太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年09月25日

239 山口県は豊の国  “豊田町の高格式 豊田神社“

239 山口県は豊の国  豊田町の高格式 豊田神社“

        20160421

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


春になりスケジュールが過密になって来ましたが、下記の関係団体のスケジュールで行動すれば、ほぼ、四、五日おきにどこかで何かがあることになります。


       久留米地名研究会

       太宰府地名研究会(トレッキング)

       菊池(川流域)地名研究会

       玄海地名研究会(宮地嶽神社)不定期

       百嶋由一郎神社考古学勉強会(サブ研究会)

提携団体

       菊水史談会

       豊の国古代史研究会

       久留米大学公開講座(古代史)九州王朝論

      

 このスケジュールの合間を縫って、懸案としていた安芸太田周辺の神社を見に行く事にしました。

 勿論、この一帯には過去何度か入っています。

 ただ、そのころの関心は民俗と温泉探訪でしかなく、神社に絞り込んだフィールド・ワークはやっていませんでした。

 しかし、アングルが変わると見えてものが違って来るものです。

 ともあれ、熊本大人工地震の五日前の昼過ぎには大分県日田市の天瀬温泉五馬高原研修所を出発し、中津市経由で関門トンネルを目指しました。

 これ以下のリポートに関しては ひぼろぎ逍遥 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 として書いていますが、俵山温泉で最後の車中泊を終え山口県西部に戻ってくると訪問したい未踏の神社が頭に浮かんできました。

 そこで、町村合併が進んだ大下関市の二社、豊田神社と石鎚神社を取上げる事にします。

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一目、荘厳な大社の雰囲気を持つ神社ですが、多くの境外摂社、境内社を明治期に合祀したもののようです。

 ただ、その中核となったのは長禄元(1457)年に太宰府から勧請された豊田神社のようで、その祭神には興味深いものがあります。

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既に見づらくなっているため画質を加工しています


その豊田神社も縁起書を読む限り、室町期に太宰府から勧請された菅原神社に元々現地周辺に存在した二つの若宮神社が合わせられ成立しており、この応神天皇、仁徳天皇、菅原道真というあまり見かけない(奇妙な)配神となっています。

 ただ、応神天皇が持ち込まれた経緯は不明です。既に陰りが見え始めていた宇佐神宮を配慮したものか?

若宮神社(仁徳天皇)に合祀されていたものかは文面からは読み取れません。

 仁徳天皇が何かについてはこれまでにも何度も書いてきました。

百嶋由一郎神社考古学の立場から再度、簡略化して言えば、高良玉垂命の9人の皇子の筆頭であり高良玉垂命と神功皇后(仲哀天皇の妃としての期間は一年程度)の5人の皇子の長男に当たる事実上九州王朝最後の天皇になる人物であり、だからこそ宇佐神宮の仮称中宮の若宮神社に祀られているのです。

 そういった話は置くとしても境内は手入れが行き届いており気品に満ちています。

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九州王朝論者の内部では比較的知られている久留米市山川町の高良御子神社の九躰の皇子です。

その筆頭が斯礼賀志命(シレカシノミコト)こそが仁徳天皇(オオササギノミコト)であり、次男が朝日豊盛命(アサヒトヨモリ)→草壁(稲員)氏へ続く、暮日豊盛命(ユウヒトヨモリ)…以下略載。

となるのですが、豊田町に朝日神社があり、豊田神社に若宮(仁徳天皇)が祀られている事自体、この豊田神社に九州王朝の影を感じるのですが、現段階ではそこまでしか言えません。

 しかし、豊田町全域の神社が合祀された集落名(地名)神社、祭神については非常に興味深いものがあります。

 ただ、日吉神社に大己貴命が祀られているのは奇妙です。

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これ以上の解析は空想になりかねない事からやめますが、下関市の矢原駅付近にも朝日神社がある事から、いずれ足を運び関連を考えて見たいと思います。

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いずれにせよ下関市の北部にこれほどの神社があるとは迂闊でした。

 関門トンネルに向かいましたが、帰路で豊田神社の案内板を見掛け、やはりと思い思わず写真を撮ってしましました。 境内ではこの五七桐紋(皇族のみ)は見掛けませんでしたが、これは高良玉垂命の神紋(三五桐は神功皇后で、皇族の関係者)なのです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:56| Comment(0) | 日記