太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年01月05日

281 大宮神社と猿田彦大神 @ “山鹿市の大宮神社とは何か?

281 大宮神社と猿田彦大神 @ “山鹿市の大宮神社とは何か?

20160721

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


熊本県山鹿市の中心部に大宮神社があります。

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 この神社の神殿裏には、あたかも本来の神でもあるかの様に北部九州の主要な神々を祀る多くの摂社群が居並び、参拝殿右手横には八坂神社が、左手には謎の摂社地主神が鎮座しているのです。

 この神社は、古代においては列島最大穀倉とも言うべき菊池盆地(気取って菊鹿盆地などと呼ぶ必要はないでしょう)を睨む菅制高地とも言うべき要衝に位置し、対岸の千田聖母八幡宮(聖母宮)と共に菊池、山鹿の一帯で最も重要な神社と言えるでしょう。

 まず、 一般的には“よへほよへほ”の山鹿灯篭祭や「景行天皇伝承」として知られる神社です。

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山鹿温泉観光協会HPより


 表面に祀られている通説をそのまま真に受け入れられる幸せな方々は別として、この神社が如何なるものかを解析する事無くして肥後の古代を云々することはできないと考えていますが、実際にはかなり難しい作業になりました。

 それは、先住神と思われる「地主神」が誰であるかの見当が全く着かなかったからでした。

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「大宮神社の祭神は何ですか?」と問われれば、藤原により第12代とされた景行天皇+阿蘇12と言えばその通りですが、それは鎌倉期から室町期に掛けて覆い被さって来たもののはずで、景行(実は玉名の疋野神社の疋(ハイキ)の神=御歳神=贈)孝安天皇の子)に至っては明治期から(県社昇格のため)の事かも知れないのです。

そう考えれば、この山鹿の民が先祖代々守ってきた本当の神様を探し出すことこそが本来の神社探究であり本来の地元の信奉する神々を復興させる事とも言えるでしょう。

従って、神社探究とは、決して御朱印帳や由緒書きを集める事でも、景行天皇の御業績とやらを頭に刻む事でも、阿蘇の12神を覚える事でもなく、神社の基層(古層)に生き残る本当の祭祀を救いだし、総じて自らの出自を探る事なのです。

さて、その話に入る前に、人吉盆地の一角、多良木町黒肥地にも同名の「大宮神社」(オオグウ)という神社が存在しています。単なる偶然かも知れませんが、一応確認しておきましょう。

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王宮神社 カーナビ検索 熊本県球磨郡多良木町黒肥地1278


「熊本県神社誌」(264p)によると抑制気味ながらもこの神社が唯ならぬものであることが読みとれるのです。まず、黒肥地神宮(王宮)と大書(ボウルド)され祭神も神武天皇の一柱とされているのです。

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「太郎・田部忠綱当郷に来たって久米蓑毛に住し、帝廟を勧請して王宮大明神と崇祀った。その後現在地に遷座」と書かれているのです。現在、この掲示板は現在確認できません。

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神殿最上部と参拝殿の軒に五七桐の神紋が打たれており相当に重要な神社であることが分かる


この久米が付された土地ですから、単に勇壮さに肖って付された地名とも思えず、古代の何らかの関係者(例えば大友旅人の隼人征伐にも参加した久米族の末裔の残留者…)が住み着いた土地ではないかとも思えるのです。

 では、この久米郷の摂社を「熊本県神社誌」からご覧ください。


 久米熊野座神社  熊野三神          白族

 若宮神社     健磐龍命外二神       阿蘇系(多少疑問?)

 治頼神社     相良治頼          相良氏(実体はニギハヤヒ系ではないか?)

 菅原神社     菅公            菅原系(白族かスサノウ系か?)

 年神社      大年、御年、若年神     草部吉見系

 八坂神社     素戔嗚尊・櫛稲田姫     スサノウ系


「熊本県神社誌」122pによる大宮神社(山鹿市)

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現在の祭神と八坂神社のスサノウは良いとして、残りの五つの摂社の主はお分かりでしょうか?

 高住神社の天照皇大神外二神は始め思いつかなかったのですが、当然にも彦山の北谷の高住神社だったわけです。ただ、天照以外の二神は特定できません。

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金刀比羅神社の大物主は一般的には大国主命とされますが、百嶋神社考古学では大山咋=松尾=日吉=日枝=佐田大神とします。

 興玉宮の猿田彦神は問題なく理解されると思いますが、何故、興玉宮と呼ばれているかは分かられないと思います。

 それは、猿田彦とは、伊勢の外宮様(=豊受大神=伏見稲荷=辛国息長大姫大目命=天鈿女命)の夫でもある山幸彦=ニギハヤヒだからなのです。

 しかし、興玉宮とは二見ケ浦の名の通り夫婦神ですね…。従って、本当は豊受大神が祀られているのであって、旦那様の猿田彦は外に出されているのかも知れません。

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二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。

猿田彦大神と宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神とする。

ウィキペディア(20160721 0830による


 最後の宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)は所在が分からないため今のところ保留します。


菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ、生年不詳 - 壬申年[ 1])は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。第15代応神天皇皇子(『日本書紀』では皇太子)で、第16代仁徳天皇は異母兄にあたる。

菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国宇治(現・京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。

郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。

『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。

ウィキペディア(20160721 0830による


 さて、最も重要な地主神ですが、この話に入る前に「熊本県神社誌」(以下神社誌と呼ぶ)に記載のない境内摂社(分社)の方からご覧いただく事にしましょう。


272 大宮神社と猿田彦大神 A “大宮神社の猿田彦大神石塔と摂社群” に続く

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 14:22| Comment(0) | 日記