2019年03月19日

ビアヘロ079 人吉盆地に奥深く鎮座する熊野神社の正体を見たか?“熊本県あさぎり町岡留熊野坐神社”

ビアヘロ079 人吉盆地に奥深く鎮座する熊野神社の正体を見たか?“熊本県あさぎり町岡留熊野坐神社”

20181120

太宰府地名研究会 古川 清久


本稿は重要と考えますので、ビアヘロ版079として先行掲載します(予定では掲載が15か月程度先になりますので)。2018111718日に掛けて「宮原誠一の神社見聞諜」の誠一先生に随行し人吉盆地に踏み入りました。

と、言っても、八代から球磨川を溯上したのではなく、宇土市と八代市の中間の旧小川町から山を越え五木村から相良村に降り下り晩秋の人吉盆地に入ったのでした。

暫く前からネット上で遭遇した「ひろっぷ」というブログをお書きの聡明な女性と頻繁にメールをやりとりしておりました。

このため、誠一先生も含め、まずは、直接お逢いしてお話ししたいと思っていたのです。

以外と早くこの思いが叶い、静かな人吉盆地のご自宅を訪問し数時間に亘ってお話しさせて頂き、一旦青井阿蘇神社の付近の安宿に戻り翌朝から、あさぎり町と多良木町を中心に神社を見せて頂きました。

私は十数年前から天子宮調査で延二十日間は入っていましたので、ある程度の土地勘を得ていましたが、地元の方のご案内を頂くと全く違う世界が広がるもので、新たな知見が幾つも飛び込んできました。

この間研究会内部では不思議と橘一族の後裔が集まり始めており、静かな広がりを見せています。

既に56人の橘一族の後裔によるネット・ワークが形成されており(ブロガーだけでも4人の5ブログがあり、それに宮原姓をお持ちの「ひろっぷ」様が加わって頂ける事になりそうです。

実は、私も橘一族の後裔として末席を汚していることが最近になって分かり、当方の二本のブログに加え、百嶋神社考古学256のブログの中に、


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高知の別役(一応伏せますが)まで、56本のブログが揃う事になるのです。

早朝から宮原誠一先生に青井阿蘇神社をご案内、その後ひろっぷ様から十社ほどの神社をご案内頂きました。

私にも初見の神社がいくつもあり、非常に興味深く見せて頂いたのですが、その中から今回は一社だけをご紹介したいと思います。

人吉盆地内の神社については、これまで、雨宮神社(相良村)、十島菅原神社(人吉市)、大宮神社(多良木町)、槻木四所神社(多良木町)白水阿蘇神社(水上村)、…などこれまで10社程を書いていますが、まだ、それほどの深入りはしておりません。それは、まだ人吉盆地内の神社群の全貌が見えていないからです。青井阿蘇神社をそのまま阿蘇系神社と考える様に単なるガイド・ブック的な話をするならばいざ知らず、私達は、覆い隠された古代の真実を探り、出来れば相良入府以前の世界までも解き明かそうとしている訳で、部分的に試みてはいるものの、中々、おいそれとは踏み込み難かったからでした。


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岡留熊野神社座神社 カーナビ検索 熊本県あさぎり町免田西1582

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熊本県には熊野坐神社、熊野神社…が訪問や通過までも加えれば、知っているだけでも二十社程度はあるようです。勿論、人吉盆地内でも他に数社は拾えます。

特に、「坐」(います)を付す神社は古いようで、この神社(「座」としてはいますが)もその一つになるのでしょう。

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同社由緒 御祭神 伊邪那岐 伊邪那美 速玉之男神


まず、神社ウォッチャーの方ならば大体お分かりだと思いますが、イザナミは祀るものの、イザナギを祀らない神社が非常に多い事にお気付きだと思です。

事実、熊野三山には、本来、イザナギは祀られてはいないのです。…以下簡略化して説明します。


熊野本宮大社  アカルヒメ=ヤタガラスの姉でスサノウのお妃で姫島に逃れている(市杵島姫を連れ)

熊野速玉大社  豊玉彦=ヤタガラスの父神 大幡主=カミムスビの神(造化三神)神産巣日神、神皇産霊尊、神魂命とされる

熊野那智大社  イザナギと別れた後、名をクマノフスミと名を変えたイザナミ


「古事記」神話と違うではないか…と猛然と抗議される方がおられると思いますが、その根拠を問えば神社庁が言うからとのことなのです。この手合いには、ご自分でお調べ下さいとしか言うしかありません。

一例をご紹介しましょう。人吉市から球磨川を少し下ると、球磨郡球磨村神瀬甲820の巨大鍾乳洞内に鎮座する熊野座神社があります。

ここでも、イザナギは祀られていないのです。以下は、その熊野座神社の御由緒です。


ひぼろぎ逍遥 でも取り上げています。

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イワツバメの大群が飛び交う巨大鍾乳洞に鎮座する熊野座神社


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速玉男命 死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、 すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。

『古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、 一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。 その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男

敬愛する「玄松子」様より引用

一書のとおりイザナギとイザナミは分かれた後、大幡主のお妃となられているのです。

ここでは、事解之男を採用されていますが、百嶋神社考古学では熊野速玉神社は速玉男命とします。

従って、後代の追加による例外はあるものの熊野系にイザナギが祀られる事はないのです。

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百嶋由一郎 004ヤタガラス系譜(部分)クマノフスミこそイザナギと別れた後のイザナミなのです


ここで、話を岡留熊野座神社に戻しますが、念のために「熊本県神社誌」でも確認しておきましょう。

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「熊本県神社誌」262p(部分)左は境外摂社 ご覧のとおりイザナギが入っています


私には明治の村社昇格に絡んで、通り良く「記」「紀」に沿うように祭神が入れ替えられた(イザナギが挿入された)様に見えるのですが、無論、これは推定でしかありません。

ただ、この事が、同社の参道階段右手に置かれた境内摂社によってある程度の推定ができるのです。

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一言で言えば、本来神殿に祀られていた神様がごっそり祀られているようです。

窪権現(権現は神仏混合時代=江戸期以前の神仏名ですが…)の窪の意味は不明ですが、熊野大神とされている事からこの神様こそが元々鎮座されていたイザナミの後の夫となられた大幡主=造化三神のカミムスビの娘(ヤタガラスの妹)であるアカルヒメ(熊野本宮大社の主神)の事なのです。

この大幡主が神殿から下の摂社殿に降ろされているのです。

イザナミが神殿に残された以上、この岡留神社の基層には、前述の神瀬(コウノセ)の熊野座神社が金山彦を掲げる様に金山彦(イスラエル)系の神が祀られていたことになり、これを祀った人々もその系統の人々だったことになるのです。

菅公は良いとして、と言っても、こちらも大幡主系と金山彦系の本家同志で成立したのが菅原家ですからここでも消された二系統が大切に祀られている事が分かります。

ただ、人吉盆地でも散見される八王子は十年来の謎でまだ分かりませんのでパスします。

二宮は阿蘇神社の二宮の意味ではなく、健磐龍を祀る阿蘇神社に対する二宮、つまり、高森の草部吉見神社のヒコヤイミミの事であり、この草部吉見と宗像三女神の市杵島姫との間に産れたのが左端の阿蘇北宮(ここでは北嶽と書かれています)国造神社の大山咋(オオヤマクイ)=現地では速瓶玉命の事なのであり、後の日枝山王権現、日吉神社、山王神社、酒の神様松尾大社、佐田神社(出雲)、の佐田大神(断じて猿田彦に非ず)…となるのです。これらの話は幾らも書いているのでネット検索で確認してください。

池王社を飛ばしましたが、これも大幡主の子(母神は言うまでも無くクマノフスミと名を改めた金山彦の妹イザナミ)豊玉彦=ヤタガラスとなるのです。

何故、池王と呼ぶかは多少の見当が着くのですが話が逸れますのでここでは止めておきましょう。

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そう考えていると参拝殿の横にヤタガラスの掲示がありました これでは丸わかりですね


そして、この神社の宮司家は尾形(緒方)ですから大雑把に言えば阿蘇神社の系統になるでしょうが、大神一族ですね、そう考えると、ここに雨ノ宮姫が祀られている事にも納得がゆくのです。

何故なら、この雨の宮の雨宮姫から事実上の阿蘇家初代の阿蘇惟人(コレヒト)が産まれるのです。

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百嶋由一郎 018阿蘇系譜@-2 神代系譜(部分)


してみると、左の雨の宮殿の中に置かれた3体の男神像は、阿蘇氏初代の惟人と高橋+速日と考えられそうです。ここまで考えてくると、少し面白い事に気付きました。

ご迷惑になるといけませんので、あくまでも可能性の範囲とご理解いただきたいのですが、このあさぎり町には、白岳酒造があります。

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人吉盆地にも百済=旧多良木の人々が入っているようです。だから錦町はあさぎり町とは別なのです。

 あさぎりはどちらかと言えば百済ではなく新羅の多羅伽耶から入った人のような気がします。

それは山の名を見れば分かります。

 白髪岳、小白髪岳、白髪野、陀来水(多羅を見る)と半島の東南部を偲んだ名が残されているのです。

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白岳酒造があさぎり町の南の高峰白髪岳から名を取っている事は明らかでしょう(高橋が新羅と言う意味ではないのでご注意を)。

白岳がそうだとして、そこに高橋酒造が在ったとしたら、再度申し上げますが、阿蘇高森の草部吉見ヒコヤイミミと宗像三女神の市杵島姫との間に産れた阿蘇国造速瓶玉(大山咋、日枝山王権現、日吉大社、佐田神社…)は、酒の神様=松尾大社でもあるのです。

相良村の雨宮神社や市房山神宮の境外摂社雨宮姫(岩野)は元より、熊本市内などにも数社存在する雨宮(阿蘇ツ姫の娘)が大切に守られ、今尚「白岳」を造る高橋酒造とは、この阿蘇国造と雨宮姫の直系の一族であるかも知れないのです。してみると、上の三体の神像のうちの二体のどちらかが高橋神であり、速日(速瓶の子)と思われ、高橋酒造から焼酎を奉納し祀られる価値があるのではないかと思うものです。

そして、「岡留」(元寇期までは辿れるとの事)という地名が気になっていました。何とも違和感のある奇妙な地名だと思っていましたがようやく見当が着きました。下の神殿に降ろされた筆頭の神が熊野大神ならば、それは熊野本宮大社のアカル姫のはずなのです(隠れ菊池一族の米良の銀鏡神社の主神でもある)。その消されたアカル姫の「アカル」の置換えが「岡留」(オカル)なのではないか…と考えるのです。今後の課題ですね。消された理由も分かります。アカルヒメは金山彦の妹のイザナミの娘であり神武天皇に背いたナガスネヒコに繋がるから慎重に神殿から外されたのです。簡単に言えば神祇官対策ですね。

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最期にこのフクロウが気になるのです。ヤタガラスとフクロウと言えば、茨城県の鳥子山上神社が頭を過ります。ヤタガラスの子である鳥の子と言えばトリノコ山上神社に繋がるかはこれからの課題です。

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雨宮姫については幾つか書いていますので、関心をお持ちの方は ひぼろぎ逍遥+雨宮姫で検索を…

また、フクロウについてはブログ「ひろっぷ」で興味深い話を書かれておられます。


百嶋由一郎氏の資料(音声CD、神代系譜DVD、手書き資料)を必要とされる方は09062983254まで
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ