2018年07月06日

473 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… D 大宮売神社(京丹後市)下

473 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… D 大宮売神社(京丹後市)下

20170910

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


再度、大宮売神社を考えますが、故)百嶋由一郎氏からは、全国にある大宮神社、大宮之売神社の中には大宮之売神社(オオミヤノメノオオカミ)がかなり含まれており、一般的には伊勢の外宮の豊受大神=伏見稲荷を祀る神社とされるのですが、それは誤りで、本当の神は豊玉姫であろうと言われていたのです。

この神社を見る時、その痕跡がある程度残されているように思えます。

主祭神の大宮比売命、若宮比売命(大宮売・若宮売)の解析はやっていませんでした。

大宮比売命が豊受大神で、若宮比売命(大宮売・若宮売)が豊玉姫で良いようです。

そして、山幸彦=ニギハヤヒ=ヒコホホデミ=猿田彦から見れば、いずれもお妃神にあたるのです。

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この場合、猿田彦と考えられる庚申社        豊玉姫の祖父神となる大幡主


 この辺りからは、物部氏への弾圧と併せ、祭神としてのニギハヤヒの追放、貶めが関係しているはずで、百嶋神社考古学でも最も難解な部分になってきます。

その上に、ニギハヤヒと言う物部の権化のような神様を介して微妙な位置づけになるお二人だけに、両勢力の共存を意味し祀られたものか、ニギハヤヒが猿田彦として貶められて以降もお妃神が共に祀られているだけでも面白いのですが、豊受大神系氏族と豊玉姫系の氏族の入替り、均衡と見たいのですが、どうしても政争を、争乱を考えてしまうのは物部系神社への偏見かもしれません。

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同社御由緒

 さて、前blogで引用させて頂いた

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には、以下のように書かれていました。


男神像とはどうしたことであろうか、当社は男神は祀っていないはずなのだが、丹波道主命像か、神像が男か女かは慥かにわかりにくい。
「何で朝鮮を拝む、オマエらは天皇陛下だけを拝んでおればよい」と官憲が怒ったというが、そんなバカはバカゆえに滅びた、これは日本の権力の古来からの思い上がった観念であり、一般の国民には関係のない見方で、朝鮮だろうが何も関係がない、当社を祀る氏子たちのご先祖だと見られる。
こうした事を書けば、あるいはここの神主さんが怒るのでは、といった心配はないようである。一般に神社は右翼で皇国史観に立ち、朝鮮などは根拠もなく見下しているのがアタリマエ、自分が祀る神がどこの神かとかは考えてみたこともないのがトウゼンのオカシナ世界のようだが、天皇側の神を祀る神社ならともかくも、そうでもない地元庶民の神を祀った神社まで、そんなことはマネしなくてもよかろう、当社はそうした王権側いいなり史観の立場ではないようである(エライ)。中央公論社の『朝鮮と古代日本文化』という書があって昭和53年に発行されている。巻頭言のための座談会というのがあって、上田正昭・金達寿・司馬遼太郎が座談会をしている。


 丹後の国二宮の大宮売神社の七十を過ぎた御老人の神主さんから長い手紙がきて、「是非来い」と言うんです。ぼくが丹後のほうを書いた後なんです。城崎に行く途中寄ったんですが、その神主さんが言われるのには、「神主というのは皇国史観があたり前だったが、このごろはそれがばからしくなった」というので、びっくりしました。神社の由緒書も新しく東アジア的視点で書いてあるので、「これはだれが書いたんですか」と尋ねますと、御本人が書いたと言うんです。」


とある。だいたい大宮売と書いてどうしてオオミヤメなのか、「売」は「比売」とかいてヒメと、或いは「売布」と書いて「メフ」と読むが、「売」はどうして「メ」と読めるのか、中国式でも和式でも読めないではないか。古い万葉仮名の甲類のメで、日本ではそうした万葉時代だけの当時のたぶん渡来知識人(たぶん百済系)たちの用法、日本の漢字の一番初期の用法でいま読める人はめったにあるまい、あるいは朝鮮式でなかろうか、と考えているのだが、ワタシにはその知識はない。


 上田正昭・金達寿・司馬遼太郎…と言えば、何でも朝鮮半島で説明しようとされる印象を持つため敬遠していますのでその部分は置くとして、関心を持つのは、


「金 丹後の国二宮の大宮売神社の七十を過ぎた御老人の神主さんから長い手紙がきて、「是非来い」と言うんです。ぼくが丹後のほうを書いた後なんです。城崎に行く途中寄ったんですが、その神主さんが言われるのには、「神主というのは皇国史観があたり前だったが、このごろはそれがばからしくなった」というので、びっくりしました。神社の由緒書も新しく東アジア的視点で書いてあるので、「これはだれが書いたんですか」と尋ねますと、御本人が書いたと言うんです。」


の部分です。「神主というのは皇国史観があたり前だったが、このごろはそれがばからしくなった」と言われるのですから、神社には固有の伝承や独自の文書を読むことができる立場にあられるとすれば、これだけの神社ですから、府神社庁から御咎めの有るような内容にも触れられる立場と考えられるのです。

それは、470 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…A 京都府京丹後市の地名に関して で取り上げた「ついでに初見ながら言いたいことを言っておけば、周枳(スキ)は渡来系氏族(民族)によって持ち込まれたもので、「白村江の戦い」のスキ=村、城塞都市、砦集落の「スキ」「サク」「スク」… であろうと考えています。」の部分に関連して、この地にはトルコ系匈奴と考える大山祗〜大国主命系の金官伽耶から入って来たウマシアシカビヒコヂの一族を見るからです。

 豊玉姫のもう一人の夫神にあたるのが大国主命であり、ここには権力の交代を見るのであり、隣の但馬では豊岡市の出石の一角にスサノウ系氏族を押し込めた大山祗〜大国主命系を見る思いがするのです。

 「スキ」はペトロパブロフスク、ウラジオストック(ストークツク)の転化でステップ・ロードの地名語尾なのです。ひぼろぎ逍遥 470津奈木という地名について “木とは半島の城のこと”を参照の事。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記