太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2017年08月02日

361 蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 A 鳥瞰

361 蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 A 鳥瞰

20170211

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川  清久


先に、「ひぼろぎ逍遥」 extra038 蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 として、本来、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)に掲載すべきものを先行掲載しましたが、オンエア後になって、場所を分かって頂くための位置図を添付していなかった事に気付きました。

 今回は、蘇民将来 巨旦将来の本当の現場であると考えられる一帯の地図を改めて鳥瞰(俯瞰)する事にしました。

 一般的には「備後国風土記」逸文との関係からその現場は備後(福山)辺りであろうといった理解が普及しています。

当然、その一帯についてもフィールド・ワークを何回もおこなったのですが、どうもそうとは言えないようなのです。そこで、「ああ、ここにも蘇民将来 巨旦将来伝承が良く残っているなあ…」と思ったのが、この宮崎県五ヶ瀬町鞍岡の祇園神社だったのです。

無題.png

祇園山の麓の祇園神社の縁起に見る「蘇民将来、巨胆将来」


蘇民将来

無題.png蘇民将来(そみんしょうらい、非略体: 蘇民將來、蘓民將耒、 – 将耒、など)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰である。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(おもにスサノオ)を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。なお、岩手県県南では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。陰陽道では天徳神と同一視された。

説話

古くは鎌倉時代中期の卜部兼方『釈日本紀』に引用された『備後国風土記』の疫隈国社(えのくまのくにつやしろ。現広島県福山市素盞嗚神社に比定される)の縁起にみえるほか、祭祀起源譚としておおむね似た形で広く伝わっている。

すなわち、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ、むとうしん)を裕福な弟の将来(『備後国風土記』では「或本作巨旦將來也」とあり、巨旦将来〈こたんしょうらい〉と表記され、金神のこととされる)は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼした。武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。

蘇民将来の起源

武塔神や蘇民将来がどのような神仏を起源としたものであるかは今もって判然としていない。

武塔神については、密教でいう「武答天神王」によるという説と、尚武の神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説が掲げられるが、ほかに朝鮮系の神とする説もあり、川村湊は『牛頭天王と蘇民将来伝説』のなかで武塔神と妻女頗梨采女(はりさいじょ)の関係と朝鮮土俗宗教である巫堂(ムーダン)とバリ公主神話の関係について関連があるではないかとの説を述べている。

蘇民将来についても、何に由来した神かは不明であるものの、災厄避けの神としての信仰は平安時代にまでさかのぼり、各地でスサノオとのつながりで伝承され、信仰対象となってきた。

ウィキペディア20170211 0938による

無題.png

宮崎県五ヶ瀬町祇園山山麓 鞍岡の祇園神社


 では、百嶋神代系譜(蘇民将来、巨胆将来)を御覧いただきましょう。

 これによると、まず、敵役の巨胆将来ですが、金凝彦(カナコリヒコ)とします。現在の阿蘇神社の神殿最奥部に祀られている神沼河耳(実は藤原によって第2代贈)綏靖天皇と格上げされた阿蘇神社の隠された主神)なのですが、再建途上にある阿蘇神社に行かれて禰宜にでも「金凝彦様は祀られておられますか?」と尋ねられれば、今でも直ぐに、「神殿の最奥部に祀られております」とお答え頂けるでしょう。

 実はこの神沼河耳の腹違いの兄弟が阿蘇高森の草部吉見神であり建磐龍命なのです。ただ、草部吉見の娘である阿蘇ツ姫を建磐龍命がお妃としている事から、同時に義理の親子とも言えるのです。

もう一人の主役である蘇民将来については、百嶋先生からもはっきりここに居たとの話を聴いてはいません。あくまで推定ですが、当然にも彦八井、神八井を祀る、草部吉見神社周辺高森町草部周辺の人であると考えています。理由は薄弱ながら簡単です。

草部吉見神社の縁起による祭神は以下の通りであり神八井命は外されているのですが、夏の大祭の時だけに見る事ができる草部吉見神社の神代系譜には神八井がきちんと書かれているのです。


一の宮 日子八井命    二の宮 比東芬q命   三の宮 天彦命    四の宮 天比当ス

五の宮 阿蘇都彦命   六の宮 阿蘇都比当ス  七の宮 新彦命    八の宮 彌比当ス

 九の宮 速瓶玉命     十の宮 若彦命     十一の宮 新比当ス  十二の宮 彦御子命


無題.png



















この系譜は「ひぼろぎ逍遥」035を参照下さい

無題.png

百嶋神代系譜(蘇民将来、巨胆将来)部分


 そして、伝承には幾つかのバリエーションがあるのですが、スサノウは龍宮にお妃を貰いに行く途中一夜の宿を乞うたという話になっているのです。そのお妃こそアカルヒメであり、博多の櫛田神社の大幡主=塩土翁=神皇産霊の娘(系譜参照)であることも見えてくるのです。

 恐らく、この「蘇民将来、巨胆将来」伝承を継承しているスサノウ系氏族のいた土地こそこのスサノウの姉クラオカミを祀る五ヶ瀬町鞍岡であろうとまで考えざるを得ないのです。

 まず、最低でもスサノウはこの鞍岡の地を経由し滞在したと思います。

 単純には言えませんが、クラオカミこと神俣姫は鞍岡に居たからクラオカミと呼ばれていた可能性があり、しかも、伝承では後にスサノウから滅ぼされることになる巨胆将来のお妃ともなっている事を考え合わせれば、阿蘇からそう遠くないところでなければならないはずなのです。

してみると、鞍岡は十分に現実味があり符合する場所に居た事になるのです。

 さらに言えば、百嶋神代系譜では、巨胆将来=神沼河耳のお妃が神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)のお妃であったアイラツヒメを継承した(神武天皇とは別れている)事を考えれば、そのアイラツヒメの実の兄であった五瀬命(有名な神武皇兄イツセノミコト)もこの五ヶ瀬の地にいたからイツセノミコトと呼ばれている可能性を考えざるを得ないのです。

無題.png

すると、この本物の神武天皇、神沼河耳、アイラツヒメ(神武と別れた後に蒲鴨池姫としているのですがこの事を阿蘇宮司家は知っているはずですが否定されています)もこの一帯にいたのです。

 いずれにせよ、阿蘇一の宮と南阿蘇の高森とは直線で15キロ程度、さらに、五ヶ瀬町、鞍岡も高森から直線で15キロ程度である事を思えば、全ての関係者は阿蘇高森を中心とする半径20キロ程度の所に居た可能性があるのです。

 どのように考えても、阿蘇高森町草部を中心とするエリアでこの蘇民将来、巨胆将来伝承が生じたのであり、その後のスサノウ系氏族の移動に伴い全国にこの伝承が広がったと考えられるのです。

 しかし、この背後にはスサノウ系(新羅系と言うよりペルシャ系)氏族と、雲南省麗江から進出避退してきた黎族(阿蘇氏、多氏、宇治氏、耳族…)の間に生じた民族衝突が反映されているものと思うのです。

 皆さん、同時にこの話が現在の「茅輪神事」「茅輪潜り」に繋がっている事もお考えください。

 最後に、巨胆将来と推定される阿蘇の神沼河耳がスサノウ側からは意地悪をしたような扱いにはなってはいますが、神代(実は古代)には民族と民族の衝突が起こっているのであり、どちらが悪いと言う事はないのです。耳族も漢族と最後まで闘い大陸から避退したのであり彼等への共感も否定できないのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:18| Comment(0) | 日記

2017年08月04日

362 ある神社の摂社の祭神が隠され逆に推定の正しさが見えてシマッタ!

362 ある神社の摂社の祭神が隠され逆に推定の正しさが見えてシマッタ!

20170211

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


現在、神社専門チャンネルの「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」において、猿田彦大神=ニギハヤヒ=山幸彦=五十猛…の解析を試みています。

まだ、仮説段階の作業中ながら、様々な角度から猿田彦が何者であるかに迫っているのですが、当面、下記の二十本のblogを公開作業中です。

勿論、現在オンエア中の@〜Sに引き続く作業も進めようと考えて一部は書き上げてもいるのですが、他のテーマもあり、しばらくおいて余裕が出てくれば再び取り組むつもりでいます。

そうした中、某研究会において、猿田彦の解明と称して、“サンゴ礁からやって来た猿田彦”などと「古事記」絡みの柳田民俗学風の話だけを軸に、ヒラブ貝まで取り出してさも実証的でもあるかの様に装い、大道芸人風の話をされる方まで出てくる始末で、実に情けないとの感想を持った次第なのですが(通説派の行政に売り込もうと執心の例のK県K市K神社の宮司)、このような方々の言説はひとまず置くとして、全国的視野で俯瞰的に解析を進めてくると確かに猿田彦の全貌が多少とも浮かび上がってきた気がしています。



300

大宮神社と猿田彦大神 S “総括:百嶋由一郎神代系譜と猿田彦”

299

大宮神社と猿田彦大神 R “広島県庄原市の蘇羅比古神社にも山幸と豊玉姫が…”

298

大宮神社と猿田彦大神 Q “岡山県津山市の大美禰神社も天宇受賣命を祀る古社”

297

大宮神社と猿田彦大神 P “『儺の国の星 拾遺』の真鍋大覚は猿田の意味を知っていた”

296

大宮神社と猿田彦大神 O “猿田彦は何故猿田彦と呼ばれたのか?”

295

大宮神社と猿田彦大神 N “ひぼろぎ逍遥051 出雲の佐田神社と安心院の佐田神社 再掲”

294

大宮神社と猿田彦大神 M “鹿島、香取でご存じの香取神社の経津主も

猿田彦大神なのです”

293

大宮神社と猿田彦大神 L “福岡県豊前市の四公神社“

292

大宮神社と猿田彦大神 K “全国展開された猿田彦大神“

291

大宮神社と猿田彦大神 J “古代日向のヤゴローどん も猿田彦なのです“

290

大宮神社と猿田彦大神 I “山幸彦=猿田彦のもう一つのルーツについて”

289

大宮神社と猿田彦大神 H “猿田彦専門のサイトから”

288

大宮神社と猿田彦大神 G “猿田彦がニギハヤヒで山幸彦であることについて”

287

大宮神社と猿田彦大神 F “山幸彦=ニギハヤヒは博多の櫛田神社の

主神の大幡主の子であった”

286

大宮神社と猿田彦大神 E “佐野経夫(神理教教団)と菊鹿町「吾平」の

ウガヤフキアエズ陵”

285

大宮神社と猿田彦大神 D “佐野経夫(神理教教団)と猿田彦大神”

284

大宮神社と猿田彦大神 C  転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は

熊本県山鹿市で産まれた! ”

283

大宮神社と猿田彦大神 B “大宮神社の地主神が大宮神社の主祭神か?” 

282

大宮神社と猿田彦大神 A “大宮神社の猿田彦大神石塔と摂社群” 

281

大宮神社と猿田彦大神 @ “山鹿市の大宮神社とは何か?


この20blogがオンエアされる頃には既に掲載は完了しているものと思いますが、そうした中、ある程度予想していた事とは言いながら、神社の神聖性とか神社への尊崇の念を失わせるようなニュースが入ってきました。

それは、284 大宮神社と猿田彦大神 C  転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた! ”で取り上げた某神社の境内摂社の祭神が書かれた額が無くなっていたという情報が、熊本神代史研究会(仮称)のあるトレッキング・メンバーから齎されたのでした。

まだ、当方は確認していないのですが、実はこれまでにも同じような話があったのでした。

それは、「高良玉垂宮神秘書」が“高良玉垂命(実は第9代開化天皇)と神功皇后とが夫婦であった”と書いている(通説とは全く異なる神代=古代の真実の一端)その真実の一端を示す物証とも言えるもの(神功皇后の神像)が、下で書いている神社に存在していたのですが、blog掲載後半年を待たずして神殿から撤去されたという事例を承知しているのです。

まさに、通説派にとっては、仲哀天皇と神功皇后の子である応神天皇こそ正統とする話が怪しい事になりかねないものだったのでした。関心をお持ちの向きには、以下のblogをお読み頂き、神社というものがどのようなものであるかをお考え頂きたいと思うものです。


「ひぼろぎ逍遥」


153

超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮”


「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)


42

超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮”


無題.png

今や見る事ができなくなった神功皇后の神像


では、今回、消えた櫛稲田姫の両親神の神名額を御覧いただきましょう。


再掲載(部分)


284

大宮神社と猿田彦大神 C  転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた! ”


勿論、はっきりお示ししても良いのですが、百嶋先生の話されている内容を自らの頭で考え、自らの足で探そうとする人だけにその真実が得られるようにしなければ、結論だけが独り歩きし、既存の権威にふんぞり返る神社関係者、文化関係者から排斥され攻撃されてしまう事が火を見るより明らかだからです。

このため、ここでは百嶋先生が把握されていたクシナダヒメの出自、つまり、父、金山彦と母、埴安姫との間に生れ事が推定できるもの、また、その権威=秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ一族のシンボルとしての紋章が残されている事、旧稲田村であった事…などをお知らせするだけとし、後はご自分でお考え頂きたいと思います(この神紋はクシナダヒメの娘の鴨玉依姫の神紋なのです)。

無題.png

今回のキー・ワードは、金山彦と埴安姫を祀る摂社があり、極秘中の極秘のモーセの十字剣神紋があり、付近に稲田地名が存在している事、さらには、その先にもアイラツヒメを祀る神社吾平神社があること、何よりも、この神社には極秘の伝承が残されていた様で、百嶋先生も、直接、先々代辺りの宮司からお話を聴かれていたのだと思います。

戦前の宰相清浦 奎吾や松野鶴平を生み出し、その後も松野頼三、松野頼久を輩出する山鹿〜菊池に掛けての一帯は、神代から何らかの力が送り込まれているのではないでしょうか?

では、先に百嶋最終神代系譜をご覧いただきましょう。

無題.png

百嶋最終神代系譜(部分)


さて、金山彦の娘(腹違い)で、本当の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)のお妃であるアイラツ姫(後の名は蒲池姫)も、この一帯にいたことが想像できるのです。

勿論、現在横行している「阿蘇神話」では、速瓶玉命(阿蘇国造)の妃の蒲智比当ス(カマチヒメ)=郡浦神社の主祭神としています。

 この奥に相良(アイラ)観音がありますが、この地も明治の吾平(アイラ)村なのです。

 これらについては、久留米地名研究会のHPから「吾平」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)128130そして、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)082 神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”をお読みください。

 なお、この「十字剣」神紋は、現在でも福岡市内の数ケ所に残されていますが、東の方の某(N)神社の奥深くにも隠されています。

 これこそが、金山彦が秦の始皇帝と姻戚関係を持った証拠であり、各所でひた隠しにされているものです。

 神社庁もこの事実は把握していたはずですが、ひた隠しにして教育を疎かにしてしまえば、いつの間にか嘘がまかり通り、それが権威者といった振る舞いに変わり、本当の話をすればあしらわれてしまう事になるのです。

 否定される方否定されて構いませんが、そうであれば、何故、この神社にはこの十字剣神紋があるのかを説明して頂きたいと思うものです。

 この一帯には鎌倉期に宇佐神宮の神威が広がり、天皇などでは全くない贈)応神が幅を利かせ八幡神が覆い被さっています。当然にも、金山彦、埴安姫は境内摂社に秘かに祀られています。

 まあ、大体に於いて正面に出ている大社、縁起式内社の神様は本来の神様でも格式の高い神様でも無い事が大半なのです。

 この神社の宮司家にしても本当は嫌々受け容れ、面従腹背のうちに秘かに本当の神様を残そうとされている事と思うものです。

 皆さんも本当の神社にお賽銭を振る舞われて、下剋上で伸上った成り上がり者の神様(応神など)を無視して頂く様にして頂きたいものです。


さて、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか?

 まさか、前述の3K宮司などの入智慧などではないでしょうが、勿論、blogの公開に伴う影響が反映された可能性が十分にある事から、皆さんにもお考え頂いているのであって、判断は皆さんにお任せしたいと思います。

 この事は、多くの神社の祭神が過去何度となく多くの神社で入れ替えられ、加えられ、隠され続けて来た事を同時に示しているのです。

 中には貴重な文化財を妙な話で見えなくしてしまうとはとんでもない…と考えられる方もおられるかも知れません。しかし、それは物事の表面だけしか見ていない様に思えます。

 勿論、当方としても多少惜しい感じはするのですが、仮に誤りであっても、解析し記録に留め後世に引き継ぐ事ができなければ貴重な文化財などと言ってはみても、間違った歴史、解釈が伝えられる値打ちは全くないのであって、逆に誤りであれば、本来、自ら正しい解説を行い、広く公開する責務を持っておられるはずなのです。

 ましてや、とんでもない見当違いの話をしているのであれば、笑い飛ばして放置していれば良いだけの事であり、もし、撤去されたのであれば、それは、逆に琴線に触れた、若しくは真相に迫ったとしか考えられない訳で、当方の探究の方法とその結果が正しかったことを証明している様に見えるのです。

 この点が、当たり障りのない前述の大道芸人か道化師めいた猿田彦サンゴ礁起源説などは人畜無害で、浅薄な内容の間は気に留められる事は一切ないのです。

 この点が、邪馬台国佐渡島説とか八丈島説とか四国山上剣山説のような荒唐無稽な話は町興し村興し宜しく、行政や学芸員もバック・アップするのですが、それは最初から人畜無害であって、学会通説も目くじらを立てないからなのであって、「九州王朝論」などといった真実に近接するものからはそそくさと撤退されるのはそれが真実に近づく可能性があるからなのです。

 これで、福岡県旧瀬高町の某神社に続く二つ目の事例になるのですが、もしこれが単独の判断ではなく、神社庁とか行政筋からの指示orアドバイス…であったとしたら、文化行政とか神社一般の在り方と言ったものの深層が見えた思いがするところです。

 最早、現在も既に戦前の国体明徴運動下の状況と同様と言うべき文化的閉塞状況にあることは間違いが無く、自らのグループ全体を含む、百嶋神社考古学に携わる20人に近い研究者の研究内容の保全と継承とバック・アップ体制の整備のために心しておく必要があると思うものです。

 前述の大道芸人同様の行政に擦り寄り売り込もうとするさもしい方ならばいざ知らず、少しでも真相に近づこうとされる方は、今後とも精神性を強固に探究し続ける事を心がけなければならないと、改めて再認識させられたのでした。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2017年08月06日

363 「ひぼろぎ逍遥」 阿蘇の乙姫とは何か? “産山村乙宮神社のお姫さま”再考

363 「ひぼろぎ逍遥」 阿蘇の乙姫とは何か? “産山村乙宮神社のお姫さま”再考

20170214

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


以前、「ひぼろぎ逍遥」374 阿蘇の乙姫とは誰か? “産山村乙宮神社のお姫さま”(20160729において、このように書いています。

 無題.png最近は「この神社の神様はどなたの事でしょうか?」といった質問が頻繁に入ります。

勿論、直ぐに分かる場合もあれば、その神社の存在さえも知らない場合もあります。そうした中、「阿蘇の乙姫に来てるんですが、乙姫さまはどなたでしょうか?」という質問が入りました。

 この神社については承知していましたが、このようなある意味で俗受けする神社に関しては興味を持っていなかったことから直ぐにお答えできる状態ではありませんでした。

 菊池市旭志麓にも乙姫神社がありましたので、こちらの乙姫神社は見たことがありましたが、あまり本気で考えていなかったというのが正直なところでした。

 ただ、ある程度の見当は着いていたことから「多分、産山村の乙宮神社と関係があると思うけど、祭神の呼称が草部吉見神社と阿蘇神社と乙宮神社で共通しているかどうかが不明で、自信がないので直ぐには答えられない…」といったお答えをしていました。

無題.png

まず、「熊本県神社誌」上米良純臣(編著)173pには

村社 乙姫神社 阿蘇町乙姫1317 祭神 若比盗_ 仁寿元年(851

 とあり、若比盗_を探し出せば良いことになります。

 同じく「神社誌」181pには

乙宮神社 産山村産山2241 祭神 若比盗_・健磐龍命 (若比桃~誕の地と云う)

 とあり、乙宮神社の由緒には、

阿蘇神社の摂社で勧請年代不詳、旧村社で産山地区一円の産土神として崇敬されている。

阿蘇宮六宮に、若比盗_は、彦御子神の妃として祀られているところから、古来より本村では、阿蘇大神御嫡孫、御生誕の地は乙宮であり、「産山」という地名の起こりであると言い伝えられている。

神殿は総ケヤキ造りで、華麗な彫刻と枡組が施され荘厳である。                    産山村HPより


これについては阿蘇神社の祭神を再度確認しましょう。

以下の12柱の神を祀り、阿蘇十二明神と総称される。


一の神殿(左手、いずれも男神)

一宮:健磐龍命 - 1代神武天皇の孫

三宮:國龍神 - 二宮の父。神武天皇の子で、『古事記』では「日子八井命」と記載

五宮:彦御子神 - 一宮の孫

七宮:新彦神 - 三宮の子

九宮:若彦神 - 七宮の子


二の神殿(右手、いずれも女神)

二宮:阿蘇都比当ス - 一宮の妃

四宮:比東芬q神 - 三宮の妃

六宮:若比盗_ - 五宮の妃

八宮:新比盗_ - 七宮の娘

十宮:彌比盗_ - 七宮の妃


諸神殿(最奥、いずれも男神)

十一宮:國造速瓶玉神 - 一宮の子。阿蘇国造の祖

十二宮:金凝神 - 一宮の叔父。第2代綏靖天皇を指すとされる


産山村のHPでは阿蘇神社の六宮=五宮:彦御子神(健磐龍命の孫)の妃が産山村の出身であり、阿蘇神社の彦御子神の母方の実家が乙宮であると言うのです。


無題.pngそして、乙姫神社の縁起からは、この若比唐ニ速甕玉命(阿蘇国造神社の主神で実は大山咋命)の子である惟人命から現在の阿蘇家が発生しているとしているのです。

 これについては、百嶋先生はそうお考えではなかったようです。

 以下(アイラツ姫系譜)を見て頂く必要がありますが、これによると、惟人命は速甕玉命の子ではなく、草部吉見と拷幡千々姫(高木大神の次女)の間に産まれた天忍日・新(ニュウ)彦と、健磐龍と(草部吉見と(拷幡千々姫(高木大神の次女)の間に産まれた)阿蘇ツ姫の間に産まれた新(ニュウ)姫・雨宮姫(相良村外の雨宮神社の祭神)の間に産まれているのです。

 してみると、現在の阿蘇家は、先住の支配者であった高木大神系の血がかなり濃い事が分かるのです。

 ただ、この系譜をもってしても阿蘇産山村の乙宮神社の一族がどのような系統なのかは依然として不明です。今のところ、草部吉見のお妃とされる比東芬q命(草部吉見神社の二宮=阿蘇神社の四宮)も高木大神系の萬幡豊秋ツ姫の妹拷幡千々姫であり、それも産山村出身ではないかと考えているところです。

 今後とも探究を続けます。

無題.png

無題.pngさて、ここからが今回お話しする新たなテーマです。

 左は阿蘇の乙姫神社の縁起に出ている阿蘇氏の出自を示す神代系譜です。

 言うまでもなく阿蘇系神社の多くは、神武天皇の子とする神八井耳命の子である健磐龍命と阿蘇都比当スとの間に産れた速甕玉命の子が阿蘇氏の祖である惟人命であり、その妃である若比当スから阿蘇家が生じたとしているのです。事実、阿蘇家の公式HPでもそのようにしています。以下↓

無題.png


さらに、産山村のHPでは阿蘇神社の六宮=五宮:彦御子神(健磐龍命の孫)の妃が産山村の出身であり、そのお妃の母方の実家が産山村の乙宮であると言っているのです。

勿論、百嶋神社考古学ではそのようには考えていません。

 ご覧の通り本物の(神武僭称贈崇神天皇=ハツクニシラスではないという意味で)神武天皇のお妃であったアイラツヒメの払い下げを受けたか?逆に神武を袖にした?かは不明ですが、そのアイラツヒメを妃にした神沼河耳との間に建磐龍命が産まれている(阿蘇家では神八井耳の子とする)とするのです。


無題.png

無題.pngまず、建磐龍命のお妃は、阿蘇高森の草部吉見神と高木大神の次女である拷幡千々姫との間に産れた阿蘇都姫(天豊ツ姫=天比理刀刀jなのです。

それは、阿蘇神社の縁起でも、二宮:阿蘇都比当ス - 一宮の妃

三宮:國龍神 - 二宮の父。神武天皇の子で、『古事記』では「日子八井命」と記載 としている事でも明らかです。

 勿論、國龍神が草部吉見=日子八井命なのですが、結局、阿蘇家の建磐龍は草部吉見の娘でもある姪(高木大神の血を引いた)を妃として生まれたのが新姫=雨宮姫(熊本市、人吉などに雨宮神社が数社)であり(どうやら男子は産まれていないようですね)、結局、阿蘇家を継いだのは、五宮:彦御子神 - 一宮の孫惟人命) で、そのお妃が 六宮:若比盗_ - 五宮の妃 だったのです。

そして、その若比唐ェ産山村の乙宮神社の娘であった事から乙姫様と呼ばれ、乙姫神社として祀られたのだと考えられるのです。

この乙姫様=若比が百嶋神代系譜の一枚=阿蘇系系譜(お騒がせ娘)だけに書き留められているのです(右→)。

問題は、この乙姫様=若比とは如何なる方かです。

これについては、次のお騒がせ娘系譜の全体を読み取る事によって分かってくるのです。

ご覧の通り惟人命若比腹違いの伯父と姪の関係にあり、惟人命は新(ニュウ)彦、新(ニュウ)姫の子であり、若比当スは新(ニュウ)彦と興ツ姫(草部吉見と宗像系市杵島姫の娘)の孫娘になり、高木大神の次女である拷幡千々姫の血を引く一族が阿蘇家の外戚であり実質的な本家なのです。

このことから、阿蘇家(事実上、惟人命と若比唐ノ始まる)の母方の実家=乙宮が鎮座する産山村が高木大神系の集落である事までが見えてくるのです。

それを阿蘇北宮(速甕玉=大山咋=日吉神社=山王宮…)の流れから出ているとしているところが、阿蘇家が公表している系譜と百嶋由一郎(お騒がせ姫)系譜と異なるのです。

その様な系譜仕を立てた背景に何があるかについての推定は、次に回しますが、一つは、阿蘇ツ姫が天豊ツ姫→阿蘇ツ姫→天比理刀刀ィ寒川姫→杉山姫(川崎など神奈川県内に杉山神社が数十社ある)と名を変えている背景にこの高木大神の孫娘が最終的にヤタガラス(豊玉彦)の妃として納まったという話が阿蘇家にとって好ましくなく、また、阿蘇北宮(速甕玉=大山咋…)とすることが、阿蘇家にとって有利だった事からではないかと思えるのです。何故なら、阿蘇北宮の息子が贈)崇神天皇であり、その流れから藤原氏が出ていると考えられる事から、結果的に阿蘇家の出自をそちらに接ぎ木したように見えるのです。

無題.png

百嶋由一郎神代系譜(お騒がせ姫)

研究のために神代系譜を必要とされる方は09062983254までご連絡ください

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:00| Comment(0) | 日記