2018年01月17日

ビアヘロ030 阿蘇の神社群はπやφは元よりフィボナッチ数列を駆使するピラミッドの法則で造られていた

ビアヘロ030 阿蘇の神社群はπやφは元よりフィボナッチ数列を駆使するピラミッドの法則で造られていた

20171221

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

神社のパワー・スポット・ブーム(ぱあ・スポット?)とは、ほとんど人為的に創り出されたものでしかありません。

当然、大手マスコミ(新聞、TV)や「トランプ報道」、「不正選挙」も世論操作がなされたものでしかなく、戦後のマッカーサー〜GHQの占領政策以来、ほとんど全ての情報が管理されていると思うべきでしょう。

今は極限まで愚民化政策が完了しており、世界最高水準の8Kテレビジョンを創る国家に於いて、芸人、オカマ、ハーフ、外人による安物番組ばかりという世界最低水準の番組を享受しているのが我が日本列島(劣等)民族の成れの果てと言えるでしょう。最早何をか言わんと言うばかりの様相を呈しているのです。

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神社のパワー・スポット・ブーム(ぱあ・スポット?)に関しては一部仕掛けられた形でこの阿蘇でも起こっているのですが、この本物中の本物と言えるパワー・スポットと言えるものがあるのです。

実は、阿蘇の神社群とピラミッドを形成する“南阿蘇村の八坂神社は、殆ど知られる事もなく、現在も静かに鎮座しているのです。 この事については、以前にも何度かお伝えしています。


ひぼろぎ逍遥

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阿蘇の神社群とピラミッド “南阿蘇村の八坂神社を訪ねてみよう”

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南阿蘇村八坂神社の炎のピラミッド @


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

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驚愕の“炎のピラミッド” 004 図26-1,2 “八坂神社両神社の、境内地の具体的な対称性”

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驚愕の“炎のピラミッド” 003 図24-2  “草部吉見神社と神域」(本境内地面積1,900u)”

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驚愕の“炎のピラミッド” 002 はじめに “阿蘇南北の大地の形成を考える”


などに於いて、何度かとり上げていますが、阿蘇の神社配列 阿蘇郡内8社と郡外の3社、甲佐神社(甲佐町)、健軍神社(熊本市)、郡浦神社(宇土市三角町)は各々標高も全く異なるのですが、非常に正確に三次元的なピラミッドの一部を形成する様に配列され、しかも、参道、参拝殿、神殿配置から境内地の形状さえもが計算され尽くされて造られているのです。

この驚愕の事実は既に平成9年の地理情報学会(通常は東京大学)に於いて、「古代火の国の『ピラミッド状の神社配置の謎と意味(炎のピラミッド)』について」として田尻盛永八坂神社宮司(0967-62-9611)阿蘇郡南阿蘇村一関660より発表されています。

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一関八坂神社(祇園社)


再掲載


092 阿蘇の神社群とピラミッド “南阿蘇村の八坂神社を訪ねてみよう”

20140603

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

阿蘇の神社と言えば、健磐龍命(たけいわたつのみこと)を祀る一の宮町の阿蘇神社と相場が決まっているようですが、密かに湧きあがりつつある神社ブームの中で、それ以外の重要な神社にも目が向けられつつあるようです。

 参拝者増加に当会も関係している草壁(草部)吉見神社、決してクニノミヤツコなどと間の抜けた呼び方をなさらないようにして頂きたいのですが、北宮 阿蘇国造(コクゾウ)神社、境内に入られた方だけならば最も多いはずの、白川水源の白川吉見神社、遠く離れて小国町の両神社(小国神社)や御船町の甲佐神社など、徐々に参拝者が増加しているような気がしています。

 ところが、自分自身の認識も遅れていたのですが、非常に重要で無視できない神社があったのです。

 それが、これからお知らせする、ど偉い神社 八坂神社です。

 まず、阿蘇に八坂神社があるのか?と、お思いの方が多いと思います。


 最低でも、ご紹介したblog五本を読まれれば驚愕の事実に直面し、それこそパー・スポット・ブームなど吹き飛ぶような問題に思考が狂わされるような事になるでしょう。

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左から、この神額が非常に珍しいことから、まずは、実見となったものです。もしかしたらメノーラかも知れません。社殿はこの階段を上がります。見た目は小さな砦ですね。社殿は至って穏やかでした。

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本殿上の紋章


本殿の紋章は丸に花沢瀉(オモダカ)のようですが、今のところ保留します。

これは、神紋ではなく同社を庇護した一族の家紋ではないでしょうか?


 当然ながら、祇園神社とか出雲系とか評価が一般的ですので、阿蘇に?となるのは自然な成り行きかも知れません。

 少なくとも、祭神を考えれば、:素戔嗚尊、櫛稲田姫命、その子(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)となるのですから仕方がないのかも知れません。

 ただ、太宰府地名研究会の神社考古学班としては、スサノウとアマテラスの衝突も九州を舞台にして起こったこととして探索を進めており、事実、メンバーの数名は、結局、「出雲神話」の舞台は九州だったいった話を日常的にやっています。

 このような話をするとご迷惑をかける向きもありますし研究途上の話でもあることから、通常はオオッピラには申しあげておりません。

 ただ、今回、ご紹介したいのは、国造神社を中軸に阿蘇神社と霜神社が、阿蘇山を挟み寸分たがわず、八坂神社と竜王社に対して配置されているということと、他の重要な神社も正確に配置されているという事実であり、その具体的事実を発見されたのが八坂神社の宮司であるということです。

 この手の話は安本美典による奈良の地名の話などと同様なものと考えられるかもしれませんが、大雑把な地名対応程度の話ではなく、最低でも古代の正確な測量技術を浮かび上がらせるものだったのです。

 宮司は2008年に『古代「火の国」の象徴「炎のピラミッド」の発見』田尻盛永/著(熊本出版文化会館)\4500.-として公刊されています(百冊程度の残部あり)。冒頭から、ほんの一部をご紹介しましょう。


…こうした火の国全土に亘る神社群配置の中心は、阿蘇谷と南郷谷とに「対」にして奉祭されている「阿蘇神社と八坂神社」にあるが、この2社に、それぞれ補完社である「霜神社と竜王社」を加えて4社。この4社を結ぶと「北北西22.7度」(2242分)に傾いた「性格無比な細長い平行四辺形」が浮上してくる。…


 当然にも、この重要性にいち早く気づいた地理情報システム学会において、平成91997)年「古代火の国の『ピラミッド状の神社配置の謎と意味(炎のピラミッド)』について」を発表されています(於:工学院大学/事務局:東大)。

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参拝殿横にもこの図面が金属板で掲示されています


著書には高等数学に基づく多くの数式と図が配されていますが、全てをお知らせする事は不可能で、著書を購入されるなり、論文を入手されるなり、お近くの方は、直接、神社に訪問され著書を入手されたい方は購入できると思いますのでご参拝頂きたいと思います。

差し障りないと考えますので、住所連絡先をお知らせします。なお、詳報は別稿とします。


無題.png869-1504 熊本県南阿蘇村一660 八坂神社 0967-62-9611


風光明媚な南阿蘇、白川沿いに社殿、宮司宅はあります。南阿蘇鉄道の中松駅付近とお考えください。


さて、2012年公開の映画「ピラミッド5000年の嘘」をご覧になった方は多いと思います。

DVDも販売はもとより、レンタルも行われていしたので、かなりご存知の方はおられるでしょう。

本編の中でも、ギザのピラミッドが4面体ではなく8面体だったとか、メートル法、円周率π、黄金分割、フィボナッチ数列といった数式を駆使してピラミッドが造られていたといった高等数学のオンパレードでしたが、あの時代にピラミッドが黄金分割などの言わば秘法が駆使して造られたものだったという衝撃的な事実が明確になったのでした。映画を見られた方は是非…。

そして、これと同じ構造が阿蘇の神社群にも適用されているといった話になってくるのですが、それはまたにして、まずは、南阿蘇の八坂神社におでかけ頂きたいと思います。神社の維持には多額の資金が必要ですので、お賽銭はお忘れなきようお願いします。詳しくは神社にお尋ねください。

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さて、以前の御著書は4,500円と多少高めでしたが(勿論、立派な想定ではあったのですが)、改訂版はコンパクトにまとめられ1,500円と求め易くなっています。

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田尻盛永八坂神社宮司(0967-62-9611)阿蘇郡南阿蘇村一関660


 に直接お問い合わせされれば早めに手にする事ができるでしょう。

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阿蘇小国両神社と八坂神社の対称性を考えると、両方の神社の性格を改めて考えざるを得なくなります。

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 11の神社群が正確無比な対称性とピラミッドの配置になっている事には脅威をすら感じますが、これらが、宮司の想定では6世紀前後に全て成立していると言われるのですから、最低でもピラミッドを造った人々が入って来ているぐらいの話は必要になるのです。

ぱあ・スポットを追い求める方は、せめて、同社を訪れ、驚愕の事実を知るべきではないでしょうか?


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:07| Comment(0) | 日記

416 奥出雲の神々 23 河内の金刀比羅神社

416 奥出雲の神々 23 河内の金刀比羅神社

20170524

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


迂闊にもこの一社だけは訪問し忘れのため、スケジュールの合間を見て、再度、奥出雲に入り確認してきました。

まさに、この一社のためだけに二泊三日をかけ一〇〇〇キロ余りを走ったのでした。

高速は関門橋のみですから往復1,000円、燃料代が4050リットルで5000円程度、それにお賽銭…となるのですが、ようやく奥出雲町の全ての神社を確認する事ができこのリポートが完結できることになりました。

と、言っても「島根県神社誌」外を入手し、再度、詳しくリポートするための準備作業と言う方が正しいでしょう。

もちろん、ただ、一社で往復するはずもなく、次の調査予定地である太田市の下調べのため10社ほど訪門し足早に戻ってきたところです。

本来は、のんびり温泉でも入りながらゆっくりと神社を見て回りたかったのですが、スケジュールも立て込んでおり、そういう訳にも行きません。

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鎮座地に近い辺りまで来たものの、それらしきものがない中で、探し回っていると、洗濯物を干しておられたおばあさんにお尋ねしてようやくその在処が分かりました。

正面の山中の一角にあるとの事でした。

お話では、正面に人が通る事ができる道があり、“私達は30分掛けて歩きます。倒木が無ければ良いですが…山中としては鳥居も立派なものがあります…。”との話で、どうやら、全神社中、最もハードな神社を残した事になったようです。

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このような参道も過疎化高齢化が進み管理する人がいなくなっているのです

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これが神社への参道ですが、正面の石州瓦の立派なお宅も既に廃屋なのです


おばあさんのお話では隣の集落(どちらも河内)と併せて祀っているもので、その中間の峠の様な場所に神社が祀られたようです。

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金刀比羅神社 カーナビ検索仁多郡奥出雲町河内515番地


この阿井川も大吉川との合流地名の会川の意味ですね。

寺も一つ二つはあるものの、ダム建設の移転でもあったのか人家の数も少なく、いずれ祭祀が消え去る運命のようです。

実は、中国山地に河内神社なる祭祀が数多く存在しており、本来は河内神社ではなかったかとも考えています。しかし、情報量が少な過ぎ想像レベルにとどまっています。

金毘羅信仰は江戸時代に幕府のフィクサーであった天海僧正が山王一実神道を発動しますが、結果、元の祭祀が金毘羅に置き換わったのかも知れません。

十五分ほど山道の参道を登ると(まだ多少は私の方が速くてほっとしましたが…)、おばあさんのお話の通り確かに鳥居が見えて来ました。

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参道脇には素掘りの井戸が置かれていました。概して、峠の神社に水が無いのは当たり前で、清浄な地であれば、小さな湧水もあったはずで、そうでなくても雨水を集めるだけでも井戸にはなったはずなのです。神饌、神泉、神仙…として神社に欠かせない水を得る方法としては合理的です。

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今回はこれれを見る事ができただけでもこの神社にやってきた甲斐があったという気がしました。

では、社殿をご覧ください。

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参拝殿

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奥出雲町の中心部からかなり山中に分け入った辺境集落である事は明らかです

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県神社庁のデータでは、祭神は金山彦命・素盞鳴命とされています。

一般的に、金毘羅さんは大物主(諸説あるが…)説はあるものの、大国主命とされる事が大半で、金山彦命・素盞鳴命とされる例に遭遇した事がありません。

にもかかわらず、金山彦命・素盞鳴命とされている理由は、江戸期に金毘羅さんに変わっただけで、本来の祭神がそのまま残されているのではないかという印象を受けてしまいます。

そこで思い出したのが司馬遼太郎の『熊野・古座街道、種子島みちほか 街道をゆく (8)』でした。

古座川を訪ねた司馬遼太郎氏は、河内島(河内神社)について次のように書いています。


崖っぷちに玉垣がつくられていて、参拝所めかしく仕つらえられている。沖縄で言えば拝所(ウガンジョ)である。沖縄では神社(御岳(うたき))は古神道どおり社殿をもたない。この熊野の河内神社もそうであった。

崖っぷちの槙の樹のあいだから川をのぞいてみると、なるほど川が岐(わか)れて、形態として河内を為している。瀞(とろ)の青みはまことに碧潭というにふさわしく、その青い流れに洗われて河中に一個の岩礁が盛りあがっている。

その岩礁が、どうやら神の憑代(よりしろ)になっているらしい。古代シャーマニズムが、古代形態のまま息づいているというのは、日本でもめずらしいといえるのではないか。

文献によると、憑代であるこの岩礁の神の名は、スサノオノミコトであるという。韓神(からがみ)である。韓神だからこの地域に朝鮮から渡来したひとびとが住んでいたというのではなく、この祭神は平安期の流行神(はやりがみ)だったからに相違ない。

本来、神に名などはなかった。 河の中の奇礁だから神が宿るにちがいないという古代の形而上的意識がこの岩礁を神聖視するにいたったに相違なく、この岩礁はこの宇宙に一つきりしかないから名などつける必要がなかったのである。                           「朝日文芸文庫」


 どうやら司馬が言うように、河内の神はカラカヌチであり、金山彦、スサノウが本当で、金毘羅さんは後付だったような気がします。

 これで、長年といっても数年ですが、悩み続けて来た瀬戸内海沿岸の山奥に顕著な河内神社の本質をようやく捕えたような気がしています。

 多分、この辺境の集落もカラカヌチの住み着いた地であり、戦後70年が経ち(戦後もしばらくはたたら製鉄は残りますが、森浩一が目撃した最後のカンナ流しは昭和30年前後で終わりになります)、いよいよたたら製鉄の火が完全に消えるとともに集落も潰え去る事になるのでしょう。

 北風が北向きの谷を通り道として入る山陰の谷地集落ではさかんに製鉄が行われていたはずで、河内もそのような集落の一つだったはずなのです。

 そして、「もののけ姫」の舞台の様な集落の一つがこの河内であり、韓鍛冶(カラカヌチ)のカヌチが、カヌチ→カウチと呼ばれ、「河内」と表記されるに至ったのではないかと思うのです。

 そうでなければ、一所に「河内」という集落が山を挟んで存在するはずはないのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:01| Comment(0) | 日記

2018年01月20日

417 奥出雲の神々 24 三成の諏訪神社

417 奥出雲の神々 24 三成の諏訪神社

20170511

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 奥出雲町から雲南市へと抜ける国道314号線脇に鎮座するのが三成の諏訪神社です。

 付近には目立った集落も無い事から、信仰は信仰としても、出雲と言わず人気が高い建御名方を祀る神社を建て通行人からもお賽銭を集めるという仕組みもあったのかも知れません。とまでは思ったのですが。

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社殿は至って質素です 境内には別の祭祀もあります 左 公孫樹(銀杏)寄進、右 山神か?不明

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県神社庁の資料によれば 祭神は 建御名方神 とされています。

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 由緒によれば、諏訪大社の祭祀圏である信州伊那から入った三成氏が奉斎した軍神で良いのでしょう。

 伝統的祭祀でなければ当方の調査の対象ではないことになります。

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研究目的で百嶋由一郎氏の講演の音声CD、神代系譜、手書きデータを必要とされる方は、09062983254までご連絡ください(随時)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:11| Comment(0) | 日記