2019年03月26日

ビアヘロ080 ひぼろぎ逍遥はアメーバ・ブログから離脱しました! “1〜12月の(跡宮)の実績から”

ビアヘロ080 ひぼろぎ逍遥はアメーバ・ブログから離脱しました! “112月の(跡宮)の実績から”

20181111

太宰府地名研究会 古川 清久


 既に、ひぼろぎ逍遥 スポット207 アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱します! を12月に公開していますが、12月のひぼろぎ逍遥(跡宮)の実績が確定しましたのでご紹介しておきます。

 ご覧の通り、平均900件程度のアクセスで、この状態を一年に均せば単独でも三十数万件のアクセスにはなる訳で、本来ならば先行ブログでありブログの数も1.5倍はある ひぼろぎ逍遥 のアクセス数が、桜ブログ版のひぼろぎ逍遥(跡宮)の三分の一というのは、アメブロがアクセスに何らかの制限を掛けているとしか考えようがないのです。

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以下、前ブログ部分再掲載


普通に考えれば、ひぼろぎ逍遥(跡宮)よりもアクセス数が多いはずで、二つのブログを併せて年間70万件以上のアクセス数になっていてもおかしくないと思われますが、2019年から、緊急避難的に桜ブログでひぼろぎ逍遥版(新ひぼろぎ逍遥)を公開し、将来的には複数のプロバイダーからの発信(自前のミラー・サイト)を目指したいと思っています。しかし早めにアメブロから離脱して良かったと思います。

予想していたこととはいえ、最早インター・ネットは自由な空間ではないのです。

と言うよりも影の権力による情報収集のための諜報媒体と考えるべきで、発信する側もそれを分かった上で利用すべきなのです。

勿論、村興し、町興し、世界遺産登録運動団体などといった方々による人畜無害なお祭りサイトはどうでも良いでしょうが、本質に迫り真実を訴えるにはこの問題を避けて通る事はできないのです。

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ちなみに上は現在の ひぼろぎ逍遥(跡宮)のアクセス数の1月中間実績で好調に推移しています


以下はアメブロで公開中のひぼろぎ逍遥の201812月実績ですが、どうみても200300に固定させようとしているようですね…後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)版の1/3というのは奇妙であり異常です 2年ほど前までは平均400500件はあったのですから跡宮版と併せ日量800900件はあったのですから、今なら1500件以上はあるはずなのです。


以下 ひぼろぎ逍遥から一部を掲載


スポット207 アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱します!

20181111


 現在、アメーバ・ブログblogひぼろぎ逍遥を、桜ブログblogひぼろぎ逍遥(跡宮)をと、二本立てで発信しています。

 一応、地名、古代史、民俗学をテーマとするひぼろぎ逍遥に対して、神社研究限定のひぼろぎ逍遥(跡宮)と多少はスタンスを変えてはいますが、先行するひぼろぎ逍遥では既に900本近いブログを掲載しています。

 対して、後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)も600本近いブログを掲載していますので、実際にはかなりのピッチで追いつこうとしている事になるでしょう。ところが、一昨年の夏ぐらいから、アメブロのひぼろぎ逍遥の方が頭打ちになっており、日量平均350450件と順調にアクセスを延ばしてきたものが、日量250件と三年前以下のレベルに落ち始めたのです。

 一方、後発で多少ファイル数の少ないひぼろぎ逍遥(跡宮)は、桜ブログでオンエアしており、二年ほど前にひぼろぎ逍遥を追い越し、今や月の1/3の日が日量1000件を超える(十日は1000件超え)状態になっているのです。平均850ぐらいですか?

結果、二本立のブログで平均850250350件程度=1,1001,200件(年間4050万件)のアクセスに留まっているものの、本来はもっと大きなアクセスになっていてもおかしくないはずなのです。

無論、証拠など手に入るはずもなく決め手は何もありませんが、恐らく露骨にアクセス制限を操作されているはずなのです。

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この現象は如何にも不可解で、本来ならば、両方で15001700件(年間60万件)程度には成長している可能性もあったはずなのですが、どう考えてもアクセスし難くするために順位を50番以下に落とす(こうすれば普通の検索には引っかからない)とか、特定の業界、地域にはアクセスできないといった操作が行われていると考えられるのです。

言論の自由が保障されている社会のはずだ!などと青臭い事を声高に叫ぶつもりは毛頭ありませんが、

もともと「インター・ネットは自由な空間」などと言った振れ込みではあるものの、有力で強力な言論が登場すると困る権力は、ダミーを使って多くのプロバーダー、サーバーにクレームを付け(付けさせ)順位を下げさせるとか削除させるなどさせるものなのです。

勿論、幼児虐待、小児性愛、ポルノ、バイオレンス、誹謗中傷…といったものは排斥されても仕方がないでしょうが、その基準があいまいな上に、実際には恣意的に判断され、露骨な言論弾圧、サイト閉鎖へと進むなど、中国共産党やトランプ政権が闘い続けているCNNなみのフェイク言論空間へと変ってしまっている(既に完全に変わっている…のであり、始めだけは誘引のため自由な言論空間を装っていただけ)のです。

 対して、民族派の「桜ブログ」の方ではどんどんアクセスが上がり、そのうち単独でも平均日量1,000件も見込める勢いになってきているのです。

そもそも「桜ブログ」と関連する「チャンネル桜」のような独立系メディア自体が、サイトの閉鎖とか、アクセス制限、記事の削除…といったこの手の問題に苦しめられているのです。

 ちなみに以下は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)の先々月と先月のアクセス数です。

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ひぼろぎ逍遥(跡宮) 桜ブログ(2018-10月)


2018年の10月は1,000件超える日が9日間で、平均日量アクセスは817件でした。これは経験的に見て想像がつくのですが、一〜二年で平均アクセスが単独でも1,000件程度になる可能性があるのです。

ひぼろぎ逍遥+新ひぼろぎ逍遥+ひぼろぎ逍遥(跡宮)の3ブログの合計は日量1300件=年間50

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平均 95020192月中間実績


何が制限の原因となったのか?


 こういったアクセスを考えると、先行してオンエアしてきた上に、記事の数も二割程度は多く内容も一般的なひぼろぎ逍遥が、ここ一〜二年で逆転され二年前に半減するアクセスとなっている理由は、「CO2温暖化論が原子力産業が流したデマである…」「熱中症でバタバタと人が倒れる都市の高温化は下水道とコンクリートの雨樋化によって地上から水を消した国土交通省、農水省が引き起こした…」「西日本豪雨水害は普通の大雨程度のものでしかなく、売れもしない針葉樹を大量に植えさせ、急傾斜の山林に伐期を越え放置した結果引き起こされた失策でしかない…」「日本の婦女子を火薬と引き換えに奴隷貿易を行っていたポルトガル宣教師が齎したキリスト教を持て囃す世界遺産登録を止めろ…」「不正選挙」「人工地震」の可能性…といった自然かつ普通の内容をスポット版で大量に書いている事以外にはありえないのです。

 だからと言って真実を書かないとすれば、言論の自由が保てない上に権力に尾を振るものになり、自主規制によって行政や教育委員会や学会通説が吹聴する大嘘を暴く事など到底不可能になるからなのです。

勿論、これらのアピールが全て正しいと考えている訳ではなく、絶えず疑いを持って可能な限り調べようとしているのであり、真実を探求しようとしているのです。

むしろ、既存のマスコミや通説を丸呑みし信用しきっておられるのは、トンデモ説とか陰謀論などと自らが煽られている事にも気付かずに批判される側の方々の方なのです。

所詮、政府見解、NHK,大手マスコミをそのまま受け入れていることの根拠は何がしか根拠があるのか逆にお尋ねしたいぐらいなのです。

 このため、このままアメブロで書いていては、多くの読者に訴える事はできなくなる事は明らかですから、全く同じものをそのまま別のプロバイダーから発信するなど、アメブロとの差を明らかにさせるとともに、新規に「新ひぼろぎ逍遥(仮称)」に新しい原稿を供給し、不正なアクセス規制をしている可能性があるアメブロというサイトの現実をお伝えしたいと思うとともに、全国のブロガーに警告を発したいと思うものです。このため旧ひぼろぎ逍遥はこのまま晒し物にしたいと思いそのまま残します。


神代史〜古代史研究者に求められるべき資質について


 ひぼろぎ逍遥がアメブロから干渉されている可能性があるとした理由は既に前述したとおりです。

ただ、古代史の世界などこのようなアクセス制限に無関係だと思われる方も多いかも知れません。

実際のところ神様事など神社の神官から禰宜に到るまで勉強熱心な方は消え、自らの祀る神様がどのような出自の方であるかさえご存じになっていない方が多い時代(神社総崩れ)になっています。

それは、戦前の好い加減な国家神道化によってほとんど嘘を教え込んだからであって、古代史研究者から考古学者も文献史学者も神社や神代史を見向きもしなくなった理由はその辺りにあるのでしょう。

しかし、九州には嘘で塗り固めた近畿大和朝廷を謳い上げる神社伝承とは異なる九州王朝系の神社や神社伝承が残っている訳で、我々、百嶋神社考古学の者だけはこの宝石箱のような神代史の世界を調べ上げ、古代史研究者の世界に真実の球を投げ返し続けているのです。

神様事はお伽話とばかりに誰も取り上げなかったが故に、我々には大きな任務と大きなフィールドが残された事になる訳である意味で幸せだったのかも知れません。

戦後の古代史の世界に一石を投じた古田武彦が亡くなり、九州王朝論者の組織も総崩れ状態になり始めました。

もっとも九州王朝の現場が目の前に転がっているにもかかわらず、他人の文献研究の話だけを聴いてさも分かったかのような顔だけをして、自ら足を使い汗をかいて調べようともせず、自らは九州王朝論者でございますとばかりに、したり顔で古代史研究者でございますと吹聴する輩は自ら研究してもいなければ、自ら知見を拡げている訳でもなく、いずれ九州王朝論の愛好会として何の新研究もなく消失し何の業績も残すことなく潰え去る事になるでしょう。

このような、人々は良くて古田武彦信奉者の会程度のものであって、早晩、何の力にもならず雲散霧消化していくことになるでしょう。恐らく天国から古田武彦も嘆いている事でしょう。

いまのところ問題はないでしょうが、国体を揺るがしかねない九州王朝論などいずれは危険視される可能性もあるはずで、そのような真実に迫ろうとする姿勢も意志もない村興し町興しに協力する=教育委員会や学芸員に尾を振る様なさもしい連中に古田が将来を託した九州王朝論の前進への運動を切り開く事など凡そありえないのであって、心ある人々研究者は、なお、独立性を保ち続けなければならないのです。

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なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。


それこそ、スノーデンやジュリアン・アサンジによるインター・ネット批判は事実なのです。

別のサイトをどこで行うかは現在考慮中ですが、全く不正をしない桜ブログには敬意を表しています。

しかし、一本化するとそこで切られると一切を失う可能性もある事から、新規についてはアメブロからも離脱し、将来には複数のミラー・サイトも含めて、別のプロバイダーから新ブログで配信するつもりで作業を行って行きます(未定)。

少なくとも我々は失うものは何もないのであり、真実と考える情報を今後も発信するつもりです。

将来的には別の媒体による複数の発信も考えています。アメブロでの旧ブログは今の状態で残します。

昨年11月に熊本県の「ひろっぷ」さんが加わられましたので、本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4者、愛知県3者、高知県1者、大阪府2者、大分県5者、福岡県11者、熊本県1者の合計27件のグループが形成されました。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが(昨年11月に実施)、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。

そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は現在二本立てブログで日量11001200件(年間45万件 来年は50万件へ!)のアクセスがありますが、恐らくグループ全体では最低でも年間200万件以上のアクセスはあるでしょう。ちなみに昨日のアクセスは両ブログで日量2000件を超えています。これが毎日続けば良いのですが。

 ここ一、二年、特に力を入れてキャンペーンを張ったのは、ひぼろぎ逍遥のスポット版の森林問題でした。林野庁による売れもしない(中国への逆ザヤ輸出)杉、桧を中心とする人工林の問題でした。

 この手のブログが行政権力にとって迷惑であることは言うまでもありません。


スポット112 朝倉〜日田が犠牲になった九州北部豪雨災害は行政が引き起こした!

スポット115 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して! 本当に豪雨が原因なのか?

スポット116 災害復旧に意味があるのか!

スポット117 ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”

スポット122 大量の土壌流出と木材流出は今後も継続する“平野虎丸ブログのご紹介を兼ねて”

スポット123 筑後川の南から北の被災地を眺める 悲しい棄民国家の現実

 “ここでも「災害地名」が意味を持っていた「道目木」「梅ケ谷」”

スポット125 朝倉から日田にかけての山々の行く末について

スポット128 林野庁が引き起こした九州北部豪雨災害によってとうとうJR日田彦山線までもが廃線に!

スポット130 九州北部豪雨災害の崩落木材が燃えている!

スポット134 九州北部豪雨災害に於ける棄民とポルトガル内務相の辞任

スポット141 林野庁の照れ隠し “朝倉針葉樹林崩落の問題隠しとしての残木伐採”

スポット175 中津市耶馬溪町金吉の土砂崩落はなぜ起きたのか! “雨も降っていないのに…?”

スポット203 北海道胆振東部地震による山崩れの異様


それ以外にも、

スポット100 宗像沖ノ島世界遺産登録といった愚行が半潰れになって多少はほっとした!(皮肉ですが)

スポット117 ヒート・アイランドを引き起こした無能な国土交通省 “熱 禍”

ひぼろぎ逍遥 スポット001 

この耐え難い「ヒート・アイランド現象は国土交通省、農水省…が引き起こした!

 以下の二本は復元中です…

打ち水大作戦の大間抜け 古川清久/太宰府地名研究会

熱 禍 (打ち水するより、コンクリートを引っ剥がせ!)アンビエンテ  …まだまだいっぱいありますが、 ひぼろぎ逍遥(跡宮)版でも、

ビアヘロ059 キリシタン史跡世界文化遺産登録に狂奔する列島文化の堕落を撃て

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:29| Comment(0) | 日記

2019年03月27日

559近江散歩 22 竹野神社再訪 “京都府京丹後市丹後町”

559近江散歩 22 竹野神社再訪 “京都府京丹後市丹後町”

20180513

太宰府地名研究会 古川 清久


 既にひぼろぎ逍遥(跡宮) 475

突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… F 竹野神社(京丹後市)初見 としてとりあげた竹野神社ですが、今度は、考古学と万葉集それに古代史全般に対して造詣の深い伊藤女史ご一行をご案内し再訪する事になりました。

一月に単独で訪れたのですが、半年も立たないうちに再訪するなどとは思いもしませんでした。

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無題.png何とも頭がくらくらするような縁起ですが、この地に九州王朝の中枢部を担った人々が相当数入っており、また、祀られている事が分かります。

その前に、学会通説では欠史8代は架空であり、何らの信憑性もないものとして扱われるはずの開化天皇とそのお妃(勿論、正妃は神功皇后なのですが「高良玉垂宮神秘書」)の一人が竹野姫になるのですが、学会通説に媚びる教育委員会が、何故、開化天皇の妃を表に出されるのか不思議です。良いとこ取りでなければと思うばかりです。

藤原により第9代とされた開化天皇こそ九州王朝の高良玉垂命そのものであり、正妃が神功皇后(仲哀死後)なのです。

さて、当方のグループには福岡県の旧竹野郡のご出身で「息長氏は秋永氏である。」の顛末記というブログをお書きの秋永氏がおられます。ここではその中から関連するところをご紹介しましょう。ここでは、丹後の竹野郡の起源が筑後の竹野郡であることをご紹介しておくことにします。


竹野姫(豊姫)命と彦湯産隅命の住んで居られた場所。

2012-04-13 | 古代史

古事記に置いては由布院から、福岡の春日に居られたと想われる第9代開化天皇(開化は孝元の子ですから息長氏の血が這入っています。)に皇后として嫁がれた由碁理(建諸隅命)の娘である竹野姫は、その後、彦湯産隅命一柱を儲けています。

その後、福岡の春日市に居られたと考えられる開化天皇は伊迦賀色許賣命を妃として娶り、御眞木入日子印恵命(崇神天皇)と御眞津比賣命の二柱を、意祁都比賣命を妃として、日子座王(後に近畿に渡ります。)を一柱、また、鷲比賣命を妃として、建豊波豆羅和気命の一柱儲けている事になっています。彦湯産隅命は崇神天皇の兄である事になっています。

崇神天皇は久留米大善寺の玉垂宮に居られたと考えられますが、彦湯産隅命は何処に居られたのでしょうか。考えて見る事にしました。

開化天皇は、4人の妃を娶りますが、自分の館に全員を住まわして居たのでしょうか。わたくしは、どうも、婦人毎に館を設けて、自分が通い夫として、転居しながら暮していたのではないだろうか。と考えています。そうすれば、女性同士の諍いを避ける事が出来、子育ての問題も母親に委ねる事が出来、好都合であったと考えられます。また、姓氏一族を背負って嫁に来る訳でありますので、姓氏間の諍いを避け、王から居住地を拝領し、一族の館を建てて王を迎えたものと考えられます。

と謂うことであれば、崇神天皇は大善寺玉垂宮にて、母である伊迦賀色許賣命と、妹の御眞津比賣命と一緒に暮して居たとも考えられます。

わたくしの父の実家である田主丸町に「竹野」と謂う地があります。元々竹野郡から田主丸町は命名されており、この「竹野」には、古来、正院や正倉院が在ったとされており、天皇に匹敵する人物が住んでいたと考えられています。この天皇に匹敵する方こそ竹野姫とその子である彦湯産隅命であると考えられます。此処には、禊や奉祭祀に必要な卑弥呼の最も神聖大事な井戸と想われる古い井戸があり(三明寺・井の丸井戸、)、由来では西暦755年、初代国司「道君首名(みちのきみおびとな)」公の末子が筑後国竹野郡の郡長になり、此の地に「郡衙」を造った事から始まった。と謂う事になっていますが、はっきりとは解って居らず、通称、長者の井戸と呼ばれています。

以前は竹野媛と彦湯産隅命が棲んで居た。ものと想われます。近くには墳墓も多くあり、弥生時代から古墳時代に架けての形跡が多く残っています。

御眞木入日子印恵命(後で、崇神天皇)は兄である彦湯産隅命(後で、崇道天皇と呼ばれたと想われる。)に遠慮して、日子座王と伴に近畿に出たとも想われます。

此の地の近くの北野町には、豊比賣(竹野姫)を祀っています神社が幾つも見受けられ、間違い無いものと感じられます。

此処が、2代目卑弥呼が居た場所である。と考えられます。(ひょっとしたら、竹野姫と甕依姫は関係があるのかも知れません。しかし、此処付近には宇奈岐日女命や倭迹迹日百襲姫命  御井津媛命も来ているとも考えられますので、考察には慎重にならねばならないでしょう。)

彦湯産隅命には息長氏の血が流れていますので、此の地に秋永氏が居る事が自然であります。わたくしの血にもひょっとしたら彦湯産隅命の血が混じっているのかも知れません。

《追補》

その後の2014年7月1日のブログ、(『小熊山古墳』は『崇神天皇陵』と考えられます。)の考察により、彦湯産隅命と彦坐王は同一人物であったものと考えられます。亦、2014年10月15日のブログ(『崇神天皇の没年を考える。その2』)の考察により、2代目卑弥呼は竹野姫ではなく崇神天皇の子であります豊鍬入姫命であったと考えられます。

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まず、竹野(たけの)は、福岡県(筑後国)にあった一郡です。

面白いのは「タカノ」と呼ばれていた事です。

しかも、この中枢領域である、現久留米市田主丸町には「豊城」があり、百嶋由一郎氏は「崇神の息子が住んでいた」とも言われていました。

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久留米市田主丸町豊城の交差点は崇神の息子の豊城入彦が住んでいた可能性がある土地


竹野郡(明治の竹野村)はかつて「タカノ」と呼ばれていました。

竹野郡(たけのぐん)は、西海道筑後国(福岡県)にあった郡。

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古代の潟湖と思われる竹野神社の正面は日本海に点々とする格好の展開地だったと思われます。

丹後半島の西の付け根の格好の泊地に到達した九州からの移住者は筑後の「竹野」を移したのだと思います。

名目的に開化の息子となった日子坐王の一族などが筑後川左岸からこの地に展開したのです。

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百嶋由一郎金神神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで


通説では琵琶湖周辺の人で神功皇后の母とされる葛城高顙媛も久留米の竹野(タカノ)郡に関係があった人のはずであり、葛城高顙媛も葛城系で竹野が(所有の格助詞)姫と考えれば氷解します。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年03月30日

560糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 で考えさせられた甲信越の山上楽園の人々

560糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 で考えさせられた甲信越の山上楽園の人々

20180511

太宰府地名研究会 古川 清久


糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅はまだオン・エアしていないのですが、このブログを書き上げた時点では自分の意識がこの問題で頭が一杯で夢にまで出てくるほど駆け巡っていたのです。

先に近江散歩で18本ほどブログを書きました。

その延長上に考えを巡らせれば化外の民とも言える中部山岳地帯の人々との対比を強く感じるのです。

 あくまで民俗学的対比を意識して書いているだけであり、本来、この手の話は地名、民俗、言語、古代史を扱う「ひぼろぎ逍遥」に掲載すべきものでしょう。そこで先行して大まかな推定をしたいと思います。

 2018425日から58日に掛けて新潟県糸魚川市の奴奈川神社、天津神社、山梨県甲府市の天津司神社、長野県諏訪市の諏訪大社春宮〜秋宮などを訪ねました。

 これらについては ひぼろぎ逍遥(跡宮)562565外において随時公開予定ですが、この奴奈川神社の祭神の奴奈川が宗像大社の市杵島姫であるとの 故)百嶋由一郎氏の手書きメモが残されているのです。


565

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 D “天津司舞の天津司神社にやって来た”

564

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 C “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(下)

563

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 B “天津神社にも奴奈川神社が置かれていた”(上)

562

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 A “糸魚川市の奴奈川神社は市杵島姫を祀る”


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市杵島姫は、始めは阿蘇高森の草部吉見=武甕槌命=鹿島大神=海幸彦…のお妃になられますが、政略結婚の神世の事、後には大国主命のお妃となられます(実際には市杵島姫の入婿と考えるべきなのですが)。

 その政治情勢の変化の度に、瀛ツ嶋姫(スサノウの御子時代)から奴奈川姫、佐用姫、市杵島姫…と名を変えていると書かれているのです。

 そして、甲府盆地の山上楽園を見出し、舞を舞われた姿が伝えられたのが「神武東征」(神武僭称贈る崇神=ハツクニシラススメラミコトによる神武=カムヤマトイワレヒコ偽装)ならぬ「神武巡行伝承」であり、筑豊地方、広島県、福山市〜尾道市、岡山市(阿仁神社)…などに残っているのです。


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昇天の二神とは阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)=海幸彦を婿神とした市杵島姫(奴奈川姫)

百嶋メモに依れば、舞に登場する9人の神とは、大日孁貴(オオヒルメムチ)=天照大御神、経津主命とは山幸彦=ニギハヤヒ、黄幡神=博多の櫛田神社の大幡主=ヤタガラスの父神、月弓命は大山祗命、根裂神は金山彦、磐裂神は埴安姫=黄幡神の妹神、磐筒男命=八重(速)思兼(ヤタガラス)、磐筒女命=罔象女(大国主の姉)、豹尾神は本物の神武天皇になり、消えた一神とは神沼河耳(草部吉見の父神)

市杵島姫=奴奈川姫とは神沼河耳の息子の草部吉見のお妃となったことから呼ばれた様なのです。

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甲府の地に御巡幸で立ち寄られた列島の開拓神(これこそが本来の開闢神)の伝承を今に留めているものが天津司舞であり、この地の開拓は阿蘇氏、大幡主系海人族、金山彦系、大山祗系の人々だったのです。

 面白い事に、長野県諏訪市の諏訪大社春宮〜秋宮にも沼河比売として祀られており、神武巡行のルートとしても、その後の九州からの開拓にも日本海ルート(対馬海流)から糸魚川、姫川、大町、松本、諏訪、甲府が選ばれている事が見えるのです。

 と、ここまでは、今からお話する事の骨格であって、奴奈川神社〜天津神社天津司神社が如何に古い列島の開拓(それこそ開闢ですが)に関わる重要な神社である事が見えて来るのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料(神代系譜、音声CD、手書きデータ)を必要とされる方は09062983254まで


 天津司神社の12神(舞は9神)はこの系譜に書き込まれていますので、じっくりご覧ください。

 さて、ここからが今回の本題となります。

 話はガラッと変わるのですが、食文化とはある意味で保守的で、生まれついての食習慣とはなかなか変わらないものという印象を持ちます。

 肥後のやせ馬、豊後の団子汁…という粉食文化はかなり知られていますが、勿論、米がそれほど作れない地域故の食文化と言えばそれまでなのですが、単にそうとは言えない伝統的な食文化の嗜好に関わる要素が強いのではないかと思えるのです。

無題.png それは、九州ほどには米が作られないとは言え、信濃のオヤキ、甲斐のホウトウ、さらに北関東まで目を延ばせば、武蔵国(埼玉県)のフライ…といった粉食に思いが至るのです。

 そして、我々がトルコ系匈奴と考える大山祗(熊襲)の展開エリアとしての伊予、讃岐(愛媛〜香川)という、腰が強過ぎる(私達肥前の人間には柔らかい博多うどんこそが理想なのです)讃岐うどんもこの団子汁、ホウトウ文化のバリエーションにしか見えないのです。

 こういった粉食を好む人々が中九州から、新潟、長野、山梨から北関東などにも進出したのではないかと考えるのです。

 粉食の次には納豆も気になります。納豆と言えば水戸納豆が有名ですが、実際には福島を筆頭に東日本での消費が圧倒的に多く、納豆をあまり食べない豊前を含む瀬戸内海沿岸に対して、中九州、特に熊本となると一気に納豆消費が増無題.pngえるのです(お城納豆…)。それほど鮮明ではありませんが、中九州以南が多い事が一応はお分かり頂けるでしょう。

 都道府県別統計とランキングで見る県民性による


特に印象深いのは馬肉の生食です。


馬刺しといえば熊本といわれる通り、生産量・消費量ともに日本一を誇っています。生産量2位の福島と比べても、その差は歴然。熊本が馬肉王国といっても過言ではない事がわかると思います。県内には馬刺しや馬肉の専門店があるほか、スーパーなどでも牛肉や豚肉と一緒に並んでいて、馬刺しをはじめとした馬肉が売られています。お祝い事などではもちろんのこと、何気ない日常の中でも好んで食べられる県民に愛される郷土料理の一つに馬刺しは確立されています。


▼日本の産地は九州・東北が中心

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馬肉の生食という特殊な食文化だけに山梨と熊本に繋がりを考えたいのです。

今回は、二千年近い前の神武巡行伝承と現代の食文化を無理やりこじつけようとしたのですが暴走だったかも知れません。

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無題.pngひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は併せて日量1200件(年間45万件)のアクセスがあり、連携する25の百嶋由一郎神社考古学によるblogと併せ年間アクセスは軽く二百万件を超えているでしょう。テーブルに着いた講演会も始めますが共にフィールドに出ませんか?

 有名なホッサ・マグナ糸魚川静岡構造線 親不知断崖の向こう側、糸魚川市に奴奈川(ヌナカワ)神社(御祭神 奴奈川比賣命 大日孁命 八千矛命)が、また、少し手前には天津神社御祭神 天津彦火瓊々杵尊 天太玉命 天兒屋根命 境内摂社 式内社奴奈川神社、奴奈川姫命、八千矛神があります。さらに姫川を遡上し、松本から諏訪を抜け甲府の山上楽園には天津司神社(御祭神 天照外11神)があります。これらを 往復2800キロ往復15日間を掛けて見て来ましたが、これが神武東征(これは高良玉垂命の時代の臣下の崇神が行ったもの)ではなく2世紀の天照、本物の神武(カムヤマトイワレヒコ)以下の神々の巡行を1800年伝えたと考えられる天津司舞(民俗芸能重文)が伝承されているのです。この神武巡行の陸路の起点となった姫川河口こそがヒスイで知られる糸魚川であり、そこに奴奈川姫を祀る奴奈川神社が鎮座しているのです。この奴奈川姫が宗像三女神の市杵島姫であると解読されたのは例によって故)百嶋由一郎氏でした(以下百嶋由一郎手書き資料には5枚程度の天津司神社ほかの資料があります)。

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甲府の天津司神社の舞の二神は天上に登り消えたとされますが、それが市杵島姫と阿蘇高森の草部吉見神で後に夫婦となり、し無題.pngばらく阿多におられることになります。現在、天津司舞は十五戸だけで伝承され9人の神々が舞を舞っておられるのですが、それを神武巡行(2世紀)の痕跡と解読されたのでした。詳しくはブログで5本程度を公開予定ですのでそちらをお読み頂くとして、面白いのは、途中の長野県諏訪市の諏訪大社の春宮と秋宮(上社、下社は未確認)に奴奈川比賣が沼河比売として祀られているのです。してみると、甲府は2世紀から開拓が始まった事、その進入路が直江津ではなく、糸魚川、松本、諏訪、甲府ルートであった事が見えて来たのでした。九州からの移動を考える時、紀伊半島を迂回するのではなく対馬海流を利用しただろう事。甲信越の開発を行った人々は九州起源の人々であった事。が見えたのでした。だからこそ、熊本の馬刺しが山梨でも当たり前の様に食べられるのであり、山梨が熊本に多い甲斐さんと同じ甲斐の国と呼ばれ、この辺りから東日本の納豆文化が拡がり、粉食文化(ホウトウ、オヤキ、フライ)が広がっているのです。画像は天津司神社の天津司舞に登場する奴奈川姫(市杵島姫)と考えられるのです。当然、糸魚川は大幡主の武装商船隊の拠点であり、断じて近畿大和からの開発ではなかったのです。

無題.png新たに「事代主のブログ」氏が百嶋神社考古学に参加されました。

全国区のブロガーとしての有名な「事代主のブログ」の管理者ですが、近年、関東から福岡に移住され九州での研究を進められています。「事代主のブログ」を検索してください。


52728日(日、月)鹿児島県薩摩川内市の藤川天神…外へのトレッキングを行ないます。

菅原道真公が太宰府で死んだとするのは藤原からの刺客を逃れるためで、海路阿久根に向かい陸路で薩摩川内市の藤川に逃れ家族を呼び寄せています。その現場を確認するためのトレッキングを実施します。

併せて伝ニギハヤヒ陵とそれを祀る謎の神社、新田神社、可愛山陵(ニニギ陵)も巡ります。

東郷温泉ゆったり館鹿児島県薩摩川内市東郷町斧渕1940-1 電話0996-42-2244 経費:10000円程度

特別企画薩摩川内市藤川天神探訪トレッキング2018527日 日曜日 午前9:00集合〜9:30出発

無題.png090-5289-2994or090-6298-3254(古川)集合場所 トライアル久留米店 屋上駐車場  福岡県久留米市御井旗崎4丁目1−1 24時間営業  0942-40-8811 27

15:00着 津奈木まで高速移動 泊地 東郷温泉ゆったり館(源泉掛け流し)予約済み

01新田神社 02可愛山陵(ニニギ陵)03藤川天神 04ニギハヤヒを祀る陵墓と神社 外
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記