2018年01月06日

413 奥出雲の神々 20 下阿井の八幡宮

413 奥出雲の神々 20 下阿井の八幡宮

20170509

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 鬼神神社から遠くないところに大呂神社があります。

無題.png

上阿井の大原神社から数キロ下ったところにある神社ですが、心惹かれる一社です。

周辺地図をご覧になればお分かりの通り、鋳物師(イモジorイモノシ)という地名があるように、早とちりながら当然ながら製鉄によって成立した集落だろうと考えてしまいます。

無題.png

島根県神社庁データに基づく 主祭神は 下阿井の八幡宮 誉田別尊・比賣大神・息長足姫命とされています。

八幡宮という社名、祭神から一般的な八幡宮とすることは容易いのですが、無論、元より八幡宮だったはずはないのです。

八幡宮の隆盛は、鎌倉期、それ以前は宇佐神宮が専横を振るい始める時代89世紀以降(久留米市の高良宮が九州の宗廟=列島の祭祀権を宇佐に譲るのは「高良玉垂宮神秘書」によれば749年)、それ以前は所謂八幡神とされる誉田別尊などが祀られているはずはないのであって(八幡神進出以前には祭祀が存在しなかったなどとお考えでしょうか)、必ず何らかの祭神がおられるはずなのです。

そして、往々にしてそれが境内摂社である場合が大半なのです。

無題.png
無題.png

境内には幾つかの摂社があります。

無題.png

子社は武内宿祢社と書かれているようですがこの伊勢神宮は豊受大神か天照か両方かは不明


これが武内宿祢社ならば、九州外では高良玉垂命は武内宿禰に置き換えられているものが殆どで、藤原によって第9代とされた高良玉垂命=開化天皇=仲哀死後の神功皇后の夫神(仁徳の父神)である可能性があるのですが、ひぼろぎ逍遥(跡宮) 091 宇佐神宮とは何か? @ “呉橋から北へと延びる勅使道”〜 同 105 宇佐神宮とは何か? N “そろそろ本殿の探査に踏み込みましょう”までをお読み頂くしかありません。

 この八幡宮の前身は九州王朝の神宮の分社だった可能性を否定できないのです。

無題.png
無題.png

社日神と大宜都比売


オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出しそれを調理していました。スサノオはそんな汚い物を食べさせていたのかと怒りオオゲツヒメを斬り殺してしまいます。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ耳から粟が生まれ鼻から小豆が生まれ陰部から麦が生まれ尻から大豆が生まれました。

大林太良に従えば、インドネシアのハイヌウェレ神話となるのですが、それが伊勢の外宮の豊受大神に繋がるかはこれからの作業です。

無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:09| Comment(0) | 日記