2019年02月15日

544 近江散歩 F 丹生神社 “滋賀県長浜市余呉町”

544 近江散歩 F 丹生神社 “滋賀県長浜市余呉町

20180413

太宰府地名研究会 古川 清久


前ブログ543 近江散歩 E に佐賀県東部と筑後から琵琶湖周辺に移動した人々について (縮刷版)

で書いた通り、海人族は元より、地名を左右できるほど早い段階と規模で、北部九州から大量の人々が入っているだろうことをご紹介しました。

 その中でも、高時川は妹川と呼ばれていた可能性があり、鋳物師の川であっただろうことが読み取れるのです。

 その高時川流域に二つの丹生地名が存在している事自体、製鉄、冶金の民がいたと思わせるものであり、姉川、高時川(妹川)河川邂逅部を確認するや、いち早く向かったのが二つの丹生神社だったのです。

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谷川健一 管川は和歌山県伊都郡高野町筒香である。丹生都比売神社は藤代の峯から移されて現「播磨国風土記」逸文には、爾保都比売命が紀伊国の管川の藤代の峯に鎮座しているとされて中央構造線に沿って流れる和歌山県の紀ノ川ぞいにも、 丹生の地名と丹生神社が点々とある。丹生神社辰砂(水銀鉱)の産地であった。社が祀られている。「日本書紀」には「菟田の血原」と記無題.pngされていて、赤色を帯びた土が出て、(ママ)合も少なくない。奈良県宇陀郡蒐田野町大字入谷は丹生谷庄のあったところで、そこに丹生神二

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谷川健一. 在、かつらぎ町天野に置かれている。この天野に鎮座する前は那賀郡粉河町の丹生谷にとどまっていたとされ、そこに丹生神社がある。また伊都郡の九度山町には丹生川があり、そこに丹布都比売を祀る河根丹生神社がある。丹生都比売を祀るかつらぎ町には、丹生狩場明神社がある。狩場明神は古代の豪族の身毛津君の末裔で、丹生都比売神社に勤仕していたが、弘法大師が高野山に入峯したとき、その道案内をしたと伝え、狩猙を業としていたので、狩場明神と崇め祀ったという(日本歴史地名大系『 和歌山 ...

「日本の地名」(岩波新書)谷川健一

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この高時川が姉川の支流の妹川であり 上丹生 下丹生地名が確認できるのです


下丹生神社


式内社 近江國伊香郡 丹生神社二座 旧村社  御祭神 高靇神 丹生都姫命

滋賀県長浜市(旧余呉町)にある。余呉湖の北東3Kmの下丹生に鎮座。高時川の西岸、284号線の側、南向きに境内がある。284号線には余呉公園などもあり、広く整備された道で走りやすい。

鳥居をくぐり、階段を上がると境内。境内右手に拝殿があり、後方の垣の中に本殿。

上丹生にある丹生神社の拝殿では、テント地の保護幕が全面に張られていたが、当社では、その保護幕が巻上げられて開放されていた。

もとは丹保高山の麓、神楽野に鎮座。 創祀年代は、天平宝宇字八年(764)。貞観十二年(870)、北方の現社地に遷座。 式内社・丹生神社二座の論社の一つ。祭には、丹保高山から赤土(丹生)を採り、

高取川の清水を汲んで、八十瓮に盛って神前に献じるという。その後、赤土と清水を混ぜ、氏子の額に印を付けて、無病息災の符とする。

文明二年(1470)社殿が焼失。大永八年(1528)に再建された。現在の社殿は、寛文七年(1667)七月に改築されたもの。拝殿の左手に境内社が二つ。蛭子神社と稲荷神社だと思う。

敬愛する「玄松子」による

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上丹生神社


式内社 近江國伊香郡 丹生神社二座 旧村社

御祭神 彌都波能賣命 丹生都比賣命

滋賀県長浜市(旧余呉町)にある。余呉湖の北東4Kmの上丹生に鎮座。

高時川を東へ越えた場所に、南向きに境内入口が見える。

鬱蒼と茂った木々の神域へ足を踏み入れ、鳥居をくぐり、階段を上ると、予想外に広い境内。

境内右手に、テント地で保護された、堂々として造りの拝殿があり、拝殿の後方、階段上に、垣に囲まれた本殿がある。

参拝は5月の連休。蒼々として活力に満ちた木々にちょっと癒される空間。そんな感じ。

創祀年代は、不詳。式内社・丹生神社の論社の一つ。

社伝によると、天武天皇の御宇、丹生真人がこの地を拓き、丹保野山に神籬を設け、山土と丹生川の水を供え、天津神を祀ったという。後、天平年間に現在の地に社殿を創建した。よって、当社は土と水の神。

丹生真人は、誉田天皇の御子稚渟毛二俣王の後裔で、息長氏の一族。息長丹生真人とも呼ばれていたらしい。

社殿には、巴紋が付けられていた。『滋賀県神社誌』には「円山水」と記されていたが図案は未確認。当初は、丸に三つ巴紋の別称だろうと軽く考えていたが、違うような気がしてきた。よって、追記しておく。本殿のある垣の中に、少し大きな境内社があるが詳細は不明。

敬愛する「玄松子」による

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前日の雨のためか高時川(妹川)は多少増水し長浜に流れ下っていました(右が下流)


 この祭神の丹生都姫については誰なのかがお分かり頂けないと思いますので、メンバーで百嶋神社考古学の立場からblogひとつあがりのカフェテラス氏が丹生の郷の神々@〜B書かれていますのでご紹介したいと思います。


罔象賣神についてWikipediaでは、ミヅハノメは、日本神話に登場する神である。

『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。

無題.png淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。と説明されています。

百嶋系図では、罔象賣神(=神大市姫)はトルコ系の匈奴の流れを汲む大山祇(=月読命)と大幡主の実の妹である埴安姫(=草野姫)との御子であり、また、稲荷社の宇迦之御魂神とは伊勢の外宮様(=豊受大神=辛国息長大姫大目命)のことで、罔象賣神とスサノオの間にお生まれになっています。

つまり、この丹生神社では、母娘神が静かに寄り添うように鎮座されている、そういったところでしょうか。…

…ミヅハノメの神について、百嶋先生は、このように述べられています(「肥後翁のblog」から転載)。

熊本白川水源に白川吉見神社がある。

これは、表には春日大神を祀ると書いてあるが、このお宮は、ミヅハノメの神を祀ると書いてあります。

このミヅハノメの神が奈良の春日大社のもう一つ上の祭神です。こちらが龍神姫です。

丹生川上神社上社、中社、下社とありますが、本当の龍神様はこのミヅハノメの神、同一の神様です。

このお嬢様が、伊勢の外宮様の姫大神です。また、別の講演では、豊玉彦の働きは非常に大きかったが、隠れてなかなか表にお出になっていない。

その代表が吉野の丹生川上神社、表に罔象賣神を立てていらっしゃる、実際の御祭神は豊玉彦。

ともお話されています。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年02月17日

545 近江散歩 G 長浜市草野の許曽神社 “滋賀県長浜市草野町”

545 近江散歩 G 長浜市草野の許曽神社 “滋賀県長浜市草野町

20180414

太宰府地名研究会 古川 清久


 長浜市を流れ降る姉川の支流に草野川があります。

 我田引水と思われるかも知れませんが、長浜市の長浜が志賀島の海人族が持ち込んだ博多の長浜と考えます。さらにこの草野も当然ながら久留米市草野町の草野だろうと考えています。反論は如何様にも。

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草野川の中ほどに非常に印象的で清潔な街並みが並ぶ草野地区があります。

 そして、許曽神社があるのです。

 一方、久留米市草野町の正面には小郡市があり、七夕神社=媛社(コソ)神社があります。

媛社神は饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)を織姫神は饒速日尊の母にあたるとされる万幡秋津姫命(ヨロズハタアキツヒメノミコト)を祭神としているようです。

 この祭神が正しければ、万幡秋津姫命は高木大神の長女でありヤタガラス=豊玉彦との間に豊玉姫をもうけますので、その夫神がニギハヤヒとすれば、織姫神は饒速日尊の母にあたると言えるのです。

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野椎神のづちのかみ

別名 鹿屋野比売神:かやぬひめのかみ 草野姫:かやぬひめ 萱野媛命:かやのひめのみこと

草祖:くさのおや 野槌:のづち 鹿江比賣神:かえひめのかみ……

『古事記』では、伊邪那岐命・伊邪那美命による国生みの後の神生みの段で、風神(志那都比古神)、木神(久久能智神、山神(大山津見神)などと共に生まれている。

さらに、大山津見神とともに、土・霧・谷などの神々(天之狭土神・国之狭土神、天之狭霧神・国之狭霧神、天之闇戸神・国之闇戸神、大戸惑子神・大戸惑女神)を生む。

敬愛する「玄松子」による

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祭神を草野姫とする同社縁起


野椎神のづちのかみ

別名 鹿屋野比売神:かやぬひめのかみ 草野姫:かやぬひめ 萱野媛命:かやのひめのみこと

草祖:くさのおや 野槌:のづち 鹿江比賣神:かえひめのかみ……

『古事記』では、伊邪那岐命・伊邪那美命による国生みの後の神生みの段で、風神(志那都比古神)、木神(久久能智神、山神(大山津見神)などと共に生まれている。

さらに、大山津見神とともに、土・霧・谷などの神々(天之狭土神・国之狭土神、天之狭霧神・国之狭霧神、天之闇戸神・国之闇戸神、大戸惑子神・大戸惑女神)を生む。

敬愛する「玄松子」による


 後に奈良麻呂の変で藤原氏に敗北する橘氏ですが、何故、草野姫(カヤノヒメ)が祀られたのかは不明です。草野姫は博多の櫛田神社の大幡主の妹神で白族のプリンセスになるのです(百嶋最終神代系譜)。

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この草野の集落の正面に寺師という集落があります。このことについて思い当たる事があるのです。

 関心をお持ちの方は以下をお読み頂きたいのですが、実はこの寺師の一族は鹿児島県姶良市に起源を持つのです。 以下、ひぼろぎ逍遥(跡宮)522をお読み下さい。

522

鹿児島県姶良市寺師の大王神社初見


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神社自体は至って古風で、それだけでも心が惹かれますが、境内には寺師氏の出身地との石標が建てられていました。現在、寺師姓を名乗る方は大半は鹿児島、宮崎両県に集中しており、滋賀県には一家族が確認できます(草津市)。

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御祭神は弥都波能売大神(ミヅハノメノオオカミ)


御祭神は弥都波能売大神(ミヅハノメノオオカミ)の一神でした。単独での祭祀は初見です。

非常に古い女神様ですが、寺師一族と何らかの関係があるはずで、少なくとも自らはその後裔と言った理解をされているのだと思います。

 一般的に天御中主=白山姫(ミククルミタマノオオカミ)と弥都波能売(罔象女)の二神は共に水の神様とされる事が多いのですが(大半)、水波能売命と書かれている事もそれを象徴しています。勿論、逆に字面からかも知れませんが…。これも、農耕地の最上流に置かれている事も良く分かる気がします。

 さて、「記」「紀」の悪意に満ちた間の抜けた話よりも百嶋神代系譜を見ることにしましょう。

 百嶋神社考古学では、ミヅハノメこと神大市姫とは大山祗と大幡主の妹の埴安姫の間に産まれた娘で、大国主命とコノハナノサクヤの姉になる事がお分かり頂けると思います。

 あまり知られてはいませんが、大国主命、コノハナノサクヤヒメの実の姉に当たるスーパー・スター中のスーパー・スターなのです。そして、寺師の一族とは大山祗(トルコ系匈奴)と草野姫=埴安姫(白族)との間に産まれた神大市姫を祖とする一族であり、この滋賀県長浜市の草野と寺師の町とは伯母と姪の関係にあたる一族ではないかと言う事が見えて来るのです。

このトルコ系匈奴については、過去何度もふれていますが、バック・ナンバーから ひぼろぎ逍遥(跡宮) 621623タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (上)外を参照下さい。


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 ともあれ、この草野と寺師という町が隣り合っているという事実は非常に魅力的です。

 単純には言えませんが、草野氏とは大幡主(ヤタガラスの父神)系白族の埴安姫の後裔氏族であり、寺師氏とは大山祗と埴安姫との間に産まれた氏族のように見えるのです。

 また、草野姫(カヤノヒメ)を奉斎する一族が守る上許曽神社を考える時、一般的に下照比売命を主祭神とするとか(速素盞嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命)牛頭天王を主祭神とするとか、かつて持て囃された金○○+谷川○○によるコソとは「社」のことで朝鮮系に決まっているなどといった乱暴な切り口では解読できない問題が横たわっているようです。

 上許曽神社(同社は草野の隣の長浜市高山町の南端にあります)長浜市の草野町に隣接して鎮座しています。高山町は行政単位であって実際には山ばかりの集落であり、上流には秋葉神社(金山彦)が祀られているものの、表面的には草野町の神社のようにしか見えません。

 この一帯は古代の謎が閉じ込められているようでさらに調べる必要がありそうです。


百嶋由一郎氏の資料(音声CD、神代系譜DVD、手書き資料)を必要とされる方は09062983254まで
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:13| Comment(0) | 日記

2019年02月21日

546 近江散歩 H 西浅井の鹿取五神社 “滋賀県長浜市(西浅井町)”

546 近江散歩 H 西浅井の鹿取五神社 “滋賀県長浜市(西浅井町)

20180416

太宰府地名研究会 古川 清久


 安曇川町から長浜市の中心部へと向かう途上、香取五神社に立ち寄りました。

 場所は琵琶湖の北の端、そのまま北へ向かへば敦賀から北陸へと入る要衝の地の神社です。

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大國主神社 (高島市) 大國主神社(おおくにぬしじんじゃ)は滋賀県高島市新旭町饗庭に鎮座する神社である。明治維新までは、「高嶋今宮」「今宮山王宮」と称した。通称、「五十川神社(いかがわじんじゃ)」。旧社格は村社。

ウィキペディア(20180416 1500による

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足を止めた理由は千葉県の香取神社の「香取」に魅かれたからでした。

この間熊本県の不知火海東岸に数社の香取を見出したことから、千葉県の香取神社さえも九州から海人族によって持ち出されたものではないかというブログを書いたところでしたから、思いは尚更でした。

当然にも、何故、香取五神社なのかと言うのも動機だった事は言うまでもありません。


510

関東の鹿島、香取の香取神社は有明海から

移動したのかも知れない?A ”氷川以北の鹿島神社”

509

関東の鹿島、香取の香取神社は有明海から

移動したのかも知れない?@ ”氷川以南の香取神社”


さて、「滋賀県神社誌」などを用意しているはずもなく、敬愛する「玄松子」氏に頼ることにします。


式内社 近江國淺井郡 鹽津神社 旧村社

御祭神 經津主神 武甕槌神 天兒屋根命 大日孁貴尊 天鈿女命 安閑天皇

滋賀県長浜市(旧西浅井町)にある。

JR近江塩津駅の南東2Kmほどの祝山(ほりやま)に鎮座。

8号線の塩津交差点付近から、東へ500mほど入った場所。

道路に面して南向きに鳥居が立ち、背の高い木々の奥に境内がある。

境内中央には、社殿まで綺麗な参道があり、正面に本社社殿。

社殿の右に、社殿より少し小さい境内社・八幡宮がある。

綺麗で、こざっぱりとした雰囲気で、丁寧に管理されているのだろう。

境内には、もう一つ小さな祠(秋葉神社)がある。

本殿は、社殿の中にあるが、屋根の形などはよく見えなかったのが残念。

ただ、社殿の裏に回ると、存在感のある瘤だらけの木が聳えており、

その異形さが、整った境内と微妙にミスマッチで、妙な怪しさを醸し出している、そんな感じ。

創祀年代は、慶長十八年(1613)。

塩津にある香取神社の氏子の間で、もめごとがあり、祝山が分離して、現在地に社殿を建てたもの。

というわけで、式内社・鹽津神社の論社ではあるが、可能性は低いようだ。

ただ、香取神社や香取五神社は、基本的に香取神宮からの勧請と思われ、主祭神・經津主神は、斎主の神。

つまり、祝い主の神で、鎮座地の祝山は、当所の鎮座地である可能性も十分に考えられる(と思う)。

明治までは、香取五所明神と称していたが、明治二年に、現社名・香取五神社に改称した。

『滋賀県神社誌』では神紋は「左三つ巴」となっている。が、社殿の屋根に、艶のある金色の九曜紋が付けられていた。

同じく、式内社・鹽津神社の論社である香取神社の神紋は九曜星なので、九曜紋なんじゃないかとも思うのだが。

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無題.png「玄松子」氏は経津神を筆頭とするも、岩裂、根裂の神…を祀る長浜市西浅井町塩津中の香取神社も見ておられますが、こちらは五柱の神を祀っています。このため香取五神社とは塩津の香取神社が底流にあり、経津主以外の武甕槌神 天兒屋根命 大日孁貴尊 天鈿女命 安閑天皇が追祀され数も合わなくなっている事と併せ考えれば、本来の経津神を筆頭とするも岩裂、根裂の神を祀る香取神社の祭神入れ替え、もっと言えば金山彦隠しの結果の装いを変えた神社であろうとの推定ができるのです。

結局のところ、この香取五神社とは金山彦(瀛氏)と埴安姫(白族)との婚姻によって成立した強力な北辰信仰=九曜星をシンボルとする神社であったのではないかと思うのです。

 そして、浅井朝倉の浅井(アザイ)氏もその系統の氏族だったのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記