2018年02月02日

424 奥出雲の神々 30 佐白の伊賀武神社

424 奥出雲の神々 30 佐白の伊賀武神社

20170516

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 この神社も本来の目的である山幸彦=ニギハヤヒの探索に関わる神社です。

佐白も珍しい地名ですが、意味は分かりません。仁多郡の中心地三成を流れる斐伊川。

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素晴らしい参道ですね


路面から2030メートルもあるでしょうか?この三成を見下ろす位置に八幡宮が鎮座しています

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山中にもかかわらず結構な街並みで驚きました。なお、志学荒神社が画面に出ていますが、神社庁データにない理由は、三宝荒神他は神社庁管理の神社ではなく民間宗教扱いになっているからであろうと思います。

 佐白温泉があったのは気づきませんでした。当日、他の温泉に廻ったのですが、やはり現地はじっくり見なければなりません。

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県神社庁の資料によれば 祭神は 五十猛命・武御名方神とされていますが、八重垣神社の意味は何でしょうか?当然にも直ぐに、出雲八重垣…が頭に浮かんで来ますが…。と考えていると、摂社に八重垣神社(境内末社とされていますが)がありました。

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“スサノウの御子”は頂けませんが、紛れもない五十猛と武御名方を祀る神社です。

八重垣神社その他も合祀されたもので、基本的には神社庁データと対応しています。

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HP「神奈備」氏は西尾社は「天御中主命、天照大御神、月讀命、大山祇命 配 譽田別命」と…


以下、敬愛するHP「神奈備」による


五十猛命
配 武御名方神、豐磐窗命、櫛磐窗命
摂社
八重垣神社「須佐男命、稻田姫命 配 足名槌命、手名槌命」


八重垣神社元宮


 八重垣神社は須佐男命の大蛇退治に縁深い佐白地内「八頭」に鎮座し、手名槌・足名槌の末裔と称する馬庭氏の鎮守神であった。
 この神社の元の鎮座地周辺には、手名槌・足名槌の「長者邸」という屋敷跡、その庭の白椿の「連理の大樹」(枯損)、二神の杖であったという「立身竹」。二神の遊興の場「茶屋場」、御社頭の稲田姫の髪を梳る時に用いた「元結掛松」、大蛇退治の毒酒を醸した「和泉谷」。大蛇が住んでいた「池の谷」等々の旧跡地があり、往古を偲ばせている。 (神国島根)


西尾神社元宮   「天御中主命、天照大御神、月讀命、大山祇命 配 譽田別命」
若杉神社元宮   「若姫命 配 須佐男命」
佐白町恵美須神社 「事代主命」
八坂神社     「素戔嗚命、稻田比賣命」
前布施社日社   「天照大神 配 大己貴命、少彦名命、稻倉魂命、埴安姫命」
前布施大仏社   「大山祇命」
前布施秋葉社   「迦具土神」
瓊々杵神社    「稻倉魂命」

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赤枠が五十猛、黄枠は建御名方

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)黒枠はアシナヅチ、テナヅチ、クシナダヒメ


研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

425 奥出雲の神々 31 馬馳の八幡宮

425 奥出雲の神々 31 馬馳の八幡宮

20170517

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 うろうろと探していると、どうやら、幼稚園だか保育園だかの隣に在るのが分かりました。

昔は里の鎮守様がそのまま保育所になったものですが、まさにその典型がここにも残されており、村の拠り所であった事が良く分かる一社です。

馬馳も伝令馬の通る地名ですが、仁多郡の幹線路上の町であった事が良く分かります。

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境内から幼児園方面を望む


路面から2030メートルもあるでしょうか?この八代を見下ろす位置に八幡宮が鎮座しています

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 街道筋らしく鉄道や街並みが建て込んでいます。結構な街並みに驚きました。

 本来、町とは人口が多いから町なのではなく、農業に依存しない商工業者が住む場所の事なのです。

 ここには、桶屋、染物屋、鍛冶屋、酒屋、味噌屋、醤油屋、宿屋、女郎屋、傘屋、提灯屋、瓦屋、大工の棟梁、左官の頭領、板金屋、ガラス屋、家具屋、甕屋、下駄屋、石屋…と多くの人々が色々な生業を持ち生きていたのですが、ここ半世紀でその全てが消し去られてしまったのです。

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八幡宮正面


県神社庁の資料によれば 祭神は 應神天皇・神功皇后・玉依姫 とされており、今は普通の八幡宮です。境内にそれ以外の神様の痕跡がなければそれで良いのですがそうではありませんでした。

比較的新しい神社で済ませようと思ったのですが、やはり古層の神様がおられるようです。

ただ、神名も無く、最低でも「島根県神社誌」を入手し再考が必要です。

 いずれ、再訪し再調査をすることになるでしょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

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2018年02月03日

ビアヘロ031 阿蘇で雨宮さんにお会いしました

ビアヘロ031 阿蘇で雨宮さんにお会いしました

20171221


 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


先に、ひぼろぎ逍遥(跡宮)“ビアヘロ030 において”阿蘇の11社の神社群は「πやφは元よりフィボナッチ数列を駆使するピラミッドの法則で造られていた」”を書きました。

その後、1221日 古代「火の国」の象徴 「炎のピラミッド」の発見(改訂再編集版:1500円)を以て紹介すると共に、著者である田尻宮司にお会いし、まずは10冊弱の著書を手に入れ、主だったメンバーに配布、販売するとともに、現在、追加も希望を取って購入を進める事にしています。

当日、宮司とお昼をご一緒し、阿蘇牛のステーキ・レストランでお話をしていると、たまたま隣の席に居られた男性とお知り合いになりました。

お名前は雨宮(アメミヤ)さんと言う方だったのですが、宮司とお別れする段階で、雨宮さんから「私も神社に関心を持って調べている者ですが…」と声を掛けられ、以後、宮司と別れて所要を済ませた後に再度ご自宅にお伺いし長々とお話を致しました。

一応、雨宮は本名ながらフル・ネームは伏せておきますし、現在のご住所も阿蘇とだけ申し上げておきますが、私より多少は上の世代であり、関東地方でも神奈川県内の某市で歯科医師をされていた方なのです。ただ、3.11東京電力の福島第一の原発事故以降お仕事を辞められ、一旦は放射能を避け新潟県に移住されたのですが、さらに遠い鹿児島県の指宿市に移住され、その後も全国を放浪しつつ、三年ほど前に阿蘇に家を求めかつ造り(カーペンターもやられるようですので)、住み着かれたとの事でした。

この首都圏への放射能汚染の問題については、最近でも ひぼろぎ逍遥 スポット133 緊急提言 全国の将棋ファンの皆さんに! “放射性粉塵が首都圏を襲う”を公開していますのでお読み頂きたいと思います。

さて、話は4時間を越え多岐に亘ったのですが、今回はこの手の話をするものではありません。

実際に雨宮さんという方にお会いし、雨宮という珍しい姓についてお話をした事をご紹介するとともにその意味について考えて見ようと思うものです。

この雨宮一族に関しては今後も色々とお聴きできるとは思うのですが、現時点に於いて当方に分かる範囲で多少の交通整理を試みようと思うものです。

まず、「雨宮」姓に関しては多少思い当たるものがあります。

これについては、以下をお読み頂きたいのですが、熊本県の旧相良村(現人吉市)にとどまらず、熊本県内にも幾つかの雨宮神社があり、雨宮姫という女神様がおられるのです。


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

233

人吉盆地の雨宮神社(熊本県相良村)再訪 “悲劇の雨宮姫”

参照のこと


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雨宮姓の分布に関しては、他に山梨県のぶどう寺問題で10本ほどblogを書いた事から、以前から多少の見当は着いていました(「ひぼろぎ逍遥」と「ぶどう寺」でダブル検索を…)。

雨宮姓は現在の分布で、山梨、長野、神奈川などに集中する一族なのです。

今回は、雨宮さんとお知り合いになったと言うただその一点だけの話になりますのでその点はご容赦を。

祭神の雨宮姫や母神である阿蘇津姫その父神である草部吉見神(ヒコヤイミミ)などについては過去何度も書いてきましたので触れない事にしますが、この富士山を中心に展開している雨宮姫の一族も阿蘇から移動している可能性があるのです(有名な「川中島の戦い」にも雨宮の渡=犀川が出て来ますね…これも豊後の「佐井」川なのです)。

まず、この雨宮姫の母神である阿蘇津姫ですが、後には寒川姫を経て杉山姫と名を変えているのです。

そこで考える価値があるのが、神奈川県を中心に分布している杉山神社であり、雨宮姫を奉斎する一族の移動と連動しているのではないかという想いが過るのです。一例ですが…。以下。

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無題.png杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社である。旧武蔵国における式内社の一社とされるが、その論社とされる神社は現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都町田市、稲城市などに数十社存在する。  ウィキペディア20180101 0209による

勿論、表面的な祭神は異なりますのでご注意を。


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百嶋由一郎杉山姫神代系譜(部分)


ひぼろぎ逍遥

437

勝沼ワインの里の大善寺(特別版)

でも

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

349

勝沼ワインの里の大善寺 G“ぶどう寺と宮地嶽神社には何故「三階松の神紋」があるのか?”

 

348

勝沼ワインの里の大善寺 F“ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像があるのか?”(追補)A

345

勝沼にも高良神社があった“山梨市の大井俣窪八幡神社”

 

344

勝沼ワインの里の大善寺 E“ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像があるのか?”(追補)

 

343

勝沼ワインの里の大善寺 D“ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像があるのか?”(下)

 

342

勝沼ワインの里の大善寺 C“ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像があるのか?”(中)

 

341

勝沼ワインの里の大善寺 B“ぶどう寺にはなぜ「国宝ぶどう薬師」像があるのか?”(上)

 

辺りを読まれれば、ぶどう寺に関連する甲斐の雨宮勘解由の話なり、信濃の雨宮一族…と九州との関係が多少はご理解頂けると思います。

特にぶどう寺に深い繋がりがあり、三階松の家紋を抱く三枝氏は阿蘇氏(草部吉見)と宗像一族(市杵島姫)の流れを持つ氏族(彦座王=天足彦)である可能性が高く、最後は裏紋として門光を使う武田信玄さえも九州王朝系の氏族である事が見えて来ると、武田氏にも組み込まれた○に上の家紋を使う雨宮一族が阿蘇の雨宮姫の流れを持った人々であることが見えて来るのでした。

詳しい説明は省きますが、熱心に読み解かれ自ら解明しようとされる方にはこの雨宮一族にも阿蘇氏の血が流れ込んでいる事が見えて来るのではないかと思うものです。


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さて、雨宮さんとのお話でも出てくるのですが、熊本にはと言うか阿蘇には「甲斐」姓の方が沢山おられます。


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県別に検索されればより一層傾向が分かりますが、熊本県でも東部ですから阿蘇中心ですし、それに最も色濃い分布を示す宮崎県北部の延岡市、それに大分県は大分市が甲斐姓の分布の中心を示しており、甲斐の国(山梨)とはまさしく彼らの移動によって成立したのではないかとさえ思ってしまいます。

 当の長野県(信濃)、山梨県(甲斐)では少ないものの、長野の松本、諏訪などで確認できるのです。

 彼らは恐らく九州の中部以南(熊襲の領域)から東へ向かい北上し中央山地に蟠踞したのでしょう。

いずれにせよ、武田氏、三枝氏、雨宮氏(甲斐氏は恐らく名を変えていると思うのですが)、下の百嶋由一郎最終神代系譜に登場する、建南方(諏訪の建御名方=決して出雲系などではありません)、天足彦、椎根津彦…と言った阿蘇系氏族の流れのどれかと各々関係があるのではないかと考えているところです。

 実は、最近になって武田信玄の武田氏さえも、もしかしたら阿蘇の周辺から移動したのではないかと考える様になりました。九州の武田姓が関東から熊本の南関に入っていると言う話は承知の上なのですが。

 それは、海援隊の武田鉄矢の母君は阿蘇周辺の名家の出であり(阿蘇の小国町北里=北里柴三郎の生地の北側の集落)、家の周りは全て大地主である武田家の土地だったと言われていたのです。

 裏紋として門光を使っていた武田信玄が九州王朝の後裔である可能性も含め今後とも注目したいと考えています。


熊本と言えば馬刺し しかし甲斐の国にも


 無題.png最後に、馬刺しの話をしておきましょう。

熊本に来たら有名な馬刺し(生食)を食べますね、山梨周辺も馬刺しが好まれるのです。納豆は元より、この特徴的な食文化が相互に全く無関係などとは凡そ考えられないため、阿蘇系氏族の一派が、東の中央山地に展開し甲州騎馬軍団になったのではないかと考えたいのです。


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研究目的で百嶋由一郎氏の資料を希望される方は09062983254までご連絡ください


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記