2018年07月03日

472 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…C 大宮売神社(京丹後市)上

472 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…C 大宮売神社(京丹後市)上

20170910

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 九州から進出し丹後半島へ向かうとなると、当然にも兵站基地は京丹後市となります。

 早朝から大野神社(大阪城の大野治長の本拠地)に参拝し、次に足を向けたのが大宮売(め)神社でした。

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大宮売神社 カーナビ検索 京都府京丹後市大宮町周枳1020 0772-64-2454


いよいよ近畿大和朝廷のお膝元の神社調査に踏み込み始めました。

初見の神社であるとしても好い加減な事は書けないことから、九州王朝論者にとっては緊張が走ります。

京丹後市において始めに足を向けるべき神社は、京丹後市旧丹後町宮の竹野神社と大宮町周枳(スキ)の神社となるでしょう。

竹野神社は後回しにしますが、この神社には短期間でもう一度訪問する事になります。

実は、但馬に二つの勅使門を持つ神社を発見した事から、急いで内倉武久氏(元朝日新聞記者で「太宰府は日本の首都だった」ミネルヴァ書房外3著の著者)を大阪から呼び寄せ、同氏もこの神社を見落していた事からと再度同行し二度参拝したのでした。

ともあれ、美周瑜ならぬ秀麗この上ないといった手入れの行き届いた美しい神社です。

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丹波郡は丹後国も含む古大丹波国の中心地と考えられている、そこでの唯一の名神大社で、しかも二座(大宮売・若宮売)である。与謝郡温江には名神大社が二社あるが、ここは一社二座である。のちの行政の中心地は、ここを避けて丹波郡丹波郷(峰山駅のあたり)であったろう、だから丹波国などとその地名が拡張され呼ばれてこちらが中心のように思われているが、丹波国の古代よりの、弥生よりの祭祀(また政治)の中心地はここで、そこで信仰された飛び抜けて大事な神様を祀る社であったと思われる、女神様である、古丹波国の大将は女性だったのかもなどと思われる。
豊受大神そのものを祀る神社は丹後の名神大社にはない、意外と豊受大神とは縁遠くなっていったものか、伊勢外宮の神様となられては恐れ多いのかのようで、この社も豊受大神を祀るより身近な巫女を祀った神社であろうか。
 周枳社()とも呼ばれるから、元々はその名ではなかったか。中央の支配者側も大丹波国の心臓を重要視しただろうと思われる、大宮売とかその祭神等が整備され、早くから国家の祭祀体制に組み込まれていったものと思われる。別に証拠もないので思うしかない。
しっかり国家的な枠組みに組み込まれてしまってからの話は私はあまり興味がない、もっと古い不明の時代が知りたい、古丹波王国の主神格ではなかったかと思われるの時代を考えてみたいと思うが、手に負えるか、まずは一般的に見ておこう。
 祭神は大宮比売命・若宮比売命(大宮売・若宮売)とされる。「延喜式」神名帳に丹波郡「大宮売神社二座名神大」、同書神祇(臨時祭)にも「大宮売神社二座」とみえる。 売はメと読んで女の意味で、女神様を祀った社のようである。


以前も参考にさせて頂いた無題.pngによる

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境内には多くの摂社分社がありました

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 三社宮             弁財天社(宗像大社の市杵島姫)


境内摂社はこれまでの歴史を反映したものに見え、それ以前の神々が反映されているようです。


三社の社 天照皇神社(天照大神)、春日神社(天児屋根命)、八幡神社(誉田別命)

弁財天社(市杵島姫)

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これも境内社ですが、神殿背後地の禁足地のさらに左奥に天満天神社があります。

 これを単に菅原道真公と見るのは容易いのですが、恐らく道真の御先祖である父方、母方のいずれかに置かれていること自体、金山彦〜長脛彦の姉の=オキツヨソタラシヒメ系の先祖神の天神社ではないかと考えています。そうでもなければ禁足地の傍の人目の入らない所に祀るはずはないのです。古い神様です。

 また、庚申(カノエサル)の庚申社がありますが、猿田彦の置換えの場合、荒神の置換えの場合も考えなければなりません。

 猿田彦であれば、大宮売神(伊勢の外宮の神=伏見稲荷)の後の夫神に相当します。

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八幡社(社殿右奥の神殿背後)               神殿に並ぶ五社殿


今のところ、この八幡社は749年から九州の=列島全国の祭祀権を奪った宇佐神宮の応神を祀る八幡なのか、それ以前の大幡主を祀る本物の正八幡なのかは見当が着きません。

 ただ、本殿より深い場所に置かれている事から正八幡のように思えてなりません。

 それは三社社の中にも八幡神社(誉田別命)が置かれているのですから古い八幡神である以上、大幡主(博多の櫛田神社の主神であり、第3代安寧天皇でもあるのです)の可能性が高いと思います。

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大歳神社(大歳命、御年命)、武大神社(素戔嗚命)、大川神社(保食命)、秋葉神社(訶具土命)、稲荷神社(倉稲魂命)、佐田彦神社(猿田彦命、事代主命)


さて、五社殿の神様です。大歳はその子御年命と祀られていますから阿蘇の草部吉見で間違いなく、春日神社の表向きの主神でしょう。武大神社はスサノウかヤマトタケルと考えていましたがスサノウの可能性が高いでしょう。

大川神社は舞鶴市などにもありますが、どう見ても金山彦系の神様です。

大川神社でも、主神 保食神、相殿:句句廼馳神(木神)、軻遇突智神(火神)、埴山姫神(土神)、金山彦神(金神)、罔象水神(水神)と強面の神々が並んでいます。

実は、次の秋葉神社は訶具土命ですので、強力な神々が並んでおられる事になります。

稲荷神社は伊勢の外宮の神様ですので、その隣の佐田彦とご夫婦神になります。

ただし、佐田神社は佐田彦神社とは異なり大山咋神ですので間違えがないように。猿田彦命、事代主命が同社内に祀られている理由は不明です。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)研究のため必要とされる方は09062983254まで

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2018年07月06日

473 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… D 大宮売神社(京丹後市)下

473 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… D 大宮売神社(京丹後市)下

20170910

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


再度、大宮売神社を考えますが、故)百嶋由一郎氏からは、全国にある大宮神社、大宮之売神社の中には大宮之売神社(オオミヤノメノオオカミ)がかなり含まれており、一般的には伊勢の外宮の豊受大神=伏見稲荷を祀る神社とされるのですが、それは誤りで、本当の神は豊玉姫であろうと言われていたのです。

この神社を見る時、その痕跡がある程度残されているように思えます。

主祭神の大宮比売命、若宮比売命(大宮売・若宮売)の解析はやっていませんでした。

大宮比売命が豊受大神で、若宮比売命(大宮売・若宮売)が豊玉姫で良いようです。

そして、山幸彦=ニギハヤヒ=ヒコホホデミ=猿田彦から見れば、いずれもお妃神にあたるのです。

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この場合、猿田彦と考えられる庚申社        豊玉姫の祖父神となる大幡主


 この辺りからは、物部氏への弾圧と併せ、祭神としてのニギハヤヒの追放、貶めが関係しているはずで、百嶋神社考古学でも最も難解な部分になってきます。

その上に、ニギハヤヒと言う物部の権化のような神様を介して微妙な位置づけになるお二人だけに、両勢力の共存を意味し祀られたものか、ニギハヤヒが猿田彦として貶められて以降もお妃神が共に祀られているだけでも面白いのですが、豊受大神系氏族と豊玉姫系の氏族の入替り、均衡と見たいのですが、どうしても政争を、争乱を考えてしまうのは物部系神社への偏見かもしれません。

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同社御由緒

 さて、前blogで引用させて頂いた

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には、以下のように書かれていました。


男神像とはどうしたことであろうか、当社は男神は祀っていないはずなのだが、丹波道主命像か、神像が男か女かは慥かにわかりにくい。
「何で朝鮮を拝む、オマエらは天皇陛下だけを拝んでおればよい」と官憲が怒ったというが、そんなバカはバカゆえに滅びた、これは日本の権力の古来からの思い上がった観念であり、一般の国民には関係のない見方で、朝鮮だろうが何も関係がない、当社を祀る氏子たちのご先祖だと見られる。
こうした事を書けば、あるいはここの神主さんが怒るのでは、といった心配はないようである。一般に神社は右翼で皇国史観に立ち、朝鮮などは根拠もなく見下しているのがアタリマエ、自分が祀る神がどこの神かとかは考えてみたこともないのがトウゼンのオカシナ世界のようだが、天皇側の神を祀る神社ならともかくも、そうでもない地元庶民の神を祀った神社まで、そんなことはマネしなくてもよかろう、当社はそうした王権側いいなり史観の立場ではないようである(エライ)。中央公論社の『朝鮮と古代日本文化』という書があって昭和53年に発行されている。巻頭言のための座談会というのがあって、上田正昭・金達寿・司馬遼太郎が座談会をしている。


 丹後の国二宮の大宮売神社の七十を過ぎた御老人の神主さんから長い手紙がきて、「是非来い」と言うんです。ぼくが丹後のほうを書いた後なんです。城崎に行く途中寄ったんですが、その神主さんが言われるのには、「神主というのは皇国史観があたり前だったが、このごろはそれがばからしくなった」というので、びっくりしました。神社の由緒書も新しく東アジア的視点で書いてあるので、「これはだれが書いたんですか」と尋ねますと、御本人が書いたと言うんです。」


とある。だいたい大宮売と書いてどうしてオオミヤメなのか、「売」は「比売」とかいてヒメと、或いは「売布」と書いて「メフ」と読むが、「売」はどうして「メ」と読めるのか、中国式でも和式でも読めないではないか。古い万葉仮名の甲類のメで、日本ではそうした万葉時代だけの当時のたぶん渡来知識人(たぶん百済系)たちの用法、日本の漢字の一番初期の用法でいま読める人はめったにあるまい、あるいは朝鮮式でなかろうか、と考えているのだが、ワタシにはその知識はない。


 上田正昭・金達寿・司馬遼太郎…と言えば、何でも朝鮮半島で説明しようとされる印象を持つため敬遠していますのでその部分は置くとして、関心を持つのは、


「金 丹後の国二宮の大宮売神社の七十を過ぎた御老人の神主さんから長い手紙がきて、「是非来い」と言うんです。ぼくが丹後のほうを書いた後なんです。城崎に行く途中寄ったんですが、その神主さんが言われるのには、「神主というのは皇国史観があたり前だったが、このごろはそれがばからしくなった」というので、びっくりしました。神社の由緒書も新しく東アジア的視点で書いてあるので、「これはだれが書いたんですか」と尋ねますと、御本人が書いたと言うんです。」


の部分です。「神主というのは皇国史観があたり前だったが、このごろはそれがばからしくなった」と言われるのですから、神社には固有の伝承や独自の文書を読むことができる立場にあられるとすれば、これだけの神社ですから、府神社庁から御咎めの有るような内容にも触れられる立場と考えられるのです。

それは、470 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…A 京都府京丹後市の地名に関して で取り上げた「ついでに初見ながら言いたいことを言っておけば、周枳(スキ)は渡来系氏族(民族)によって持ち込まれたもので、「白村江の戦い」のスキ=村、城塞都市、砦集落の「スキ」「サク」「スク」… であろうと考えています。」の部分に関連して、この地にはトルコ系匈奴と考える大山祗〜大国主命系の金官伽耶から入って来たウマシアシカビヒコヂの一族を見るからです。

 豊玉姫のもう一人の夫神にあたるのが大国主命であり、ここには権力の交代を見るのであり、隣の但馬では豊岡市の出石の一角にスサノウ系氏族を押し込めた大山祗〜大国主命系を見る思いがするのです。

 「スキ」はペトロパブロフスク、ウラジオストック(ストークツク)の転化でステップ・ロードの地名語尾なのです。ひぼろぎ逍遥 470津奈木という地名について “木とは半島の城のこと”を参照の事。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2018年07月09日

474 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… E 宇良神社(伊根町)浦島神社再々訪

474 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… E 宇良神社(伊根町)浦島神社再々訪

20170910

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 丹後半島東岸の伊根と言えば伊根の舟屋を思い出される方が多いでしょうが、我々が気にするのは浦島太郎を祀るとする宇良神社になります。

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宇良神社 カーナビ検索京都府与謝郡伊根町本庄浜191 0772-33-0721

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浦嶋(ウラシマ)神社は、京都府与謝郡伊根町本庄浜にある神社で浦嶋伝説が伝わり宇良(ウラ)神社とも呼ばれています。


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今回は地元伊根町の町誌(史)をコピーしてきましたので現在検討中です。

 これに抵触する内容に触れるのは残念ではありますが、書く方の都合もあり、とりあえずリポートを優先させました。

いずれこれについても書くことになるでしょう。

まず、浦島神社の手前(当然、天橋立方面から丹後半島反時計回りで北上していますが)で、かなり衝撃的なものを発見しました。

それは、朝妻という地名の発見でした。

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農協の朝妻給油所に向こうに見える朝妻駐在所それに朝妻公民館です

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久留米にお住まいの方はどなたもご存じですが久留米高良大社直下の朝妻の人々の移動に思えます


 今回三度目の訪問になりましたが、目的は、もう一度、浦島神社の浦の島子以外の祭神の確認にありました。

無題.png 勿論、インターネットでも確認できるのですが、神社を見る人間にはそれなりの目があり、一般の方には見当が着かない消された祭神まで想像が及ぶのです。

 浦嶋神社の由緒書は興味深いものがありました。

 それは、大山祗(月読命)は把握していましたが、ネットでは発見できなかった祓戸神が祀られていた事でした。

 まず、始めに目についたのは参道(どちらかと言えば境内か?)宇良神社との石塔でした。

 これが元宮を表すものか、宇良神社への寄進もしくは単なる表示のための物かは不明です。

 まさか、祭神としての浦之嶋子が外に出されている訳ではないでしょうが、このようなところから解析して行かなければならないのです。

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社殿左手には浮島があり弁財天こと市杵島姫になりそうです。一方、社殿右手の森の中にも小さな祠があり「コノミヤ」とお聴きしました。

 これが宮津の籠(コノ)神社の意味か?胡の宮なのか判別がつきません。

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一方、神殿(本殿)の一つの角だけに祠があり、何らかの謂れのあるものと見ました。

 普通は艮(ウシトラ)の鬼門封じに思うのですが、大体の方角が北東方向でありそれで良いようなのですが、社務所の女性(巫女とお呼びして良いか?)が「方角が一致しないので…」と言われたのを不思議に思っています。多少は社殿の向きが変わったのかも知れませんが何とも言えません。

 祭神問題については現在調査中ですので別稿とするとしても、神社縁起の相殿神の祓戸神についてはコメントを加えて来ましょう。


祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において祓を司どる神である。祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味である。

神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。

なお、この時に禍津日神、直毘神、少童三神、住吉三神、三貴子(天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。

『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神で、「大祓詞」にはそれぞれの神の役割が記されている。

瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む

気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ

速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

無題.png速開都比売を除いてこれらの神の名は『記紀』には見られず、『記紀』のどの神に対応するかについては諸説あるが、上述の伊邪那岐の禊の際に化成した神に当てることが多い。

本居宣長は、瀬織津比売を八十禍津日神(やそまがつひ)に、速開都比売を伊豆能売(いづのめ)に、気吹戸主を神直日神(かむなおび)に当て、速佐須良比売は神名の類似や根の国にいるということから須勢理毘売命(すせりびめ)に当てている(当てているだけでその神と同一視されるほどのものではない)。『中臣祓訓解』『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』は伊勢神宮内宮荒祭宮祭神の別名として瀬織津姫、八十禍津日神を記している。  


祓戸大神を祀る主な神社

佐久奈度神社(滋賀県大津市)

日比谷神社(東京都港区)

浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町)             ウィキペディア(20170911 08:29による


浦嶋神社があったことから長々と引用しましたが、祓戸神についてはあまり遭遇しない事もあり、何故、浦嶋神社に祀られているかも不明です。

ただ、大祓に関係しており藤原が関係しているためその事を頭に入れて考えなければなりません。つまり、後付けの意味です。

ただ、ウィキペディアを見ようが実体は見えてこないでしょうから、頻繁に活用している百嶋由一郎最終神代系譜からご紹介しておきます。

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まず、瀬織津比売からお話を始めましょう。この女神を追っておられる神社フリークの女性も散見しますが、実はスサノウのお妃となった櫛稲田姫の事なのです。

気吹戸は、勿論、瀬織津比売の父神である金山彦であり、母神は月読命=大山祗の娘である大市姫(アイラツ姫)ではなく、博多の櫛田神社の大幡の妹である埴安姫であり、この場合主の称号で気吹戸と称しているのです。

 従って、本物の神武天皇のお妃となったアイラツヒメとスサノウのお妃となった櫛稲田姫とは腹違いの姉妹となるのです。

 速佐須良比売(鴨玉依姫)とは京都の下賀茂大社の主祭神です。

ヤタガラス=豊玉彦とスサノウと別れた後の櫛稲田姫との間に産まれたのがヤタガラスの後裔としての鴨玉依姫なのです。

しかし、スサノウとは…とお考えかも知れませんが、スサノウの子である長脛彦の問題があり、切り替えが起こっているようです。

速開都比売(豊秋ツ姫)はタクハタチヂヒメの姉にあたる高木大神=高御産巣日神、高皇産霊尊の長女となります。

 ただ、何故、祓戸神が祀られているかは不明です。

 さて、今回、浦島神社を訪ねた理由は、祀られている月読命の周辺を探る事が目的でした。

 浦島太郎と共に祀られる月読命とは一体何なのでしょうか?勿論、トルコ系匈奴の大山祗なのです。

 これについては、これまでのblogで何度か書いていますので丹念に読まれる方には浦島太郎が誰であり、山幸彦が誰の子であるか、鹿児島のタノカンサーが何者であるのか、そしてその協力者が誰であったのかの謎が解明するのです。

 まず、宮崎県の日南海岸でも有名なウガヤフキアエズを祀る鵜戸神宮の手前に野島神社と言う古社があります。そこは浦島太郎を祀る神社とされ塩土老翁=塩筒翁と猿田彦=ニギハヤヒ=山幸彦が祀られているのです。

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関心をお持ちの方は、以下をお読みください。


ひぼろぎ逍遥(跡宮) 278 梅雨明け直前 日南市にアイラツヒメを探るたった四人のトレッキング

271  田神社(タノカンサー)は朝倉郡を中心に50社近く存在した

083 タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)福岡県朝倉市から”

301 日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも…

ひぼろぎ逍遥         スポット070 海の山幸彦 “熊本神代史研究会(仮称)への胎動”      


 外にも幾つも書いていますが、まずはこれぐらいからお読み頂きたいと思います。

 藤原氏によって第3代天皇と祀り上げられただけですが、相当の実力者だったことは間違いがないはずで、以前から該当者を考えて来ました。安寧天皇とされた人物こそ浦島太郎の別名を持った塩土老翁こと博多の櫛田神社の主神の大幡主(当然、製塩業者、渡洋航海者、大帆船を操り貿易を行っていた)でありヤタガラスの父神であり山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦の父神にあたる人物なのです。

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いずれにせよ、丹後半島一帯には大量の月読命=大山祗命=トルコ系匈奴の一族が入っているようです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記