太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年06月30日

200 菊池市七城町岡田の加茂別雷神社 “雷さんが居られるんですよ”

200 菊池市七城町岡田の加茂別雷神社 “雷さんが居られるんですよ”

20160208

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

「突然始った肥後での神社トレッキング」において訪問を予定していた神社に熊本市(旧植木町)豊田の加茂別雷神社(豊田859)がありました。

結果的には時間の問題から次回に廻したのですが、関係があることから菊池の加茂別雷神社の下見をしていました。

従って、この菊池市岡田の加茂別雷神社(岡田939)は初見の神社と言う事になります。

この神社に関しては、故)百嶋由一郎氏が「菊池市七城町のメロンドーム向かいの岡田に崇神天皇を祀る神社があり、雷さんが居られるんですよ…」と言われていた事を思い出します。

「雷」と聴けば、直ちに、スラバヤ沖海戦に於いて漂流中の422名のイギリス海軍将兵を戦闘海域に於いて救出した駆逐艦「雷」(吹雪型の23番艦)の工藤俊作艦長の話が頭に過りますが、それはともかくとして、福岡県の糸島から雷山を挟み、「雷神社」「大雷神社」という神社が筑後まで線上に並んでいる事を意識せざるを得ません。

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雷 (吹雪型駆逐艦) - Wikipedia


「雷」が贈)崇神天皇…とはと思われるかも知れませんが、旧植木町豊田の加茂別雷神社については、戦前、昭和天皇の来熊本に際し、特別に訪問したと言われ、参道の整備のために高い石段が新調されたとの話も聞き及んでいます。

それほどまでに、この加茂別雷神社に意味があったのだ(勿論、天皇家にとってですが…)と言う事が垣間見えて来るのです。

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さて、不思議な事に、この二つの加茂別雷神社については、両方とも崇神天皇を祀る神社である事が隠されているようなのです。

 以下は「熊本県神社誌」のデータです。

祭神

旧七城町岡田939 岡田神社(別雷神社)   別雷皇大神(素戔嗚尊

旧植木町豊田859 加茂別雷神社       別雷神  (應神天皇

決して崇神天皇とは書かれていません。

 しかし、経験的に雷さんが描かれている神社は贈)崇神天皇を祀るものと認識しており、「熊本県神社誌」の記述は受け容れ難いことから今後も調べる必要があるでしょう。

岡田神社の参拝殿に置かれている縁起は、非常に読みづらく、部分的ながら確かに「須佐之男尊」とは書かれているもののもう少しはっきり読めないと何とも言えない状態です。

恐らくスサノウは贈)崇神が覆い被さる以前の祭神ではないかと考えています。

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多くの神社を回られている方は必ずどこかで出会っているはずですが雷さんが描かれています
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百嶋神代系譜「ヤタガラス・バリアシオン」

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 23:57| Comment(0) | 日記