2019年03月12日

555近江散歩 Q 夕闇迫る中、急坂を登って頂いた養父市大屋町の御井神社

555近江散歩 Q 夕闇迫る中、急坂を登って頂いた養父市大屋町の御井神社

20180510

太宰府地名研究会 古川 清久


 合流した伊藤女史グループは久美浜温泉へ、私も久美浜温泉には入ったものの車中泊を決め込み、翌朝、気比神社で合流しました。

その後、兵庫県、朝来市〜養父市の神社をご案内する事になったのですが、既に、御読み頂いている通りです。


553

近江散歩 O 九州王朝の勅使門を持つ粟鹿神社再訪

 “兵庫県朝来市和多山

552

近江散歩 N 気比神社再訪 “兵庫県豊岡市


さて、夕闇が迫る中、向かったのは敗残した九州王朝の中枢部が逃げ込んだと踏んでいる兵庫県養父市大屋町の御井神社です。

実のところ、内倉武久氏など三人ほどの男性はお連れした事があるのですが、舗装もされていないかなりの急坂を登る事から女性には無理ではないかと思っていたのですが、どうしてどうして、アウト・ドア派のスレンダーな女性陣は気にする事もなくスイスイと登って行かれたのです。

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私自身はもう何度となく訪ねているのですが、始めは、百嶋先生から“九州王朝は但馬に逃げていますよ…それを支えたのは橘一族(ヤタガラス後裔)でした。…”といった話を聴かされたからでしたが、徐々に意味が分かってきたような気がしています。

 ともあれ、荒削りな数百メートルの参道を10分以上も掛けて登り詰めると、存在感のある神社が見えてきました。

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ひぼろぎ逍遥 131 兵庫県養父市大屋町の御井神社 “ 突然始まった周防から丹後の神社調査 C ”

を書いていますので、殊更書くこともないのですが、


兵庫県の養父市から豊岡市に掛けては、御井神社という非常に気になる神社が10社程度分布しています。

この外にも、島根県、鳥取県にも数社確認していますので、その数はもっと多くなるかも知れません。

兵庫県養父(ヤブ)市大屋町の御井神社を置き換えれば、但馬国養父郡大屋郷御井神社となるでしょう。

これらが全て九州からの移動地名であると分かるには、偶然、北部九州から兵庫県でも播磨ではない但馬に転勤したとか、ある程度、歴史や地名に精通しているという条件が必要になります。

五年ほど前でしたが、百嶋由一郎先生から“但馬に行きなさい。あそこには九州の地名がゴロゴロしていますよ。そして、皆が九州弁で話していて九州の(ご先祖が出身の)人々が住んでいますよ!”さらには、“九州王朝を最期まで支えたのは橘一族でした”といった趣旨の話を聴かされていました。

その言葉だけに導かれ、数度の但馬へのフィールド・ワークに入ったのでした。

そのリポートは「但馬」としてまとめていますが、百嶋先生の注釈を頂いており、その修正をどうするかでデッド・ロックにぶつかり、太宰府地名研究会では講演したもののオンエアには未だ至っていません。

さて、但馬国養父郡大屋郷御井神社を解析すれば、

@但馬が宗像大社の所在地宗像市大字田島

A養父は佐賀県鳥栖市養父町(旧養父郡)ちなみに、現在の鳥栖市養父は「和名抄」に西海道肥前養父とあり、兵庫県養父市は、「和名抄」に但馬国夜不(やふ)郡とあり、郡の中心として平安期には養父郷とある。

B大屋は頭領が住む土地の意 

C御井は高良大社の鎮座地久留米市御井町(久留米大学の御井学舎や味水御井神社がある)

当然ながら古い地名であり、「和名抄」に西海道筑後に御井がある。

無題.pngつまり、全て九州の地名が持ち込まれ冠せられているのであり、この地に住み着いた人々が九州の人々であったことが分かるのです。しかも、この御井神社の奥には岩井渓谷があり岩井という地区まであるのです。

そのベクトルは対馬海流に乗り、宗像族、安曇族(佐賀県唐津市呼子町の加部島に鎮座する田島神社が本当の但馬の起源かも知れない)が田島という地名を持ち込んだものであり、「養父」の表記が肥前の方が早いことからもそのことが推測できるのです。

イギリスのヨークの人々がアメリカ東海岸のニュー・ヨークを建設したしたのと同じ意味での地名移動が起こっていることが確実なのですが、それを説明するには、考古学、神社、寺院、その他の地名などの説明になり長文が必要であり(既に「但馬」で書いていますので)、ここではそのさわりをお知らせするだけにしたいと思います。いずれ、「但馬」は全文をネット上に公開します。

ただ、早く知りたいという向きもあると思いますので、分かりやすい例を一つお知らせしておきます。

これは、養父市の中心部、市役所からも近い幹線国道にある交差点の表示を見て頂ければ、お分かりになるでしょう。写真は 養父市 朝倉の交差点。

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八鹿バイパスは国道9号線のバイパスです。


これが福岡県朝倉市(旧朝倉町)の朝倉からの移動であることも明らかでしょう。

グーグル・マップ、グーグル・アースで調べれば、自宅で九州の地名が但馬に大量に発見できると思います。後はご自分で探して見て下さい。伯耆から但馬に掛けては、七釜温泉、二日市温泉、岩井温泉までもあるのです。御井神社の祭神その他については別稿とします。

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鳥栖市養父町


いずれにせよ、久留米、朝倉、鳥栖、唐津、那珂川町…など多くの人々が、大和朝廷が成立する遥か以前から山陰から但馬に植民地を作っており、ある時期、大和朝廷の弾圧を逃れ大量に移り住んだと考えています。

奈良の山奥から九州を制圧することはなかなか困難に思えますが、もし、それが可能であったとしても、さらに倍以上遠い土地は但馬であり津軽の十三湊なのです。津軽は唐津(後置修飾語)の裏返しかも…


大屋町宮本の御井神社は周辺の本社とされるが、今も、御井の神は黙して語らない


今回は「地名移動」の話だけにしましたが、まだ、お疑いの向きには、織田徳川連合軍により攻略された戦国期の朝倉氏の居城が金ヶ崎城であったことを思い出してください。

現在、宗像市となっている鐘崎漁港の鐘ケ崎の地名移動と考えれば納得されるかも知れません。その朝倉氏もこの養父市から移住したのであり、そのルーツは甘木、朝倉にあったはずなのです。


 さて、今回、改めて摂社を確認したのですが、判別できる物だけをご紹介しておきます。

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兵庫県神社庁のデータをみると

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脚摩乳命 天穂日命 素盞鳴命 手摩乳命 天津彦根命 奇稲田姫命 天忍穂耳命 活津彦根命 熊野櫛日命 田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命          

アシナズチノカミ アメノホヒノミコト スサノオノミコト テマズチノミコト アマツヒコネノミコト クシイナダヒメノミコト アメノオシホミミノミコト イクツヒコネノミコト クマノクスビノミコト タゴリヒメノミコト タギツヒメノミコト イチキシマヒメノミコト          


表記は一般的なものと多少異なりますが、脚摩乳命 手摩乳命 は櫛稲田姫の父神と母神の金山彦と埴安姫、天津彦根命は天照とスサノウの子産み比べで産まれた神ですが、具体的には特定できていません。

天忍穂耳命は草部吉見様ですね、活津彦根命は事代主かも知れません。熊野櫛日命はイザナギと別れた後のイザナミの別名で、熊野那智大社に祀られている方です。三女神は良いでしょう。

御井命とは恐らく九州王朝最末期の神ではないかと思うのですが長くなりますので別稿としましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記