2018年01月24日

418 奥出雲の神々 25 三澤の三沢神社

418 奥出雲の神々 25 三澤の三沢神社

20170512

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 奥出雲町の中心部から西に十キロ足らず移動した山間に小さな三澤町があります。

このようなところに式内社があるのですから驚きますが、珍しい事にアジスキタカヒコネを祀る神社がありました。

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写真手前の方向に神社があります


この三澤集落が三澤と呼ばれている事については多少の違和感があります。

 それは、基本的に西日本は「谷」であり、東日本は沢と呼ばれるという地名研究の一定の法則性(それほど厳密でもなく大袈裟なものでもないのですが)があり、「三沢」は東日本から入った人々の集落ではないかと思ってしまうのです。

 しかし、直ぐに氷解しました。三沢氏は信濃から入った源氏の系統だそうで、新参の氏族の居住地がこの地なのです。従って、アジスキタカヒコネことウガヤフキアエズは、彼ら進駐軍が持ち込んだ彼らが信奉する神のようなのです。

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県神社庁の資料によれば 祭神は 阿遲須枳高日子根(アジスキタカヒコネ)命 とされています。

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同社神殿


一般的にはそれほど有名な神様ではないため簡単に確認しておきましょう。


アジスキタカヒコネ


大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。別名は賀茂社の神の意味である。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。

神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、「シキ」は磯城で石畳のことであるとしている。他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。アメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、元々アメノワカヒコと同一の神で、穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする説もある。

ウィキペディア(20170512 0709による


 恐らく本来の祭神もおられるはずですが、境内には色々と興味深い神様達が摂社として並んでいます。

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まず、荒神社ですが、石塔や祠がないことから最も原型に近い祭祀形態と思われます。神の憑代としてのやどる「木」そのものを祀り、それを示すために「柴刺」(シバサシ)が行われています。

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荒神様に関しては奥出雲のblogのどれかで詳しく書いていますのでここでは触れません。

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次は足守社ですが、これも石塔や祠がないことから最も原型に近い祭祀形態と思われます。神の憑代としてのやどる「木」そのものを祀り、それを示すために「柴刺」(シバサシ)が行われています。

ただ、残念なことに多少解釈を違えられておられるようです。

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八衢比古命、八衢比当スを足守社とされている事なのですが、猿田彦、天鈿女命と解釈し道案内の意味で足守社とされているようなのです。

八衢比古、八衢比売は一般的には猿田彦と天鈿女命などと考えられていますが、百嶋先生からも、“皆間違えているが、これはスサノウの息子と娘である長脛彦(岐神)ナガスネヒコと瀛ヨソ足姫(オキツヨソタラシヒメ)”と聴いています。

神武天皇に弓を引き楯を突いた長脛彦(民族の対立ですから仕方が無い事ですが…)を隠す意図で行われた事が、何時しか忘れられてしまったのでしょう。

出雲では、出雲大社の東数百メートルに密かに祀られている出雲井神社(岐神)をご存じの方がおられると思いますが、心惹かれる長浜神社外にも散見されます。


出雲には社日神社は多いですね。解説不要でしょう。これも古い祭祀のような気がします。

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原田八幡宮は申し訳程度の八幡宮と言った印象です


さて、肝心の主祭神です。確かに神社庁の資料によれば、祭神は阿遲須枳高日子根(アジスキタカヒコネ)命ですが、私の印象は違っていて、本来の神様は荒神社、長脛彦(兄妹)だっただろうと思います。

 その理由にこの地区に「原田」と言う地名があるからですが、ここでは触れません。

 今回、奥出雲の神社調査でも最も興味深い地区と神社の一つがこの三沢神社でした。

アジスキタカヒコネですが、その実体は、ニギハヤヒ=猿田彦=山幸彦と宗像のタゴリヒメ=豊玉姫との間に産れた物部の分派というか一支流がこの神様で、その子が安曇磯羅=表筒男命となるのです。

従って、出雲では珍しい神様になるのです。


このため、ウィキペディア氏が「大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる」とされていることは、「山幸彦と宗像三女神のタキリビメの間の子。義理の母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる」とすべきでしょう。

これはあくまでも百嶋神社考古学の立場からの見解ですので鵜呑みにはされないように。

と言っても、ほとんどの皆さんは学会、通説、神社庁見解、有力神社見解を鵜呑みにされているのですが。

もっとも、学会通説を鵜呑みにする方が増えれば増えるほど、逆に、特異な百嶋神社考古学は際立ち、聳え立つ事になるだけですのでどちらでも構いませんが。

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研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 16:34| Comment(0) | 日記

2018年01月27日

419 奥出雲の神々 26 高尾の高尾神社

419 奥出雲の神々 26 高尾の高尾神社

20170512

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 奥出雲町の中心部から南に十キロ足らず移動した山間平地に高尾神社はあります。

ご覧の通り、のんびりした景色が広がっています。

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この高尾の集落で最初に気付いた事は伊賀平山の麓集落であるという事でした。

何故そんなことが重要かと言うと、主祭神と考えられる五十猛(イソタケル)=山幸彦=ニギハヤヒ=サルタヒコ…の別名に「伊ノ大神」「伊賀」「伊賀武」「伊賀屋」「伊賀猛」…がある事を承知しているからで、情報伝達の方法がほとんど存在しなかった古代に於いては、山の名、川の名、地の名が唯一頼りになるシンボルであり、目印であったからです。

そう考えれば、まさに象徴的な山名である事が分かるのです。

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県神社庁の資料によれば 祭神は 大国主命・布留魂命・五十猛命 とされています。

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恐らく本来の祭神もおられるはずですが、境内には色々と興味深い神様達が摂社として並んでおられます。

五十猛神は決して大国主命の子ではないのですが、ただ大国主命と言うよりもその義理の父神の大幡主の配下で共に活動されていた方なのです。

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出雲には社日神社が多いですね。解説不要でしょう。

繰り返しになりますが、祭神は 大国主命・布留魂命・五十猛命 とされています。

 布留魂命はスサノウで間違いないでしょう。


百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


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2018年01月30日

420 奥出雲の神々 27 三成の愛宕神社

420 奥出雲の神々 27 三成の愛宕神社

20170512

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 奥出雲町の中心部三成(ミナリ)を見下ろす百メートルほどの高台に居去神社が鎮座しています。

ご覧の通り眼下には市街地が広がっています。

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実のところ奥出雲の全神社調査で最も嫌なものを見たとの印象をもってしまったのがこの神社でした。

 神社ではなく、この百メートルもの急傾斜事業なのです。

 詳しく調べる気にもなりませんが、この最悪の事業は、崖崩れ防止という美名のもとに、地場の土建業者が税金を懐に入れる事業であり、数十年を待たずしてコンクリートは劣化し崩れ始めてしまうのです。

 簡単に言えば、十億掛けてこのような事業を行うよりは、その十分の一を移転補助金(補償金ではない)として危険を承知で住み着いた崖際の人家の所有者に移転促進費として支給し危険を回避すべきなのです。

 要は、土建屋が税金を懐に入れ二十年もすれば再び危険極まりないものになるだけなのです。

 後は景観の破壊と水枯れと夏の熱気が残るだけで、薄汚いコンクリートのワッフル構造と、それを隠すかのような安っぽいイルミネーションが輝くと言う無様な姿が残されたのです。

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五百段もの階段の上り口に置かれたのは下宮社なのでしょうか

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県神社庁の資料によれば 祭神は 天照大御神 とされています。

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キャバレーではあるまいし醜悪な町興し村興しは最早いい加減にしてもらいたいものです

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嫌な話これぐらいにして、肝心の祭神の話に入りましょう。

祭神は 天照大御神 とされています。これはどう考えても愛宕神社の神様ではありません。

「古事記」では火之迦具土神、「日本書紀」では軻遇突智とされる火の神様です。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


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