2019年03月30日

560糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 で考えさせられた甲信越の山上楽園の人々

560糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 で考えさせられた甲信越の山上楽園の人々

20180511

太宰府地名研究会 古川 清久


糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅はまだオン・エアしていないのですが、このブログを書き上げた時点では自分の意識がこの問題で頭が一杯で夢にまで出てくるほど駆け巡っていたのです。

先に近江散歩で18本ほどブログを書きました。

その延長上に考えを巡らせれば化外の民とも言える中部山岳地帯の人々との対比を強く感じるのです。

 あくまで民俗学的対比を意識して書いているだけであり、本来、この手の話は地名、民俗、言語、古代史を扱う「ひぼろぎ逍遥」に掲載すべきものでしょう。そこで先行して大まかな推定をしたいと思います。

 2018425日から58日に掛けて新潟県糸魚川市の奴奈川神社、天津神社、山梨県甲府市の天津司神社、長野県諏訪市の諏訪大社春宮〜秋宮などを訪ねました。

 これらについては ひぼろぎ逍遥(跡宮)562565外において随時公開予定ですが、この奴奈川神社の祭神の奴奈川が宗像大社の市杵島姫であるとの 故)百嶋由一郎氏の手書きメモが残されているのです。


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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 D “天津司舞の天津司神社にやって来た”

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 B “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(上)

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糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 A “糸魚川市の奴奈川神社は市杵島姫を祀る”


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市杵島姫は、始めは阿蘇高森の草部吉見=武甕槌命=鹿島大神=海幸彦…のお妃になられますが、政略結婚の神世の事、後には大国主命のお妃となられます(実際には市杵島姫の入婿と考えるべきなのですが)。

 その政治情勢の変化の度に、瀛ツ嶋姫(スサノウの御子時代)から奴奈川姫、佐用姫、市杵島姫…と名を変えていると書かれているのです。

 そして、甲府盆地の山上楽園を見出し、舞を舞われた姿が伝えられたのが「神武東征」(神武僭称贈る崇神=ハツクニシラススメラミコトによる神武=カムヤマトイワレヒコ偽装)ならぬ「神武巡行伝承」であり、筑豊地方、広島県、福山市〜尾道市、岡山市(阿仁神社)…などに残っているのです。


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昇天の二神とは阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)=海幸彦を婿神とした市杵島姫(奴奈川姫)

百嶋メモに依れば、舞に登場する9人の神とは、大日孁貴(オオヒルメムチ)=天照大御神、経津主命とは山幸彦=ニギハヤヒ、黄幡神=博多の櫛田神社の大幡主=ヤタガラスの父神、月弓命は大山祗命、根裂神は金山彦、磐裂神は埴安姫=黄幡神の妹神、磐筒男命=八重(速)思兼(ヤタガラス)、磐筒女命=罔象女(大国主の姉)、豹尾神は本物の神武天皇になり、消えた一神とは神沼河耳(草部吉見の父神)

市杵島姫=奴奈川姫とは神沼河耳の息子の草部吉見のお妃となったことから呼ばれた様なのです。

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甲府の地に御巡幸で立ち寄られた列島の開拓神(これこそが本来の開闢神)の伝承を今に留めているものが天津司舞であり、この地の開拓は阿蘇氏、大幡主系海人族、金山彦系、大山祗系の人々だったのです。

 面白い事に、長野県諏訪市の諏訪大社春宮〜秋宮にも沼河比売として祀られており、神武巡行のルートとしても、その後の九州からの開拓にも日本海ルート(対馬海流)から糸魚川、姫川、大町、松本、諏訪、甲府が選ばれている事が見えるのです。

 と、ここまでは、今からお話する事の骨格であって、奴奈川神社〜天津神社天津司神社が如何に古い列島の開拓(それこそ開闢ですが)に関わる重要な神社である事が見えて来るのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで


 天津司神社の12神(舞は9神)はこの系譜に書き込まれていますので、じっくりご覧ください。

 さて、ここからが今回の本題となります。

 話はガラッと変わるのですが、食文化とはある意味で保守的で、生まれついての食習慣とはなかなか変わらないものという印象を持ちます。

 肥後のやせ馬、豊後の団子汁…という粉食文化はかなり知られていますが、勿論、米がそれほど作れない地域故の食文化と言えばそれまでなのですが、単にそうとは言えない伝統的な食文化の嗜好に関わる要素が強いのではないかと思えるのです。

無題.png それは、九州ほどには米が作られないとは言え、信濃のオヤキ、甲斐のホウトウ、さらに北関東まで目を延ばせば、武蔵国(埼玉県)のフライ…といった粉食に思いが至るのです。

 そして、我々がトルコ系匈奴と考える大山祗(熊襲)の展開エリアとしての伊予、讃岐(愛媛〜香川)という、腰が強過ぎる(私達肥前の人間には柔らかい博多うどんこそが理想なのです)讃岐うどんもこの団子汁、ホウトウ文化のバリエーションにしか見えないのです。

 こういった粉食を好む人々が中九州から、新潟、長野、山梨から北関東などにも進出したのではないかと考えるのです。

 粉食の次には納豆も気になります。納豆と言えば水戸納豆が有名ですが、実際には福島を筆頭に東日本での消費が圧倒的に多く、納豆をあまり食べない豊前を含む瀬戸内海沿岸に対して、中九州、特に熊本となると一気に納豆消費が増無題.pngえるのです(お城納豆…)。それほど鮮明ではありませんが、中九州以南が多い事が一応はお分かり頂けるでしょう。

 都道府県別統計とランキングで見る県民性による


特に印象深いのは馬肉の生食です。


馬刺しといえば熊本といわれる通り、生産量・消費量ともに日本一を誇っています。生産量2位の福島と比べても、その差は歴然。熊本が馬肉王国といっても過言ではない事がわかると思います。県内には馬刺しや馬肉の専門店があるほか、スーパーなどでも牛肉や豚肉と一緒に並んでいて、馬刺しをはじめとした馬肉が売られています。お祝い事などではもちろんのこと、何気ない日常の中でも好んで食べられる県民に愛される郷土料理の一つに馬刺しは確立されています。


▼日本の産地は九州・東北が中心

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馬肉の生食という特殊な食文化だけに山梨と熊本に繋がりを考えたいのです。

今回は、二千年近い前の神武巡行伝承と現代の食文化を無理やりこじつけようとしたのですが暴走だったかも知れません。

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無題.pngひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は併せて日量1200件(年間45万件)のアクセスがあり、連携する25の百嶋由一郎神社考古学によるblogと併せ年間アクセスは軽く二百万件を超えているでしょう。テーブルに着いた講演会も始めますが共にフィールドに出ませんか?

 有名なホッサ・マグナ糸魚川静岡構造線 親不知断崖の向こう側、糸魚川市に奴奈川(ヌナカワ)神社(御祭神 奴奈川比賣命 大日孁命 八千矛命)が、また、少し手前には天津神社御祭神 天津彦火瓊々杵尊 天太玉命 天兒屋根命 境内摂社 式内社奴奈川神社、奴奈川姫命、八千矛神があります。さらに姫川を遡上し、松本から諏訪を抜け甲府の山上楽園には天津司神社(御祭神 天照外11神)があります。これらを 往復2800キロ往復15日間を掛けて見て来ましたが、これが神武東征(これは高良玉垂命の時代の臣下の崇神が行ったもの)ではなく2世紀の天照、本物の神武(カムヤマトイワレヒコ)以下の神々の巡行を1800年伝えたと考えられる天津司舞(民俗芸能重文)が伝承されているのです。この神武巡行の陸路の起点となった姫川河口こそがヒスイで知られる糸魚川であり、そこに奴奈川姫を祀る奴奈川神社が鎮座しているのです。この奴奈川姫が宗像三女神の市杵島姫であると解読されたのは例によって故)百嶋由一郎氏でした(以下百嶋由一郎手書き資料には5枚程度の天津司神社ほかの資料があります)。

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甲府の天津司神社の舞の二神は天上に登り消えたとされますが、それが市杵島姫と阿蘇高森の草部吉見神で後に夫婦となり、し無題.pngばらく阿多におられることになります。現在、天津司舞は十五戸だけで伝承され9人の神々が舞を舞っておられるのですが、それを神武巡行(2世紀)の痕跡と解読されたのでした。詳しくはブログで5本程度を公開予定ですのでそちらをお読み頂くとして、面白いのは、途中の長野県諏訪市の諏訪大社の春宮と秋宮(上社、下社は未確認)に奴奈川比賣が沼河比売として祀られているのです。してみると、甲府は2世紀から開拓が始まった事、その進入路が直江津ではなく、糸魚川、松本、諏訪、甲府ルートであった事が見えて来たのでした。九州からの移動を考える時、紀伊半島を迂回するのではなく対馬海流を利用しただろう事。甲信越の開発を行った人々は九州起源の人々であった事。が見えたのでした。だからこそ、熊本の馬刺しが山梨でも当たり前の様に食べられるのであり、山梨が熊本に多い甲斐さんと同じ甲斐の国と呼ばれ、この辺りから東日本の納豆文化が拡がり、粉食文化(ホウトウ、オヤキ、フライ)が広がっているのです。画像は天津司神社の天津司舞に登場する奴奈川姫(市杵島姫)と考えられるのです。当然、糸魚川は大幡主の武装商船隊の拠点であり、断じて近畿大和からの開発ではなかったのです。

無題.png新たに「事代主のブログ」氏が百嶋神社考古学に参加されました。

全国区のブロガーとしての有名な「事代主のブログ」の管理者ですが、近年、関東から福岡に移住され九州での研究を進められています。「事代主のブログ」を検索してください。


52728日(日、月)鹿児島県薩摩川内市の藤川天神…外へのトレッキングを行ないます。

菅原道真公が太宰府で死んだとするのは藤原からの刺客を逃れるためで、海路阿久根に向かい陸路で薩摩川内市の藤川に逃れ家族を呼び寄せています。その現場を確認するためのトレッキングを実施します。

併せて伝ニギハヤヒ陵とそれを祀る謎の神社、新田神社、可愛山陵(ニニギ陵)も巡ります。

東郷温泉ゆったり館鹿児島県薩摩川内市東郷町斧渕1940-1 電話0996-42-2244 経費:10000円程度

特別企画薩摩川内市藤川天神探訪トレッキング2018527日 日曜日 午前9:00集合〜9:30出発

無題.png090-5289-2994or090-6298-3254(古川)集合場所 トライアル久留米店 屋上駐車場  福岡県久留米市御井旗崎4丁目1−1 24時間営業  0942-40-8811 27

15:00着 津奈木まで高速移動 泊地 東郷温泉ゆったり館(源泉掛け流し)予約済み

01新田神社 02可愛山陵(ニニギ陵)03藤川天神 04ニギハヤヒを祀る陵墓と神社 外
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記