2019年03月24日

558近江散歩 21 出石神社再訪 “兵庫県豊岡市出石町”

558近江散歩 21 出石神社再訪 “兵庫県豊岡市出石町”

20180512

太宰府地名研究会 古川 清久


 女性陣のための神社ガイドを続けていますが、気比の宮を後にして向かった場所は、言うまでもなく出石神社でした。

 本来なら出石蕎麦の店に雪崩れ込みそうですが、時間帯がずれており、昨夜以来久美浜温泉旅館でグルメに堪能されたご一行の事、如何に出石蕎麦でも触手はピクリともしなかったようです。


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「兵庫県神社誌」は無い事からHP「玄松子」を参考にさせて頂きます。


式内社 但馬國出石郡 伊豆志坐神社八座 並名神大 旧國幣中社 但馬國一宮


御祭神 天日槍命 出石八前大神


 創祀年代は不詳だが、社伝によると、谿羽道主命と多遅麻比那良岐とが相謀って天日槍命を祀ったという。日本書紀によると垂仁天皇三年三月、新羅王子である天日槍が渡来

播磨国に着いた日槍は、八種の宝物を天皇に貢献した。天皇は、播磨国宍粟邑と淡路の出浅邑を与えようとしたが日槍は諸国を巡って心に適った土地に住みたいと希望。

宇治川を遡って近江国に一時住み、若狭を経て、結局、但馬国に住みつき、出石の大耳の娘、麻多島を妻として但馬諸助を生んだ。その但馬諸助の子が日楢杵。その子が清彦、その子が田道間守であるという。

このように但馬国は天日槍一族の根拠地であり天日槍に関係した神社が多く存在する。

当社の神紋について。拝殿には菊紋を染めた幕がかけられ本殿の屋根には、鬼桐の紋も付いていた。

『官國幣社 例祭之由来と神紋』には「五三の桐及三ツ巴」と記されている。

ということで、全部掲載しておく。境内社が幾つかあるが、確認できたものは以下の四社。

社殿の右手、禁足地へ向かう参道の脇に比賣社と夢見稲荷社。

社殿の左手の池に弁天社があり、拝殿の左に天神社。比賣社の祭神は、天日槍の妻である麻多島。


敬愛する無題.pngによる

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無題.png

夢見稲荷社                 比売社


この神社は新羅王子である天日槍(アメノヒボコ)の渡来伝承のあるところで、現在の宮司家もその血をひく後裔氏族なのです。

無題.png

これは故)百嶋由一郎氏が残された新潟県糸魚川市の奴奈川神社〜天津神社〜甲府市の天津司神社に関する手書きメモですが、この神社の由緒に登場する市入命こそが市杵島姫の孫にあたり、その後裔氏族が出石神社の社家となっていると書かれているの無題.pngです。

 してみると、境内の左手奥に浮島が設えられ弁天様(市杵島姫)が祀られている意味がお分かり頂けるのではないでしょうか?アカルヒメの娘なのです。

 ここでは、スサノウとヤタガラスの妹の間に産まれた、スサノウの血をひく大幡主(白族)系のプリンセスが市杵島姫であり、スサノウの列島への上陸地が出石であった事を確認すれば良いのではないでしょうか?

 ただ、摂社の比売社が市杵島姫かどうかは未確認です。

無題.png椎根津彦の末裔と言えば、在野の神社考古学研究家である百嶋由一郎氏は、講演会の中で、このように話されています。


「出石(いずし)神社(兵庫県豊岡市出石町)の宮司は、市磯長尾市(いちしのながおち=真砂(まさご)=増御子(ますみこ))の子孫の長尾さんで、(祭神である)スサノオ(=天日槍(アメノヒボコ))をずうっとお護りし、1800年間、祀っていらっしゃる。」


市磯長尾市といえば、大和神社の由緒にも登場しています。

ウイキペディアでは、


『日本書紀』に伝わる古代日本の人物であり、倭直(倭氏)の遠祖である。

倭大国魂神(奈良県天理市の大和神社祭神)の起源譚で知られる。

『古事記』に記載はない。

さらに、

『日本書紀』崇神天皇787日条によると、倭迹速神浅茅原目妙姫(倭迹迹日百襲姫命)・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君ら3人は同じ夢を見て、大物主神(のちの大神神社祭神)と倭大国魂神(のちの大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子命と市磯長尾市にすると必ず天下太平になると夢告があったと天皇に奏上した。

そこで崇神天皇7118日、夢告の通りに大田田根子と長尾市とに祀らせると、疫病は収まって国内は鎮まったという(垂仁天皇253月条の「一云」でも同様)。

また同書垂仁天皇33月条では、「一云」として、三輪君祖の大友主とともに新羅から渡来した新羅皇子の天日槍を尋問するため、播磨に行くよう天皇から命じられたとある


なるほど、ここに市磯長尾市天日槍(=スサノヲ)が登場しています。

「市磯」の名称については、大和国十市郡の地名(奈良県桜井市池之内付近)のようです。

その後、市磯長尾市の子孫がそのまま播磨に留まり、天日槍を奉斉した出石神社の宮司となられたようですね。


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ひとつあがりのカフェテラスから

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記