2018年04月09日

444 国東半島は九州王朝の紀氏の国 A “大分県国東市岐部の岐部神社”

444 国東半島は九州王朝の紀氏の国 A “大分県国東市岐部の岐部神社”

20170628

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


伊美の別宮社と岐部の岐部神社の間にケベス祭りで有名な岩倉社がありますが、これについては、


ひぼろぎ逍遥(跡宮)奥の院紹介特別掲載001 岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? @

ひぼろぎ逍遥(跡宮)奥の院紹介特別掲載002 岩倉社 ケベス祭りのケベスとは何か? A


を書いていますので省略しますが、このケベス祭が岐部の衆もしくは岐部の「主」もしくは岐部の「し」のどちらかの意味であろうと思っています。

 さらに、その岐部(木部)とは紀氏の意味であり、古い表記では「姫」(中国音ジー)氏に相当する呉の太白の後裔の意味も併せ持つものと考えられるのです。

 また、西隣には櫛来、東隣りには来浦(クノウラ)という谷があり、これも紀氏の置換え地名と考えられそうです。

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岐部神社 カーナビ検索 大分県国東市国見町岐部1883

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参拝殿の屋根が十字型であることは金山彦系の神社に多く認められる様式です


祭神はご覧の通りです。

あくまでも“一般的には”ですが、「大将軍」には大国主命を表す場合もありますが、金山彦を意味するものであろうと考えています。

しかし、御祭神には金山彦も大国主も出て来ません。

ただし、境内社には秋葉社(迦具土命)、上姫社(金山彦)があり、いずれも金山彦を祀るものです。

ここでは、筆頭の神として経津主命(山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦)が祀られています。

とりあえず紀氏が奉斎する神としてはおかしくはないでしょう。

櫛稲田姫も金山彦とお妃の埴安姫との間に産れたプリンセスですし、金山彦系の匂いは濃厚です。

しかし、武甕槌命や皇産霊命が紀氏とまでは言えないでしょうから、祭神が入れ替えられている事が見て取れます。

 注目すべきは若宮社であり、これは元々紀氏が奉斎してきた高良神社+若宮社の名残であろうと思います。

 奇妙なのは鴨社が事代主とされていることですが、国東ではあまり格式の高くない事代主が幅を利かせている傾向が見て取れます。

 事実、隣の来浦には一等地に事代主神社が置かれていますし、国東の傾向と言えば言えそうです。

まず、保食命は伊勢の外宮様、経津主命は山幸=ニギハヤヒ=猿田彦、武甕槌命は草部吉見ですね、九州王朝を支えた神々の揃い踏みです。

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同社由緒


ここでネット情報を拾うとなかなかの識者がおられました。


豊後国国東郡岐部郷の史跡(その3) 岐部神社 大分県国東市国見町大字岐部

平成26年4月23日、撮影。 岐部神社 両宮鳥居。

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鳥居の額に「両宮」とある。両宮というのは、天大将軍と牛頭天王である。寛永8(1631)年の棟札が、岐部神社に現存する棟札では最古のもので、その寛永8年の棟札には、「天大将軍三社大明神」とあり、貞享2(1685)年の棟札には、「三所大明神」とある。三社(三所)というのは、保食命(うけもちのみこと)と経津主命・武甕槌命との三柱である。当初の岐部社は、保食命を祀る大将軍社であったものに、経津主命・武甕槌命の武神二神を合祀して、天大将軍三社あるいは三所大明神と称するようになったと推測されている。この天大将軍三社(あるいは三所大明神)に、牛頭天王を合わせて両宮という。
宝永三(1706)年以降、「両宮」という呼称が見えるようになるという。したがって、これ以前に牛頭天王が合祀されたと思われる。現在の岐部社の祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・保食命・素戔嗚尊・経津主命・武甕槌命・表筒男命・中筒男命・底筒男命の十柱である。天御中主命以下の天祖三神の合祀時期は不明で、表筒男命以下の住吉三神は小岐部住吉鼻にあったものを明治十二年に合祀した(神社明細帳)

無題.pngによる


 大分県には「大分県神社誌」といったものがなくこちらも苦労しているのですが、「明治の神社明細帳」だけが頼りです。

 非常に参考になる話で有難い限りです。

「両宮というのは、天大将軍と牛頭天王である」は参考になりますが、前述の櫛稲田姫は牛頭天皇=スサノウのお妃なのですから、金山彦+スサノウの祭祀形態が底流に存在する事は間違いないようです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)研究目的で必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

境内に置かれた灯篭です無題.pngこれが紀氏のシンボルです


これは岐部神社の灯篭ですが、格式の高い古い三つ葉葵です。これよりも古い立葵の神紋をご覧頂きましょう。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 09:44| Comment(0) | 日記