太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「百嶋神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログを継続しています。


これにはプロバイダーを含め何時情報封殺が行われるかも知れないため、最低でも複数の発信媒体を準備しておくべきではないかと考えているからでもあります。


今後ともかなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史によるblogひもろぎ逍遥に対抗しようという意図はないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象なども認められます。


 さて、現在、ひぼろぎ逍遥とひぼろぎ逍遥(跡宮)との合計のアクセス数は日量10001200件(年間4045万件)まで上がっています。


 同時に、連携する研究者によるblog20近くまで数を増やしており、全体では最低でも年間100150万件近いアクセス数を持っているものと思われます。


 当blogには九州王朝論から百嶋神社考古学へと向かわんとする多くの研究者、記録者、bloger…が参集されています。


 年に10回、10年でも高々100回程度の研究会でも大半は教育委員会関係者から学芸員といった利権まみれの方々通説を拝聴し心服するような、研究者亡き研究会は全く何の価値もないものと考えており、そのようなどこにでもあるような話を好まれる方々は、そこら辺りの既存の郷土史会、史談会に行かれ、村興し、町興し、世界遺産登録に拍手を送り、思いっきり尾を振られれば良いでしょう。


しかし私達は後ろ指を刺される様な探究に踏みとどまり、これまでの歴代の行政権力が隠し続けた真実の歴史の探求へと向かう人々への道標と成ろうと思うものです。




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2018年05月01日

451 姫島の女神とは何か? “大分県 伊美沖の比売語曹(ヒメコソ)社”下調べ版

451 姫島の女神とは何か? “大分県 伊美沖の比売語曹(ヒメコソ)社”下調べ版

20170724

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


古代史、神代史に踏み入った者のハシクレとしては、姫島と言えば実に強烈なイメージが湧いてきます。

宗像三女神、神武僭称贈)崇神天皇(ツヌガノアラシト)、スサノウ(アメノヒボコ)、アカルヒメ(実は大幡主の娘でヤタガラスの姉)ですが…、古代の解明にはこれら神代史を飾る人物を多少は交通整理をしなければが全く理解できないほどの偽装、混乱、錯覚、誇張が相互に絡んでいるようなのです。

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まず、ご覧の通り比売語曹(ヒメコソ)社には都怒我阿羅斯等(ツヌガノアラシト)が名を出しています(同社由緒)。

しかし、それをそのまま真に受けると何も分からなくなってしまうのです。

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まず、姫島と言えば、「阿加流比売」の話が頭を過ります。

 半島から逃げてきたお姫様の話なのですが、この方と、追っかけてこられた(途中までとも…)新羅の王子様の話があり、しかも、混乱が生じているようなのです。


比売語曽社は姫島の名前の由来となった比売語曽神を祀る神社であり、旧村社・国史見在社。創建年代は不詳。毎年43日に春の大祭が開かれる。

ひめこそは姫社とも表記し、姫を祀った神社という意味の古語である。

祭神の比売語曽神について、『日本書紀』では、垂仁天皇の時代に、意富加羅国(おほからのくに。現在の韓国南部にあったと考えられている。)の王子の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が、白石から生まれた童女(阿加流比売神)に求婚すると、美女は消え失せ、都怒我阿羅斯等が追いかけると日本に渡り、摂津及び姫島に至って比売語曽社の神となったと伝えている。このうち、姫島の比売語曽社が当社であり、摂津の比売語曽社は大阪府東成区の比売許曽神社であるとされる(ただし、後者については異説あり)。

また、比売語曽神については他に、新羅王の子天之日矛の妻、新羅王波沙寝錦の妃、大己貴命の女である下照姫命、辛国息長大姫大目命、真野の長者の娘の玉依姫(般若姫)などの諸説がある。また、宇佐神宮の祭神のうちの比売大神を比売語曽神とする説もある。

広島県呉市の亀山神社は、白鳳8年(679年)に姫島の神が遷座したものとされ、古くは日売島神社(ひめしまじんじゃ)等と呼ばれた。

ウィキペディア(20170724 20:19)による


旧村社

式外社 比売語曽社 日本書紀 垂仁天皇

御祭神

比売語曽神

比売語曽神 に関して以下の説がある。

@ 都怒我阿羅斯等が追って来た、白玉から生まれた女神

A 新羅の王子・天之日矛の妻

B 新羅王・波沙寝錦の妃

C 大己貴の娘、下照姫命

D 辛国息長大姫大目命

E 真野の長者の娘、玉依姫=般若姫

敬愛する「玄松子」による


 百嶋神社考古学としては(といっても直接の解説は受けてはいませんが)、玄松子氏がまとめておられる説の A 新羅の王子・天之日矛の妻 が妥当であろうと考えています。

勿論、都怒我阿羅斯等は豊の国にいましたし、真野の長者にしても豊前大野の話です。大己貴も出雲に移動する前は北部九州で活動していたのです。

いずれにせよ、半島からの神々の来訪をそのままに伝える場所だけに、列島の神々がどのようなものかを直接意識させる現場なのです。

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同社参拝殿

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神武僭称贈)崇神天皇こと都怒我阿羅斯等(ツヌガノアラシト)が、阿加流比売神を追いかけたはずがないことは百嶋最終神代系譜では明らかなのですが、「記」「紀」はどんな話でも創るのです。

そもそも、ツヌガノアラシトとは敦賀にいた半島のアラカヤ(古代新羅)の人(シト=関東は「ヒ」と「シ」の発音が区別されませんね)という意味なのです。

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百嶋由一郎極秘系譜(部分)


兵庫県の但馬に出石がありますが、この地に鎮座の出石神社に朝鮮半島の新羅の王子が祀られています。

アカル姫(実は博多の櫛田神社の大幡主の娘でヤタガラスの姉=神話では、コノハナノサクヤは残されニニギから返されたイワナガヒメ)と結婚したのですが、喧嘩別れで実家に帰ってしまいます。

その姫神の実家は博多だろうと考えますが、旧新羅から船出すれば通常但馬辺りに着きます。そこから山越えし九州に入るとなると勢い瀬戸内海、姫島へと向かう事になります。

多分、この時両者の間に産まれた市杵島姫も連れて来ていると思うのです。それは、出石神社の境内摂社に弁天社があることでも分かるのですが、いずれにせよ、アメノヒボコも追いかけて列島にやってきます。神話では、別の女性と再婚していますが、姫島までは追いかけて来てはいないようです。現地、出石では出石氏の祖神とされています。以降はトレッキング後に書きましょう。


 無題.png出石神社と境内社弁天社

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集合場所大分県国東市国見町伊美別宮

大帯八幡社

@    無題.png大分県東国東郡姫島村2064  0978-87-3904

≪御祭神≫[八幡社]帶中日子命=仲哀天皇 息長帶比賣命 神功皇后 品陀和氣命=應神天皇

[元宮社](脇殿)天之御中主神 高皇産靈神 神皇産靈神

比売語曽神社

A    無題.png都怒我阿羅斯等が追って来た、白玉から生まれた女神・新羅の王子・天之日矛の妻・新羅王・波沙寝錦の妃・大己貴の娘、下照姫命・辛国息長大姫大目命・真野の長者の娘、玉依姫=般若姫



無題.png以下風の宿り〜ブログから


大分県東国東郡姫島村に鎮座する【大帯八幡社】(おほたらしはちまんしゃ)
御祭神[八幡社]
 ・帶中日子命(たらしなかつひこのみこと)  【仲哀天皇】
 ・息長帶比賣命(おきながたらしひめのみこと)【神功皇后】


 ・品陀和氣命(ほむだわけのみこと) 【應神天皇】 
     [元宮社](脇殿)
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産靈神(たかみむすひのかみ) ・神皇産靈神(かむむすひのかみ)


村の産土の神です。
元治元年の大火で旧記・古文書等を消失したために由緒等は不詳ですが、姫島の伝説によると、氣長帶日賣命【神功皇后】三韓親征の際、豐國宇佐の海に御舟を進めた時、腹帶を海中に落とされました。その腹帶は海潮に流されて豐國の女嶋の稻積に漂着しました。これを見つけた稻積の住民18人が、腹帶を担いで南浦(現在地)に祀ったのが「大帶八幡社」のはじまりと伝えられているそうです。また、大帯八幡社の社名を記した正和元年(1312年)の棟札が広島県呉市に鎮座する亀山八幡宮に現存するそうです。


社殿中央の左右には、摂社・末社が並んで祀りされています。
写真を撮り忘れてしまい、たくさんお祀りされていたので社名も忘れてしまったのですが、塩竃社がお祀りされていて驚いたのは覚えています。また、参道の右手にも境内社がお祀りされており、その中に「禊社」もお祀りされていましたので、祓詞を宣らせて参拝させていただきました。
追記。一緒に参詣した友人が教えてくれました。(以下、合祀による境内社)
【岩土社】・石土毘古神(いはつちびこのかみ)
=大山祗?スサノウorナガスネヒコ


【貴船社】・高淤加美神(たかおかみのかみ)=神沼河耳 闇淤加美神(くらおかみのかみ)=神俣姫
【住吉社】・表箇之男神(うはつつのをのかみ)=ウガヤフキアエズ・中箇之男神(なかつつのをのかみ)=贈)崇神天皇・底箇之男神(そこつつのをのかみ)=開化天皇(高良玉垂命)
【秋葉社】・火産靈神(ほむすひのかみ)=金山彦
【多賀社】・伊弉諾神(いざなぎのかみ)・伊弉册神(いざなみのかみ)
【惠美須社】・八重事代主神(やへことしろぬしのかみ)
【杵崎社】・志那津比子神(しなつひこのかみ)・志那津比賣神(しなつひめのかみ)
【山神社】・大山津見神(おほやまつみのかみ)
【猿田彦社】・猿田彦神(さるたひこのかみ)
=ニギハヤヒ(山幸彦)
【稻荷社】・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)=韓国大姫大目命(アメノウヅメ)
【鹽竈社】・鹽土老翁神(しほつちをぢのかみ)=大幡主武甕槌神(たけみかづちのかみ)・經津主神(ふつぬしのかみ)=山幸彦(猿田彦)ニギハヤヒ
【生目社】・藤原景清命(ふぢわらのかげきよのみこと)
【赤崎社】・素戔嗚神(すさのをのかみ)
【若宮社】・大雀天皇(おほさざきのすめらみこと) [仁徳天皇]
=開化と神功皇后の長子シレカシ
【八坂社】・須佐之男神(すさのをのかみ)・櫛稻田比賣神(くしいなだひめのかみ)
【天満社】・菅原道眞命(すがわらのみちざねのみこと)
【金比羅社】・大物主神(おほものぬしのかみ)
【祓戸社】・瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)
=櫛稲田姫・速開津比賣神(はやあきつひめのかみ)・=豊秋ツ姫 氣吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)=金山彦・速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)


=鴨玉依姫


※※※※は百嶋神社考古学からの推定です…




現在、百嶋神代史研究会グループ全体の年間アクセス数は恐らく5070万件になるでしょう…


途中でコース変更が入る場合がありますのでご注意ください!


トレッキング注意事項玄海、太宰府合同地名研究会(トレッキング)実際には55ポイントを巡りますが、どなたもどこかの神社には心惹かれるものがあると思います。最近は神社の祭事、経営が非常に難しくなっています。お賽銭を準備の上安全に留意し参拝して下さい。神社に関して何かご質問があれば09062983254 古川までご連絡下さい。                       参加申込等:090-52892994(中島)



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研究目的で百嶋由一郎神社考古学の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

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2018年05月03日

452 姫島の大帯八幡社再訪への予習 “大分県姫島の大帯八幡社”

452 姫島の大帯八幡社再訪への予習 “大分県姫島の大帯八幡社”

20170725

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

姫島で最も大きな神社と言えば、フェーリー・ポート正面に鎮座する大帯八幡社になります(全4社?)。

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この神社(八幡社)の祭神は、帶中日子命(タラシナカツヒコ)=仲哀天皇、息長帶比賣命(オキナガタラシヒコ)=神功皇后 品陀和氣命(ホムダワケミコト)=應神天皇 とされています。

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祭神については、直接的なHPがない事から、無題.pngを借用させて頂きました。

御祭神[八幡社]

 ・帶中日子命(たらしなかつひこのみこと) 【仲哀天皇】

 ・息長帶比賣命(おきながたらしひめのみこと) 【神功皇后】

 ・品陀和氣命(ほむだわけのみこと) 【應神天皇】

       [元宮社](脇殿)

 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・高皇産靈神(たかみむすひのかみ)
 ・神皇産靈神(かむむすひのかみ)


【岩土社】・石土毘古神(いはつちびこのかみ)
【貴船社】・高淤加美神(たかおかみのかみ)・闇淤加美神(くらおかみのかみ)
【住吉社】・表箇之男神(うはつつのをのかみ)・中箇之男神(なかつつのをのかみ)・底箇之男神(そこつつのをのかみ)
【秋葉社】・火産靈神(ほむすひのかみ)
【多賀社】・伊弉諾神(いざなぎのかみ)・伊弉册神(いざなみのかみ)
【惠美須社】・八重事代主神(やへことしろぬしのかみ)
【杵崎社】・志那津比子神(しなつひこのかみ)・志那津比賣神(しなつひめのかみ)
【山神社】・大山津見神(おほやまつみのかみ)
【猿田彦社】・猿田彦神(さるたひこのかみ)
【稻荷社】・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
【鹽竈社】・鹽土老翁神(しほつちをぢのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・經津主神(ふつぬしのかみ)
【生目社】・藤原景清命(ふぢわらのかげきよのみこと)
【赤崎社】・素戔嗚神(すさのをのかみ)
【若宮社】・大雀天皇(おほさざきのすめらみこと)[仁徳天皇]
【八坂社】・須佐之男神(すさのをのかみ)・櫛稻田比賣神(くしいなだひめのかみ)
【天満社】・菅原道眞命(すがわらのみちざねのみこと)
【金比羅社】・大物主神(おほものぬしのかみ)
【祓戸社】・瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)・速開津比賣神(はやあきつひめのかみ)・氣吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)・速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)

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大国主命、少彦名命、ニニギノミコト…を入れれば、ほとんどの神代のスターが揃い踏みといったところですが、それでも、多少、多過ぎると言った印象を受けてしまいます。

 それは、古代、畿内と九州を繋ぐ大動脈である瀬戸内海航路の要衝と言える場所に鎮座する神社である事から致し方ないのかも知れません。

分かり難い神様に関して多少コメントすべきものがあろうかと思います。

@  【岩土社】 石土毘古神=スサノウ イザナギとイザナミの間に産まれたこの神が筆頭に掲げられていることから、アカルヒメを追い掛けてきたのはツヌガノアラシト(崇神)ではなくスサノウであろうと考えたいところです。

A  【秋葉社】 火産靈神=金山彦 これもスサノウのお妃となった櫛稲田姫の父神であることからこの順位となっているのかも知れません。

B  【多賀社】伊弉諾神 伊弉册神=スサノウの祖神

C  【杵崎社】志那津比子神 志那津比賣神=阿蘇高森の草部吉見神と妃神

D  【猿田彦社】猿田彦神【稻荷社】宇迦之御魂神=実は山幸彦と伊勢外宮の豊受大神

E  【鹽竈社】鹽土老翁神=博多櫛田神社の大幡主でありヤタガラスの父神

F  【生目社】藤原景清命とされているのは後付で贈)垂仁天皇=実は宇佐ツ彦

G  【赤崎社】素戔嗚神=石土毘古神がスサノウであれば【八坂社】と併せ重複となります。

H  【若宮社】大雀天皇[仁徳天皇]=これこそ九州王朝の高良玉垂命と神功皇后との間に産まれた(「高良玉垂宮神秘書」)長子シレカシノミコト(九躰皇子)宇佐神宮の若宮神社の五神中一神

I  【金比羅社】大物主神=恐らく大山咋

J  【祓戸社】瀬織津比賣神、速開津比賣神、氣吹戸主神、速佐須良比賣神=百嶋由一郎最終神代系譜によれば、この一群の神々は以下が参考になるでしょう。

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姫大神(宗像三女神or玉依姫)を外し帶中日子命【仲哀天皇】を祀る一群の神社があります。

 この神社群から姫島の大帯八幡社の正確が解析できれば良いのですが今のところ見えません。

香椎宮  福岡県福岡市東区香椎

御勢大靈石神社  福岡県小郡市大保1032

忌宮神社  山口県下関市長府宮ノ内1-18

氣比神宮  福井県敦賀市曙町11-68

鹿児島神宮  鹿児島県霧島市隼人町内2496

柞原八幡宮  大分県大分市大字八幡987

郡瀬神社  大分県宇佐市樋田字瀬社187-1

泉神社  大分県宇佐市辛島泉1

乙盗_社  大分県宇佐市下乙女宮本1343

惣社八幡神社  福岡県京都郡みやこ町国作字惣社

鷹居神社  大分県宇佐市上田字1435

千栗八幡宮  佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗

葦神社  三重県伊賀市上阿波2665

箱崎八幡神社  長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘の尾触823

白沙八幡神社  長崎県壱岐市石田町筒城仲触1012

興神社  長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触676

聖母宮  長崎県壱岐市勝本町勝本浦553

天手長男神社  長崎県壱岐市郷ノ浦町田中触730

角上神社  長崎県壱岐市石田町湯岳射手吉触トカミ山…   敬愛するHP「玄松子」による(九州のみ)


研究目的で百嶋由一郎神代系譜を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2018年05月07日

ビアヘロ 045 スポット159 百嶋神社考古学からは九州王朝の別の姿が見えてくる の転載

ビアヘロ 045 スポット159 百嶋神社考古学からは九州王朝の別の姿が見えてくる の転載

20180210

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


古代史、地名研究、民俗学を対象とする「ひぼろぎ逍遥」に対して神社研究に特化した「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)という二本立のblogによって月間30本程度を配信し始めて5年目入りましたが、既にネット上には1200本程度の記事が踊っています。勿論、主要なテーマは九州王朝の探究です。

現在、日量11001200程度のアクセスとなっており、年間45万程度で当面50万件を目標としています。

従って、サイトの規模を考えてもグループ全体では年間200万件を軽く超えているものと考えています。

無題.pngこの点、質は全く異なるのですが、ハイ・レベルな古田史学の会の「新古代学の扉」が年間10万件累計150万件程度なのです。私の場合その背骨を支えてきたものは大学時代から読み始めた古田武彦3部作でしたが、徐々に非古田、反古田系の九州王朝論にも目を向けるようになり、今や、佃収、内倉武久、米田良三…から神代史研究の第一人者であった百嶋由一郎神社考古学に焦点を絞った九州王朝論を全国化したいと考え作業を進めています。

現在、当方の「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)には25blogHPがリンクされています。このほとんどが多少の差はあれ、久留米の高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」(コウラタマタレグウジンヒショ)をベースとした百嶋神代史研究の影響を受けており、北部九州が中心ですが北は青森〜東関東、北関東、愛知、南は四国の高知県に百嶋九州王朝研究の立場から神社、古墳…を調べる文献史学派も含めた研究者、記録者、伝承回収者、映像収集家…のネット・ワークが急速に広がりつつあります。

最低でも25人の研究者(只のブロガーじゃねいか…と言われそうですが、それでも恥をかかないようにと皆さん頑張って書かれておられるのです)が集まっておられるのです。

勿論、最近スタートしたばかりの方もおられますし、休眠中だったものを復活させた方もおられます。

しかし、誰だって日量300件のアクセスでも年間では10万件にはなるのです。

当然、全体では楽に年間200万件になると申し上げたのは控えめな推計です。

当方の二本立てと「常陸の国探検隊」に連動する「宮古の縁側日記」が先行していますが、この4本だけでも8090万件のアクセスにはなるのですから、実際には年間200万件でもおかしくはないのです。

ブロガーとは自分で調べ記録を残し後世に残そうとしているのですから、下手に若者が目も向けない本を出すより余程効率の良い媒体になっているのです。

ところが、○○研究会とか○○地名研究会などと名乗っていても、所謂邪馬台国本を齧っているだけとか、研究会とか称する団体に入って仲間内の研究と称する講演でも通説派が作成したパンフレットとインターネットから引っ張り出した資料の継ぎ接ぎによるコピーで熱弁を振るう仲間内の講演も右から聴いて左に貫け、貰った資料さえもいつしか置いた場所も分からなくなってしまうようなものを研究会と思うかどうかの問題なのです。最早、何も調べずに邪馬台国本読みで勝手な事を言うだけの方はいらないのです。

このような団体では10年経っても何の成果も残すことなく潰え去る事にしかないのです。

ましてや、会計報告はやっても編集会議はおろか会報も出さないような団体では研究会でもなければ、外部にしか研究者もいない事になるのです。従って、カラオケ・クラブ同様の親睦会でしかないのです。

しかし研究者とはいるものです。ただ、彼らは群れないからこそ研究者であって独立しているからこそ独自の研究や発見ができるのです。

このように研究者とは、親睦会紛いの何々研究会の傘の中の裾野に産まれ成長するのではなく、あたかも電信柱の様に散ら無題.pngばっているのです。

してみると、その電信柱のネット・ワークにこそ価値がある事に気付くのでした。

ましてや、百嶋由一郎という稀代の神社研究者の存在を知ったのですから、それを何とか後世に引き継ぎ、嘘で固められた「古事記」「日本書紀」、それを批判するとして、その延長上に組み立てられた九州王朝論も通説の臍の緒を引き摺っている事に気付くのです。

その意味でも百嶋研究は本当の意味での九州王朝論に近接する強力なレーザー・メスなのです。

このため、私達はどのような障害も抵抗も排除し後世に引き継ぐ任務まさにミッションを帯びているのです。

そのような何の情念も持たない九州王朝論では、いずれ、邪馬台国九州説に後退し、ほどなく通説派に取り込まれていくことになるでしょう。なお、全国区の「事代主のブログ」も加わられました。

無題.png

本当にようやくですが、青森〜東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。

この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。

人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。

なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:07| Comment(0) | 日記