2019年03月15日

556近江散歩 R 女性達に囲まれて大江山皇大神宮の外宮再訪 

556近江散歩 R 女性達に囲まれて大江山皇大神宮の外宮再訪 

20180512

太宰府地名研究会 古川 清久


 大江山の皇大神宮外宮と内宮を訪ねたのは五年も前だったでしょうか、あの頃は境内摂社の数の多さに圧倒され無我夢中といった感じでしたが、今回は、少しは分かるような気がして参拝しました。

 伊藤女史の丹波丹後の旅に合流するために大江高校前(京都府)で待ち合わせし、女性陣と最初に向かったのが大江山皇大神宮の外宮、内宮でした。

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京丹後鉄道の大江高校から、豊受大神社(大江山皇大神宮下宮社)、内宮社へは10分ほどで着きます。

 始めは外宮へ、次は内宮へと向かうのですが、内宮へはかなりの階段を登る必要があります。

 ともあれ久しぶりの外宮です。今回は、じっくりと摂社が確認できると踏んだのですが、随行者はあれも見たいこれも見たいとふんだんなスケジュールを組んでおられるようで、殆ど写真を撮る以上の時間はありませんでした。

 天気は良く参拝者は少ないとあってこれ以上の機会はなかったのですが、なかなか思うようにはいきません。いずれ、じっくりと検討させて頂きます。

 故)百嶋由一郎氏は大江山皇大神宮を非常に評価されておられました。“あそこの摂社の神々が誰であるかが全て分かります…”と言われていた事を今でも思い出します(さながら浄土真宗ならば面授の弟子となるのですが、不出来な弟子であり申し訳ないと思うばかりです)。

 しかし、同じ元伊勢でも脚光を浴びる籠神社の繁盛ぶりに比べて、これほどの凄い神社であるにも拘わらず、参拝客がまばらである事が情けなくも悲しく、天橋立目当てに群がる観光客の一割でも大江山に来て欲しいと思うものです。

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式内社 丹後國丹波郡 比沼麻奈爲神社 旧府社

御祭神 豊受大神 相殿 日子番能邇邇芸尊 天児屋根命 天太玉命


境内中央に拝殿があり、後方に茅葺神明造の本殿。

拝殿の左右には、別宮の多賀之宮と土之宮が祀られている。

本社社殿を取り巻くように、境内の左右・後方に境内社が並んでいる。

境内左手から、御幸神社、天田神社、蜂須神社大国主命)、若宮神社榊森神社和幣神社御釼神社大若神社鏡作神社(天照国照日子火明命、石凝姥命、天児屋根命)、知恵神社。

右手から、岩崎神社山幸彦)、保養神社、酒造神社、日吉神社、祓戸神社、椿本神社、姫若神社、榊原神社、南之神社(孝徳天皇)福徳神社(宇迦之御魂神)白鬚神社、小篠神社、甲之神社、礒之神社、平岡神社、保浪神社、青榊神社、横河神社。

社殿後方には、別宮の月宮と風宮に挟まれて、竈原神社、種木神社、瀧之神社(多記津比賣尊)、東羅神社、金刀比羅神社、蓬戸神社、神南神社、鹿嶋神社繁昌神社(市杵島姫命)

上記のように、四社の別宮と、三十七の末社(合計四十一境内社)を確認したが、『神社名鑑』には、末社四十二社と記されている。よって、見落としがあったかもしれない。ただ『日本の神々』には、三十七末社とあるのだが。

また、『神社名鑑』や『神社辞典』には、当社は旧府社とあるが『日本の神々』には旧村社となっている。

明治期の郷社以上が記載されている『明治神社誌料』には当社の記載がなく、明治以後に昇格したのかもしれないが…いずれにしろ、当社で確認すれば良かったのだが、忘れてしまった。

『神社名鑑』の、同じく大江町にある「元伊勢皇大神宮」(現皇大神社)の項には、昭和五年府社に列したとあり、当社も同時期に府社に昇格したのだろう。

創祀年代は崇神天皇の御代。天照大神が倭国笠縫邑から当地へ還幸の際に創祀されたという。

旧号を与佐宮と称し、御山を比沼の真名井ヶ原と呼ぶ。伊勢外宮の縁起を伝える

延暦二十三年(804)の『止由気宮儀式帳』によると伊勢外宮は、丹波国比治真奈井に鎮座する豊受大神を遷座したものとある。

鎌倉時代の『神道五部書』によると伊勢外宮の御饌都神(豊受大神)は、天御中主神・国常立神と同神で、

雄略天皇二十一年、倭姫命に天照大神の神託があり丹波国与佐宮に祀られている豊受大神を伊勢山田原に迎えたもの。

享保二十年(1735)の『丹後国加佐郡旧語集』には当社・豊受宮は「人王三十三代推古女帝二十一丁巳年外宮遷座於伊勢国」とある。よって当社が、伊勢外宮の元社であると考えられている。

伊勢に遷宮の後は元伊勢外宮大神宮と称し、豊受大神を奉斎。

地方有数の名社とされ、遠近よりの参詣も多かった。

また、明暦二年京極高国は将軍綱吉の病気回復を祈願し、永井・阿倍・奥平・青山氏ら藩主の社参・代参や寄進等が相ついだ。なお『丹後風土記』には、当社を丹後国丹波郡の式内社・比沼麻奈爲神社とする説が載っている。

さらに、『加佐郡誌』には、雄略天皇二十二年、丹後国丹波郡の比沼麻奈爲神社を伊勢へ遷座する時、当地・舟岡山にしばらく鎮座したとあり、当社をその跡地とする説もあるようだ。

さらに、宝暦十一年(1761)の『丹後州宮津府志』には用明天皇の第三皇子・麻呂子親王が鬼退治の際に内宮とともに当地に勧請した社であるとし、元伊勢ではないとする説もあるようだ。


敬愛する無題.pngによる

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境内摂社は黄色のマーカーで色付けしたものぐらいしか分かりません。なお()書きは「玄松子」のデータに当方が書き加えたものです。

 若宮神社はこれまで何度も申し上げてきた福岡県久留米市の高良大社の主神である高良玉垂命(実は消された第9代開化天皇)と仲哀亡き後の神功皇后との間に産まれた五人の皇子の長子シレカシノミコト=仁徳天皇(藤原から第14代とされ応神の子などと貶められた)オオササギノミコトであり事実上最後の九州王朝の天皇なのです。

御祭神は豊受大神(実は辛国息長大姫大目命=伏見稲荷=アメノウヅメ) 相殿 日子番能邇邇芸尊(ニニギ) 天児屋根命(草部吉見=海幸彦) 天太玉命(ヤタガラス)ですが、何故、ニニギが祀られているかは不思議です。そのうち分かるかも知れません。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 09:37| Comment(0) | 日記