太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年09月23日

238 人吉盆地の懐深く最高格式神社に再訪  “熊本県多良木町の王宮(オウグウ)神社“

238 人吉盆地の懐深く最高格式神社に再訪  熊本県多良木町の王宮(オウグウ)神社“


「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)共通掲載

        20160404

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

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人吉盆地の神社を考える時、真っ先に頭に浮かんでくる神社は青井阿蘇ではなくこの多良木町黒肥地の王宮神社です。

 十年ほど前、この人吉盆地の最深部を走り回り、天子宮(天子社、天子神社)と呼ばれる奇妙な神社群を調べていました。

 実は、この王宮神社も天子宮が久米から移動してきたものなのですが(以前はその表示板が存在した)、天子宮に関してはひぼろぎ逍遥(跡宮)で独立したリポートを掲載中であるためここでは触れません。

 まず、熊本県南半部には〇〇木という(恐らく半島系)地名が数多く拾えます。

  球磨川の左岸には白木、久多良木(百済木川が球磨川に注ぐ)もあり、隣町の錦も含め多良木もその一つと考えられるのですが(そもそも百済はペクチェであり クダラと呼んではいないが、新しい多良に対して旧い多良が「百済」クダラと呼ばれたとしたのは「百済の王統と日本の古代」を書いた兼川 晋氏でした…)、 この神社の性格がそれに繋がるかどうかも、なお、不透明です。

 ただ、そういった背景には関わらず、社殿の美しさ、気品、古代を感じさせる神秘性…の一切が閉じ込められ、多少とも相良以前を感じさせるのがこの王宮神社です。 

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例によって「熊本県神社誌」(264p)を見ると抑制気味ながらもこの神社が唯ならぬものであることが読みとれるのです。

 まず、黒肥地神宮(王宮)と大書(ボウルド)され祭神も神武天皇の一柱とされているのです。

 社殿(神殿)に打たれた神紋も五七桐であり、祭神と神紋はすっきりと一致を示しています。

 ましてや、神武僭称第10代崇神(ハツクニシラススメラミコト)の片鱗など欠片もないのです。

 この神社が、高原町の狭野神社と並ぶ本物の神武(カムヤマトイワレヒコ)天皇を祀る数少ない神社であることは、まず、間違いないでしょう。

 そして、前述のように「太郎・田部忠綱当郷に来たって久米蓑毛に住し、帝廟を勧請して王宮大明神と崇祀った。その後現在地に遷座」と書かれているのです。

 そこで、久米に現在も残されている久米熊野座神社(多良木町久米1098)の祭神及び久米に在る境外摂社五社の配神を見ることにしましょう。

 まず、久米は神武の戦闘集団(海兵隊と言うよりさしずめ古代の海軍陸戦隊)でした。


忍坂(おさか)の 大室屋(おほむろや)に 人多(ひとさは)に 来入り居り 人多に 入り居りとも厳々(みつみつ)し 久米の子が 頭槌(くぶつつ)い 石槌(いしつつ)い持ち 撃ちてし止まむ
厳々し 久米の子らが 頭槌い 石槌い持ち 今撃たば宜し


     忍坂の大きな室屋の中に人がたくさん来ている。人がたくさん入っていても、勢い盛んな久米部の者たちの頭槌・石槌を持って、敵を撃たずにはおくものか。勢い盛んな久米部の者たちの頭槌・石槌を持ち、今撃てばよいぞ

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 この久米が付された土地ですから、単に勇壮さに肖って付された地名とも思えず、古代の何らかの関係者(例えば大友旅人の隼人征伐にも参加した久米族の末裔の残留者…)が住み着いた土地ではないかとも思えるのです。

 では、この久米郷の摂社を「熊本県神社誌」からご覧ください。


 久米熊野座神社  熊野三神          白族

 若宮神社     健磐龍命外二神       阿蘇系(多少疑問?)

 治頼神社     相良治頼          相良氏(実体はニギハヤヒ系ではないか?)

 菅原神社     菅公            菅原系(白族かスサノウ系か?)

 年神社      大年、御年、若年神     草部吉見系

 八坂神社     素戔嗚尊・櫛稲田姫     スサノウ系


確かに戦闘集団の形跡があるのですが、今後、丹念にこの6社を見せて頂く事にしたいと思います。

 では、社殿をご覧ください。

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確かに神日本磐余彦命を祀る宮である事を表すかのように、五七桐の神紋が打たれています。

なお、境内社として健磐龍とされた若宮が、源嶋社(当方未確認)二社が置かれていますが、由緒を見る限り、玉依姫命、健磐龍命、比売命なる三神が加えられており、「熊本県神社誌」とは異なっています。

これは、多分、阿蘇系三神が後に追加されたものと思います。

本来、人吉盆地一帯は阿蘇系の領域ではないはずなのです。

それは、人吉、球磨地方全域の神社の配置を見れば明らかで、青井阿蘇も本来は阿蘇系神社ではないはずなのです。

少なくとも、王宮神社は単に初代神武=神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)を単独で祀る神社であったはずで、相良侵入以前の古い神域を表す貴重かつ、人吉郡内最高高格式の神社が、この多良木の王宮神社だと思うのですが、“皆さんにも青井阿蘇から足を延ばしてご参拝頂きたい“と思ってやみません。

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なお、熊本県教委による大宮神社楼門の重文掲示板は現在撤去されているようです。


・・・多良木源島に帝廟(天子のみたまや)を勧進した。その後現在地に遷座したもので、祭神は神武天皇である。


どうやら「天子宮」なるものが胡散臭いと考えているようです。

撤去するにも、改竄するにもきちんと根拠を示し行うべきですが、その様な学問的な常識は最早持ち合わせていないのでしょう。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:06| Comment(0) | 日記