2018年06月24日

468 2017年8月豊後高田トレッキング B 二つの身潅神社(豊後高田市真玉)

468 20178月豊後高田トレッキング B 二つの身潅神社(豊後高田市真玉)

20170831

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


いったん豊後高田の中心地に戻り、昼食を済ませて次に向かったのは身潅(ミソギ、ミススギ)神社でした。

神道用語の「禊」、みそぎ【禊(ぎ)】罪・けがれをなくすために、川に行って水で体を洗い清めること。「―を行う」と知らぬ者のない言葉ですが、この地の身潅(ソソグ)神社、身濯(ススグ)神社、身滌(アラウ)身灌(ソソギ)、身灌(ススギ)灌ぐは注ぐ(古くはそそく)には正直言って驚かされました。色々な表記が神額やネットや地図に踊っていたからでした。

もしかしたら宗像のミアレ祭も身(アラウ)滌祭りかも知れないのです。

まず、言語学、方言研究からしても非常に面白いと思うことしきりでした。

「ソソグ」とは液体を入れることであり、「ススグ」とは洗濯のススギですから直ぐに意味は分かります。

いずれも水で洗い、穢れを洗う事と理解すべきでしょう。

勿論、用法、ニュワンス、文字が異なる事から、日本語としても異なるものに発展していることは認めざるを得ないでしょう。

しかし…です。九州王朝論者にとってと言っても、どうせ、ほとんどの九州王朝論者もこのような事には全くお気付きではないでしょうが、九州王朝の本拠地と考える太宰府〜久留米〜八女〜熊本を中心とする=所謂瀬戸内海沿岸(大分北半)以外の九州全域でU音が畿内中心のO音と入れ替わる傾向、九州のU音が畿内のO音として発現した傾向を意識せざるを得ないのです。

これまで何度も言ってきた事ですが、この問題は、「大事」「オーゴト」と「ウーゴト」、栂「トガ」「ツガ」、「ホウヅキ」「フウヅキ」…といくらでも例があり、これを意識して考えていると色々な事に気付くようになるのです。

どうやら今回の神社に関しても、その名称から気付かされたのですが、ススグが転化してソソギに発展した事が見えるのです。

勿論、畿内中心の見方しかしない通説の学者はそんなことは一笑に伏すでしょうが。

つまり、九州王朝の畿内への移動(神武の時代とか卑弥呼の時代に移動したのでは=さもしい東遷説 ではないので勘違いして欲しくはないのですが)の主力が、身濯(スス)ぎ を身潅(ソソ)ぎと呼びたい、読みたい(M音×B音)人々だったように見えるのです。

逆に言えば、主として豊前の人々によって畿内の開発が行われたように見えると言う意味もあるのです。

従って、身濯(ススギ)神社と表記している方がより九州王朝的で、身潅(ソソギ)神社と表記している方が近畿大和朝廷的に見えるのです。

身濯神社と表記している濯ぎ=洗濯機の「濯」が「ススギ」を強く意識した神社となるのでしょう。

無題.png

身濯神社 カーナビ検索 大分県豊後高田市真玉黒土588


注ぐ・灌ぐ・潅ぐ そそぐ       .

大辞林 第三版の解説

そそぐ【注ぐ・灌ぐ・潅ぐ】

( 動ガ五[四] ) 〔室町頃まで「そそく」と清音〕

(自動詞)

@  水 が流れ込む。 「東京湾に−・ぐ川」

A 雨・雪などが降りかかる。 「竹の葉に−・ぐ雨」

二(他動詞)

@  液 体を容器などに流し込む。 「田に水を−・ぐ」 「椀わんに汁を−・ぐ」

A 上からふりかける。 「甘茶を−・ぐ」 「降り−・ぐ光」 「痛き傷には辛塩を−・くちふがごとく/万葉集 897

B (涙を)流す。おとす。 「花にも涙を−・ぐ」

C 心・力などをそのほうに向ける。集中する。 「愛情を−・ぐ」 「完成に力を−・ぐ」 「全員の視線が−・がれる」 「心血を−・ぐ」

[可能] そそげる

[慣用] 朱を− ・火に油を−                                                           大辞林


すすぐ【濯ぐ・雪ぐ】

( 動ガ五[四] )

〔古くは「すすく」と清音〕

@

水で洗って汚れを落とす。洗剤などで洗った後、水で洗う。 《濯》 「水をかえて−・ぐ」 「足を−・きて導かむと欲ふ/霊異記 下訓注」

A

汚名・恥などのつぐないをする。恨みをはらす。 《雪》 「汚名を−・ぐ」 「爾なんじが為に恨うらみを−・がん/こがね丸 小波」

B

けがれを清める。 「この世の濁りを−・ぎ給はざらむ/源氏 朝顔」

[可能]すすげる

[表記] すすぐ(濯・雪・漱

「濯ぐ」よごれを洗い落とす。ゆすぐの意。「洗濯物を濯ぐ」  「雪ぐ」不名誉を取り除くの意。仮名で書くことも多い。「汚名を雪ぐ」「恥を雪ぐ」  「漱ぐ」口の中を洗う。うがいをするの意。仮名で書くことも多い。「口を漱ぐ」                                                大辞林

無題.png

身潅神社 カーナビ検索 大分県豊後高田市真玉加礼川


さて、濯ぎと注ぎは似てますね…九州は濯ぎ、関西は注ぎ…U音とO音の問題で実は同じなのです

無題.png

「鬼と仏の国東半島めぐり」による

祭神についてもふれておかなければなりません。


大直日命は大山咋神であり、草部吉見神と市杵島姫の間に産まれた佐田大神=松尾大神=日吉神社で良いでしょう。近くに春日神社があるのですから、草部吉見の子である大直日は覆い被さっているのかも。

また、佐賀長崎県境の竹崎観世音寺の修正会鬼祭、久留米市大善寺玉垂宮の鬼夜、天念寺外の修正鬼会は全て繋がっているのです。

ただ、埼玉県長瀞の宝登山神社に隣接する玉泉寺の巨大松明も全て同じもののようなので(…昨年現認しました)今後、この点についても考えを進めるべきでしょう。

無題.png

真玉の春日神社

無題.png
無題.png

佐賀長崎県境の竹崎観世音寺の修正会鬼祭       久留米市大善寺玉垂宮の鬼夜


この祭は恐らく高良玉垂命と神功皇后の九州王朝による熊襲(トルコ系匈奴大山祗)退治なのです

無題.png
無題.png
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 09:38| Comment(0) | 日記

2018年06月27日

469 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… @ 兵庫県豊岡市 宇日、多久日の三宝荒神

469 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… @ 兵庫県豊岡市 宇日、多久日の三宝荒神

20170902

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 最低気温が30℃というとんでもない暑さに恐れおののき遠征は控えていたのですが、涼しくなった途端、滋賀だか福井だか普段行かないところの調査に行きたいと下調べもないまま温泉旅行を兼ねて日本海を北上する事にしました。

 と言っても、8月もトレッキングは重ねていますし、盆明けにも薩摩の南端まで二度も遠征し随行者もあった事から、今回は計画を立てないで“上がったとこ勝負”(古今亭志ん生)、“行き当たりばったり”の温泉旅行とする事にしました。

 下調べをしない計画なしの調査旅行の方が反って成果が上がる事もあり、意外性に驚くことも多々あるのです。

 ともあれ、日田市を朝10時には出立し、関門橋だけを高速利用するもそれ以外は全て一般道利用で、夕方6時までには島根県益田市まで、夕食を済ませ夜10時までには浜田市まで進出しているのですからかなりのハイペースと言えそうです。

 それでも、今回、唯一目的としたところがありました。

 それは城崎温泉の北の竹野海岸(この名称で良いかは未確認)にある二つの三宝荒神を確認する事でした。

 以前と言っても15年も前ですが、せっかく通過しておきながら、あまりにも道が険しく駐車場もなさそうな集落だったためパスして以来、ずっと、気にしていたのでした。

 何も分からないだろうが、それでも良いから是非とも見てみたいと言う思いが募るばかりでした。

無題.png
無題.png

同じく田久日集落


 今回は私の思い出の空白を埋めるだけが目的ですのであまり大した意味はありません。

 しかし、最後に少し学会通説に抵抗する事になりそうです。

 ともあれ、宇日の三宝荒神をご覧ください。

無題.png

小さな集落にしては立派な神社です


 次は田久日の三宝荒神です。宇日と異なり集落の中心部の通りに置かれていました。

無題.png

風雨を避けるための鞘殿か、始めから鞘殿を好んだかは不明 岬にある祠が三宝荒神かは不明


 中国地方全域に多い三宝荒神社ですが、神社庁管理化にないものが殆どで、権力の側からは神社の扱いをしないもの、荒神を奉斎する者から言えば独立した庇護を受けない神社となります。

 この背景には、古代の闇が関係しているのですが殆ど知られていません。

 まず、三宝荒神には神武天皇(僭称神武の崇神ではなく本物の神武)に逆らったとされる(あくまでも民族と民族衝突であり対立であることから善悪は一切関係がないのですが…逆賊とされ蔑まされているのです)。

 三宝荒神に関しては長文を一本書いていますが、それは良いとして、最近、とみに富のナガスネヒコに関する話を連載しています。

 まずは、ひぼろぎ逍遥 スポット 101 飯塚市伊岐須の高宮八幡宮とは何か? “鳥見の長脛彦は飯塚にいた” 


486

天香香背男(アメノカガセオ)を祀る神社 大分県編 A 佐伯市大入島の産靈神社

485

天香香背男(アメノカガセオ)を祀る神社 大分県編 @ 佐伯市の星宮神社

494

天香香背男(アメノカガセオ)を祀る神社 佐賀県編 鹿島市三河内の三嶽神社


 10本近く書いているのですがご紹介はここまでとします。

 城崎温泉はどうでも良いとして、京丹後に向かうべく東に進むと掲示板がありました。

 余部の平家の落人集落などと同様にこのような辺境の地には多くの敗残した人々が逃げ延び住み着いたものと思われます。それが」、神武の時代まで遡れるかはともかくとして、何度となく繰り返された政争の度に多くの人々が逃げ込み生きながらえてきたはずなのです。

 それらを全て平家にするの傾向には疑問を感じますが、それはおくとして、クナトノカミについてです。

無題.png

 まず、猿田彦が天八街で出迎えたという話からヤチマタヒコ、ヤチマタヒメを猿田彦、アメノウズメ(実は豊受大神=伊勢外宮=伏見稲荷=韓国息長大姫大目命)にしてしまっていますが、これは大間違いで、実はナガスネヒコとその妹のオキツヨソタラシヒメなのです。

従って、この旧竹野町の掲示板は、クナトノカミ(岐神=出雲井神社ほかの主神)とヤチマタヒコが重複しているのです。

そして無理して三宝荒神だから三神なのだろうとコジツケているのです。

仕方がないとは言え情けない限りです。

 神仏混合(混淆)された結果、仏教の三宝(仏・法・僧)を守護する荒ぶる神としているのであって、決して三人の神という意味ではないのです。

 クナトとは三叉路の意味であり、交通の要衝を押えた荒ぶる神の意味なのです。

 これまで、三宝荒神、三鳥居、殷の鳥居、長脛彦=ナガスネヒコ、カガセオ、三光神社、西浦三宝荒神…などと多くを書いてきましたが、ひぼろぎ逍遥 スポット 101 飯塚市伊岐須の高宮八幡宮とは何か? “鳥見の長脛彦は飯塚にいた”が臨場感があるかも知れません。

無題.png
無題.png
無題.png

三宝荒神は結果的に三神を表しますが、金山彦(ナガスネヒコの父神)+ナガスネヒコ+タケウチタラシニ(菅原道真の一方の祖神)がそれなので、猿田彦への比定は誤りなのです。


無題.png

これは道すがら撮影した兵庫県新温泉町の穴見海岸


久々の穴見海岸? 豊岡市の北岸の海岸線は上天気もあり素晴らしいものでした。

 しかし、運転に集中せざるを得ず、落ち着いて堪能する事はできません。

 次は、この二つの集落のどこかに野営するなり、民宿に泊まるなどして、秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ金山彦の影を探りたいと思います。

 製鉄神が、本来、このような険しい漁村の集落に祀られるはずはありません。

 敗残して持ち込まれたか、船釘を売るために入った商人が持ち込んだか、事情は分かりません。

 しかし、好んで住み着く様な場所ではない事は、現代でも言えそうですから古代には尚更です。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2018年06月29日

470 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…A 京都府京丹後市の地名に関して

470 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に…A 京都府京丹後市の地名に関して

20170905

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久



突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に @…兵庫県豊岡市 宇日、多久日の三宝荒神 で通過した兵庫県豊岡市北岸の穴見海岸を通過し、観光客が押し寄せる城崎温泉など見向きもせず、いち早く京丹後市に向かいました。

 今回で四度目ぐらいの訪問になるのですが、丹後半島東岸の浦島太郎を祀る宇良神社で確認したいことがあったのでした。

 その話は後回しにするとして、ここでは京丹後市で目立つ地名の問題を考える事にします。

 熊本の女性メンバーなどに電話を入れると、秋の京丹後と聞くだけで憧れの情念が湧きあがり、良いですね…、嫉妬させようとしてるんでしょう…、羨ましがらせようと掛けたんでしょう…といった反応ばかりでした。

 それほど、京都+丹後半島と言うネーミングはある種のイメージを醸成するもので、実に素晴らしい効果を産んでいるようです。

無題.png

伊根と与謝野を除く丹後半島西半部が京丹後市になるのですが勿論2004年施行の新行政単位です


 京丹後市で最も見たい神社と言えば当然にも大宮売()神社(祭神:大宮売神+若宮売神)となります。

 この神社についても報告するつもりなのですが、今回、この神社の鎮座地についてイメージが湧いてきましたので、報告とは別に取り上げて見たいと思います。

無題.png

この神社の鎮座地の周枳(スキ)が気になるのです。枳はカラタチ。

 当然にも周防の国は「スオウ」と読みますが、普通は、周瑜、周期、歯周病、円周率…と「シュウ」と読む方が圧倒的なのです。

 こういった場合、周防の国の例があるように「スキ」と読むのは何らおかしくないと言う方が直ぐに出てこられるのですが、古くは「シュウキ」と呼んでいたから「周」の文字が当てられ田のではないかと考えているのです。

 従って、「周防」も「周+防府」と呼ばれていたと思うのです。

 それは、以前から問題としていたお隣の与謝野町の「与謝野」という地名も同様の問題を孕んでいるからです。

 この「与謝野」も「ヨサノ」ではなく「ヨシャノ」と呼ばれていたから、注射器の「射」の字が当てられたと考えてきました。

 実は、北部九州の発音の特性に「サ、シ、ス、セ、ソ」を「シャ、シ、シュ、シェ、ショ」と「S」音を「」(インテグラルエス)音で代用する傾向が顕著に認められるのです。

 著しいのは北部九州でも筑豊地方で、市町村議員レベルは当然として、県議から国会議員まで、「政治決戦に勝利しよう!(シェイジケッシェンニショウリシヨウ)」「性生活(シェイシェイカツ)」「今からしようか?」を「今からシュウカ?」と言ってしまうのですから、どう考えても北部九州の物部軍団がこの地に大量に進出しているように思えるのです。

 与謝野町の例を軸に考えていたのですが、京丹後でも最も重要な神社の一つの鎮座地の地名がそうであったのならば、複数の例で裏付けられたことになりそうで、まずは、密かにほくそ笑んでいたのでした。

 本気で調べれば、このような例は幾らも拾えるはずですが、そんな事をやったとしても、鼻であしらわれるのが関の山でしょうから、本気で追及するつもりはありません。

 まずは、言いっぱなしにしておくことが肝要で、真顔で本気に構えるべきではないでしょう。


 この傾向は日本海ルートで津軽半島を越え、下北半島まで到達しているようです。


下北弁

サ行の変化 「シャ、シ、シュ、シェ、ショ」と変化し発音されることが多い。例)「背中」が「シェなが」、「様々」が「しゃまジャま」「ジャ、ジ、ジュ、ジェ、ジョ」と変化し発音されることが多い。例)「膝」が「ひんジャ」、「風邪」が「かんジェ」…


無題.png20170906 20:33 による


 ついでに初見ながら言いたいことを言っておけば、周枳(スキ)は渡来系氏族(民族)によって持ち込まれたもので、「白村江の戦い」のスキ=村、城塞都市、砦集落の「スキ」「サク」「スク」… であろうと考えています。

無題.png

京丹後の中心部大宮町


「サ、シ、ス、セ、ソ」を「シャ、シ、シュ、シェ、ショ」と「S」音を「」(インテグラルエス)音で代用する傾向で一般にも分かりやすい例は、行政用語の鮭鱒(サケマス)漁に対して、庶民は鮭(シャケ)=実際は鱒ですが… 塩鮭(シャケ、ジャケ)と言っている事はどなたもご存じのとおりです。

 このような「∫」(インテグラルエス)音を好む傾向は、恐らく北部九州の海人族の移動によって海岸伝いに持ち込まれたものと考えています。

 さすがに鱒を「マシュ」とまでは言っていないようで、与謝野鉄幹のご先祖も古くは「ヨシャノ」と名乗っていた時代があったと思うものです。

 ただ、お酒は「オシャケ」とは言わないはずで、全てに演繹可能と言ったものではないので注意が必要です。

 いっぺんに申しあげても理解してもらえないためこれぐらいにしておきますが、畿内と言うか関西に来ると言葉の問題を強く意識します。

 まず、上方落語をこよなく愛するものとして、強い思いが湧いてくるのが、まず、「hi=ヒ」音と「si=シ」音との問題です。

 質屋は「シチヤ」ではなく「ヒチヤ」のはずだし、七「ヒチ」は「シチ」ではない。

 従って、西日本標準語を意識し、九州王朝標準語を意識するものとしては、七輪「ヒチリン」は「シチリン」のはずではない。と思うばかりです。

 まず、上方落語を聴いているものとしては、江戸落語の三遊亭円生だろうが、古今亭志ん生だろうが、例外なく「質屋」(シチヤ)と言っているものが、関西では「質屋」(ヒチヤ)としか言っていない事に気づくのです。

たまたま車中で聴いていた桂 米朝の「質屋蔵」でも「質屋」は「ヒチヤ、ヒッチャ」でしかない事を、再確認したのでした。

無題.png

この「質屋蔵」でも故)米朝師匠は間違いなく「ヒチヤ」と発音しているのです。


桂 米朝の「質屋蔵」 演者と演出

大阪落語の「ひちやぐら」が古くから江戸に移されて演じられていました。

熊さんの大言壮語と、いざとなったときの腰抜けぶりの落差は、現桂歌丸で聞くとたまらないおかしさです。

六代目三遊亭円生は、戦後大阪の四代目桂文団治に教わって、得意にしていましたが、最後の天神の場面を古風に風格豊かに演じました。現在では、歌丸のほか、円生門下の三遊亭円弥、同生之助らが演じ、本家大阪では、やはり桂米朝のものです。

上方のオチは、番頭が「あ、流れる思うとる」と言ってサゲるやり方もありました


無題.pngによる


 この「質屋蔵」という噺は地味ですが非常に面白く過去50回は聴いているはずですが、このCDでは前話にちょっとした小噺が入ります。

文字も書けない無筆(これもムシツではなく無筆ですよね…)の熊五郎が最近文字を習い始め、借りた羽織を返しに来て、棚の上に置いて帰るのですが、その伝言に習い始めた「借りた羽織は棚に置いた」の意味で「七」(ヒチ)に置いたと書いた事から、「何で勝手に質入れしたんだ…」と思っていると、たまたまやって来た熊五郎が羽織はそこの棚にあるじゃないか…となるわけです。

 でも、七に入れた(質入れした)と書いてあり、何で断りも無しに勝手に質入れしたのか…となるのですが、熊五郎は「お前字を知らんな、七は七夕の七でタナ=棚と読むんじゃ…」というオチになるのです。

 話が脱線しすぎましたので、これはここでおしまいにしておきます。

大宮売(め)神社(祭神:大宮売神+若宮売神)は話が流れましたので別稿とします。


上方の「質屋蔵」という噺は、「ヒチヤグラ」ではあっても決して「シチヤグラ」ではないことがお分かりいただけたのではないでしょうか?

当然、発音に関しては九州も同様で、明治以降東京の山の手方言をベースに標準語が創られたことから、七(ヒチ)は七(シチ)と読むのが正しいことになってしまったようなのです。

 実際は、「ヒ」の発音が苦手な東国の戎が「シ」と発音した言語特製の全国化が影響しているのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記