2019年01月28日

ビアヘロ075 トルコ系匈奴が持ち込んだ地名について 

ビアヘロ075 トルコ系匈奴が持ち込んだ地名について 

20180812

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 これまで何度も申し上げてきた事ですが、百嶋由一郎氏は大山祗系の人々とは半島の金海金氏であり、金首露王とアユタヤ王国王女(高木大神の同族)から送り込まれた許黄玉との間に産れた金越智氏と白山姫(白族)との間に生じているとお考えだったようです。

 さて、今回はこのトルコ系民族が持ち込んだのではないかと考えている地名の話です。

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百嶋由一郎015金印神代系譜(部分)


百嶋由一郎氏が残された音声CD、手書きデータ、神代系譜を必要とされる方は09062983254まで


これはトルコ語そのものといったものではないものの、この民族が定着した所に付されやすい地名と言った程度のものでしかありません。

吾平(アイラ)のようにハッキリしたトルコ語の音の置換えを意味してはいないものの、地域の祭祀と地名が対応することから、この地区は彼らが住み着いたものではないかと言った程度の話です。

「吾平」は神武僭称偽神武こと崇神(ハツクニシラス…)ではなく本物の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の本物のお妃となったアイラツヒメの「アイラ」がトルコ語のアイラール(月)と対応する明らかなトルコ語であることは依然お話しました。


ひぼろぎ逍遥 スポット055 吾平津姫をご存知ですか? “アイラツヒメとはトルコの月姫だった”


 同様にグループの関東・ビューローメンバーの宮古の縁側日記でも本格的に取り上げておられます。

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アイラと言う意味2016-08-01 12:41:04 テーマ:自然

前ブログでアイラツ姫について書いたのですが、他に気が付いた事があったので少しまとめておきます。


aylar- 名詞, トルコ語 | sprawk - ウェブ、あなたの道を翻訳 

https://www.sprawk.com/ja/term/トルコ語/aylar

aylar [Noun] 1. , つき (日本語) - one of the twelve divisions of the calendar year; 用語 "aylar"トルコ語翻訳、定義、例と一般的な関連語を持っています。

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そうです、トルコ国旗に描かれる通り、アイラツヒメとはアイラールaylar)姫(月子ちゃん)の事だったのです。

ニニギの墓とされる吾平山陵も良くよく考えれば奇妙な事に思えてくるのです。

ニニギの妃は神武の妃のアイラツヒメではなくコノハナノサクヤなのですから…。

 アイラール問題は一先ずおくとして、星は何かと調べるとユリディズ 「Yıldızでした。

地球:デュニャ 「Dünya月:アユ 「Ay 星:ユリディズ 「Yıldız 木:アアチュ 「Ağaç」(Tree)、タフタ 「Tahta」(Wood) 海:デニズ 「Deniz」 雪:エレクティリック 「Elektrik」 風:ルズガル 「Rüzgar

火:アテシ 「Ateş」 水:ス 「Su

トルコ語で地球、月、星、木、海、雪、風、火 から

星は何かと調べるとユリディズ Yıldızが気になりますが、まさか融月王のユーヅーではないでしょうね…。水:ス 「Su」もそのまま気になります。中国の淮水、弱水…といった川名は彼らによるものでしょう。

馬は…まあ、思考の暴走に陥るのでこの辺りでとめますが、神社のフィールド・ワークを続けていると、地名と大山祗、大国主系の領域にある種の対応に気付く様になってきます。

はっきり分かるのが、三日月であり、石垣、柿ノ木、牟礼、群、諸…といったものですが、一度には片づけられませんので、少しずつ試みて見ようと考えています。

ちなみにトルコ語の三日月は Hilal ay (ayはアイラールですね)であり、馬は atだそうです。

では、第一回目として、気になっている三日月地名を拾うことにしましょう。

下調べのための作業用のノートをそのまま公開するのも申し訳ないのですが、所詮専門家でもない素人の作業とお笑いください。

しかし、三日月は現在のトルコの国旗にも採用されており、彼らにとっても最もシンボリックなものである事は確実です。

このように列島のどこかには必ず痕跡を留めているはずなのです。そして不思議な事に、日本は日の丸として太陽を、彼らは月と星を描いているのです。どちらにせよ、神武天皇のお妃の名がトルコ語だったのですから、外来語として色々な形で取り込まれているはずなのです。

三日月地名

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兵庫県佐用町三日月

佐賀県佐賀市三日月(旧三日月町)

千葉県松戸市三ヶ月(ミコゼ)

三日月山:福岡市東区立花山の一峰が三日月山でその下に三日月温泉がある。

三日月山:岩手県一関市と宮城県栗原市との境界にある。標高294m

三日月山:鳥取県日野郡日野町と岡山県新見市との境界にある。標高993m


以下は以前も使わせて頂いた

無題.pngという有難いサイトからのデータです。


青森県弘前市       三日月   (みかつき)      「みかつき」と読む

青森県弘前市       三日月神社(みっかつきじんじゃ)「みっかつき」と読む

岩手県一関市       三日月山  (みかづきやま) 

栃木県鹿沼市       三日月神社(みかづきじんじゃ) 

東京都小笠原支庁小笠原村 三日月山  (みかづきやま) 

愛知県名古屋市中川区   三日月橋 (みかづきばし)

愛知県名古屋市中川区   富田町江松 三日月(みかづき)      *情報頂きました。

愛知県愛西市大野山町   三日月  (みかづき) 

三重県伊勢市尾上町    三日月山 (???)           *情報頂きました。

兵庫県佐用郡佐用町    三日月   (みかづき) 

福岡県福岡市東区     三日月温泉(みかづきおんせん) 

福岡県福岡市東区     三日月湖  (みかづきこ) 

福岡県福岡市東区     三日月山 (みかづきやま) 

佐賀県小城市       三日月町 (みかづきちょう) 

大分県日田市       三日月山  (みかづきやま) 

宮崎県児湯郡都農町    三日月原  (みかづきばる) 

鹿児島県大口市      三日月   (みかづき) 


関西圏は兵庫県の旧佐用町程度ですが、明らかに九州と一部愛知に北関東、東北と辺境に分布している事が分かります。まず、始めに大山祗神社との対応を見ましょう。

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青森県弘前市       三日月 青森県弘前市       三日月神社  

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岩手県一関市       三日月山  

栃木県鹿沼市       三日月神社 

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無題.png東京都小笠原支庁小笠原村 三日月山   

愛知県名古屋市中川区   三日月橋 

愛知県名古屋市中川区   富田町江松 三日月

愛知県愛西市大野山町   三日月  

三重県伊勢市尾上町    三日月山 


兵庫県佐用郡佐用町    三日月  

播磨、但馬はスサノウと大国主の一大決戦が行われた地であり、勝者となった大国主一派は兵庫県の大半を制圧しています(「播磨国風土記」)。ここでは息子の大国主(もうそろそろ馬鹿げた出雲王国賛歌は止めて頂きたいですね…漫画でしかありません)祭祀としてトルコ系匈奴が反映されているようです(古川)。


福岡県福岡市東区     三日月温泉

福岡県福岡市東区     三日月湖

福岡県福岡市東区     三日月山 

佐賀県小城市       三日月町 

大分県日田市       三日月山    ここも直ぐ傍の西側に濃厚な大山祗祭祀が存在します。

宮崎県児湯郡都農町    三日月原

鹿児島県大口市      三日月

九州についはコメントを省略しますが、宮崎県児湯郡都農町三日月原は本拠地の一つであり震源地ですね。

一応、不完全ながらもかなりの付合を見せているようです。ただ、茨城県に気になる地名があります。

無題.pngからご紹介しましょう。


【難読地名を行く−茨城編】三日月に由来? ウサギの伝承も 稲敷市月出里(すだち)2016.5.28 15:00PR


無題.png現地でみつけた「月出里」の3文字=茨城県稲敷市月出里(桐原正道撮影)

 茨城県の旧江戸崎町の田園地帯。

首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が横断する一角は、「月出里」と書いて「すだち」と読む。同県稲敷市の大字だ。有名な難読地名で、これまでも数々の書籍で紹介されてきた。どのような由来があるのだろうか。

 月出里の自宅前で家庭菜園の手入れをしていた60代の大工、大竹正義さんは「気になって色々な本で由来を調べたことがある」と話す。しかし結局、由来は分からなかったという。

 「角川日本地名大辞典」(角川書店)には「もとは月出と書いて『すたち』と読んだが、のちに月出里(すだち)と改めた」とある。読み方の由来については「地内に大清水という字があり、清水の湧き出る地に由来する」という説と、「上谷原という字があり、州がたっている地に由来する」という説が紹介されていた。

 一方、「筑波地方の地名の由来」(中山満葉著)の説明は実に興味深い。

 「月出里の『月出』は『朏(ひ)』のこと」だと書かれている。は「みかづき」とも読み、「三日月の里」が「朏の里」と転化し、「月出里」になったのではないかとしている。


実はこの「月出」地名が熊本市(熊本市東区月出)と大分県日田市にあります。

以前から気にしていた地名ですがようやく糸口を手にした思いがしています。


【難読地名を行く−茨城編】三日月に由来? ウサギの伝承も 稲敷市月出里(すだち)2016.5.28 15:00


無題.png現地でみつけた「月出里」の3文字=茨城県稲敷市月出里(桐原正道撮影)

 読み方については「新月の現れを小鳥の巣立ちに見立てた」のではないかと推察している。月の満ち欠けで月日の長さを決める太陰暦では、新たな月に入ってから初めて見える月は三日月だ。そのことから三日月のことを新月とも呼ぶ。月に入ってから初めて見える三日月(新月)を、鳥の巣立ちになぞらえたのではないかという説だ。

 前出の大竹さんは「月にちなんでいるのか、月出里にはウサギは食べてはいけないという言い伝えがある」と教えてくれた。諸説あり確かな由来は分からなかったが、三日月にちなんで付けられたのだとすれば、ウサギの伝承もうなずける。(桐原正道)

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日田市月出(ツキデ)町+月出山(カントウ)岳 下は左「三日月」姓、右)「月出」姓


月出山(カントウ)岳は月出だけでカントウと呼んでいるようですが、山+岳と呼んでいる事から二つの民族の二つの呼称が共立されているようです。勿論、「カントウ」が何かは今のところ分かりません。

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月出、月田、月足…の方は、まず、トルコ系匈奴ではないかと考えています。

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ご覧になってお分かりの通り、伊豆半島の中央部に少ないものの「月出」姓のピークを示しています。

三島、伊東がトルコ系匈奴でありもしかしたら関東武士団(源家)がそういう人々だったのではないかを考えさせます。この三島も愛媛県大三島の大山祗神社とも符合する事がお分かり頂けるのではないでしょうか?

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今回は冒頭の神代系譜を見て頂くことが主眼で、この作業稿を公開させて頂きました。

大山祗、大国主の一族がトルコ系匈奴であり、大国主が現出雲の人だなどと言う(藤原が創った「出雲神話」と出雲テーマ・パーク)馬鹿げたお伽話でしか無い事を知って頂きたいと思って作業中のことながら公開させて頂きました。彼らは主要には九州で活動しており追放された地が現出雲だったのです。

最期になりましたが千葉 地名の由来を歩く という面白いサイトがありますので蛇足ながらご紹介致します。この千葉氏のことには当方も気づいており、ひぼろぎ逍遥 563 七山村に宗五霊廟があるのは何故か? “佐賀県唐津市七山村馬川の馬川神社”として書いています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 21:12| Comment(0) | ビアヘロ

539 近江散歩 A 塩津神社 “滋賀県西浅井町塩津浜”

539 近江散歩 A 塩津神社 “滋賀県西浅井町塩津浜”

20180407


太宰府地名研究会 古川 清久


近江散歩(447日)の初日の安曇川では、若宮神社(高良玉垂命と神功皇后の長子=仁徳天皇を祀る)を二社、大荒比古神社、大国主神社(五十猛神社)などに訪問し、早々にも主たる目的地である長浜を目指しました。

足早な理由は前回の近江調査で訪問できなかった塩津神社に行きたかったからでした。

 場所は戦国期の浅井、朝倉、徳川、織田の戦いで著名な賤ヶ岳の合戦で著名な賤ヶ岳の北西に位置する湖岸ですが、実は同名の下鹽津神社(滋賀県長浜市西浅井町集福寺455)があるのですが、こちらは、まだ訪問していない事からまたの機会にまわすとして、まずは、枝垂桜が美しい塩津神社をご紹介する事にしましょう。

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御祭神 塩土老翁神 御神紋 三ツ巴

御由緒 当社創立の年代は詳かではないが、伝えるところに拠れば、上古この地「志波谷」に塩池あり。ささやかな池ながら、塩水間断なく湧出で、これを汲んで製塩の業を行うもの23戸あった。この人等その遠租塩土老翁神を祀り、後又縁の神、彦火火出見尊、豊玉姫尊をも合わせ祀るに至ったと伝える。玉朝時代以降縉紳顕門の来遊もあり、当社を崇敬せられたのである。わけても和気仲世近江呂介に任ぜられるや、数次参籠して霊示の随に、誉田別尊を本社境内に、瀬織津姫尊を境外に奉祀した。文和元年、足利高氏の子義詮、後光厳帝を奉じて当社に参拝され当地の熊谷兵庫直高、治左衛門尉直久等当社を崇敬し、社殿修復に尽くしたが元亀元年火災に罹り殿舎鳥有に帰した。嘉永年中伏見稲荷神社の分霊を勧請して、相殿に奉祀し、居成明神又稲荷神社とも称した。明治5年稲荷の神霊を境外地字清水に奉遷し、社名を塩津神社と復称し、同9年村社に、同17年、郷社に列した。延喜式内未定社。同43年神饌幣帛料供進神社に指定された。尚、当社は中葉「海北之宮」の別称があった。


塩土老翁神とは山幸彦(実はニギハヤヒ=猿田彦)が釣針を失い途方に暮れている時に現れ、龍宮に行き龍王に逢う事を勧めた神として知られていますが、実は博多の櫛田神社の大幡主の事であり、ヤタガラスの父神でもあるのです。

縁起は読み辛いでしょうから前掲の神社庁の由緒をご覧ください。

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愛宕権現は金山彦であり秋葉権現でもあるのですが愛宕山とある以上金山彦祭祀でしょう

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伝えるところに拠れば、上古この地「志波谷」に塩池あり。ささやかな池ながら、塩水間断なく湧出で、これを汲んで製塩の業を行うもの23戸あった。この人等その遠租塩土老翁神を祀り、後又縁の神、彦火火出見尊、豊玉姫尊をも合わせ祀るに至ったと伝える。


 琵琶湖は淡水でしょうから、上記の話は俄かには信じがたいのですが、温泉に食塩泉があるように、内陸部でもミネラル塩たっぷりの塩水が得られる場所があるものです。

 海に恵まれない近江ですが、海に出る事無く塩が得られるとすればこれほど便利なものはなく、しかも船を操る安曇族の入ったところであり、琵琶湖を利用し販路は滋賀県全域をカバーしたのではないかと思われます。ただ、それほどの塩泉ならば、必ず瘡湯や眼病に効く泉といった話が残っているはずであり、今の時代の事温泉センターの一つでもありそうなのですがどうもなさそうなのです。

ちなみに、塩土翁の勧めで龍宮に向かった山幸彦とはニギハヤヒ=猿田彦のことなのです。

 これは結論を急がず、もう少し調べて見たいと思います。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究目的で百嶋神社考古学関係資料を必要とされる方は09062983254までご連絡ください

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 21:00| Comment(0) | 日記