2018年11月12日

515 2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 B “鳥取県大山町の大神山神社”

515 2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 B “鳥取県大山町の大神山神社”

20180108

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


米子から鳥取に掛けては無料の高速道路がかなり発達している事からついついパス・スルーしてしまいがちになりますが、今回は途中で降りることにして懸案だった大神山神社を参拝する事にしました。

高速を走っていると伯耆の国のシンボルである雪を被った大山が見えて来ました。

この大神山神社は大山山上の奥の宮を降ろしたもので、ちょうど都合が良い事にICも造られており、容易に参拝できるのです。

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訪問したのは7日の幕の内ですので、どんど用の前年のお札とか破魔矢を持参する方も多いようでした。

 田舎に立地した神社であるに関わらず、ぞろぞろという事はないのですが、結構な参拝客でまずは喜ばしい限りです。

 御正月ですので敬愛する「玄松子」のサイトからトップ画面を張らせて頂きます。

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米子の宗形神社は過去二度ほど足を運んでいますが大神山神社は初見です


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非常に読み辛いのですが、大巳貴大神 又ノ御名を大国主命、相殿、大山津見神、須佐之男神、少彦名命 と書かれています。また、延喜からは「大化」(これは九州年号の「大化」かも…)以前までは確実に遡る神社である事が確認できます。

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神殿は秀麗ですね

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大山は日本海に聳える巨峰です。これが大国主命で良いかは多少疑問を持つのですが、基礎調査の段階ですのでゴチャゴチャ言うのはやめておきましょう。

神紋は二重亀甲劔花菱で大国主命を表しています。

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2018年11月15日

516 2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 C “鳥取県岩美町院内の前田神社”

516 2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 C “鳥取県岩美町院内の前田神社”

20180109

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 ふれあい温泉おじろん(兵庫県美方郡香美町小代区)から湯村温泉(新温泉町)に移動し、いつもの中継地である岩井温泉…岩井廃寺跡に置かれた御湯(井)神社で休憩し、以前から気になっていた院内の上下地区の神社を訪問する事にしました。勿論、周りは雪国です。

 現地には8社ほどの神社があるのですが、一気に見てしまう事にしました。

 全てを報告する余裕はありませんが、今回はこの一帯の神社で最も心を惹かれたものから一社を(小さくボロボロになりながら、尚も命脈を保ち続けている神社)をご紹介する事にします。

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そもそも院内などというと、直ぐに中世荘園の「院内」だったのではないかなどと安直な答えを出す郷土史家とか教育委員会関係者や学芸員がおられるのですが、荘園はどこにでもあった訳で、所詮は言ってもしょうがないレベルの話なのです。

 さて、熊野神社があって、三宝荒神があるのであれば、ここは忌部の里だった事になります。

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熊野神社を奉斎する人々は忌部ですし、この神社も軻遇突智=金山彦なのですから、申し分ありません。

院内という漢字の字面に引き摺られては本質を見誤る事になるのです。

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この一帯の神社はほとんどが覆い屋を持った所謂鞘殿の様式を取っています。

 このため、最もお金が掛かる立派な神殿を小さく造り守る事ができるのです。

 ただ、神様を汚す事になるため憚られての事だと思うのですが、今後の事を考えると防錆防腐用の塗料を塗る事も考えるべきで、過疎化と氏子の壊滅を考えるとできるだけ永く持たせる必要があると思うものです。

 恐らく十戸程度で維持されているのだとは思うのですが(由緒では十五戸)、今からでも手入れをして定期的に掃除をすれば結構持たせることはできるでしょう。

 さて、ご祭神ですが、この地区には立派な宮司がおられたようで、目を見張るような由緒書きが残されていました。

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三宝荒神としてカグツチ=金山彦を祀るところにスサノウとアシナヅチが加えられていますが、実は金山彦+スサノウ+金山彦と金山彦がダブっているのです。

クシナダヒメをヤマタノオロチに取られるとしていたのが金山彦(アシナヅチ)と埴安姫(テナヅチ)なのですが、アシナヅチもテナヅチも足で踏む槌で土を均分化し、手で持つ槌で鋳型を整形していたのです。

「ナ」は所有の意味を持たせた格助詞「ノ」と同様のものです。「オイ!ソコナオナゴ…」と言うでしょう…。

さて、由緒ではスサノウが「手頭天」と書かれていますが「午頭天」のはずで、何故かは不明です。

書写の誤りを忠実に残されたものと思います。できるだけ永く残して頂きたいと思ってやみません。

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グーグルマップのストリートヴューで一目瞭然ですね


なお、研究目的で百嶋由一郎氏が残した神代系譜、音声CD、手書き資料等を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

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「鳥取県神社誌」83p


岩井温泉にほど近い御湯神社の宮司から頂いた「鳥取県神社誌」を末永く活用させて頂きます。深謝。

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2018年11月18日

517 2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 D “鳥取県岩美町小田の小田神社”

517 2018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 D “鳥取県岩美町小田の小田神社”

20180110

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ひぼろぎ逍遥(跡宮)5142018年山陰落ち穂拾い三社詣りの旅 A“島根県出雲市多伎町の小田神社”で出雲市多伎町の小田神社をとりあげましたが、こちらは但馬国の手前、鳥取県東の最奥部の小田神社の話です。

 この間、岩美町では岩井温泉のある岩井地区、御湯神社(これも但馬の養父に集中する御井神社だと考えています)、岩井廃寺…一帯に注目していましたが、鳥取県の最奥部の国府町、八頭町、若桜町…の神社を調べる段階に入ってきました。

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氷ノ山西麓、鳥取市の東隣の奥地は若桜町を除きこれまでほとんど入っていませんでした。

 この一帯の神社調査を進めるにも、まず、岩美町の神社を調べる必要に迫られ、未踏の神社の塗りつぶしに入りました。

無題.png 正月明けの6日から兵庫県の西部に入り、移動も含めて12日までの調査のつもりでいたのですが、10日に降り始めた大雪によって容易に戻れない可能性も出てきた事から、15日までの10日間の調査に成る可能性も出て来ました。

 実際、国府町の栃本廃寺を見に行った時も大雪のため全く何も見えない状態だったのでした。

 このため、今回の後半は岩美町の奥地の神社を見て廻る事にしました。

 岩井温泉の南側の谷の最奥部に小田という集落があり、コミュニティ・バスの折り返し点があります。

 このバス停の傍に参道階段があり、小田神社があるのです。

 何の変哲もない鎮守の社にしか見えないのですが、この神社を寄進した方が、まず地名が、出雲市の多伎町(タキ、タギ)小田(オダ、ウダ)と対応する瀧山さんというのも気になります。

 事実、小田、外邑地区に置かれた格安の温泉施設が「たきさん」温泉なのです。

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参道階段下の鳥居の脇にある瀧山岩蔵氏による寄進の記念碑


以下は徒労に終わった栃本廃寺跡。

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石碑には昭和3年の建立とありこの時期に土地などが寄進されたのでしょう。

 勿論、神社自体はもっと古く、後で新たに手に入れた「鳥取県神社誌」とそれに遡る、昭和三年の古い

「鳥取県神社誌」のコピーを確認します。


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驚きました!お分かり頂けるでしょうか?左に五七桐、右に三五桐という設えなのです

県神社誌によれば、この神社の祭神は大山祗とコノハナノサクヤヒメとされているのです。

ただ、この父と娘が五七、三五桐を使う例は知りませんし、どのように考えても後付にしか思えません。

高良玉垂命=第9代開化天皇と神功皇后とは夫婦であり、その95)人の皇子の長子が仁徳天皇になることはこれまで何度も話してきたことです。

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