2018年07月21日

478 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… I 宍粟山中の大社 御形神社

478 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… I 宍粟山中の大社 御形神社

20170912

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 丹波丹後の踏査が目的でしたが、実は、もう一つ、但馬は朝来市の勅使門を持つ神社赤淵神社を見ることも予定していました。

 前回の但馬調査で見落としていた神社ですが、あまりにも重要なテーマですので一人で見るには余りにも勿体無く、急遽、大阪から内倉武久(元朝日新聞記者で「太宰府は日本の首都だった」ミネルヴァ書房外3著)氏を呼び出す事にしました。

 内倉氏との調整から、一日間宍粟市への調査に移動することにしましたが、その道すがら立派な神社を見る機会を得ましたので、ここでは兵庫の山中の大神社をご紹介する事にします。

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社殿には由緒が書かれた御影石が置かれています。かなり読み辛いのですが…とりあえず読むと、

「御祭神御形神社は葦原志許男神を主祭神とし右殿に月読神 天日槍神 左殿に高皇産霊神 須佐之男神 をあわせ祀る社である 葦原志許男神は大国主神の別の名だいこくさまのことである…」と続きます。

  播磨については、大国主命とスサノウの争いに高木大神(佐用都姫神社)も関係している事が分かりますね。

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伊和神社も素晴らしいのですが、このような山中の小さな町に何故これほどの大社が?と考えてしまいます。
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境内には幾つかの摂社が置かれていますが、佐閉神社とは恐らく佐用町の佐用都比売神社で侵入を遮る神社とされているようですが、実体は宗像大社の市杵島姫(別名佐代姫)の事だと思います。

社殿が立派な理由は重文指定がされており、昭和46年に二億円が掛けられています。それほどの大社なのです。

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天日槍命と葦原志許乎命が、黒土の志爾嵩に至りおのおの黒葛を三条(みかた)を投げて支配地を決定した。天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。

葦原志許乎命の投げた黒葛は、一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、そして、最後の一条が御方に落ちたため、三条(みかた:御方・御形)という地名となった。

天日槍命の投げた黒葛が出石に落ち、天日槍命を祭神とする出石神社があり、気多郡に葦原志許乎命を祀る気多神社が鎮座し、養父郡にも、大己貴命を祀る養父神社が存在。

そして、御方の地に葦原志許乎命を祀る当社が鎮座する。また、『播磨国風土記』には伊和大神が形見として、自分の杖を植えられたため御形とするという記述もある。

当初は当社の南東にある高峰山山頂に鎮座していたが宝亀三年(772)、御方里の山神社鎮座の小森に

一夜にして三本の大杉が鼎立する夢のお告げによって、社殿を造営し、現社地に遷座。

式内社・御形神社に比定される古社。

明治三十六年までは高見大明神とも称されまた、高皇産靈神を祀る社として「タカミさん」とも呼ばれ、三方東一宮とも称されていた。明治十九年に県社に列格してからは、単に県社ともよばれるようになった。社殿には茗荷紋が付けられていた。境内社は、社殿のある垣の手前右手に忠魂社、本殿の左右に佐閉神社日吉神社。その他にも境内社の祠らしきものがあったが社名は確認していない。

敬愛する玄松子による

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敬愛する玄松子氏のおかげで日吉神社であるとわかりました


玄松子氏は「明治三十六年までは高見大明神とも称されまた、高皇産靈神を祀る社として「タカミさん」とも呼ばれ…」と書かれています。

これによっても佐用神社には高木大神(高皇産靈神)の伯母=実は天照大御神の母神が祀られているようだ(故百嶋由一郎)とされている事(これについては「ひぼろぎ逍遥」跡宮273 兵庫県佐用町の佐用都比売神社とは何か?を参照のこと)との繋がりが見えるうえに、佐閉神社が佐用都比売神社の置換えである事が見えてきたのでした。伊和神社にもそのうち再訪したいと考えています。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記