2019年01月26日

538 近江散歩 @ 白鬚神社“滋賀県安曇川町”

538 近江散歩 @ 白鬚神社“滋賀県安曇川町”

20180406

太宰府地名研究会 古川 清久

ひぼろぎ逍遥 600 花の舞鎮の先に鎮座する式内社 “京都府舞鶴市の阿良須神社”

その前ブログ 599 花に浮かぶ八幡神社 “山口県山口市阿東の徳佐神社”ではこのように書きました。

 このところ北部九州から近江に移動した人々の具体的な姿を描く作業に追われています。

既に、以下のブログを公開していますのでご覧になった方もおられるでしょう。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

489 神功皇后は佐賀県の脊振山中で産まれた! “宮原誠一の「神社見聞諜」からの転載”

ひぼろぎ逍遥

スポット144 三瀬村トレッキング現地リポート

スポット171 近江の伊吹山の麓に移り住んだ人々

スポット172 姉川と妹川という名を付した人々と息長系氏族

スポット173 亀屋佐京

598 遠い古代に佐賀県東部と筑後から琵琶湖周辺に移動した人々について (縮刷版)


 研究会のスケジュールを縫って再び、近江に足を踏み入れることにしました。

それは、伊藤まさ子女史の丹波丹後の調査に随行する前についでに近江の調査をやってしまおうと思ったからでした。

こうして、おっとり刀の調査旅行が始まりました。

日田市を4216:00に出発したのですが、関門橋を渡り王司パーキング・エリアで最初の車中泊、二区間目の小月インターチェンジで降りれば500円未満で済みますので、渋滞を避けて国道2号線から9号線で山陰に入りました。

 以来、日本海側の無料の高速道路は利用するも、基本的には一般道を利用して750キロを走り、現在は福井県小浜市の手前の高浜町(高浜原発の高浜です)の道の駅の温泉施設の休憩室でブログを書いています。

などと言っていたのは44日までで、既に近江で二日目が終わり、明日の午前中で甲良町、安食町の「高良神社」調査を終えて福井県の小浜市〜高浜町周辺に戻るつもりです。

そこで、どんな温泉でも良いのでのんびりとブログが書けるような所で忘れないうちにブログを書きたいと思っています。

今後、前後もバラバラに思いつくままの第二次近江調査の簡単な備忘録を書きたいと思います。


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初見の神社ばかりでもあり、地元の詳しい方から見れば馬鹿にされるかも知れませんが、遠来の訪問者の目で見た場合はどのようなものになるかとご容赦願いたいと思うものです。

 さて、安曇川です。そもそも滋賀県の「滋賀」とは志賀島の海人族の移動によってもたらされた地名移動であることは一目です。

 その上で、安曇川も安曇(アヅミ、アドゥミ)族が入っている領域にこの地名が齎されている事は既に述べています。当然にも安土城の安土も同様です。

 このため、この地で最も際立つ神社である白髭神社はというと、この安曇族を率いる大幡主(博多の櫛田神社の主神=ヤタガラスの父神)の配下の神こそがこの神社の本質である事を改めて意識するのです。

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由緒書きによれば、崇神以降に倭姫命による創建とされています。

 何故、伊勢神宮の鎮座地を探し求められた倭姫命が関係しているのでしょうか?

 結論を急ぎますが、この白鬚神社の祭神こそ山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒであり、そのお妃こそが豊受大神=アメノウヅメ=伏見稲荷様=伊勢外宮様であり、ご夫婦神なのです。

 伊勢の外宮の豊受大神の夫神であるからこそ倭姫命が関係しているのです。

 無題.pngによると主祭神は以下の通りです。

 しかし、少しおかしなことに気付きます。

それは一般的にも言えることですが、背後の高地に置かれている神様の方が遥かに神格が高いのです。

ここでもその例に違えません。


御祭神 猿田彦大神

境内社(摂社・末社)若宮神社 天照皇大神宮社 天満宮 豊受大神宮社 八幡三所社 稲荷神社 岩戸社


そして、県神社庁も隠しておられるようですが、若宮神社=仁徳天皇(高良玉垂命と神功皇后との間の実子五人の長子)の父神である高良神社(高良玉垂命)も境内摂社として存在しているのです。

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さて、それほど格式が高くもない猿田彦大神が本来の祭神なのか、格式の高い高良の神や稲荷が元々鎮座してものの何らかの事情があって、猿田彦が表に出されているのかは不明です。

 ここでは、倭姫命が何故登場しているのかという側面についてだけ推定させて頂きます。

 実は、摂社に回されている豊受大神の夫神は、始めは海幸彦=草部吉見=武甕槌命を夫神とされていたのですが、後には山幸彦=ニギハヤヒ=五十猛命=猿田彦を夫神とされ添い遂げられています。

 見てきたような話をしていますが、故)百嶋先生は、伊勢神宮、猿田彦神社の解析によって突き止めておられるのです。

 倭姫命は海幸彦(阿蘇高森草部吉見)と市杵島姫(宗像三女神)との間に産まれた大山咋神と鴨玉依姫(ヤタガラスとの櫛稲田姫の女神)の子である崇神の弟 倭(ウヅ)彦=椎根ツ彦の子である黒砂(イサゴ=砂金)であることから言わば海幸系、阿蘇系の方なのです。

 このことから、この猿田彦のお妃であった豊受大神(伊勢外宮)と天照大神(伊勢内宮)の鎮座地を求めて彷徨われた倭姫命との繋がりができているのです。

 しかし、海幸彦系、阿蘇系でありながら山幸系、ニギハヤヒ系の猿田彦の神社を祀るのは奇妙なのです。

 してみると、元々海幸彦が豊受大神をお妃としていた時代に、豊受大神を祀る神社として成立していたのではないかという可能性があるのです。

 つまり、本来の主神は豊受大神であるとすれば納得が行くのです。

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では、百嶋由一郎最終神代系譜をご覧ください。

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研究目的で百嶋神社考古学の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡ください

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記