2018年09月01日

491 百嶋神社考古学が描く列島の古代 @ 全国の九州王朝論者の皆さんに! “はじめに”

491 百嶋神社考古学が描く列島の古代 @ 全国の九州王朝論者の皆さんに! “はじめに” 

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 この企画は以前「ひぼろぎ逍遥」で取り組みながらも中断していたものです。

 故)百嶋由一郎氏が追及したのは“日本人はいったいどこからやってきたのか?”というテーマでした。

 百嶋氏には相当に深い部分まで分かっておいでだったようです。

その復元の作業とまでは行きませんが、その概略を把握することによって列島の古代史にバトン・タッチしたいと考えてきました。

このため、学会通説派が描く“奈良周辺で自然に日本と言う国家が徐々に成立した”とか、九州王朝論系の人々が描く“倭人が対馬から博多湾岸に天孫降臨し倭国が造られた”といったものとはかなり違ったものになります。

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さて、一度に全てをお伝えする事はできませんが、一般にも分かり易い形で少しずつ展開して見たいと思います。その前に百嶋先生の手書き資料から通常公開しない半島系の神代系譜を見て頂きます。


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百嶋由一郎 010img004氏系譜


渡来系民族と言えば、百済、新羅、高句麗…が定番ですが、これらの人々が大挙入って来る前に大陸からかなりの人々が入っており、それらの人々が神々として描かれていたようなのです。

問題は「記」「紀」などに描かれている神々が、大陸と半島から中国から入って来た民族を描くことなくしては、日本人を描くことはできない訳で、これらを神々の動きから探ろうとするのが百嶋神社考古学だったのです。

以後、この点に焦点を当てて個々に見て行きたいと思います。少なくとも“奈良周辺で自然に日本と言う国家が徐々に成立した”は、ほぼ、大嘘で、九州王朝系の人々が描く“倭人が対馬から博多湾岸に天孫降臨し倭国が造られた”も、一部は正しいものの、そのままでは漫画に近いものである事がお分かり頂けるでしょう。

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百嶋由一郎 最終神代系譜


研究目的で百嶋神社考古学の音声CD、神代系譜、手書き資料を必要とされる方は09062983254まで


 百済は660年に高句麗は668年に滅びます。新羅もかなり後になりますがやはり滅びます。

 これらの国からも列島への亡命者、移住者、招聘者が入りますが、それは、倭国、日本国が成立して以降の話であり、それ以前にも列島には王権が存在していた事は言うまでもありません。

 上の百嶋由一郎 最終神代系譜には、それ以前に列島に移住していた民族=神々が描かれています。

 左から7民族が描かれていますが、辿れる範囲で紀元2世紀までには出揃っており、古い姫氏にしても紀元前5世紀には列島に入っていたものと考えておられたようです。

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 大率姫氏    三国志の呉ではなく呉越同舟の呉の太伯の一族が亡命後博多湾沿岸に移動していた。

 昔氏      イザナミの夫で新羅系のイザナギがいたのですが、イザナミはイザナギと別れます。

 瀛(イン)氏   秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ金山彦の一族が半島経由で渡海し列島に侵入していた。

 白族      大幡主の一族で雲南省から海南島、熊本市を経由し博多湾岸に移動した。ヤタガラスも。

 越智族     コノハナノサクヤヒメの父神大山祗の一族で大国主命もこの一族=トルコ系匈奴

 許氏      高皇産=高木大神の一族で、阿蘇氏が侵入したときには既に北部九州に展開していた。

 多氏(黎族)   雲南省から海南島、天草を経由し阿蘇に展開し高木大神の配下となり後に藤原氏となる。

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この外にも、3000年前からいた古々代ヘブライ系の民族(代表的なのは通説では大国主の長男とされる事代主命)、中国の土車(土舎)トゥチャー族、故)馬場紀美史が主張する彝族(Yízú)も入っている。

通説派は皇室を配慮してか、民族の純血性、単民族起源説などといった政治的?思い込み?としか言いようのないお伽話を続けていますが、こんなものは全くの大嘘であることは言うまでもありません。

比較的利権に薄く清潔に思える照葉樹林文化論者に於いてさえも民族の進入についてはほとんど触れず、単なる文化の伝播のみを展開しています。これも、通説派と同様のある種の自己規制なのでしょう。

大分県の別府湾は(明治16年の海図制定前)はカンタン=菡萏湾と呼ばれていましたし、現在でも邯鄲(カンタン)地区が存在します。

これも、日中合作映画の「墨攻」にも部分的に登場する戦国期の趙の首都邯鄲から入って来た人々が住み着いた場所であり、その事からもシルクロードの終着点と言われた邯鄲にいた多くの西方の民が大分市周辺に入っている事を思わせるのです。

もういい加減に藤原が都合の良いように造った「古事記」(95%は嘘)「日本書紀」から独立し、共に真実の探求の作業に踏み込もうではありませんか!


(戦国)

趙(ちょう)は、戦国時代に存在した国(紀元前403 - 紀元前228年)で、戦国七雄の一つに数えられる。国姓は趙、または嬴(秦の王室と同祖とされる)。首府は邯鄲。もともとは、晋の臣下(卿)であった。紀元前228年に秦に滅ぼされた。

ウィキペディア(20180817 1553による

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一部が海南島を経由し天草の苓北に入ったと考える 黎族(リーツー)彼らが後の藤原氏になる

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

ビアヘロ 077 読者の皆さんに…真実の神社研究へのご支援を…

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20180829

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥の読者の皆様、また、グループのブログをお読みの皆様、暑い中、丹念無題.pngにお読み頂き有難いと思っています。

 古田武彦が亡くなり、また、百嶋由一郎氏が亡くなり数年が流れました。

 当初、貴重極まりない百嶋研究の一部でも残せないだろうかと考え、手書きデータや神代系譜文書のDVD化、音声データの保存、複製、宣伝という作業を続けて来ました。しかし、単にデータの保管、配布の体制を確立するだけでは継承ができないと考え、blogで百嶋研究の説明、現場実調を徐々に進め公開してきました。この結果、全国にも理解者が増え始め、神社研究ではなんとか特異な勢力を形成できる所まで漕ぎ着けました。

 既に、百嶋研究の一部でも接点を持った全国の二十五人を超えるブロガーが独自の側面から研究を進めておられますし、ブログは書かないまでも、神社調査を行い記録を残している方もおられます。

 勿論、統一性は取れてはいませんし、なかなか難解な内容だけに、解明できない問題についてはメンバーの若い世代に託すことになるでしょうが、なお不明なものは後世の研究者に期待する事に成るでしょう。

 百嶋先生と知り合いになったのは七年ほど前だったと思いますが、もしも後数年生きておられたならばもう少し古代、神代の謎を継承できたかも知れません。しかし、未熟な者だけで作業を行わざるを得なかった事から今尚皆さんにご迷惑をお掛けしているものと理解しております。

しかし、私達の能力を考えれば、むしろ上出来といったものかも知れません。

さて、メンバーの背骨を形成している中心的思想とは、当然にも九州王朝論です。

 百嶋先生も“私も九州王朝論が分かっていない人に神代史を教えても意味がないし、教えたくないですね…”と言われていた事が今でも耳に残っています(吾は百嶋由一郎の面受の弟子なり!)

さて、四月の近江〜但馬、五月の糸魚川〜諏訪〜山梨、六月の青森と15日間づつ三度に亘って長躯の神社調査を行いました。

ぶっ続けで調査すれば良さそうですが、落ち着いてリポートも書かなければならず、研究会のスケジュールもあってそういう訳にも行かず、各々3,0004500キロの往復の調査とならざるを得なかったのです。

今後も、三重、和歌山、岐阜、福井…と、よりきめ細かい調査に入るつもりですが、もはや資金が底を尽きつつあります。

元々、福島の原子力災害辺りから、これ以上行政機関に留まりたくないとの思いが募り、後先き考えずに58歳で早期退職した事から(当時上の娘は大学に在学中だったのですが)年金と言ってもギリギリ暮らせる程度の物で、なんとかここまで働かずに神社調査を行ってきましたが、既に限界点を越え始めたようです。事実、当会は研究を優先するためメンバーから会費を取る事なく僅かな参加費で運営しています。

人手不足の時代、まだ、働こうと思えば職はあるはずですが、拘束時間が長くなれば、研究を進める事ができないまま人生の終末期を迎える事にもなりかねず、できるだけ体力がある間に遠距離の調査に入りたいと思っています。このため、出来る事ならばこのまま神社研究に専念したいものと考えています。

基本的には年金生活で何とかやっていますので、月額であと二〜三万増やせれば、車の維持、車検、保険、介護保険料、研修所の維持、研究会の組織化、ネット規制に対応するためにもう一つ別の発信のためのサイトの準備……と増加する負担にも対応できるのではないかと考えています。

今後、研究内容を保全するためにも、外付けハード・ディスクをタイム・カプセル化して鍾乳洞に保管する(太陽フレアによる磁気データの消失への対策)とか、研修所の維持、後世に残すためにユーチューブ化してオンエアするなど新たな作業に入る必要も生じており、もし可能であれば、通説とは全く異なる百嶋神社考古学の保護と継承のためのご支援をお願いできないかと考えています。

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年間一口2000円以上の任意の百嶋神社考古学研究会の支援会員となって頂ければ、九州においでになった際に会員待遇として温泉付き研修所に一泊お泊めできます。九州での神社調査の拠点として活用下さい。

振込用の銀行預金講座、郵便貯金番号は以下の通りです。

 大分銀行 若宮支店 0183−000093−7505802 フルカワ キヨヒサ

 ゆうちょ銀行 店番 778 預金種目 普通預金 口座番号 1165562 氏名上に同じ

また、もし差支えなければ、以下のメールにお名前と住所と電話番号を以下のメールに送信して頂き、カンパした旨の連絡を頂ければ、神代系譜のDVD(既にお持ちの場合はそれに代わる音声データなど)をお送りできるものと考えています。

 携帯のメール・アドレス ariakekai@ezweb.ne.jp携帯 09062983254 (常時対応)

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本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は現在二本立てブログで日量11001200件(年間45万件 来年は50万件へ!)のアクセスがありますが、恐らくグループ全体では最低でも年間200万件のアクセスはあるでしょう。ちなみに昨日のアクセスは両ブログで日量2000件を超えています。毎日続けば良いのですが。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ