2018年12月21日

528 熊本県菊陽町にも若宮が祀られていた! “熊本県菊陽町若宮八幡宮”

528 熊本県菊陽町にも若宮が祀られていた! “熊本県菊陽町若宮八幡宮”

20180212

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

                                              

 福岡から熊本県に入ると高良神社とか若宮神社というものが劇的に少なくなります。

 このため肥後ではほとんど高良+若宮というコンプレックス(複合体)を忘れてしまっていました。

 ところが、今般、菊陽町という神社研究ではあまり廻らない地区を調べていると、若宮八幡神社なるものを見いだし急に色めき立ちました。


無題.png

若宮八幡宮 カーナビ検索 熊本県菊陽町大字津久礼429(上津久礼区)


若宮八幡宮は、安和2年(969年)山城国久世郡男山八幡宮から八幡大神を勧請し、応神天皇とその御子、仁徳天皇と神功皇后(息長足姫命)併せ祀っています。以後700年余り白川右岸の地にありましたが、度重なる水難や疫病のため、延宝67年(16781679年)頃、村直りとともに現在地に移転建立されました。本殿前の二の鳥居には、「若宮社」の額が掲げられ石柱には「延寶八年正月吉日」「氏神當所移徙」の文字が刻まれ、遷宮と村直りの歴史を物語っています。             菊陽町HPによる

無題.png
無題.png

菅原神社(左上) 猿田彦大神(右上) 罔象女神(下)

無題.png

ご覧の通り白川右岸の河岸段丘に移されています


「古事記」「日本書紀」を真に受け金科玉条とされる方には全くお分かりにならないでしょう。

まず、仁徳が応神の子であるとか大嘘が天下で通用しているのですからほとんど漫画みたいな話であって、仲哀死後の神功皇后は開化天皇の妃となり仁徳を長子として朝日豊盛命、暮日豊盛命…と五人の子をもうけ死ぬまで添い遂げているのです。

斯礼賀志命(シレカシ)朝日豊盛命(アサヒトヨサカリ)暮日豊盛命(ユウヒトヨサカリ)渕志命(フチシ)谿上命(タニガミ)の五皇子。それ以外にも別腹か連子に四皇子が…。

恐らく、神功皇后の連子と考えられる 那男美命(ナオミ)坂本命(サカモト)安志奇命(アシキ)安楽應寳秘命(アラオホヒメ)の四皇子の合計九体皇子の筆頭長子が仁徳天皇なのです。

そして、全国に高良玉垂命と若宮こと仁徳天皇を祀る九州王朝の祭祀が隠され消されつつもかなり残されているのです。

未確認ですが青森県内にも高良神社があり、実踏したものとしては栃木県那須神社境内社が北限です(当時、今年6月に現地確認)。そこで、存在しないと考えていた若宮八幡宮が肥後に存在した事に気付き、千田聖母八幡宮に高良、仁徳の影を見出していた事から、肥後にこのコンプレックス存在の可能性を多少は考えていただけに実際に確認できて喜ばしい限りです。

 安和年間の勧請とはされてはいるものの、この祭祀コンプレックスが九州を本拠地とすると知る者には、本物の可能性を考えざるをえないのです。

無題.png
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記