2018年08月15日

486 九州トップの観光地の湯布院を静かに見守る謎の古社 “若宮八幡神社”

486 九州トップの観光地の湯布院を静かに見守る謎の古社 “若宮八幡神社”

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 湯布院と言えば九州でもトップ・クラスの観光地であり良く知られた温泉地ですが、我々のような神社研究者にとっては、宇奈岐日女神社には宇奈岐日女が祀られていないとか、椎根津彦を祀る大杵社…といったものにしか関心がわきません。

それはさておき、遠く古代、由布院盆地には大きな湖があり、今、尚お湯が沸き上がる金鱗湖はその名残であろうとも言われています。


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由布院盆地の縁を、久大線が馬蹄形状(U字)に走っていますが、これこそが古代の想定由布湖の縁を意味し、その線上に道路(山野辺の道)もあり、重要な神社も並んでいるのです。

 その日田側からの道路上にこの若宮神社も鎮座しているのです。これだけでもこの神社の重要性は分かるのであり、これまで全く意識してこなかった事の不明を恥じるばかりでした。

 今回、改めて由布院盆地を考えるに及び、改めてこの若宮八幡宮に目が向かったのでした。青丸辺りが湖の水が切られた辺りではないかと考えますが、宇奈岐日女神社の祭神に阿蘇系を色濃く感じるため(これについては)蹴破りを意識せざるを得なかったのです(それについては以下をご覧ください)。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)


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湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 B  “宇奈岐日女は高木大神の孫娘だった

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由布盆地の椎根津彦  

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湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 A  “祭神配置に認められる阿蘇の神”

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湯布院温泉と言えば宇奈岐日女神社 @  “宇奈岐日女は隠された!”


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若宮八幡宮付近から由布岳を望む

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ご覧の通り、観光客があまり訪れない少し市街地から外れた一角に、若宮八幡宮(神社)があります。

 この間、国東半島を中心に、豊後地方の若宮八幡宮(神社)を数多く見て来ました。

 高良神社と併祀されているもの、境外とは言え近くに高良神社が確認できるもの、当然ながら単独祭祀されているものの高良神社が境内のどこかに隠されている可能性があるもの…と考えています。

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垂れ幕にあるとおり、その基層部にはスサノウ(金山彦)系の存在を感じさせます。

 ただし道真祭祀は明治の合祀によるものである事が掲示により分かります。

 それは宇奈岐日女神社の基層に道真の祭祀が色濃く残されている事とも対応します。

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これは、参拝殿正面に張られていた祭神の表示ですが、八百年代になって宇佐神宮から贈)応神=ホンダワケを勧請した事が分かりますが、弘仁年間とはその位置を考えればかなり遅い事が分かります。

 では、それまで祭祀が存在しなかったなどと考えられるでしょうか?

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 それこそが我々が追及する古層の神々なのです。

 私の考えは以下の通りです。

 まず、宇佐神宮の成立が絡んでいますが、現在のような一社三殿(五神)体制になったのは九世紀になってからであり、神功皇后は相当後になって追加されているのです。

 このため、表向き延喜年間に追祀されたのは神功皇后のみで、実際には仁徳(九州王朝最後の天皇)と高良玉垂命が祀られていたのではないかと考えています。

 その理由は、田霧姫という表記が浮いているからです。

普通は田心姫神として表記される宗像三神の一神であり(現在の宇佐神宮の第二殿には宗像三神が祀られている)、何故、この一神だけが祀られているかが非常に奇妙なのです。

もしも、ここに高良玉垂命が入れば、親子三人がきれいに納まる訳で、この三神が祀られていた痕跡と考えたいのですが、あくまでも仮説でしかありません。

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百嶋由一郎極秘系譜(部分) 皇宮皇后こそ神功皇后であり、開化は勿論高良玉垂命なのです


境内には合祀されたものかそれ以前のものかの判別の付かない摂社(摂社扱いもされていないのかも知れませんが)が置かれています。

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春日神、大神宮も祀られているようです 御穀はスサノウか?


 神社のとなりにはかなりの水量を持つ遊水池がありました。

 由布岳周辺の山に浸透した水がこの地で迸っているのでしょうが、古代に於いてはさらに一層このような水の支配権が重要で、だからこそこのような場所に神社が置かれていたのです。

 この神社が古いと考えた理由は、この遊水池が存在したからですが、他に資料がないためこれ以上踏み込むことは止めておきましょう(大分県には「県神社誌」もないため)。

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研究目的で故)百嶋由一郎氏が残した神代系譜等を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 01:24| Comment(0) | 日記