2019年04月06日

563 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 B “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(上)

563 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 B “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(上)

20180501

太宰府地名研究会 古川 清久


 次に向かったのは一キロ程離れた天津(アマツ)神社でした。

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 「古事記」の中ツ卷でしたか大国主の段に登場しますが、神社由緒では奴奈川神社が併せて一の宮とされている事しか分かりませんので例によって敬愛する「玄松子」氏に登場して頂きます。

式内社  越後國頸城郡 大神社 越後國一宮 旧県社 天津神社公式サイトを開く

御祭神  天津彦火瓊々杵尊 天太玉命 天兒屋根命 

境内摂社 式内社 奴奈川神社 奴奈川神社 奴奈川姫命 八千矛神

糸魚川駅の南、市役所の隣にある。拝殿前には舞台があり、舞楽が行われるらしい。拝殿の後ろに扉があり、少し離れて本殿がある。本殿の左隣には、奴奈川神社。拝殿内にも、奴奈川神社、天津社の扁額がある。その右手に住吉の扁額もあるのだが、合祀されているのだろうか。境内は静かで広く、オープンな雰囲気で気持ち良い。創祀年代は不詳。一説には、第十二代景行天皇の御宇の創祀。元禄三年(1690)の『一之宮天津社並に神宮寺縁起』によると、第三十七代孝徳天皇の勅願所であったという。式内社・大神社の論社となっている古社。境内の案内板によると、もとは根知川沿いの山崎の地にあったが山崩れのため、現在地に遷座したという。あるいは、国司奉幣神拝に不便であったからとも。古来より一宮明神と称されていたようだが、これは沼川郷の一宮ということだと考えられている。
明治六年十二月村社に列し、大正七年二月郷社に、昭和十八年三月縣社に昇格した。本殿左手にある奴奈川神社は式内社・奴奈川神社の論社。当初は、高志峯(黒姫山)山頂に鎮座し、柳田(柳形)の地にあったため、柳形田社、柳形神社、柳枝権現、柳田神社などとも呼ばれていた。
のち梯立村(橋立)へ、元暦二年(1185)には蓮台寺と平生の中間の山崎へ、さらに現在地へ遷座されたという。祭神は
奴奈川姫命八千矛神だが異説もあり、『越後頸城郡誌稿』『越後國頸城郡延喜式内十三座神社傳記』では大己貴命沼川比賣命、『天津神社蔵 鰐口』では大己貴命のみ。
『天津神社記録』では、奴奈川彦命と奴奈川姫命『神社帳考證』は沼河姫命、『越後國式内神社考證』は沼川比賣命。『越後風土記節解』では奴奈川彦命・奴奈川姫命・黒媛命。境内社として聖神社(祭神不詳)が祀られている。聖神社の横には、多くの石祠や石像が置かれている。中央に石祠には小さな狐が置かれているので稲荷社だと思う。


 実に有難い基礎資料です。諸説あることは良く分かりますが、当方の任務は、当面、百嶋説の検証であり、その方向で検討させて頂きます。なお、「境内社として聖神社(祭神不詳)が祀られている。」とされている部分は、恐らく孝元天皇ではないかと考えています。遠来の人間による二階からの目薬ですが…。

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詳しくは「ひぼろぎ逍遥」586

別役神社祭礼の日の前に見た心惹かれる一社“孝元天皇を祀る高知県香美市香北町の聖神社”をお読み頂きたいのですが、百嶋手書き資料の中にこの聖神社が出てきます。高知県に異常に集積が認められる聖神社ですが、糸魚川にまで展開している事には多少驚きを感じています。

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朝日町は糸魚川市の隣町であり、「聖神」を奉斎する大彦の一族(高良玉垂命=開化天皇の臣下である贈る崇神の四道将軍の一派)がこの地に展開している事の物証と言えるものでしょう。

 そして、朝日町の「朝日」も第9代開化天皇と神功皇后との間に産まれた朝日豊盛命の朝日と重なり、畿内説論者が欠史8代は架空として真面目に取り上げない(実は逃げているだけですが)開化天皇の時代に既に九州王朝による北陸の開発が着手されていた可能性を示唆しているのです。文句があるなら抗議してこい!嘘つき学者どもめ!きちんと説明して見ろ!第9代開化天皇=高良玉垂命と仲哀天皇死後の神功皇后が夫婦であった事は高良大社に残る「高良玉垂宮神秘書」に記載されているのです。

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富山県下新川郡朝日町山崎新字山口野726番の「神明社」の事だと考えられますが、未踏の神社でありここではこれ以上の推定は保留します。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記