2018年03月06日

433 伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”

433 伊豆能売の神とは何か? @ “遠賀川河口の両岸に伊豆神社が並ぶ”

20170619

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 遠賀川と言えば筑豊を貫流し玄界灘に注ぐ大河ですが、その河口両岸に3〜4社の伊豆神社、伊豆の名称はないものの同系の神社があります。

 今回はこの神社群と伊豆目の神との関係を考えます。

 ともあれ、何故、伊豆神社、伊豆能売に注目したかという話を飛ばすわけには行かないでしょう。

 ある種の新興宗教教団の方以外、一般にはほとんど知られていない伊豆能売という神があります。


伊豆能売

『古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。『古事記』でも出自や事跡についての記述が一切ない。神話中では「伊豆能売」とだけ書かれていて、「神」「命」などの神号はつけられていない。

神道系新宗教では伊都能売神と表記することもある。神名の「イヅ」は「厳」で、斎み清めることを意味する。神名の「メ」は女神であることを意味する。 神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神が生まれた。その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれたとしている。

『延喜式神名帳』には伊豆能売を祀ったと思われる出雲国出雲郡の「神魂伊豆之賣神社」が記載されており、同社は伊努神社に合祀されたとされているが、同社の祭神に伊豆能売の名はない。『延喜式神名帳』以外にこの神社について記載した史料はなく、伊豆能売を祀る神社は現存しないことになる。 しかし、伊豆能売の名を冠しない式内社は現存しており、三重県津市の元伊勢伝承地の一つである「加良比乃神社」は倭姫命が天照大御神を奉戴して「片樋宮」を建立した跡地に「御倉板舉神」と「伊豆能賣神」を祭祀したのが起源とされている。これは後世の復古神道や古神道の思想の影響下で奉祀されたものではなく、延喜式編纂以前の祭祀である。 幕末以降の神道系新宗教の中には、伊豆能売が古代には信仰されていたが後に信仰されなくなった「埋没神」であるとして、新たに信仰の対象にしようとするものもある。

大本の出口王仁三郎は1918年ごろ『伊都能売神論』を発表した。また、1926年ごろ、教団内の機関誌『神の国』において、7月号より翌年5月号まで、『伊都能売』と題した連載を行い、伊都能売神の解説を行った。これ以外にも、霊界物語内に伊都能売神の記述が点在してあり、伊都能売神を詠んだ和歌も数点発表している。王仁三郎の弟子で、世界救世教を興こした岡田茂吉は、伊都能売神(伊都能賣神皇)は古代日本の最高神であったが、中国を経由してインドへ渡って観自在菩薩と名乗り、釈迦に仏教を伝授し、その後、南中国地方に移って観世音菩薩と名を改めたのだという「逆本地垂迹(神本仏迹)」とも言える説を示した。また、伊都能売大神は金龍となって琵琶湖に潜んでいたとも述べている。

ウイキペディア(20170619 19:09による

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神社の事を書き続けていると、好むと好まざるを問わず様々な宗教関係者と接触する事にならざるを得ません。

 まず、第一に神社庁傘下の宮司、禰宜との接触もある種の教団なのであって、それ以外にもスピリチュアル系の人々とも接触は出てくるのです。

 そもそも、神社庁自身が邦人以外の目で見れば、これこそ奇妙で偏ったカルト教団の元締でしかないのであって、新興宗教だから云々といった議論はほとんど意味がないでしょう。

 明治の末に巨大教団に成長していく大本教は、二度にわたる大弾圧にもかかわらず、数多くの分派教団を生み出します。大本系を広く捉えれば、谷口雅春の生長の家や岡田茂吉の世界救世教を筆頭にその分派教団は数えられないほどの広がりを見せています。

晴明教、救世主教、救世真教、救いの光教団、世界浄霊会、みろく神教…、世界真光文明教団、その分派としての世界真光文明教団(こちらが本家筋ですか…)崇教真光…と。

 これらの全てが伊豆能売を祀るかまでは知りませんが、少なくとも、今回、関係を持った崇教真光の主祭神は「主()の大御神様」と言われますが、それが伊豆能売であろうと言われているのです。


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同社由緒

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同社の縁起を読む限り、彦火々出見命、玉依姫命、塩土老翁…合祀神社(貴船、幸、唐熊)とあり、山幸彦(大幡主の子ではないか…)、玉依姫(恐らく鴨玉依姫)、塩土老翁(大幡主=神産巣神)であることから、伊豆神社とはどう見ても博多の櫛田神社の大幡主系の神社である事は間違いないのです。

 してみると、伊豆能売もこの系統の神と考えて間違いがないのではないかと思うものです。

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面白いのは陽負いの烏(三本足かは不明)で、大幡主系の山幸彦=ニギハヤヒ(陽負の鶴の神紋)、鴨玉依姫の父神は豊玉彦=ヤタガラスである事を考えれば、陽負いの烏はリーズナブルなのです。

 では、鴨玉依姫が伊豆能売かというとそうではないようです。

 その理由は、次のblogになるでしょうが、遠賀川右岸の水巻町ではなく、対岸の遠賀町にある伊豆神社には伊豆能賣神が主神として祀られている事から、水巻側で違う呼ばれ方をしているとは思えないという事、もう一つは、崇教真光の嘉穂道場の祭壇を見せて頂いた事から気付いたのですが、「主()の大御神様」(恐らく伊豆能売)の横に大国主命が祀られていたとなると、そのお妃(大国主には多くのお妃がおられるのですが)として筆頭に浮かぶのは豊玉姫(豊玉彦=ヤタガラスと高木大神の娘豊秋ツ姫の娘)なのです。

 もう、早々と結論めいたものを出してしまいましたが、これも作業仮説であり将来修正する可能性もあることを前提として提出させて頂くものです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 23:42| Comment(0) | 日記