太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年10月01日

381 心惹かれる宇佐市院内の藤群神社

381 心惹かれる宇佐市院内の藤群神社

20170406

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川  清久


一時間もかからずに行くことができる場所ながら、これまで数十メートル引っ込んでいる事から通り過ぎていた藤群神社を見せて頂きました。

鎮守の杜という言葉が的確な規模、雰囲気、清浄、静粛・・・といったものをそのまま持っているのが藤群神社です。

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宇佐市の安心院、院内が山に囲まれた比較的安全な場所です。

古代に於いても「まほろば」であり、ハート・ランドだった事は一目です。

それを物語るかのように、足一騰宮=一柱騰宮、三女神社、香下神社(北辰神社)が鎮座しています。

その一角と言うよりもはずれにこの藤群神社が鎮座しているのです。

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同社由緒


まず、23神と多くの神様が名を連ねておられますが、その上、明治以降に貴船神社、稲荷神社、八神社、稲荷社が合祀されているのです。


祭 神


蛭子命、菅原神、高龗神、闇龗神、罔象神、素盞鳴男命、大鷦鷯命、大己貴命、倉稲魂命、正哉吾勝日速日、天忍穂耳尊、隈野樟日命、天穂日命、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、天津日子根命、活津日子根命、大山祇命、闇罔象神、水分命、罔象女神、大田命                    23


縁起がそのままお読み頂けるかは分かりませんので、リライトを考えていたところ、良く参考にさせて頂いている「ぐんさん 物見遊山記」がありましたので、そちらをご覧に入れる事に致しました。

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蛭子命、菅原神、高龗神、闇龗神、罔象神、素盞鳴男命、大鷦鷯命、大己貴命、倉稲魂命、正哉吾勝日速日、天忍穂耳尊、隈野樟日命、天穂日命、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、天津日子根命、活津日子根命、大山祇命、闇罔象神、水分命、罔象女神、大田命
 <明治十九年>
 本村字竹の平より : 菅原神 
 字貴船より : 高龗神、闇龗神、罔象神
 <大正二年>
 大字斉藤字源五郎より     : 素盞鳴男命 
 大字斉藤字源五郎の境内より  : 蛭子命
 大字斉藤字余房より      : 正哉吾勝日速日、天忍穂耳尊、隈野樟日命、天穂日命、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、天津日子根命、活津日子根命、大山祇命、闇龗神、高龗神、闇罔象神
 大字斉藤字余房の境内より   : 水分神
 大字落狩倉字本宮より     : 高龗神、闇龗神、罔象女神
 大字落狩倉字本宮の境内より  : 倉穂魂命、大田命
 大字斉藤字出切より      : 大鷦鷯命
 大字斉藤字出切の境内より  : 高龗神、闇龗神、罔象女神、大己貴命、倉稲魂命
また、境内神社として以下の4社がある。

 貴船神社 : 祭神 高龗神、闇龗神、罔象女神  明治十八年七月 本村字貴船より移転
 稲荷神社 : 祭神 倉稲魂命、大田命  明治十九年六月 本村字イフクの上より移転
 八神社  : 祭神 正哉吾勝日速日、天忍穂耳尊、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、
 熊野樟日命、田心姫命、湍津毘賣命、市杵島比賣命  明治十九年六月 本村字宮ノ瀬より合併
 稲荷社  : 祭神 倉稲魂命、大田命  明治十九年六月 本村字逆水より合併

社地西側の境内入口に建つ石造鳥居。

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まず、建御名方神を祀る神社ならばともかくも、蛭子=惠美須神を直接祀る大社というのはあまり見かけません。

もちろん数は多いのですが小さな祠が多く、この事は事代主がそれほど高格式の神ではない事を物語っています。

しかし、「蛭兒宮」と書かれた古い額束が残されている様に古い時代から事代主=恵美須を祀る神社であった事は明らかです。

まず、そういった一般性から言えば蛭子命が筆頭神になっている事については違和感がある上に、もしかしたら、この藤群一帯には相当に古い時代から恵比須の直接的末裔の方が住み着いておられたのではないかとまで考えてしまいます。

まず、蛭子命=事代主とは何かから理解しなければなりません。

通説の方は大国主命の子である事代主命と建御名方命とを、大国主命から国譲りについて意見を求められ直ぐに同意した兄の事代主命に対して、最後まで抵抗し諏訪に閉じ込められた弟の建御名方命と言った理解をされているのですが、百嶋神社考古学ではそれを認めません。

この三柱の神は、共に博多の櫛田神社の大幡主の配下で活動していたのでした。

このため、大国主、事代主と尊称と言うか称号としての「主」が付されているのであり、天御中主、経津主=山幸彦、大物主…も同様にこの大幡主の一族である事を理解して下さい。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

まず、大国主命はトルコ系匈奴と考える越智族の大山祗と白族であり、博多の櫛田神社の大幡主の妹である埴安姫との間に産れた言わば本家同志のハイブリッドのエリートなのですが、建南方は出雲系どころか阿蘇の草部吉見の子であり、事代主は同じく草部吉見の孫である贈)崇神の姉の活玉依姫への入婿が事代主(古々代ヘブライ系)であり、直接的には大国主命との関係は辿れないのです。

結局、草部吉見系の血を引くも、スサノウの子である長脛彦(ナガスネヒコ)の姉であるオキツヨソタラシの血を引いた建御名方が国譲徹底抗戦派となり、草部吉見の血を引く活玉依姫への入婿の事代主が国譲り賛成派になっている事が見えるのです。

もしかしたら、健御名方はスサノウ〜ナガスネヒコの血を引き、再度の逆賊扱いとなった事から「主」の称号を持たず、大幡主系統からも慎重に排除された様に見えるのです。

もしも、この大幡主の影響力が大きい事がはっきりわかれば、院内の「院」とは忌部の「忌」の置換えであり、瀛氏の「瀛」の置換えである可能性も考えておかなければならなくなるのです。

それは、国東半島の伊美も同様で、石清水八幡宮別宮社の伊美別宮社とは忌部、紀氏、橘一族を意味しているのではないかとも考えられるのです。

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百嶋由一郎神代系譜(伊予系譜)部分

明治以降の合祀はこの際取り上げないとしても、23柱の神がお分かり頂けるでしょうか?

蛭子命、菅原神、高龗神、闇龗神、罔象神、素盞鳴男命、大鷦鷯命、大己貴命、倉稲魂命、正哉吾勝日速日、天忍穂耳尊、隈野樟日命、天穂日命、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、天津日子根命、活津日子根命、大山祇命、闇罔象神、水分命、罔象女神、大田命


まず、正哉吾勝日速日と天忍穂耳尊は同一神であるため22神となります。

続く隈野樟日命は実はイザナギと別れた後のイザナミの別名であり(白族)、天穂日命は大幡主の子でありヤタガラスと呼ぶ方がお分かりになると思います。豊玉彦(白族)、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の宗像三女神となるのですが、勿論、三姉妹という訳でもありません。

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ただ、両神とも大国主命のお妃となられている事から、姻族として考えれば、結果として姉妹にと言えない事もないと言った具合です。夫を通じて姉妹と言えない事はない。悪く言えば妾は皆姉妹なのです。

ただ、「古事記」に従えばスサノウの娘であり、続く、天津日子根命、活津日子根命は誓約により産まれた天照の子となる訳です。

この多くの祭神から本来の神が何であるかは判別が付き難いのですが、何とか解析して見ましょう。

どうもエビスが下剋上をやっている印象があるのですが、事代主が筆頭に掲げられている事を尊重し、事代主を祀る神社とは認めましょう。

気になるのは大鷦鷯命が祀られている事です。

何度も言ってきた事ですが、仁徳天皇は九州王朝の最後の天皇であり、宇佐市の神社であるにもかかわらず応神天皇など片鱗もありません。どうも、本来の神様が残されているようです。

罔象神(?)、素盞鳴男命、大己貴命、倉稲魂命(伊勢外宮=伏見稲荷)、前述した神々を飛ばして、大山祇命、闇罔象神、水分命、罔象女神、大田命とここらが本当の祭神のような気がします。

ただ、罔象女神はスサノウのお妃として理解できますが、罔象神と闇罔象神は見当が付きません。

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祭神が多すぎて中々分析できません。しかし、ここで思い当たる事があります。

藤群という地名です。藤は藤原の藤である事は鮮明です。

正哉吾勝日速日=天忍穂耳尊の末裔が藤原ですからとりあえず納得してしまいます。

問題は「群」ですが、ムル、ムレ、ムロは古代朝鮮語という曖昧な概念ながら、村という言葉の語源であり、群れるという言葉でもあるのです。

大己貴命、大山祇命はトルコ系匈奴だと申し上げて来ました。そうなのです。「群」「室」「牟礼」はトルコ系匈奴が入った痕跡地名と考えていますので、密かに整合性を感じてほくそ笑んでいるのです。

そして、高良大社が鎮座する久留米の高良山も古くは高牟礼山と呼ばれていたのです。


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 01:03| Comment(0) | 日記