2019年04月07日

ビアヘロ080(前) 「宮原誠一の神社見聞諜」によるイヅノメ論をご紹介します

ビアヘロ080(前) 「宮原誠一の神社見聞諜」によるイヅノメ論をご紹介します

20181111

太宰府地名研究会 古川 清久


 先にひぼろぎ逍遥(跡宮)に以下の8本を書いています。


454

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ A

453

伊都能売神(イヅノメノカミ)を奉斎する方々へ @

438

伊豆能売の神とは何か? E “伊豆能賣の中間調査を終えて思う事” 

437

伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?”

436

伊豆能売の神とは何か? C “遠賀川左岸に伊豆能賣を発見した ”遠賀町の伊豆神社“ 

435

伊豆能売の神とは何か? B “遠賀川右岸の二つ目の伊豆神社の元宮か?”久我神社 

434

伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イヅノメの神が少し分かってきました

433

伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”

   

 今般、連携ブログの「宮原誠一の神社見聞諜報」がオンエアされていますのでご紹介したいと思います。


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宮原誠一の神社見聞牒(089)

平成31(2019)0114


No.89 伊豆能売神(三穂津姫)を祀る福岡県遠賀の伊豆神社

2018(平成30)1021日、大宰府地名研究会主催による「『古事記』に僅かに現れるイヅノメとは何か?を探る」テーマで、神社トレッキングが行われました。

伊豆能売神(いづのめのかみ)を祀る神社が鎮座する福岡県遠賀郡遠賀町・水巻町の四社を見て廻りました。


 1.伊豆神社 福岡県遠賀郡遠賀町島津丸山578

 2.久我神社(元伊豆神社) 福岡県遠賀郡水巻町古賀1丁目11-26

 3.伊豆神社 福岡県遠賀郡水巻町頃末北二丁目91

 4.伊豆神社 福岡県遠賀郡水巻町朳1丁目17-19


頃末(ころすえ)の伊豆神社、朳(えぶり)の伊豆神社は、古賀の久我神社(元伊豆神社)から分社されています。

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伊豆能売神は元の名は「豊玉姫」で、豊玉彦と万幡豊秋津姫(よろずはたとよあきつひめ)の嫡女です。山幸彦の彦火々火出見命(饒速日)の妃で、対馬の竜宮に三年間逗留され、その子・鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を出産されます。乙宮の祭神、竜宮神・乙姫神でもあります。後に大国主の妃になられ、「田心姫」と名を改め、福岡県・宗像大社の祭神の一人であり、筑後中津海(有明海の奥)の海北の「道主貴みちぬしむち」でもあります。

その豊玉姫=田心姫=三穂津姫が遠賀川河口付近の遠賀町水巻町に「伊豆能売神いづのめのかみ」として祀られていました。

三穂津姫

島根県松江市美保関町の美保神社の祭神が三穂津姫ですが、静岡県静岡市清水区三保1073に御穂(三保)神社が鎮座します。社紋は「亀甲に剣花菱」です。大幡主と大国主ゆかりの紋です。三穂津姫は大国主の妃・田心姫です。三穂津彦は大国主で、大国主の活躍の場は出雲ではありません。関東一帯です。


三保の松原の羽衣伝説の天女・三穂津姫

天女が羽衣を三保の松原の松に掛けて水浴びをしていた。白龍(はくりょう)という漁師が、松の枝にかかっていた羽衣の美しさに見とれ持ち帰ろうとすると、天女が現れ、「羽衣がないと天に帰れない」と天女は、返してほしいと白龍にお願いします。白龍は、天上の舞を見せてくだされば羽衣をお返ししようといい、天女は返上された羽衣をまとって、天上の舞を披露、天女は空高く天にのぼっていったという。

天女・三穂津姫は三保津姫とも書きます。


宮原観音堂入口の観音橋に描かれた飛天女

(熊本県球磨郡あさぎり町岡原北1323)

飛天女像、天女像は仏画のイメージを受けますが、神像です。飛天女・天女は神様です。ブログ「八乙女と天女」を参照されてください。代表的な天女は三保の松原の天女、三穂津姫(田心姫・豊玉姫)となります。

仏画の天女は蓮の花を持っておられますが、神像の天女は楽器を持っておられます。


伊豆能売神(田心姫)と豊玉彦を祀る遠賀一帯の伊豆神社の話です。

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1.伊豆神社(遠賀町島津丸山)

島津丸山古墳(前方後円墳)の前方部に鎮座です。

神額「伊豆宮」の上には「嶋門本社」と小さい文字で書かれています。島津の伊豆神社は「嶋門本社・伊豆宮」です。神額はクマソ(大山祗)物部の神額に似ています。


伊豆神社 福岡県遠賀郡遠賀町島津丸山578

祭神 伊豆能売神 福岡県神社誌には或説に神直日神(鴨玉依姫)祀るとも云う

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社紋 抱き柏

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鬼瓦に「丸に抱き柏紋」があります。丸(円天)がありますので、社紋か社家の紋でしょう。

柏紋ですので、事代主系か、それに関係する田心姫系になります。

神額と嶋門神社の性格からして、祭神は大国主命と田心姫を祀る神社でしようか。

本来の祭神である大国主命と田心姫が消されて、祭神「伊豆能売神」となっています。伊豆能売神では本来の祭神名を理解出来ません。


福岡県神社誌

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伊豆を昔は、稜威(いつ)と書いたという。稜威とは「神聖であること」という意味だそうです。「稜威(いつ)」→「伊豆」→「伊都(いつ)」→伊(倭 い)国の都、糸島を感じます。

境内社が多くあります。


貴船神社(タカオカミ神、クラオカミ神) 天満神社(菅原道真公) 聖母神社(息長足姫命)

大社神社(大国主命) 笠松神社(鵜萱不合葺命) 坪内神社(厳島姫命) 保食神社(御気津命)

須賀神社(素戔嗚命) 恵比須神社(事代主命)


近くの嶋門神社

所在地:福岡県遠賀郡遠賀町松の本6丁目10-5 祭 神:大国主命 素盞鳴命


神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)

郷社村社対象明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭新嘗祭例祭神饌幣帛料供進された神社


2.久我神社(元伊豆神社 水巻町古賀)

久我神社は区の南方久我嶽の麓に鎮座であったが、落石による社殿の破壊が度々重なったため、三村に分祀される事になり、頃末(ころすえ)には元亀2年(1571年)に、朳(えぶり)には天正16(1588年)それぞれに社殿が設けられた。同時に本社も字亀の甲に遷座したと云う。

また、宝暦9年(1759年)それ迄、伊豆神社と称していたが「久我大明神」と改められている。


久我神社(元伊豆神社) 福岡県遠賀郡水巻町古賀1丁目11-26

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久我神社由緒(神社案内板)

祭神

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)

波瀲武鵜草葺不合尊(なぎさたけうがやふきあえずのみこと)

玉依姫命(たまよりひめのみこと)

(合祀)軻遇突命 大直日命 神直日命 八十禍津日命 宇賀神 地主神 稚産日命

   伊弉諾命 菅原道眞 闇龗神 罔象女神 猿田彦命 伊都岐嶋姫命

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由緒

神社創建時期は不祥であるが、社伝によれば神功皇后征韓の途次、筑紫岡湊に御滞在の折、当古賀村に三神鎮座を聞召し、今の字惣仙洞にて釣り上げられた鱸を蓼の穂と共に神前に供えられ征討の勝利を祈られたとある。この遺風が穂蓼の神事である。これは神前において蓼の葉を刻みて顔面に塗り皮膚への滲み具合によって其歳の豊凶を占う神事であるが、現在は途絶えている。

この神社は中古の御世古賀、朳、頃末の三村の産土神として広く崇められ、又、筑前山鹿城主、麻生氏の出城が久我嶽の山頂にあり崇敬殊に厚く郡中七大社の一つであった。

当時、本社は区の南方久我嶽の麓にあったが、落石による社殿の破壊度々なるを以て三村に分祀される事になり、頃末には元亀二年(1571年)に、朳には天正十六年(1588年)社殿が設けられた。同時に本社も字亀の甲に御遷座申し上げた。

又、宝暦九年(1759年)それ迄、伊豆神社と称していたのを久我大明神と改めた。

明治四十三年、本社を今の地に御遷座、併せて豊前坊山にあった高住神社(旧豊日別神社)及相殿疫神斎字京原鎮座の多賀神社、字惣仙洞鎮座の貴船神社及各神社の境内社を合併合祀した。この大神は古来安産の神様として崇められ古賀村には難産の煩いがないと言われる。

                           (境内案内板より)


福岡県神社誌

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拝殿内の幔幕にはヤタガラスの「日負烏」紋が掲げてあります

主祭神が「ヤタガラス」こと豊玉彦であることを表わしています。

神額には「郡中央鎮守 豊日別大神 相殿疫神斎」とあります。「豊日別大神」は豊玉彦です。「疫神斎」は由来記には記載されていませんが、福岡県神社誌には「疫神」とあります。「疫神斎」は大己貴と少名彦です。

神殿(本殿)の破風には「門光紋」が打ってあります。

さらに、破風の下の側壁には左に琵琶を持った飛天女、右に笛を奏でる飛天女の彫刻があります。()玉依姫は天女ではありません。天女は豊玉姫=田心姫=三保津姫です。

さらにその下の壁面には亀甲模様の連続紋です。基底が大幡主系の神社であることを意味します。

これらは、久我神社の主祭神が豊玉彦、豊玉姫であることを表わしています。豊玉彦、豊玉姫は父娘です。由緒記の祭神とは随分と異なっています。

社の南の裏山は「豊前坊山」です。遷座前はこの山の麓にあり、落石による社殿の破壊が度々あり、1588年下方の現在地に遷宮したという。「豊前坊」とくれば、豊前坊高住神社です。祭神は豊玉彦。豊玉彦はここ伊豆神社の祭神と考えられます。

祭神の彦火々出見尊と豊玉姫は、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の父母であり、鵜草葺不合尊と玉依姫命は夫婦神となります。

由来記の祭神から豊玉彦と豊玉姫の父娘が消されています。

しかし、社殿には、その痕跡がしっかりと残されていました。


     彦火々出見尊()┬鵜草葺不合尊()┬安曇磯良(曾孫)

             │         │

 豊玉彦(祖父)―豊玉姫()┘    鴨玉依姫┘

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:31| Comment(0) | 日記

ビアヘロ080(後) 「宮原誠一の神社見聞諜」によるイヅノメ論をご紹介します

ビアヘロ080(後) 「宮原誠一の神社見聞諜」によるイヅノメ論をご紹介します

20181111

太宰府地名研究会 古川 清久


八乙女と天女

福岡県築上郡吉富町に鎮座する八幡古表神社では傀儡子(くぐつ)とそれを操る傀儡子の舞(細男舞)と神相撲が放生会に奉納されますが、最後に八人の天女が「八乙女 やおとめ」として八乙女舞を舞われます。

この八人の天女の中に、三穂津姫(豊玉姫)と豊受姫(天鈿女命)がおられます。()玉依姫は天女に入っておられません。

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八人の天女

 4.稚日女大神(わかひるめ ヒミコ宗女イヨ)

 3.爾保津姫大神(みほつひめ 豊玉姫)

 2.八街比売大神(やがみひめ 瀛津世襲足姫 おきつよそたらしひめ)

 1.広田大神(天照大神)

 1.石坂姫大神(伊弉冉尊 いざなみのみこと)

 2.豊受姫大神(天鈿女命 あめのうずめのみこと)

 3.立田大神(市杵島姫)

 4.美奴売大神(みぬまひめ 八女津姫 水沼姫)


3.伊豆神社(水巻町頃末)

久我神社の由来記によれば、頃末(ころすえ)の伊豆神社は、頃末には元亀二年(1571年)古賀の久我神社(元伊豆神社)から分社されたと云う。

拝殿の梁にはヤタガラスの「日負烏」紋が掲げてあります。


伊豆神社 福岡県遠賀郡水巻町頃末北二丁目91

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伊豆神社 福岡県遠賀郡水巻町頃末北二丁目91

所在地 福岡県遠賀郡水巻町大字頃末2601
祭神

  彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)

  玉依姫命(たまよりひめのみこと)

  鹽土老翁(しおつちのおぢ)

合祀

  闇龗神・罔象女命・猿田彦命・神直日命・大禍津日命・大直日命・軻遇突命


伊豆神社由緒(案内板より)

祭神 彦火火出見命、玉依姫命、塩土老翁

合祀神社 貴船神社、幸神社、唐熊神社

由緒

元亀二年(1572)頃末地区の開拓に伴い古賀鎮座の伊豆大明神(今の久我神社)より御分霊を受け、山頂に神殿を建立、依ってこの山を明神ケ岳という。

大正二年(1914)此の地に遷座、現在に至っている。

彦火々出見命は、高千穂降臨の神邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子であり、初代神武天皇の祖父に当たられる。この大神は山を好み給い、高千穂の宮より当地に御臨幸されたと言い伝えられている。

合祀神社貴船神社は「雨」の神様として広く各地に祀られており、幸神社は「咳」の神様として、又唐熊神社は、安政四年(1857)悪病流行しその消除の為建立されたが、大正三年、三社同時に伊豆神社に合祀された。

当神社は水巻町の中央に位置し、地域の平和と安全、特に除災開運、無病息災、農作物の神として広く尊崇されている。


 福岡県神社誌

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由緒案内にあります祭神の関係で、彦火々出見命は神邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子ではありません。また、初代神武天皇の祖父でもありません。古事記・日本書記の作り替え話です。

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伊豆神社で最初に訪問した神社です。拝殿の梁の「日負鶴」らしきものを見た時、この神社は物部神社かと思いました。しかし、よく見ると、「日負鶴」に似た、ヤタガラスの「日負烏」が掲げてあります。神額は物部神社の神額に似ています。

彦火々出見命を祀る物部神社を秘めているのでしょうか。

本殿(神殿)の破風の六角形金具は博多櫛田神社の大幡主の印です。大幡主は鹽土老翁(しおつちのおぢ)の名で祀られています。

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4.伊豆神社(水巻町朳 えぶり)

朳伊豆神社は、天正16(1588)古賀の久我神社から字磯谷(今の薬師堂付近)へ分社し、慶長4年(1599)字石場(旧神社境内)に正殿を再築したと云う。天正16年分社の折、朳村は古賀村から分村したと云う。


伊豆神社 福岡県遠賀郡水巻町朳1丁目17-19

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福岡県神社誌

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主祭神は彦火々出見尊と()玉依姫命の二神です。

彦火々出見尊は()玉依姫命から見て、義父となります。関係が強くありません。

彦火々出見尊と豊玉姫は、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の父母であり、鵜草葺不合尊と玉依姫命は夫婦神となります。

すると、祭神から彦火々出見尊の妃・豊玉姫が消されています。

豊玉姫が追加されれば、彦火々出見尊と豊玉姫→鵜草葺不合尊と玉依姫命と繋がります。


訪れた時が、秋の例祭で、祭事が終わり、くつろぎの時でした。

拝殿内を見ることができました。

神額には「厳神社 いずじんじゃ」とあります。

幔幕にはヤタガラスの「日負烏」紋が掲げてあります

神輿が置いてあり、神輿の屋根の千木は外削ぎの男千木でした。主祭神が男神であることになります。

ヤタガラスの「日負烏」紋は豊玉彦を表わしています。

やはり、豊玉姫の父・豊玉彦も消されています。

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朳伊豆神社改築記念風呂敷 昭和5510月 設明

朳伊豆神社は、天正16(1588)古賀の久我神社より字磯谷(今の薬師堂付近)へ移し奉り、慶長4年(1599)字石場(旧神社境内)に正殿を新築したのが始まりで、したがって、朳村はこの時に古賀村から分村したことになります。(頃末村は、これより17年前の元亀2年に分村)

その後、神社は宝永7年(1710)に落雷で炎上して正徳元年(1711)に再興致しましたが、これについては現存する棟板に次のように記されております。

「宝永7年9月天火下り、そして正殿及び拝殿炎上。産民など神詞の焼失を憂い、共に力を合わせて正徳元年11月再興す。棟記と共に焼失したるにより、延享元年(1744)11月記写をなすものなり。後代の人に励信厚くべく造立するものなり。波多野中務丞藤原正信拝記。」

なお、この風呂敷は、前記棟板の一部と拝殿正面上の鬼瓦を組合わせて、これを図案化したもので、なかでも朳を『御枚郡餌振村』とあるのは、史料的に興味深いものがあります。



5.各伊豆神社の祭神

各伊豆神社の祭神は次のようになっています。

 1.遠賀の伊豆神社 伊豆能売神

 2.古賀の久我神社 彦火々出見尊 波瀲武鵜葺不合尊 玉依姫命

 3.頃末の伊豆神社 彦火々出見尊 玉依姫命 鹽土老翁

 4.朳の伊豆神社  彦火々出見尊 玉依姫命


遠賀の伊豆神社が祭神を「伊豆能売神」としているのみで、祭神にバラつきがあります。

頃末と朳の伊豆神社は古賀の伊豆神社の分祀であるため、同一祭神なのでしようが、一致する祭神は「彦火々出見尊」「玉依姫命」です。


鹽土老翁は大幡主で、豊玉彦の父です。

彦火々出見尊と豊玉姫は、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の父母であり、鵜草葺不合尊と玉依姫命は夫婦神となります。

伊豆神社の祭神の構図は、上記を勘案しますと、次のようになります。


           彦火々出見尊┬鵜草葺不合尊┬安曇磯良

                 │      │

 大幡主―豊玉彦┬―――――豊玉姫┘      │

        │               │

        └―――――――――――鴨玉依姫┘


祭神から豊玉彦と豊玉姫の父娘が消されています。

しかし、社殿には、その痕跡がしっかりと残されていました。

伊豆神社の主祭神は豊玉彦と豊玉姫の父娘であり、

伊豆能売神(いづのめのかみ)は豊玉姫=田心姫=三穂津姫でした。


豊玉彦は「ヤタガラス」の名に置き換えられ、古事記・日本書記から名前を消されています。

しかし、その痕跡は現天皇家に残されています。

天皇の即位式の幟にヤタガラスが描かれています。

静岡県熱海市の「伊豆山神社」は、鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝と北条政子の恋の舞台として有名。強運守護のほか、縁結びや恋愛成就の神様として人気があります。
実は、本殿からさらに山道を登り、「本宮社」まで行ってこそが本当の参拝といわれているのをご存じですか?参拝路には、病気平癒・厄難消除の神様で、強いパワースポットとして知られる「白山神社」、訪れたふたりは必ず結ばれるという「結明神本社」もありますよ。


伊豆山神社は、源頼朝が源氏の再興を祈願し、北条政子との愛をはぐくんだ所。

伊豆山神社の御祭神は、天忍穂耳尊 (アメノオシホミミノミコト)・拷幡千千姫尊(タクハタチチヒメノミコト)・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)"


本殿の右奥には「白山神社遥拝所」があります。山中の「白山神社」を遥拝するために設けられた場所ですが、伊豆山神社の元宮である「本宮社」への登り口にもなっています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:32| Comment(0) | 日記

2019年04月09日

564 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

564 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

20180501

太宰府地名研究会 古川 清久


 聖神社に紙数を使いましたので、これから天津神社の境内に入らせて頂きます。


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同社由緒


高木大神の息子のニニギは良いとして、天児屋根命は実は阿蘇高森の草部吉見神=ヒコヤイミミであり、天太玉命はヤタガラス=豊玉彦です。

 気になるのはやはり枠で囲った部分の建御名方命が大国主命と市杵島姫=奴奈川姫との間に産まれているという現地伝承です。

562 糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 A “糸魚川市の奴奈川神社は市杵島姫を祀る”で書いたとおり、建御名方命も事代主命も大国主命の子ではなく、以下の系譜をご覧の通り、阿蘇高森の草部吉見神=海幸彦=ヒコヤイミミ=春日大神=武甕槌命…とオキツヨソ足姫との間に産まれているのです。

オキツヨソ足姫とは金山彦系(スサノウと金山彦の娘である櫛稲田姫)の間に産まれ神武天皇に弓を引いたとされる長脛彦の妹の間に産まれたのであり、草部吉見が神沼河耳(贈る綏靖天皇)の子である事を考えると、神沼河耳の「沼」と奴奈川姫の別称沼河姫の「沼」が通底している事に目を向けざるを得ないのです。

 奴奈川姫=市杵島姫が神沼河耳の子である草部吉見が「沼河」の名を継承していることからそのように呼ばれた可能性は十分にあるような気がします。

 ただ、草部吉見こそ後の藤原氏の祖先神であることを考えれば、多くの神の名を変え、配神を操っているだろうであろう事を考えれば結論に飛び着くのは止めておきましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 無題.pngただ、由緒書きに「社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れ…」とあるように、この神社が前ブログで触れた孝元天皇を祀ると思われる聖神社の鎮座地の朝日町山崎と同様の糸魚川市の山崎と対応する事から、建御名方命との関係が予想され、この神社を支えた氏族に建御名方命に繋がる人々が相当数いたことが想像されるのです。

 孝元天皇の父神である孝霊天皇と建御名方命とは卑弥呼宗女壱与を通じて義理の兄弟の関係にあるのです。  いずれにせよ、この地から信濃、甲斐へと展開した人々がいた事だけは確実でしょう。

 少なくとも近畿大和朝廷の連中が進出したのではない事だけは確実でしょう。

そう言えば同社の祭神とはされていませんが、諏訪の秋宮(諏訪大社)の正面左手には弁天様として浮島に市杵島姫が祀られていました。

市杵島姫が奴奈川姫とすればこの女神様が諏訪にまで持ち上げられている事も間違いがないのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記