2018年03月18日

437 伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?”

437 伊豆能売の神とは何か? D “伊豆能賣は 何故「イヅノメ」と呼ばれたのか?” 

20170622

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 これまで、架空とか「埋没神」とされてきた伊豆能賣を探しだしその周辺の探索まで行ってきました。

 普通は、発見しただけで満足しても良さそうですが、まだ、伊豆能賣を豊玉彦の娘の豊玉姫だとした理由には納得されていない方は多いと思います。

 まずは、崇教真光の嘉穂道場の祭壇に大国主命が主神に沿うように祀られていた事が切っ掛けでした。

同教団の祭神は御親元主真光大御神と伊都能売大国魂大国主之大神(イヅノメオオクニタマオオクニヌシノオオカミ)=伊都能売様とも呼ばれています(これは恐らく夫婦神ですね)。

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大国主命周辺の女性を探すのが近道なのです 百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 大国主のお妃ならば、同じく宗像三女神のお一人の市杵島姫でも良さそうですし、大国主の母神や娘の可能性もあるでしょう。従ってこれだけでは決め手を欠いていると言わざるを得ないでしょう。そこで思い出したのが二番目のblogでした。

434 伊豆能売の神とは何か? A “二つ目の伊豆神社” イズノメの神が少し分かってきました

無題.png伊豆神社の参拝殿には「厳神社」と…


 伊豆の文字の置換えである対馬の厳原を思い出した時に謎が解けました(当然厳島の「厳」も)。

 先年亡くなられたと思いますが、対馬の郷土史家と言うより民俗学者の永留久恵氏の名著であり大著の「海神と天神」の第三部 民俗編 第四章 「イヅ山とホリ山」(255267p)が頭に浮かんできました。

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伊豆能賣の伊豆とは対馬の厳原でその原型が木坂の海神神社の社地の居津山(伊豆山)、居ツ原(イヅバル)である事を永留先生は書き留めていてくれたのでした。

 では、冒頭の数ページをご紹介しておきましょう。


…「イヅとは、イツクことである。神を斎き鎮める意で、居著くことでもあり、祾威とも書く。またホリとは「葬り」に相違ない。保利の山中が古い葬地であったことから見て、この見解に疑いの余地はない。」…


 後は、本著をお読み頂ければ分かるのですが、要は、対馬の木坂の海神神社の裏にある居津山、居ツ原こそが対馬の厳原、安芸の宮島の厳島神社、当然にも伊豆大島、もしかしたら、出雲、出石(スサノウがアカルヒメを追った兵庫県出石)も…この延長上に移動した地名である可能性があるのです。

 百嶋神社考古学の立場から言えば、大国主命のお妃のお二人は宗像三女神の市杵島姫、豊玉姫(タゴリヒメ)であり、イヅノメに相応しいのは、豊玉姫であろうことは一目だったのです。

 それでは、木坂の海神神社の祭神を見ることにしましょう。

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海神神社 カーナビ検索 長崎県対馬市峰町木坂247  0920-83-0137


祭神  豊玉姫命  配祀  彦火火出見命 宗像神 道主貴神 鵜茅草葺不合命


 伊豆能賣が市杵島姫ではなく対馬の海神神社の主祭神(父神の龍王=豊玉彦=ヤタガラスはいつも背後に隠れておられますが…とは百嶋先生のお言葉でしたが)の豊玉姫に対応する事は伊豆=(居津原、居津山)地名と遠賀川流域の伊豆神社の祭神配置によって明らかだと思います。

この対馬の海神神社もしくは和多都美神社(長崎県対馬市豊玉町仁位550920-58-1488)に対応するだろうことは見当がついていました。

それは、水巻町頃末の伊豆神社の祭神に彦火々出見命(実は山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦)、玉依姫命(実は鴨玉依姫)、塩土老翁(実は豊玉彦=ヤタガラスの父神)であることを見た時から、温めていた構想でした。釣針を失ったとして途方にくれている山幸彦に塩土老翁が龍宮に行き龍王(豊玉彦)に逢う事を薦め、後に龍王の娘である豊玉姫(後に山幸彦のお妃となる)と出会う事に神話ではなっているのです。

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その神話の舞台が、木坂の海神(対馬一宮)なのか、こちらの和多都美神社なのかは、まだ、分からずにいます。思えば「海神と天神」を手に随行者と共に三泊四日で両社を巡ったのは十五年も前の事でした。


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仁位の和多都美神社前の参道としての海の鳥居 社殿は手前にあります


御祭神 彦火火出見尊 豊玉姫命 渡海大明神(多分この神が大幡主ですね)『對州神社誌』では 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 とあります。『大小神社誌』 祭神二座 

 こちらででも対応しそうです。百嶋神代系譜を見て下さい。山幸と豊玉姫の間に産れたのがウガヤフキアエズなのです。いずれにせよ海幸山幸神話の重要な舞台はこの一帯なのです。以下、地図でご確認ください。また、対馬に行きたくなりました。あの頃よりは少しは神社が見える様になっていますので。

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以下256p

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 20:00| Comment(0) | 日記