2019年01月15日

番外@ 檮原街道の白皇神社 “愛媛県西予市城川町田穂の白皇神社”

番外@ 檮原街道の白皇神社 “愛媛県西予市城川町田穂の白皇神社”

20180301

太宰府地名研究会 古川 清久


以前、ひぼろぎ逍遥 ひぼろぎ逍遥(跡宮)において

324 鈍川温泉の石折神社 “鈍(ニブ)川の鈍(ニブ)とは丹生(ニュウ)のこと外で以下のように書きました。


未踏だった南阿波〜東土佐を対象に四国の神社調査に入りましたが、実は高知市の西にある佐川町の一社を見に行く事が今回の最大のテーマでした。

その神社の報告は後に回すとして、佐川町から千メートル級の山を越え伊予市、松山市に戻りました。…

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白皇神社 カーナビ検索愛媛県西予市城川町田穂767


詳しくは ひぼろぎ逍遥 跡宮で 329 白川白王を祀る高知県佐川町の白王神社 を読まれるとして、

今回、司馬遼太郎風に言えば、「第2次東土佐伊予の旅」を行うべく四国に五度目の調査に入りました。

目的は高知県高知市の東に位置する物部川流域の調査と毎年33日に行われる別役(ベチャク)神社の祭礼に参加する事でした。

テーマは、白川白王系の一流と考えている別役氏がどのような人々であるかを知りたいと言う一点にありました。

これについても ひぼろぎ逍遥(跡宮)512 別役さんからのコメントを頂いて を読んで頂くとして、今回は大分県佐賀関からフェりーに乗って愛媛県の三崎に上陸し、司馬遼太郎があまりにも過大に評価し過ぎた坂本竜馬(只のユダヤ金融資本のロスチャイルドのエージェントでしかない)脱藩の道「檮原街道」を逆に土佐に入る道を選んだことから、かなり重要な神社に遭遇する事になったのでした。白皇神社です。

当然、西予市以外にもあるはずですが、それは今後に残すとして、幸いなことにこの神社は愛媛県神社庁のHPに住所ぐらいははっきりと表示されていました。実は、我々百嶋神社考古学の者にとって、この神社群(祭神はそれこそバラバラですが)が如何に重要か、祭神が誰かについても大凡の見当が着くのです。

まず、西予の白王神社だけに限定してご紹介しましょう。


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白王神社(しらおうじんじゃ)

西予市城川町田穂767

木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

 創立永正13年2月。拝殿の彫刻、一説には讃岐金比羅宮の彫刻と同一人物の作とも伝えられる。


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以下、未踏ながら釜川の白王神社もデータだけを出しておきます。いずれ土佐、伊予と併せ全てを踏査したいと考えています。


白王神社(しらおうじんじゃ)

西予市野村町釜川2-209 

吾田鹿葦津姫命(あたかあしつひめのみこと)

寛政7年の頃、釜川村庄屋緒方平治兵衛が伊勢参宮の帰途海上で暴風に遭い海中に漂流していたとき、氏神白王神社を心中に祈願してついに神助を得て無事帰村した。

 その後、神恩を感謝して現社地より約五丁余を離れたツヅミ屋敷の白王神社を現社地に移し自己の山林を社地に寄進して宝殿を造営して篤く崇敬したものである。


何の事は無い勧請前に存在していたのです。

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白皇神社(シラオウ / ハクオウ)

白皇神社 (四万十市西土佐江川) - 高知県四万十市西土佐江川鎮座

白皇神社 (四万十市双海) - 高知県四万十市双海鎮座

白皇神社 (四万十町八千数) - 高知県高岡郡四万十町八千数(はっせんずう)鎮座

白皇神社 (四万十町宮内) - 高知県高岡郡四万十町宮内鎮座

白皇神社 (土佐清水市) - 高知県土佐清水市白皇山山頂に鎮座していた神社 ⇒ 白山神社 (土佐清水市)

白皇神社 (黒潮町) - 高知県幡多郡黒潮町田野浦鎮座


無題.png20180301 21:42 による


白川白王を祀る高知県佐川町の白王神社 として高知市の西の五所神社を書きましたが、今回は明明白白たる白皇神社なのです。十社近くありそうですので、帰納演繹が可能になるでしょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


結論を急げば、どう考えても天の御中主命の弟神であり、豊玉彦=ヤタガラスの祖父にあたる伯王であって、列島の祖神であり、実は大陸(雲南省昆明)から海南島を経由して移動してきた大神なのです。

高知県佐川町の五所神社の祭神の筆頭に白王が存在している事は承知していましたが、これほどの分布を示しているなどとは思っても見ませんでした。ただ、問題は残されています。

本来、西日本の全域に広がっていた白川伯王祭祀が辺境の伊予、土佐に残されたものか?

それとも何らかの事情で、この南四国の一帯に避退し残されたものかの見当は今のところ全くつきません。

ただし、白川伯王家とは明治維新まで天皇家の宮廷祭事を執り行っていた一族であり、その重要性は計り知れません。

恐らく高知県神社庁も愛媛県神社庁も全く気付いておられないのではないかと思います。

全国でも数名と言われる特級神官クラスはご存じかも知れませんが、かろうじて「古事記」は天御中主命とウマシアシカビヒコヂは書き留めているものの、白川伯王は一部の識者を残して消し去っているのです。

現在、高知県の物部川流域で本稿blogを書いていますが、高知県在住者で連携サイトのライターのB氏によると、高知県香美市の物部川には現在でも白川さんという名家がお住まいになっておられるようで、今後の作業としたいと考えています。

この愛媛県西予市城川町田穂の白王神社は神額を正確に読まずに瞬間「日王神社」=日吉神社かと思いました。

ところが、参拝殿を見ると、白皇神社と書かれていたのです。紛う事無き白川伯王と気付きたまげてしまったのでした。白王を白土に(横一を外し)、明治の神祇官は白王を日王に(点を外し)白王家を排斥したのです。

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実は、前述のB氏からは、「高知県西部が白皇神社の密集地帯であることは以前、お伝えしていたのではないかと思います。また、白川神社というのもあり、白川村も昔は存在しており白川姓の人も住んでいます。 調査の成果をまた、お聞かせください。」このようなメールを頂いていました。

やはり、ようやっと自ら遭遇して初めて重要性に気付くのであって情けない限りです。

一方、故)百嶋先生はある程度お気付きになっていたようです。ただ、大陸、半島での調査を優先されていたようで、高知まではなかなか足を向けてはおられなかったようです。

先生は、“どうも、岡山県の山奥とか高知県にヤタガラスの御祖父さんに当たる方が祀られているようです…”といった話はされていたのです。

しかし、必要経費を入れた郵便で教育委員会に手紙を送り返事をもらうという方法しか取れなかった時代の事、知識や素養は遥かに劣るものの、我々にはネットを使って瞬時に調査ができることから一気に世界が広がるのです。百嶋先生に深謝!



百嶋由一郎氏の資料(音声CD、神代系譜DVD、手書き資料)を必要とされる方は09062983254まで


参考


 無題.png土佐の神社調査に関する資料としては、県立図書館に行けば門外不出のものも含めいくらかあるのですが、手っ取り早くは、市販されている竹内荘市氏による「鎮守の森は今」があり、この本に依れば、高知県だけでも44社の白王(白皇)神社が存在する事が書き留められていたのでした。

 今回で5度目の四国訪問でしたが、まだまだ、フィールド・ワークが全く不足している事を思い知らされたのでした。

 高知県での白王神社の調査はこれからですので何とも言えないのですが、四万十川流域に集中している事もあって、かつては広く広がっていたものがそのまま残されたと考えるよりは何らかの事情で、僻陬の地へ避退したのではないかと考えているのですが、それも含めて今後の課題です。

 2000社以上存在する高知県とはいえ、44社の白王神社以外にも聖神社(孝元天皇)、若宮神社(高良玉垂命=開化天皇と神功皇后の長子)、物部の仁井田神社…と重要な神社が目白押しなのです。

 これまで、九州全域は元より、山陰から甲信、北陸、関東以北へも調査を行ってきましたが、これほどの数があるとなると、最低でも10日から20日間の調査は必要となり、車中泊としても長期の滞在が必要になります。

 しかし、山陰、北陸にも比較して重要度は否定できません。

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2019年01月17日

番外A 八幡宮の基層に九州王朝を見た “島根県大田市仁摩の石見八幡宮の若宮と淀姫”

番外A 八幡宮の基層に九州王朝を見た “島根県大田市仁摩の石見八幡宮の若宮と淀姫”

20180306

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


毎年三月三日に行われる高知県香美市の別役神社の大祭に今年初めて参加しましたが、伊予はもとより土佐の物部川流域の神社調査をある程度で切り上げ、檮原街道を取って返して、伊予市、松山市、今治市からしまなみ海道で北上して一路、島根県は大田市の三瓶山へ(四国から中国へ)と向かいました。

 別役神社は女系橘一族の祭礼がひな祭りの日に行なわれる事を確認するものだったのですが、物部氏の最強牙城とも言うべき大田市の方は、単に将棋の第67期王将戦(久保VS豊島)第5局の大盤解説会に参加する事が主たる目的でした。

 ただ、6日は完全に一日神社調査の時間を入れた事から、落ち穂拾い宜しく何度も訪れた物部神社の周辺の未踏の神社の調査に入る事にしました。

 この一帯とは、太田は元より大国、大森、大代、大屋、大江…といった大○型地名が乱舞する土地であり、同時に当時世界でトップ3に入る産銀地、石見銀山の地でもあるのです。


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石見八幡宮 カーナビ検索 島根県大田市仁摩町大国374


 何度も入っているからか、土佐に比べてそれほど成果の無かった石見の神社調査でしたが、どうせただの八幡宮だろうとこれまで敬遠していた仁摩の石見八幡宮を初めて踏むことにしました。

 といっても、朝から好天に恵まれ十社近くを巡った事からくたびれていたために遅れた昼食のために立ち寄ったのが真相でしたが、初見からどう見てもこの神社は八幡宮ではないと感じました。

 まず、神殿の造りが真上から見ると十字型になっているものでした。

多くの神社を見てくると分かるのですが、このタイプは金山彦(カグツチ)系の様式なのです。

 考えれば、国際的にみても巨大な産銀地帯であり、産鉄地帯の地である事から当然と言えば当然と言えそうなのですが、祭神は隠されているようです。

 まず、古代にはこの神社は海に洗われる汀線に沿った神社だったと思うのですが、それを実感できるだけでも踏む価値があるものです。実際には明日の王将戦に気もそぞろでしたが、始めから予定を立てないフィールド・ワークも馬鹿に出来ないものです。

石見限定ですが、今回の調査旅行での最大の成果は最後に訪れました。

 この神社の基層に本当に金山彦祭祀が存在していたかどうかはこれからの作業ですが、今回の大田市の神社調査でも金山彦祭祀が散見されます。はっきりしているのは王将戦の会場の国民宿舎さんべ荘からもほど近い志学地区にも八面神社が、三瓶町野城の円城寺境内にある野城神社の祭神も蔵王権現と、石見銀山最奥部の佐毘沙売神社(この女神は櫛稲田姫か市杵島姫か?)も共に金山彦の神仏混淆化された金山彦=カグツチ祭祀なのです。

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さて、神殿をご覧頂きましょう。千木は男神を示しており、神殿を上から見れば十字型である事がお分かり頂けるでしょう。

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 大岩塊の山裾の汀線に並ぶかなり大きな神社である事はご覧の通りです。


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まず、由緒に付属する境内配置図をご覧頂きましょう。

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主神が八幡神であることを一応は受け入れるとして、応神、仲哀、神功皇后も石清水八幡系の配神ですが、まず、右端の若宮神社の存在を見れば、この八幡宮の基層に九州王朝系祭祀が存在している事が見えてきます。

 何故ならば、高良玉垂命(=藤原によって第9代とされた開化天皇)と仲哀亡き後の神功皇后との間に産まれた長子(=藤原によって第14代とされた仁徳天皇)が境内内摂社として若宮が祀られているからです。

 想像でしかありませんが、恐らく開化だけは極秘中の極秘として消されていると考えられるのです(左 若宮神社)。

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概して、ヤタガラス=豊玉彦後裔紀氏=橘一族系の石清水八幡宮の影響下にあるところにはこの若宮神社が良く残されており、八幡宮だからと言って必ずしも宇佐神宮そのままの祭祀となっている訳ではないのです。

 無題.png無題.png右はいつも使うものですが福岡県久留米市の高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」の一節です。

 これをそのまま鵜呑みにしろなどとは申し上げませんが、少しは「古事記」「日本書紀」のインチキ神話から独立して頂きたいものです。

 さて、この神社を見て驚いた事がもう一つありました。淀姫神社です。

 淀姫とは肥前の一の宮とされ、佐賀県佐賀市となった旧大和町の川上の淀姫が著名です。

 ただ、分布から言えば佐賀県の西半部から長崎県に十数社分布しており、一部、福岡県の糸島半島や熊本県などに確認できますが、実は京都の伏見にも一社あり、その伏見の淀姫神社から大阪に流れ込む淀川が付されているのです(検索されれば伏見の淀姫の縁起をお読み下さい)。

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石見八幡宮境内摂社「淀姫神社」


 ここでは神功皇后の妹とされていますが(久留米高良大社の「高良玉垂宮神秘書」)、故)百嶋由一郎氏は、これはウガヤフキアエズ系の下剋上であって、淀姫は熊襲の川上タケルの妹であり、それをウガヤの息子の安曇礒羅は妃としていると言われていました。

 この石見に淀姫系氏族が入っている事がこの神社によって分かります。

 佐賀、長崎を中心に分布を見ていた淀姫ですが、福岡の糸島半島の桜井神社などに痕跡を発見し、もしかしたら…と、日本海岸に淀姫が展開している可能性を以前から考えていました。

 ようやくそれを山陰に見出しました。まだあるでしょうね!

 山幸彦=ニギハヤヒの子がウガヤフキアエズでありその子がアズミノイソラなのですから、実はニギハヤヒの展開(避退)地である石見に見出した事はリーズナブルなのです。


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関する資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

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2019年01月18日

番外B 三瓶山の麓に弥彦神社(山幸彦=ニギハヤヒ)を発見した “大田市川合町川合の伊夜彦神社”

番外B 三瓶山の麓に弥彦神社(山幸彦=ニギハヤヒ)を発見した “大田市川合町川合の伊夜彦神社”

20180306

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 今回は小集落の小さな祠程度のものをご紹介します。

 がっかりされる方もおられるかも知れませんが、私としては多少興奮気味に感動しています。

 ネット上にも登場しない神社ですので正確な住所は分かりませんが、場所は付近の福寿園という養護老人ホームを参考にして下さい。


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昭文社の地図に伊夜彦神社と書かれている事に気付き、しばし息が止まりましたが、実際にはなかなか見つけられませんでした。

 しかし、地元の方に福寿園を教えて頂きようやく辿り着けました。この施設の前を通る普通車ギリギリの隘路を抜け登って行くと間違いなく鎮座しているのです。

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伊夜彦神社です。「夜」が崩れて外れて斜めになっていますが、なんとか読めますね。


伊夜彦神社付近の福寿園 カーナビ検索 島根県大田市川合町川合浅原2477−1

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問題はこの神社が何なのかです。

 新潟県の一の宮 彌彦神社=弥彦神社は、東北地方を中心にかなりの広がりを持ちますが、弥彦は伊夜彦の二字表記であって、伊夜彦こそ原型と言えるでしょう。

 弥彦は山幸彦=ニギハヤヒもしくはその後裔であると考えられ、ニギハヤヒ、ウマシマジの本拠地である大田の物部神社からも遠くない所にこの神社があるのは故ある事なのです。

 しかし、「伊夜彦」の名をよく留めてくれたと思います。

 ネット上に公開されている島根県神社庁の資料にも出てこない神社であって、もしかしたらウマシマジとニギハヤヒの関係を表現しているのかも知れないのです。


彌彦神社(いやひこじんじゃ、常用漢字体:弥彦神社)は、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある神社。式内社(名神大社)、越後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

正式には「いやひこ」だが、地名などが全て「やひこ」と読む関係で、一般には「やひこ」とも呼ばれる。

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越後平野西部の弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し、弥彦山を神体山として祀る神社である。

『万葉集』にも歌われる古社であり、祭神の天香山命は越後国開拓の祖神として信仰されたほか、神武東征にも功績のあった神として武人からも崇敬された。宝物館には日本有数の大太刀(長大な日本刀)である「志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)」や、源義家や源義経、上杉謙信などに所縁と伝えられる武具などが社宝として展示されている。

宮中同様に鎮魂祭を行うとして、石上神宮・物部神社と共に有名である。なお、当社の鎮魂祭は宮中で行われる1122日でなく、41日と111日の年2回行われる。二年参りや初詣、秋の菊まつりは特に賑わう。

天香山命 (あめのかごやまのみこと) 「天香語山命」とも表記。地名から「伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)」などとも称される。弥彦山頂にある御神廟(奥の宮)が神廟にあたるとされる。

なお祭神に関しては、大屋彦命・大彦命とする説もある。

ウィキペディア(20180308 07:28による


弥彦神と弥彦神社一覧 五十猛命を祀る神社一覧(弥彦神編)
北海道 手稲神社摂社手稲神社奥宮「大國魂大神 ほか 合 彌彦大神 ほか」札幌市手稲区手稲本町23
北海道 野幌神社「天照皇大神、大國主大神、伊夜日子大神」江別市西野幌155番地
北海道 野幌神社摂社文京台神社「同上」江別市西野幌155番地
北海道 南幌神社「天照皇大神、八幡大神、伊彌彦大神、白鳥大神」空知郡南幌町緑町5丁目61
北海道 鷹栖神社摂社「稻荷神、金刀比羅神、伊夜日子神」旭川市末広83丁目783番地2
北海道 弥彦神社「天之香兒命」札幌市中央区中島公園18
出羽(羽前) 最上 伊屋彦神社「天香久山命」山形県最上郡真室川町大字川ノ内字栗谷沢211-4(大字平岡)
出羽(羽前) 最上 伊夜彦神社「天香久山命」山形県最上郡金山町大字中田字上中田2(字地坂台34)
出羽(羽前) 最上 伊夜比古神社「天香護山命」山形県最上郡金山町大字飛森字上春木171
陸奥(岩代) 耶麻 伊夜日子神社 「天香具山命」福島県 耶麻郡猪苗代町大字千代田字打越乙13
陸奥(岩代) 大沼 伊夜比古神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字湯八木沢字居平1324
陸奥(岩代) 大沼 禰彦神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字久保田字居平甲606
陸奥(岩代) 大沼 伊夜比古神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字四ツ谷字家廻1426
陸奥(岩代) 大沼 禰彦神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字久保田字居平乙20
陸奥(岩代) 大沼 伊夜比古神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字牧沢字勝負平1742
陸奥(岩代) 大沼 伊夜比古神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字四ツ谷字伊家ノ上562
陸奥(岩代) 大沼 伊夜比古神社「天香具山命」福島県河沼郡柳津町大字牧沢字居平493
陸奥(岩代) 大沼 伊夜彦神社「天香具山命」福島県大沼郡金山町大字横田字中丸164
出羽(羽後) 由利 神明社摂社彌彦神社「彌彦大神」秋田県由利郡仁賀保町小国字下腰4
武蔵 埼玉 伊夜彦神社「天香山命」埼玉県蓮田市下閏戸99
越後 蒲原 神明神社「天照皇大神 配 伊夜日子大神」新潟県新発田市東新町4丁目128
越後 蒲原 神明社「天照皇大神 配 伊夜比古大神」新潟県栄市灰塚68番地
越後 蒲原 諏訪社「建御名方命 境内 三社神社「天照大神、伊夜日子大神、琴平神」」新潟県西蒲原郡分水町大字中島2437
越後 古志 諏訪社「建御名方富命、彌彦大神、古峯大神」新潟県栃尾市金沢3丁目340番地
越後 蒲原 伊夜日子神社「天照皇大神 配 伊夜日子大神」新潟県新発田市大字飯島甲751番地
越後 蒲原 弥彦神社「天香兒山命」新潟県北蒲原郡中条町大字大塚字家ノ腰30番地
越後 蒲原 弥彦神社「天香兒山命」新潟県北蒲原郡中条町大字築地1460番地
越後 蒲原 弥彦神社「天香兒山命」新潟県北蒲原郡中条町大字築地1460番地
越後 蒲原 伊夜日子神社「天香具山神」新潟県中蒲原郡亀田町袋津1丁目444
越後 蒲原 伊夜日子神社「天香具山神」新潟市田潟165番地
越後 蒲原 彌彦神社「天香山命」新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898番地 ここの摂社 櫻井神社、御神廟の祭神も天香山命
越後 蒲原 伊夜日子神社「天香護山命」新潟県見附市堀溝町955番地
越後 蒲原 伊夜日子神社「天乃香具山命」新潟県南蒲原郡下田村大字蝶名林163番地
越後 蒲原 弥彦神社「天香山尊」新潟県三島郡出雲崎町大字山谷184番地
越後 三嶋 弥彦神社「天香山尊」新潟県三島郡寺泊町大字野積275番地
越後 古志 彌彦社「天香兒山命」新潟県長岡市滝谷町1173番地2
越後 古志 伊夜日子神社「天香護山命」新潟県栃尾市大字西之俣1239番地
越後 魚沼 伊夜日子神社「天香山命、大山
命」新潟県南魚沼郡六日町大字大月788番地 
越後 魚沼 伊夜彦神社「天香護山命」新潟県南魚沼郡大和町大字黒土253番地
越後 魚沼 伊夜日子神社「天香山命」新潟県十日町市大字下組1684番地ノ子
越後 刈羽 弥彦神社「天香語山命」新潟県柏崎市大字石曽根5666番地
越中 新川 
弥彦神社「天香語山命」富山県富山市掛尾町595 
能登 鳳至 瑞穂神社「倉稻魂命、速玉之男命、伊邪那美命、事解之男命、伊夜比古命」石川県輪島市町野町川西ニ96
信濃 伊那 矢彦神社「天香語山命 ほか」長野県上伊那郡辰野町大字小野3267
信濃 筑摩 伊夜彦神社「天香護山命」長野県塩尻市大字宗賀1003
信濃 安曇 伊夜比古神社「天香久山命」長野県南安曇郡穂高町大字有明字宮ノ南4376
紀伊 名草 
射矢止神社「射矢止八幡大神 配 一言主命、天香山命」和歌山県和歌山市六十谷381
肥後 玉名 津志田八幡宮「應神天皇 ほか 配 彌彦大神 ほか」熊本県上益城郡甲佐町津志田1892
肥後 玉名 船津阿蘇神社「健磐龍命、比
御子神、新彦大神、彌彦大神 ほか」熊本県上益城郡甲佐町船津78
検討中
肥前 佐嘉 養父神社「香具山神」佐賀県佐賀市兵庫町大字渕3019
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薩摩 日置 伊多神社「饒速日命、天香山命」鹿児島県串木野市上名4558

敬愛する「神奈備」による


 消えそうな一社でしたが、物部神社の近くに伊夜彦神社を発見したのは価値ある事でした。

 ウマシマジはニギハヤヒの子とか五世の孫などと言われていますが、その混乱の一端を反映しているような気がします。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記