ逍遥(跡宮)のアクセス数の1月中間実績で好調に推移しています



これはアメブロで公開中のひぼろぎ逍遥の201812月実績ですが、どうみても200300に固定させようとしているようですね…後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)版の1/3というのは奇妙であり異常です 2年ほど前までは平均400500件はあったのですから跡宮版と併せ日量800900件はあったのですから


以下 ひぼろぎ逍遥から一部を掲載

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スポット207 アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱します!

20181111


 現在、アメーバ・ブログblogひぼろぎ逍遥を、桜ブログblogひぼろぎ逍遥(跡宮)をと、二本立てで発信しています。

 一応、地名、古代史、民俗学をテーマとするひぼろぎ逍遥に対して、神社研究限定のひぼろぎ逍遥(跡宮)と多少はスタンスを変えてはいますが、先行するひぼろぎ逍遥では既に900本近いブログを掲載しています。

 対して、後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)も600本近いブログを掲載していますので、実際にはかなりのピッチで追いつこうとしている事になるでしょう。ところが、一昨年の夏ぐらいから、アメブロのひぼろぎ逍遥の方が頭打ちになっており、日量平均350450件と順調にアクセスを延ばしてきたものが、日量250件と三年前以下のレベルに落ち始めたのです。

 一方、後発で多少ファイル数の少ないひぼろぎ逍遥(跡宮)は、桜ブログでオンエアしており、二年ほど前にひぼろぎ逍遥を追い越し、今や月の1/3の日が日量1000件を超える(十日は1000件超え)状態になっているのです。平均850ぐらいですか?

結果、二本立のブログで平均850250350件程度=1,1001,200件(年間4050万件)のアクセスに留まっているものの、本来はもっと大きなアクセスになっていてもおかしくないはずなのです。

無論、証拠など手に入るはずもなく決め手は何もありませんが、恐らく露骨にアクセス制限を操作されているはずなのです。

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この現象は如何にも不可解で、本来ならば、両方で15001700件(年間60万件)程度には成長している可能性もあったはずなのですが、どう考えてもアクセスし難くするために順位を50番以下に落とす(こうすれば普通の検索には引っかからない)とか、特定の業界、地域にはアクセスできないといった操作が行われていると考えられるのです。

言論の自由が保障されている社会のはずだ!などと青臭い事を声高に叫ぶつもりは毛頭ありませんが、

もともと「インター・ネットは自由な空間」などと言った振れ込みではあるものの、有力で強力な言論が登場すると困る権力は、ダミーを使って多くのプロバーダー、サーバーにクレームを付け(付けさせ)順位を下げさせるとか削除させるなどさせるものなのです。

勿論、幼児虐待、小児性愛、ポルノ、バイオレンス、誹謗中傷…といったものは排斥されても仕方がないでしょうが、その基準があいまいな上に、実際には恣意的に判断され、露骨な言論弾圧、サイト閉鎖へと進むなど、中国共産党やトランプ政権が闘い続けているCNNなみのフェイク言論空間へと変ってしまっている(既に完全に変わっている…のであり、始めだけは誘引のため自由な言論空間を装っていただけ)のです。

 対して、民族派の「桜ブログ」の方ではどんどんアクセスが上がり、そのうち単独でも平均日量1,000件も見込める勢いになってきているのです。

そもそも「桜ブログ」と関連する「チャンネル桜」のような独立系メディア自体が、サイトの閉鎖とか、アクセス制限、記事の削除…といったこの手の問題に苦しめられているのです。

 ちなみに以下は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)の先々月と先月のアクセス数です。

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ひぼろぎ逍遥(跡宮) 桜ブログ(2018-10月)


2018年の10月は1,000件超える日が9日間で、平均日量アクセスは817件でした。これは経験的に見て想像がつくのですが、普通は一〜二年で平均アクセスが1,000件程度になる可能性があるのです。


何が制限の原因となったのか?


 こういったアクセスを考えると、先行してオンエアしてきた上に、記事の数も二割程度は多く内容も一般的なひぼろぎ逍遥が、ここ一〜二年で逆転され二年前に半減するアクセスとなっている理由は、「CO2温暖化論が原子力産業が流したデマである…」「熱中症でバタバタと人が倒れる都市の高温化は下水道とコンクリートの雨樋化によって地上から水を消した国土交通省、農水省が引き起こした…」「西日本豪雨水害は普通の大雨程度のものでしかなく、売れもしない針葉樹を大量に植えさせ、急傾斜の山林に伐期を越え放置した結果引き起こされた失策でしかない…」「日本の婦女子を火薬と引き換えに奴隷貿易を行っていたポルトガル宣教師が齎したキリスト教を持て囃す世界遺産登録を止めろ…」「不正選挙」「人工地震」の可能性…といった自然かつ普通の内容をスポット版で大量に書いている事以外にはありえないのです。

 だからと言って真実を書かないとすれば、言論の自由が保てない上に権力に尾を振るものになり、自主規制によって行政や教育委員会や学会通説が吹聴する大嘘を暴く事など到底不可能になるからなのです。

勿論、これらのアピールが全て正しいと考えている訳ではなく、絶えず疑いを持って可能な限り調べようとしているのであり、真実を探求しようとしているのです。

むしろ、既存のマスコミや通説を丸呑みし信用しきっておられるのは、トンデモ説とか陰謀論などと自らが煽られている事にも気付かずにを批判される側の方なのです。

所詮、政府見解、NHK,大手マスコミをそのまま受け入れていることの根拠は何がしか根拠があるのか逆にお尋ねしたいぐらいなのです。

 このため、このままアメブロで書いていては、多くの読者に訴える事はできなくなる事は明らかですから、全く同じものをそのまま別のプロバイダーから発信するなど、アメブロとの差を明らかにさせるとともに、新規に「新ひぼろぎ逍遥(仮称)」に新しい原稿を供給し、不正なアクセス規制をしている可能性があるアメブロというサイトの現実をお伝えしたいと思うとともに、全国のブロガーに警告を発しようと思うものです。

 宮崎市から新たにブロガーとして神社探訪者が参加される可能性もあり、全国から30ほどのブロガーが百嶋神社考古学に惹きつけられ周回軌道を回り始められそうです。

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スノーデンやジュリアン・アサンジによるインター・ネット批判は事実なのです。

 別のサイトをどこで行うかは現在考慮中ですが、全く不正をしない桜ブログには敬意を表しています。

しかし、一本化するとそこで切られると一切を失う可能性もある事から、新規についてはアメブロからも離脱し、将来には複数のミラー・サイトも含めて、別のプロバイダーから新ブログで配信するつもりで作業を行って行きます(未定)。

少なくとも我々は失うものは何もないのであり、真実と考える情報を今後も発信するつもりです。

 将来的には別の媒体による複数の発信も考えています。アメブロでの旧ブログは今の状態で残します。

昨年11月に熊本県の「ひろっぷ」さんが加わられましたので、本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4者、愛知県3者、高知県1者、大阪府2者、大分県5者、福岡県11者、熊本県1者の合計27件のグループが形成されました。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが(昨年11月に実施)、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。

そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は現在二本立てブログで日量11001200件(年間45万件 来年は50万件へ!)のアクセスがありますが、恐らくグループ全体では最低でも年間200万件のアクセスはあるでしょう。ちなみに昨日のアクセスは両ブログで日量2000件を超えています。毎日続けば良いのですが。

 ここ一、二年、特に力を入れてキャンペーンを張ったのは、ひぼろぎ逍遥のスポット版の森林問題でした。林野庁による売れもしない(中国への逆ザヤ輸出)杉、桧を中心とする人工林の問題でした。

 この手のブログが行政権力にとって迷惑であることは言うまでもありません。


スポット112 朝倉〜日田が犠牲になった九州北部豪雨災害は行政が引き起こした!

スポット115 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して! 本当に豪雨が原因なのか?

スポット116 災害復旧に意味があるのか!

スポット117 ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”

スポット122 大量の土壌流出と木材流出は今後も継続する“平野虎丸ブログのご紹介を兼ねて”

スポット123 筑後川の南から北の被災地を眺める 悲しい棄民国家の現実

 “ここでも「災害地名」が意味を持っていた「道目木」「梅ケ谷」”

スポット125 朝倉から日田にかけての山々の行く末について

スポット128 林野庁が引き起こした九州北部豪雨災害によってとうとうJR日田彦山線までもが廃線に!

スポット130 九州北部豪雨災害の崩落木材が燃えている!

スポット134 九州北部豪雨災害に於ける棄民とポルトガル内務相の辞任

スポット141 林野庁の照れ隠し “朝倉針葉樹林崩落の問題隠しとしての残木伐採”

スポット175 中津市耶馬溪町金吉の土砂崩落はなぜ起きたのか! “雨も降っていないのに…?”

スポット203 北海道胆振東部地震による山崩れの異様


それ以外にも、

スポット100 宗像沖ノ島世界遺産登録といった愚行が半潰れになって多少はほっとした!(皮肉ですが)

スポット117 ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”


ひぼろぎ逍遥 スポット001 

この耐え難い「ヒート・アイランド現象は国土交通省、農水省…が引き起こした!


 以下の二本は復元中です…

打ち水大作戦の大間抜け 古川清久/太宰府地名研究会

熱 禍 (打ち水するより、コンクリートを引っ剥がせ!)アンビエンテ  …まだまだいっぱいありますが、 ひぼろぎ逍遥(跡宮)版でも、


ビアヘロ059 キリシタン史跡世界文化遺産登録に狂奔する列島文化の堕落を撃て


ちなみに以下は2019年二月の途中経過ですが、さらにアクセス者、アクセス件数が上がりつつあります。

また、新ひぼろぎ逍遥も少しづつ認知が進み現在日量30件程度に上がってきました。旧ひぼろぎ逍遥が現在でも日量350件ですので、大体400件はあるので、3セクター合計1300件程度はある訳で、年間で凡そ50万件のアクセス件数があることになるのです。

二年ほど前、二つのセクターで日量600件程度の頃、日量900件ある大分県在住の某「民族学…」なるブログ管理者からその程度のアクセスなのかと鼻であしらわれた事がありましたが、もはや追いついたのではないでしょうか?その間に先方も増加している可能性はあるのですが。

我々は、30件近いblogを媒体に百嶋神社考古学をベースとしたグループによる研究内容を今後とも公開し続けたいと考えています。

既に一月から兆しが見えていましたが、跡宮のアクセス数が急速に増大して日量が更に100件ほど上がったようです。今後も、可能な限り書き続けますが、今後ともご支援を宜しくお願いします。

ネタ切れもありこれから長期の取材旅行(予定は岡山県津山市から鳥取南部)に行こうと思います。


以下は ひぼろぎ逍遥(跡宮)2月の実績です

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上は226日現在朝8時のひぼろぎ逍遥(跡宮)の集計ですが、既に750件ですので、26日も1200件には行く可能性があり、日量平均1,000(訪問者250)も目前です。

 アメブロから離脱した新ひぼろぎ逍遥の方は、現在、日量4050件程度のアクセス数ですが、一〜二年で数百件にはなるはずで、アメブロに貶められている旧ひぼろぎ逍遥と併せても、一年程度で三セクター併せ日量平均1500件代(年間5060万件)のアクセスには十分成長すると考えています。

最終的には年間百万件、グループ全体では300400万件…ここまで行けば、百部程度の寄せ集めの会報を続け、一部で数少ない九州王朝論の研究者の講演を聴き、右から左に貫けるだけの研究会ならぬ実質“九州王朝説を楽しむ会”の方々の集まりなどほぼ意味のない絶滅危惧種になってしまうことでしょう。ましてや、権力に尾を振る通説派の学芸員や教育委員会関係者などの講演を聴くだけの方々とは、九州王朝論者の恥を晒しているだけの連中でしかなく、既に、研究者と言える人も消えつつあり、古田の初期三部作さえも読んだ事の無い人間がネット情報だけを鵜呑みに自分だけは古代の真実を知っているなどと錯覚しているだけなのです。こいつらには古田武彦が一生を掛けて守り抜いた孤塁を守る事も、次世代に託した任務も果たせるはずがないのです。

 既に「法隆寺は移築された」外を世に問うた米田良三氏は亡くなられました。 敬愛する佃 収氏や内倉武久氏は、なお、健在ですが、既に労を厭わず探究する研究者は数えるほどしかいなくなりました。問題は次世代の研究者が本拠地の九州島に産み出せないことなのです。最低でも古田が切り開いた九州王朝の実在の発展と深化を探究する者を造りださなければならないのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 21:22| Comment(0) | ビアヘロ

570 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 I “信濃〜甲斐は日本海側から入った人々が開発した”

570 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 I “信濃〜甲斐は日本海側から入った人々が開発した”

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太宰府地名研究会 古川 清久


 二年前は新潟県の上越市から長野、千曲、上田、小諸、佐久から一気に北関東に入り茨城県北部の常陸太田を拠点に、埼玉、群馬、福島、千葉、一週間ほど神社探訪を行った後、山梨に戻り甲府のぶどう寺やその一帯の調査から山中湖村のこの別荘にやって来て諏訪から中央高速で関ケ原に向かい九州に戻りました。今回は富山を抜け新潟の糸魚川で奴奈川神社、天津神社を見せて頂き、姫川沿いに小谷、白馬、大町、安曇野、松本、塩尻、諏訪、甲府へと入り天津司神社を見せて頂いたのですが、身延山久遠寺は付け足しでしかなく、実質的には糸魚川の奴奈川神社、天津神社と甲府の天津司神社を見ることが旅の目的でした。

 結果、山中湖村に到着してからはGWの喧騒を避け、別荘に閉じ籠り今回の十本目のブログを書いているところです。別荘暮らしもそろそろ飽きて来ましたので、少しずつ西に向かって移動しようかと考えているところですが、切が良いように、まずはこのブログを書き上げたいと思っています。

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確かに上越から長野に向かうルートは平坦で自然に長野まで進出できるのですが、千曲、上田、小諸、佐久まで進むと、北関東にも、山梨にも入るのはかなりハードになります。

しかし、諏訪や山梨でも甲府に入るとなると、糸魚川から姫川の大峡谷を通るとしても、進入路としてはこちらを採用したのではないかと思えます。

そこで考えるのですが、少なくとも、始めに諏訪、甲府、山梨に入った人々は、糸魚川ルートを通ったのではないかと思うのです。

今回は、高速道路ではなく、この辺りを実際に通り古代の実感に近いものを得たいと言うのも目的の一つでした。恐らく糸魚川の奴奈川神社と天津神社とが甲府の天津司神社と関係があるのではないかなどとはどなたも考えておられないと思うのですが、故)百嶋由一郎氏の手書きメモを見るとどうしてもそのようにしか読み取れないのです。

 つまり、私宛に送られてきた糸井川の奴奈川神社、天津神社と甲府の天津司神社に関する資料は一緒の封筒に入れられていたからでした。

 当時の事ですから、恐らく悪路を乗り越え(私と百嶋先生とには25年の年齢差があったのですから)糸魚川から甲府を目指されたのではないかと思うのです。

 私の場合は、パソコン、インター・ネットに調理器具まで載せ休憩も車中泊も自由にでき、ブログ作成もできる環境で移動するのですが、恐らく多大な出費をされながら小さな車で調べ廻っておられたのだと思うのです。

 先生は紀元165年前後とされていますが、本当の神武天皇(神武僭称贈る崇神は後世の高良玉垂命と神功皇后とが夫婦であった時代で全く別で、当時、崇神は天皇でも何でもなかった)、その腹違いの姉である天照大御神=大日孁女神、金山彦、大幡主、山幸彦(経津主命)、海幸彦(草部吉見神=ヒコヤイミミ)、海幸のお妃となる市杵島姫(奴奈川姫)…などと共に列島の調査のための巡行を行ない、実際に甲府まで踏み入っている言われているのです。

 その巡行の痕跡こそこの甲府市の一角に奇跡的に残された天津司神社の天津司舞だったのです。

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昇天の二神とは阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)=海幸彦を婿神とした市杵島姫(奴奈川姫)

百嶋メモに依れば、舞に登場する9人の神とは、大日孁貴(オオヒルメムチ)=天照大御神、経津主命とは山幸彦=ニギハヤヒ、黄幡神=博多の櫛田神社の大幡主=ヤタガラスの父神、月弓命は大山祗命、根裂神は金山彦、磐裂神は埴安姫=黄幡神の妹神、磐筒男命=八重(速)思兼(ヤタガラス)、磐筒女命=罔象女(大国主の姉)、豹尾神は本物の神武天皇になり、消えた一神とは神沼河耳(草部吉見の父神)

市杵島姫(奴奈川姫)とは神沼河耳の息子の草部吉見のお妃となったことから呼ばれた様なのです。

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甲府の地に御巡幸で立ち寄られた列島の開拓神(これこそが本来の開闢神)の伝承を今に留めているものが天津司舞になるのです。

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百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで

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白馬村付近から望む北アルプス 昇天したとされる奴奈川姫と海幸彦も含め巡行の一行も見たのです


 この神武巡行の痕跡は、天草〜筑豊〜広島湾〜福山〜尾道〜岡山(阿仁神社)…秋田の男鹿半島の赤神社辺りまで延びています。

 大半は船による移動ですが、中には甲府に駆け上がったものもあり、同じく糸魚川に戻り、海路、日本海沿いに男鹿半島辺りまで進出したのではないかと考えています。

 今年の秋にでも男鹿半島の赤神社(八郎潟周辺に数社ありますが、草部吉見神を祀るものです)と併せ青森の高良神社(4社前後あるようですので)を確認する旅に出るのではないでしょうか。

 今回の旅は、三社詣によって古代の神武巡行の痕跡を確認するものでした。

 古代に於いても、船で移動する事はさほど難しい事ではありませんでした。

 ただ、何故、山上楽園とも言うべき甲府の地まで目指そうと思ったかは不明です。

 もしかしたら、夏尚白き白馬の大山脈を見たかっただけなのかもしれません。

 いずれにせよ、糸魚川の奴奈川神社、天津神社、甲府の天津司神社は貴重この上ない神社なのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 21:12| Comment(0) | 日記