2019年04月09日

564 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

564 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

20180501

太宰府地名研究会 古川 清久


 聖神社に紙数を使いましたので、これから天津神社の境内に入らせて頂きます。


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同社由緒


高木大神の息子のニニギは良いとして、天児屋根命は実は阿蘇高森の草部吉見神=ヒコヤイミミであり、天太玉命はヤタガラス=豊玉彦です。

 気になるのはやはり枠で囲った部分の建御名方命が大国主命と市杵島姫=奴奈川姫との間に産まれているという現地伝承です。

562 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 A “糸魚川市の奴奈川神社は市杵島姫を祀る”で書いたとおり、建御名方命も事代主命も大国主命の子ではなく、以下の系譜をご覧の通り、阿蘇高森の草部吉見神=海幸彦=ヒコヤイミミ=春日大神=武甕槌命…とオキツヨソ足姫との間に産まれているのです。

オキツヨソ足姫とは金山彦系(スサノウと金山彦の娘である櫛稲田姫)の間に産まれ神武天皇に弓を引いたとされる長脛彦の妹の間に産まれたのであり、草部吉見が神沼河耳(贈る綏靖天皇)の子である事を考えると、神沼河耳の「沼」と奴奈川姫の別称沼河姫の「沼」が通底している事に目を向けざるを得ないのです。

 奴奈川姫=市杵島姫が神沼河耳の子である草部吉見が「沼河」の名を継承していることからそのように呼ばれた可能性は十分にあるような気がします。

 ただ、草部吉見こそ後の藤原氏の祖先神であることを考えれば、多くの神の名を変え、配神を操っているだろうであろう事を考えれば結論に飛び着くのは止めておきましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 無題.pngただ、由緒書きに「社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れ…」とあるように、この神社が前ブログで触れた孝元天皇を祀ると思われる聖神社の鎮座地の朝日町山崎と同様の糸魚川市の山崎と対応する事から、建御名方命との関係が予想され、この神社を支えた氏族に建御名方命に繋がる人々が相当数いたことが想像されるのです。

 孝元天皇の父神である孝霊天皇と建御名方命とは卑弥呼宗女壱与を通じて義理の兄弟の関係にあるのです。  いずれにせよ、この地から信濃、甲斐へと展開した人々がいた事だけは確実でしょう。

 少なくとも近畿大和朝廷の連中が進出したのではない事だけは確実でしょう。

そう言えば同社の祭神とはされていませんが、諏訪の秋宮(諏訪大社)の正面左手には弁天様として浮島に市杵島姫が祀られていました。

市杵島姫が奴奈川姫とすればこの女神様が諏訪にまで持ち上げられている事も間違いがないのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記