2019年03月18日

557近江散歩 S 女性達に囲まれて大江山皇大神宮の内宮再訪

557近江散歩 S 女性達に囲まれて大江山皇大神宮の内宮再訪

20180512

太宰府地名研究会 古川 清久


 外宮を下りて内宮に向かいました。

途中で三十代の半ばと思しき女性がおられ内宮に向かっておられるようでしたので、車にお乗せして、四人で内宮の最奥部に向かい、裏から社殿下の駐車スペースに駐めました(普通はできないですね)。

 正面には神体山=城山が聳えています。

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まず、宮川の支流になるのでしょうか、五十鈴川が流れています。

 伊勢の五十鈴川の元となった川のはずで、大江山の皇大神宮が伊勢の元宮ではないとする俗説はこれだけでも否定したくなります。

 奥にある天岩戸神社の方から流れ下っているようです。

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この縁起に強い違和感を意識するのは皇女豊鍬入姫命が大宮処を求めた…と言う部分です。

本来、この業績は崇神の娘ではなく倭姫命だったはずで、崇神系による業績の改竄が感じられるのです。

 さて、ここでも手強い神社だけに、敬愛する玄松子氏に助けを求めたいと思います。


旧府社 御祭神 天照皇大神

…鳥居をくぐると、右手に「天皇神道社務所」があるが当社・皇大神社とは別の団体のようだ。…

御朱印をお願いすると印は無かったが「天皇神道 元伊勢皇大神宮 岩長姫命」と墨書きをいただいた。…拝殿・本殿を取り巻く境内の周囲には、多くの境内社が祀られている。

まず拝殿左手前、少し低い場所に横向きの熊野神社 右手前には、變若水の榎と三女神社。

拝殿の右手には、天手力雄神社。左手には、龍灯の杉と栲機千千姫神社

確認できた境内社は、

梅宮神社、浅間神社大年神社加茂神社倭文神社、砥鹿神社、住吉神社、二荒山神社、出石神社、高瀬神社、春日神社、洲崎神社、愛宕神社、敢国神社、寒川神社氷川神社高良神社宇倍神社、水無神社、玉前神社、新良神社、枚岡神社、杵築神社吉備津神社白山神社、箱崎神社、気多神社、南宮神社香取神社伊射波神社倉稲魂神社若狭彦神社大鳥神社風之宮神社伊雑神社月読神社、荒祭神社、伊佐奈伎神社伊佐奈美神社、瀧原神社、日前神社日前大神 思兼命 石凝姥命)、天御柱神社、国御柱神社、大原神社、石上神社貴船神社宇佐神社物部神社興玉神社気比神社大神神社、鏡作神社、日吉神社、都佐神社、大国魂神社廣瀬神社龍田神社中山神社由良姫神社鹿嶋神社三島神社、田村神社、厳島神社大山祇神社玉祖神社八坂神社與止日女神社鹿児島神社少童神社、三上神社、出雲神社浦嶋神社玉依姫神社籠守神社(底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神)松尾神社三日月神社、曲玉神社、斎宮神社

参道の燈籠・秋葉神社と御門神社を含めると合計八十四社。『全国神社名鑑』にも末社八十四社とあるのだが、『日本の神々』では七十九末社と記されている。境内社社殿の大きさ・規模を見ると栲機千千姫神社、天手力雄神社、熊野神社、興玉神社は別格のようで、燈籠・秋葉神社も別にして、七十九末社ということだろうか。また『神社名鑑』には末社八十一社とある。境内には境内社の他に、へそ塚や和泉式部歌塚などもある。『日本の神々』には旧村社となっているが、『神社名鑑』には昭和五年府社に列したとある。

社伝によると、崇神天皇三十九年、豊鋤入姫が天照大神の神教により神器・八咫鏡を奉じて倭国笠縫邑を発し但波国吉佐宮に還幸し、四年間天照大神を奉斎した。

当社は、その吉佐宮跡とされ、古来、元伊勢内宮と称され広く崇敬された神社で、日室岳を神体山とする古社。享保二十年(1735)の『丹後国加佐郡旧語集』には当所の天照太神は大和国より遷されたとあり、その後、伊勢国高間原へ遷宮されたと記されている。異説として『加佐郡誌』には、崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から吉依宮(吉佐宮)へ還幸の際、一時的にこの地にとどまったものという。

さらに、宝暦十一年(1761)の『丹後州宮津府志』には用明天皇の第三皇子・麻呂子親王が鬼退治の際に外宮とともに当地に勧請した社であるとし、元伊勢ではないとする説もあるようだ。

拝殿には菊紋の幕が付いており、『全国神社名鑑』にも神紋は菊花紋とある。

敬愛する 無題.png による


 前よりは境内摂社が誰を祀るものなのか理解できるようになりました。

 境内摂社は黄色のマーカーで色付けしたものぐらいしか分かりません。なお()書きは「玄松子」様のデータに当方が書き加えたものです。

 数が多すぎるので、これらの摂社が如何なる神様なのかについてはこれ以上触れませんが、元々これらの神々が並べられた理由は、従えている、若しくは、提携しているという意味だったと理解しています。

 まあ、表現は悪いのですが広域暴力団の提携関係図のようなものと理解しています。

 さて、玄松子様の資料には磐長姫社の記述がありませんでした。

 作成時点には存在しなかったからでしょうか?実際、祠も多少新しい為、そう言えない事も無いのかも知れませんが、その意味で触れておく必要があるかも知れません。

 一般的には、ニニギがコノハナノサクヤを見初めて求婚するのですが、父神の大山祗は姉のイワナガヒメと二人を送り、醜かったため返されたと言うとんでもない酷い話になっているのですが、実は、このイワナガヒメこそ福岡県糸島市の細石神社の主神であり、菊池氏が零落して逃げ込んだ宮崎県米良の銀鏡(シロミ)神社の主神であって、なおかつ、新羅の王子様であったスサノウが追ってきたヤタガラスの妹のアカルヒメなのです。

 従って、直接的には姉でも何でもなく、ましてや、大山祗の娘でも何でもないのですが、藤原にとっては貶めたい何らかの事情があったのかも知れません。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで


 通説ではお二人は姉妹とされています。コノハナノサクヤは確かに大山祗の娘であり大国主命の妹なのですが、イワナガヒメ=アカルヒメは大幡主の娘でヤタガラスの姉なのです。

 ただ、大山祗のお妃=埴安姫が大幡主の妹であることを考えれば、埴安姫にとってコノハナノサクヤは直接の娘であり、アカルヒメ=磐長姫は兄の娘となり姉妹に近い関係にはなるのです。

 では、何故、殊更磐長姫(イワナガヒメ)が祀られているのでしょうか?

 それは、スサノウ系、大幡主系、大山祗を繋ぐ重要な女神だったからだと考えるのです。

 多分、そこら辺りに大江山の外宮、内宮の秘密があるような気がします。

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さて、ここにも境内摂社として高良神社があります。

既に、前ブログで書いたように、外宮社には若宮神社があります。

 若宮神社はこれまで何度も申し上げてきた福岡県久留米市の高良大社の主神である高良玉垂命(実は消された第9代開化天皇)と仲哀亡き後の神功皇后との間に産まれた五人の皇子の長子シレカシノミコト=仁徳天皇(藤原から第14代とされ別王 応神の子などと貶められた)オオササギノミコトで事実上最後の九州王朝の天皇です。

 つまり、外宮に若宮神社が、内宮に高良神社が分離され祀られているのです。

 バリエーションは色々あるのですが、九州王朝の最期が反映されているような気がするのです。

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拝殿の右手に栲機千千姫神社があります。

また、皇女豊鍬入姫命が大宮処を求めた…という倭姫命の業績とされるものをニニギつまり高木大神系や豊城入彦つまり崇神系にシフトして表現されている事に気付きます。

栲機千千姫は百嶋神代系譜を見られれば分かるのですが、高木大神の次女でありニニギも高木大神の子なのです。

どうも、高木大神の色が濃い感じを受けるのが大江山皇大神宮でした。今後も探索は続きます。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記