太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年10月15日

247 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く E “湯原温泉の社の二宮神社”

247  真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く E “湯原温泉の社の二宮神社”

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載

20160503

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


当然にも最初に考えるのは二宮の意味でしたが、「二宮神社の社名は、この式内社が鎮座している三か所の二番目の宮という意味」とHP玄松子氏も書かれており、先達に深謝します。


二宮神社    壹粟神社    神大市姫命          岡山県真庭市社字於和佐654

大笹神社    大佐々神

久刀神社    久那止神

菟上神社    岐神 あるいは 弟彦王命

長田神社    事代主神


 この谷間の集落の中心地と思える場所に上記の五柱の式内社が鎮座しているのですから驚きます。

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@  二宮神社の壹粟神社= 神大市姫命は大山祇命と埴安姫(大幡主の妹)の間に産まれた罔象女神(ミツハノメ)として知られる方ですが、スサノウのお妃となられ伊勢神宮の外宮の豊受大神を産まれています。

A   次の大笹神社の大佐々神は初見の神様ですが、岡山県津山市大篠2137にある大佐々神社が9柱(月讀命、高オカミ神、大己貴命、伊邪那岐神、豐磐間戸命、櫛磐間戸命、素盞嗚尊、応神天皇、大山祇命)を祀っておりこの中のどなたかのはずです。普通は筆頭の月讀命としたいのですが、百嶋神社考古学では最後尾の大山祇命と同一神と考えます。

B   久刀神社  久那止神は、スサノウと櫛稲田姫との間に産まれた長脛彦(岐神)の事で逆賊扱いされた不幸な神様です。スサノウはイザナギ(昔氏)とイザナミ(白族)の子であり、櫛稲田姫が大山祇(匈奴系越智族)と埴安姫(白族)との間に産まれた子であることを考えれば、実質、白族の神社と考えるべきでしょう。

C   菟上神社  岐神or菟上神社    岐神 あるいは 弟彦王命 については、岐神が久刀神社と重複することになります。このため菟上神社    岐神 あるいは 弟彦王命と考えますが、和気神社の祭神の一人ですので、ここでは、和気清麻呂の先祖神として逃げておきます。

D   長田神社  事代主神については中国地方では知られた神様であり、一般的な理解としては説明は不要であり、大国主命の長男として国譲りに賛成した神様で良さそうですが、百嶋神社考古学では、大国主命の子とはしません。大山咋命と鴨玉依姫との間に産まれた活玉姫をお妃として五十鈴姫を産み、その五十鈴姫が第10代とされる崇神天皇の妃となるのです。

以上で、一応、五柱の神々を解析しましたが、全体としては、熊野系と言うべきか忌部と言うべきか瀛氏の神々が濃厚であることから、博多の櫛田神社の大幡主の一族(白族)が展開した集落と見るべきではないかと考えているところです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


神大市姫命を祀る壹粟神社=大笹神社は相殿(一社一殿二神)となっていることから、大笹神社の祭神は、神大市姫命の夫であるスサノウの可能性もあるのですが、ここではこれ以上の追及をやるには情報が少な過ぎます。

研究のために百嶋由一郎最終神代系譜(外)を希望される方は、09062983254(古川)までご連絡下さい(常時対応)。


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こちらは境内摂社ではなく四つの神殿(五社そのもの)です

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五社四殿五神(柱)は壱栗神社と大佐々神社が相殿となっていることからようやく配神が理解できましたが、ここには千数百年前の古い時代の神社の形が凍結保存されているかのようで深い感銘を受けました。

岡山の神社を考える上ではこの8社を外しては全く理解できないと思えるほどの重要な神社群です。

 多くの皆さんが足を運び本当の神社とが如何なるものかを是非知って頂きたいと思って止みません。

 最低でも一千年のタイムスリップが出来る神社です。


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:32| Comment(0) | 日記

2016年10月18日

248 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く F “湯原温泉の社の横見神社”

248  真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く F “湯原温泉の社の横見神社”

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載

20160504

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


二宮神社から二百メートルほど離れた集落の対岸、山裾の少し低い場所に横見神社が単独で鎮座しています。

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当社は、貞観6年(864年)815日に、従五位上に叙せられる古社となるが、その創建に関しては、詳細は不明となる。社殿は保延4年(1138年)2月、貞治5年(1366年)9月、文明11年(1479年)2月にわたって再建され、拝殿は昭和56713日未曾有の豪雨に襲われて流出し、昭和58109日に、再建された。

 ここまでしか分かりませんが、それではただのガイドブックに過ぎなくなります。

 大山祇命は瀬戸内海の大三島に大山祇神社に祀られています。

 このため、何故、山の神様が海に祀られているのか?といった疑問を持たれる方は多いようです。

その感覚は正しいのですが、まず、神と崇められている集団(民族)と崇めている集団(民族)が全く同じものという考え方自体が全くの誤りであり、列島の民族が万世一系の天皇家にを崇める単一民族といったデマに晒されてきた結果遍く押し広げられているだけでしかなく、長年月の間に通婚が進められ実質的に同族化が進んではいるものの、古代に於いては異なった民族同士の衝突、離合集散が頻発していたことから、異なった民族同士の政略結婚が支配層に於いては繰り返されていた事を見落としてはならないのです。

百嶋神社考古学では、大山祇命=月読命はトルコ系匈奴の流れを汲む金管伽耶の金越智(ウマシアシカビヒコジ)と白族の天御中主との間に産まれた越智族のプリンスであり、再び、白族で天御中主の姪にあたる埴安姫との間に産まれたのが二宮神社( 壹粟神社) 神大市姫命であり、大国主命であり、皆さん良くご存じの木花咲耶姫になるのです。

簡単に言えば、二宮の筆頭神の神大市姫命の父神が何故か横見神社として祀られていることになるのです。

この理由は全く分かりません。広島から岡山に掛けての瀬戸内海沿岸には八角形に三つ引きの大三島を意味する神紋を多く見かけるのですが、そのような近世の影響を受けていない、大山祇命=月読命の原型を見た思いがして非常に興味深く見せて頂きました。

しかし、大国主命も木花咲耶姫もこの里には祀られていません。

多分、この辺りが謎を解く鍵と言えそうなのですが、これ以上は踏み込めません。


ウマシアシカビヒコヂ

ウマシアシカビヒコヂは、日本神話に登場する神。天地開闢において現れた別天津神の一柱である。『古事記』では宇摩志阿斯訶備比古遅神、『日本書紀』では可美葦牙彦舅尊と表記する。

『古事記』では、造化三神が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神としている。すなわち4番目の神である。『日本書紀』本文には書かれていない。第2・第3の一書では最初に現れた神、第6の一書では天常立尊に次ぐ2番目に現れた神としている。独神であり、すぐに身を隠したとあるだけで事績は書かれておらず、これ以降、日本神話には登場しない。     

ウイキペディア(20160504 19:00による

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


研究のために百嶋由一郎最終神代系譜(外)を希望される方は、09062983254(古川)までご連絡下さい(常時対応)。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:00| Comment(0) | 日記

2016年10月22日

249 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く G “湯原温泉の社の佐波良、刑部神社”

249  真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く G “湯原温泉の社の佐波良、刑部神社”

ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載

20160504

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


いよいよ、真庭市湯原温泉の社の本丸、佐波良神社、刑部神社に踏み入ります。

 まず、「佐波良」という社名も地名から付されたものとすれば、福岡市西部の早良(サワラ)区の「早良」という地名との対応、ひいては、千葉県の佐原惣五郎の「佐原」との関係を意識してしまいます。

 これは、ある程度纏まった地名群の対応とか祀られている神社群の対応が認められない間はただの思い付きに過ぎませんのでここでは聞き流して頂きたいと思います。

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祭神 形部神(神阿多津比売命) 佐波良神 神阿多津比売命=木花咲夜姫 社村谷口

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教委の掲示によれば、佐波良はサワラと呼ばれており、やはり早良を意識すべきでしょう。

ただ、佐波良が如何なる神であるかの見当は付きません。

HP「玄松子」氏は 形部神を(神阿多津比売命)とされており、それが正しければ、確かに神阿多津比売命とは木花咲耶姫であるはずで、大山祇命の娘となり、横見神社との関係が考えられそうです。


大社  佐波良サワラ・形部カタベ(合祀)神社

二宮  菟上神社 壹粟・大笹神社 久刀神社 長田神社

横見  横見神社


一方、HP「新しい日本の歴史」氏もこれについては悩まれており、


佐波良神はどのような神か判りません。そこで、探ることになります。佐波良神を祀った他の神社に当たってみます。

() 佐良神社 

   鎮座地    津山市一方636-1

   氏子地域   津山市(福田、高尾、皿、平福、中島、一方、津        

    山口、井ノ口)

 由緒  (岡山神社庁ホームページ)

本社の創立年代は不詳であるが、口碑によれば備前美作の両国造となった。和気氏の祖が、この地に居住し、地名を美作国佐良の荘(旧久米の佐良山)と云えられる。和気氏祖神を当地に勧請したのが佐良神社である。

 大正2年2月15日に福田村 村社八幡神社、元高尾村 村社高尾神社、元皿

村 村社佐良神社、元平福村 村社八幡神社、元中島 村社福井神社、元一方

村 村社長岡神社、元北村 村社八坂神社、元井口村 村社八坂神社以上の各

部落の神社を佐良神社に合祀する。

 大正2年10月に現在の地に遷座した。

祭神 佐波良神 素盞嗚命 天日鷲命 大國主命 譽田別命 大山祇命

奥津彦神 奥津姫命 猿田彦命 火産靈命 清麻呂命 平麿神 和多都美神

天穗日命 經津主命 倉稻魂命 彌都波能賣神 宿奈命 伎波豆命

 (由緒にあるとおり、合祀をしたので、祭神は多いが、元からの祭神は佐波良神である)

() 和氣神社(ワケジンジャ)

   鎮座地   和気郡和気町藤野1385

   氏子地域  和気町藤野

 由緒  (岡山神社庁ホームページ)

当社の御祭神は、鐸石別命、弟彦王命、和気清麻呂、和気広虫姫命など和気氏一族9祭神である。

 鐸石別命は垂仁天皇の皇子で、命の曽孫弟彦王が軍功によりこの地に土着

し、一族は備前及び美作に栄えた。

 弟彦王の12代の孫が和気清麻呂、広虫姉弟であり、ともに朝廷に仕えた。清麻呂公は、奈良時代から平安時代の転換期に大きな役割をはたした人物で、なかでも道鏡事件、平安遷都などでの活躍は有名である。

 広虫姫は戦乱による多くの孤児を養育し、その仁愛慈育の生涯は女性の鏡と称えられた。

祭神 鐸石別命 弟彦王命 佐波良神 伎波豆命

    宿奈命 乎麻呂命 清麻呂命 広虫姫命

祭神は鐸石別命・弟彦王・和気清麻呂としている。鐸石別命は垂仁天皇の子,

彦王はその三世孫で備前・播磨の国境エリアで活躍, その功で藤原(後に藤野に

改める)の県主になったという。何世かの後,佐波良−波伎豆−宿奈−乎麻呂

−清麻呂となる。(日本後紀の「清麻呂薨伝」による)

一書によれば鐸石別命は河内国大県郡高尾山に葬られ, 鐸彦神社が創始され

たという。 鐸彦神社は金属技術集団の斎祭した神ト言われています。和気氏は

精錬に優れていたようです。

佐波良神社の近くに、八畳石と呼ばれる岩があります。湯原町のたたらの遺跡

ではないかと言われています。

佐波良神は、製鉄を担当した神ではないでしょうか?

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とされています。

 ここではこれ以上は踏み込みません。 ただ、幾つか気になったことがありますのでお知らせしておきます。

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 恐らく宮司家か重要氏子のお宅の倉と思いますが、オモダカ紋が付されていました。

沢瀉(オモダカ)紋はスサノウ系の八坂神社、祇園神社の社家が使う家紋です。

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岐神=長脛彦はスサノウの息子ですので、やはり、二宮の久刀神社との関係が濃厚です。


posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:51| Comment(0) | 日記