2019年04月18日

567 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 F “諏訪大社(秋宮)再訪”

567 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 F “諏訪大社(秋宮)再訪”

20180502

太宰府地名研究会 古川 清久


 思えば諏訪大社(秋宮)を参拝したのは30年も前だったでしょうか?

 当時は中央本線の下諏訪駅途中下車で下諏訪温泉に入って野沢菜入りのおやきを食べて参拝しただけでしたが、今回の印象もそれほどの違いはありませんでした。

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所在地

上社本宮 長野県諏訪市中洲宮山1   TEL0266-52-1919

上社前宮 長野県茅野市宮川2030   TEL0266-72-1606

下社春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 TEL0266-27-8316

下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 TEL0266-27-8035


今回は春宮、秋宮を参拝しましたが、秋宮をリポートさせて頂きます。

 まず、秋宮?と思われるかもしれませんが、宇佐神宮にも春宮があり、東側の社殿(東宮は皇太子の御座所をいい)を意味しています。ただ、同社に於いてもその理解で良いかは不明です(春宮には別の伝承が書かれておりこちらが本筋でしょう)。さて、諏訪大社と言えば色々な話があります。


 旧約聖書に登場するセム系民族の末裔のアブラハム。アブラハムには異母兄弟であるイサクとイシュマエルという息子がいて、イサクの子孫がユダヤ人、イシュマエルの子孫がアラブ人となり、今日の宗教戦争は元を辿ればアブラハムの末裔同士の兄弟喧嘩となっています。

それはさておき、アブラハムが息子イサクを生贄として神に捧げる「イサクの燔祭」に「モリヤ(山)と呼ばれる場所が出て来ます。

ユダヤ人の伝承では、かつてソロモン王が神殿を建てたエルサレムのシオン山がモリヤ山であるとされており、イエスが処刑されたエルサレム旧市街地にあるゴルゴダの丘もモリヤ山の一部であると言われています。

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ユダヤ教にしろキリスト教にしろ、聖書の中に登場する聖地「モリヤ山」

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実は、ここ日本にも同じ名前の山があり、それは長野県諏訪市と伊那市との境にある「守屋山」という山です。
この守屋山の麓に諏訪大社がありますが、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がなく、この守屋山をご神体として祀っています。
そして、この諏訪大社では古来より「御頭祭(おんとうさい)」という祭りが行われてきました。
「御頭祭」は、諏訪の神と呼ばれるミサクチ神の祭祀であり、この祭では「おこう」(御神とか神使と書く)と呼ばれる役割の15歳未満の少年が主役であります。
「おこう」と呼ばれるこの少年は、まず「御贄柱(おにえばしら)」とも呼ばれる柱に縛りつけられます。これは、少年を生贄とするための柱です。
次に人々は少年を柱ごと竹のむしろの上に押し上げ、そこには小さな刃物も登場しますが、そこで諏訪の国の司からの使者や神官が現われ、その後に縛られていた少年は解き放たれます。
少年を縛って生贄にし、刃物を用いて殺めるところを救われる・・・どこかで聞いた話どころか、そのまんま「イサクの燔祭」の内容であります。
そしてミサクチ神とは「ミ(御)・イサク・チ(接続語)」であり、この「御頭祭」は完全にイサク神を祀っているお祭りであるとされています。守屋山に御頭祭にミサクチ神。
縄文時代に栄えていた諏訪は、約500年ほど渡来した古代ユダヤ人と縄文人が共生していたともいわれていますが、まさに日本の中でも古代ユダヤの多くの伝承が色濃く残っている地域です。
実際、守屋山周辺の古い神社の末裔の人々は、自分達を古代ユダヤ人の末裔であるとも自称しています。


天下泰平〜 滝沢泰平 公式ブログ による


諏訪大社上宮の神長官として代々使えてきたのが守矢家、明治政府に外されるまで70代余りに渡って代々務めてきた。およそ2000年前からとされる

明治維新後、世襲の神官の廃止などもあってその後の相伝が衰え、加えて七十九代現当主は女性であり守矢家の秘儀は絶えてしまった

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神殿には梶紋と言われる神紋が掲げられています


 皆さんはこれを「梶」とお思いになりますか?

 関係ないと思われるかもしれませんが、ついでに福岡県の宗像大社の神紋も見て頂きましょう。

 元は梶紋と理解していましたが、同社は「楢」(ナラ)紋と言われています(ドングリは付いてますね)。

 いずれにせよ、葉脈を持った葉を意味しており似ている事は間違いないでしょう。

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一般的に諏訪大社の建御名方命は大国主命の子とされています(勿論、百嶋神社考古学ではそれを認めませんが…)。

 ところが、宗像大社の本当の祭神は大国主命であると何度となく申し上げて来ました。

 一例ですが、…


ひぼろぎ逍遥(跡宮) 067 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して。僭越ながらも… 。を!


 建御名方命が大国主の子ではなく臣下であった事は申し上げましたが、臣下であったからこそ同種の神紋を使う事はあり得るのであって、そういつまでもは隠しおおせないと考えるのです。

要はこれ(左)を何と読むかなのですが、これこそユダヤの燭台メノラー(右)をシンボル化したものなのです。

 良くダビデの星をユダヤのシンボルと考えられますが、それは後代の物であって、本来のものは、メノラーとかハヌキヤ(ハヌカ)と言われるものなのです。

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蔦紋 メノラー(7) ハヌキヤ(9) イスラエルヘロデ門の16菊弁紋 ダビデ紋=籠目紋


無題.pngメノーラー

メノーラー、メノラー(מְנֹרָה mənôrāh, menuroh, menorah)は「燭台」と訳される。

7枝のものをいい、ハヌカーに用いられる8または9枝のものはハヌッキーヤーという。


ハヌッキーヤー

ハヌッキーヤー、ハヌキヤ(חֲנֻכִּיָּה chănukkiyyāh, Hanukia, dos chanikes likht(-l), ドイツ語:Chanukka-Lampe)はハヌッカーで使用されるメノーラーの一種で、メノーラーが7枝であるのに対し、8枝(実際は9)であり、横に広がっている。「八枝の燭台」と翻訳されることがある。 8はハヌッカーの日数である。

様々なタイプのものがある。現在では電器製のものも多くなっている。ハヌッキーヤーはシナゴーグにも家庭にもある。

20180502 20:30による


 俄かには信じられないでしょうが、彼らは三千年〜二千年までの間にシルクロードを辿り西方から入って来た人々だったのです。

 ただ、ここで誤解して欲しくないのは、その後に入って来た百済、新羅、高句麗にしても元々は西方から半島に入って来た人々であり、彼らもその大半が列島に避退しているのであって、その空白地帯に入って来た人々(「三国志」「後漢書」などに記される古代民族 濊=ワイ拼音: Huì などを中心に現代の朝鮮人=半島人が形成されているのであって、古朝鮮族(現朝鮮族とは全く別)は大半列島に移動動しているのです。

 これらに先行して江南からも呉の太白の一族が入っていますし、雲南省麗江と昆明から黎族(阿蘇氏のルーツ=藤原氏の祖)、白族(大幡主〜ヤタガラスのルーツ)が海南島を経由し列島(勿論九州島ですが)に入っていますし、秦の崩壊、漢の崩壊によっても列島に多くの民族が入って来ているのです。

 つまり、日本人の大半が渡来系であって、殊更、諏訪大社だけをユダヤだなどと議論する事がそもそも誤りなのです。つまり、列島の全ての神社とは渡来神を祀るのであり、列島人も全て外来民族なのです。

 ただ、辺境ゆえの大らかさによってこれまで原型が保たれてきたのであって、それを破壊したのが明治の国家神道化だった訳です(笑ってしまいますが、奈良の片田舎を中心に日本が日本人が成立したと…)。

 現在もその延長上に“日本人は世界でも珍しい単一民族”などと言った大嘘が垂れ流されているのです。

 それは、古い時代に多くの民族が避退した結果、混血、融合、征服によって表面的に単一民族の様に見えただけなのです。

 まず、列島に住む人々は全てが渡来人であり、従って日本の神々は九州島から広がった外来の神々なのです(つまり、EUなどとは全く異なり、ほぼ千年前には日本は統一国家になっていたのです)。

 話が逸れ過ぎましたので再び諏訪大社に戻しますが、境内には幾つかの摂社が確認されます。

表立っては建御名方神と八坂刀売神と極めてシンプルです。

 しかし、少し込み入った話になりますが(ので)、敬愛する「玄松子氏」に御登場願いましょう。


諏訪大社は、上社・下社に分かれており、本来、上社に建御名方神、下社に八坂刀賣神を祀っている。

また、上社には本宮と前宮、下社には秋宮と春宮があり、四社を総称して諏訪大社という。

上社と下社では、奉祀する神職の長が上社では神別(祭神の子孫)、下社では皇別(皇族の子孫)とされている。

下社の大祝は、神武天皇の御子、神八井耳命を祖とする。ところで、有名な国譲りでの建御名方神の神話は、古事記にしか載っていない。日本書紀にはないのだ。これほど、天孫系の優位を説明するのに都合の良い記述がないのに。日本書紀では、国譲りに反対する神は、香々背男(天津甕星)である。

この神が建御名方神と同一とみられ、邪神とする説もある。

また、諏訪大社祭神を、伊勢津彦神(出雲建子)とする話もある。

神武天皇の命で、伊勢に攻め込んだ天日別命に追われ、伊勢津彦神は、信濃に逃げのびている(伊勢国風土記)。

八坂刀売命のことを、『旧事本紀』天神紀には、「八坂彦命、伊勢神麻績連等の祖」とあり、八坂彦命の裔とする。

伊勢神宮に麻續神社があり、長野中央部に麻續村という地名が残る。

また、信濃国造と伊勢舟木氏は同祖(神八井耳命)である。また、大神と諏訪の関係も、なかなか面白い。

上社「大祝」の姓は神(じん)氏だが、これを神(みわ)と読んで、美和郷を大祝の郷とする説がある。みわ=三輪である。

下社「大祝」は信濃国造と同じ金刺氏だが、信濃国造と同祖の太氏が存在する。太氏は多神社において三輪山祭祀に関わるとともに、古事記の編者・太安万侶がその太氏である。

このあたりに古事記にしか記述されない神話の秘密があるのかもしれない。

宝殿の奥に、御神木の一位の木がある。本殿はない。

諏訪大社の御神紋は諏訪梶。上社が四本足で、下社が五本足。

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以下も玄松子氏に依りますが、摂社です。


八幡社 恵比須社 鹿島社(武甕槌命) 子安社(高志沼河比売神) 賀茂上下社(賀茂別雷神・玉依媛命・建角身命) 八坂社(素盞嗚尊・奇稲田姫命・八柱御子神) 皇大神宮社(天照大神・豊受大神) 

若宮社(建御名方彦神別命・伊豆早雄命・妻科比賣命・池生神・須波若彦神・片倉辺命・蓼科神・八杵命・内県神・外県神・大県神・意岐萩命・妻岐萩命) 稲荷社(倉稲魂神・大宮賣命・佐田彦命)


恵比須社は「古事記」で国譲りに恭順した兄とされる事代主命ですし、鹿島社は阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)ですね。

賀茂上下社(賀茂別雷神・玉依媛命・建角身命)は神武僭称贈る崇神、鴨玉依姫、ヤタガラスです。

稲荷社(倉稲魂神・大宮賣命・佐田彦命)も「日本書記」で宇迦之御魂神とする伏見稲荷の豊受大神と考えるのですが、大宮賣命・佐田彦命はアメノウヅメと猿田彦(ニギハヤヒ)であり、倉稲魂神と大宮賣命とが重複していると考えています。

難敵は若宮社です。始めは高良玉垂命と神功皇后との間に産まれた長子、シレカシノミコト=仁徳天皇と考えたのですが、他の祭神との関係が合わず、どうも同社建御名方の若宮になりそうです。後は不明。

今回のテーマとしては摂社(境内社)子安社(高志沼河比売神)が重要です。これがヤタガラスの姪にあたる市杵島姫で、前ブログの主人公である高志沼河比売神(糸魚川市の奴奈川神社の主神奴奈川姫)なのです(ここでも甲府への道としては糸魚川から姫川を溯上し諏訪を経由し甲府盆地の天井楽園への道が確認できるのです)。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 さて、摂社に関する解読も百嶋神社考古学からの解析を試みたのですが、この諏訪大社の主神である建御名方命とは国譲りの結果この地から出ない事を前提に許され、その地が諏訪であったとされています。

 百嶋神社考古学では、国譲りの現場は筑後川右岸の甘木、朝倉、杷木の現朝倉市の一帯であって、抵抗した建御名方命の勢力の大半が球磨川以南に逃げているとします。


詳しくは ひぼろぎ逍遥 スポット050 筑前町に「日隅宮」を発見した! ひぼろぎ逍遥(跡宮) ビアヘロ023 筑前町に「日隅宮」を発見した!外をお読み下さい。

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百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで


 従って、海路、糸魚川から直江津(現上越市)に逃げた一派とは別に、その一族の大半が奉斎するのが鹿児島県を中心に数多く分布している南方神社とします(試に鹿児島県と南方神社でダブル検索を…)。

 元々、建御名方命を奉斎する人々の本拠地は南九州であり(熊襲=トルコ系匈奴である大山祗とその子大国主命の本拠地は南九州)、その本隊は故地に楯籠もり抵抗したはずなのです。

建御名方命は、長脛彦の妹=オキツヨソ足姫と阿蘇高森の草部吉見=武甕槌命の子でありヤマトタケルの父神=天足彦とも兄弟ので栄えある金山彦の血をひくイスラエル系の人なのです。

前掲の百嶋由一郎最終神代系譜(部分)をご覧ください。事代主は古古代ヘブライ系…。話は変わりますが、秋宮の左手に千尋社があります。

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無題.pngこれは浮島となっており祠も置かれていますので弁天様こと市杵島姫だと考えられます。

従って、子安社(高志沼河比売神)の祭神と同様で、逆に子安社(佐賀県にも二社確認していますが)として市杵島姫を祀るものである事が確認できるのです。帰りしな秋宮の狛犬に目が留まりました。以前からこの九尾の狛犬が気になっています。

福岡県福津市の宮地嶽神社、難波高津の宮にも同様のものがあり、この三社に何らかの関係があるように思えてなりません。

最後に御柱祭の御柱が何本も建てられていました(ユダヤならばレバノン杉になりますが)。

 元々、注連縄を張りに先行して「柴刺」(シバサシ)と「柱立」の神事がありました。これがその柱立を意味するものか不明です。


御柱祭’は直径1M位(3尺4寸)、長さが16M位(五丈五尺)のモミの木を神社(春宮、秋宮、前宮、本宮)ごとにそれぞれ4本、計16本切り出し、夫々の拝殿の四方に立てるまでの祭りである。7年に一度行われ、遠いところでは神社から20Km離れた山奥から切り出される。その運搬の模様は、その都度TVで放映されているので、説明を省くが、誰もがその勇壮な、命懸けの祭りを驚きの目で見ている。前記の著書に依れば、「御柱は桓武天皇の時代に既に記録に現れているが、その遥か以前の縄文の時代の‘柱立て祭り’が源流かもしれない」と記している。

ここに‘御柱起源論'に是非とも加えたい説がある。それは久保有政氏の著書「日本の中のユダヤ文化」の中で述べられている。そのまま引用する。「この諏訪大社に伝わる`'信仰とは何なのか。古代イスラエルには`アシラ'信仰と言うのが有った。これはアッシリアから来た異教信仰で、女神アシラを崇拝するもので、そのシンボルは`'であった。」とし、`アシラ'の音が、`ハシラ'に変化したと述べている。「なるほど」と頷けるが、これだけでは説得力に欠けると思っていたが、いま一つ`御柱イスラ無題.pngエル起源説'を後押しする話が別の本に有った。それは小石豊氏の著書「古代出雲イスラエル王国の謎」である。同著・第2章の‘諏訪大社の御頭祭と御柱祭’に次のような記述があった。

「柱を山から滑り落とす儀式は、ユダヤ王国のソロモン王が神殿を立てるとき、(レバノンの)ツロのヒムラ王からレバノンの杉の木を買い取って、遠路エルサレムまで運んだ大事業の伝承に由来するのだろう。巨木を積んだ筏はツロの辺りから海路を下り、ヨッパから陸揚げされて、陸路を延々とエルサレムまで運ばれ、ソロモンの宮殿に建てられたのだ。「列王記I第5章2節、8〜10節」に記述」としている。

倭国、大和国とヘブライ王国「諏訪大社・御柱祭のイスラエル起源論」より

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記