2018年12月15日

526 熊本空港直下の二社を見る “熊本県大津町の窪田日吉神社と窪田阿蘇神社”(上)

526 熊本空港直下の二社を見る “熊本県大津町の窪田日吉神社と窪田阿蘇神社”(上)

20180212

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 白川右岸の古い住宅が集中する歴史ある集落の真中に鎮座するのが窪田日吉神社です。

 この神社は初見だったか以前(と言っても20年以上前ですが)ちょっとだけ見た記憶もあるのですが、定かではありません。

 まあ、実質的には初見の神社だと思います。

 驚いたのは正面ではないものの二方向が牛舎となっており、神様に参詣すると冬でも牛馬の糞尿の匂いが漂ってくる訳で、神社の「境内下馬」を持ち出すまでもなく、まずは一昔前まではこんなことは絶対になかったと思うものです。

 もっとも、東京の富○八幡宮のように、腐敗しきった勧進相撲とか暴力団とか境内での殺人事件が起こるのですから何でもアリなのかもしれません。

 少なくとも村の長老なり宮司なりお役人の数名が相談に行けば平伏し中止されたとは思うのですが、生きるためには仕方がない…とか私権の制限と基本的人権とは致し方ないもので、このような事が起こってしまうのです。

しかし、小○竹○政権による国富の米国への売り飛ばし政策の結果所得が半減した結果、高級な食材を供給する産業がそう永くは続かないことから、世代の交代も含め、経営的にも成り立たなくなり廃業へと進むことによって解消される事になるしかないでしょう。


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窪田日吉神社 カーナビ検索熊本県菊池郡大津町下町180


 話が逸れましたが、この神社の主神はオオナムチとなっているのです。

 しかし、日吉神社とは、通常、大山咋(オオヤマクイ)神を祀るものです。

これが、大津町大津の大津日吉神社(正保元年1644年勧請大山咋+級津彦+級津姫、後、明治44年大己貴命七柱合祀)の名だけを引いているのならばそれはそれで納得できるのですが、祭神と社名に齟齬が生じている事だけは間違いがないでしょう。

 このため、大津日吉は明治44年大己貴命七柱合祀、窪田日吉は貞和二年又は永久三年大己貴命六柱という奇妙な関係をどう解釈するかです。

 まず、七柱は窪田日吉の六柱に天照皇大神が加えられたものに見えます。

 では、この窪田日吉神社とは何なのでしょうか?

 日吉神社が流行したのは徳川時代です。家康の黒幕=フィクサーであった天海僧正が広げたのが山王一実神道(山王権現とは大日如来であり、天照大神であると説いた)だったからです。

 その時に大神宮が加えられた結果、社名は日吉宮、祭神は従来の貞和二年又は永久三年大己貴命六柱を引きずった変則的な神社というべき構造になっているのです。

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不十分ながら、大体の裏事情が見えて来ました。

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では、何故、出雲の神様が阿蘇の裾野の大津に祀られているのでしょうか?

これこそが最大の謎で、百嶋神社考古学が“大国主命を出雲の神様と考えるのが大間違い”と言う日本神話の大嘘が背後に横たわっているのです。

この問題はまた取り上げますので、ここまでにしますが、この神社には気になるものがまだまだあります。

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窪田日吉神社には古い水盤が置かれていました。

 その紋章が気になるのです。三ツ矢に鷹羽はあまり見ないのですが、一見すると一番近いのは土佐山内家のスリーダイヤ三菱のようです。

しかし蔦葉と鷹羽とは全く異なりますので、三枚鷹羽に丸い二枚鷹羽の五枚鷹羽を使う草部吉見神社の神紋が、この水盤の変形紋章に見えるのです。

従って18301844年の天保年間には阿蘇神社ではなく草部吉見系神社が反映されている様に見えるのです。もしかしたら寄贈者の灰塚家の家紋かも知れません。しかし一般には見掛けないものです。

 これも今後の課題です。何故なら、「熊本県神社誌」には全ての祭神が書かれていないため判別ができないのです。

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これは摂社の祭神です(こちらが本来の祭神かも知れません)

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋神社考古学に関係する資料を必要とされる方は090-6298-3254までご連絡ください

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記