太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年06月10日

194 飯塚市(旧庄内町)筒野の日吉神社

194 飯塚市(旧庄内町)筒野の日吉神社

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久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


これも2016131日に行った豊の国古代史研究会 2016新春三社詣りトレッキングで取上げた一社です。

 旧山田市を中心に56社の日吉神社があります。

それは、山田という地名と日吉神社には大いなる繋がりがあるからですが、その話は後に廻すとして、まずは神社正面の写真をご覧いただきましょう。

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通説では、日吉神社(ひえじんじゃ、ひよしじんじゃ)は、滋賀県大津市坂本にある山王総本宮日吉大社(ひえたいしゃ、現在は「ひよしたいしゃ」)を勧請して日本各地に建立された神社である。」とします。

主祭神は大山咋神で同神大年神の御子神、大年神とは実は阿蘇高森の草部吉見神社のヒコヤイミミなのです。


大山咋神は大年神の御子神。『古事記』によると、大年神(実は草部吉見)天知迦流美豆比売神(実は市杵島姫)が婚姻して以下の十人の御子神が生まれた。奥津日子神奥津比売命(大戸比売神)大山咋神(山末之大主神・鳴鏑神)庭津日神阿須波神波比岐神香山戸臣神羽山戸神庭高津日神大土神(土之御祖神)。これらの神々は、竃や屋敷、庭、農地など、農業生活(稲作)のための神々だと思う。『古事記』には、大山咋神のまたの名は山末之大主神といい、 日枝山(比叡山:日吉大社)に坐す、 また葛野の松尾(松尾大社)に坐す鳴鏑神ともいうとある。

敬愛する「玄松子」氏による


では、日吉神社とは


大山咋神は阿蘇の草部吉見神が市杵島姫の夫となり生まれた。奥津比売命の弟にあたり 日枝山=比叡山の日吉大社、 また、葛野の松尾大社の神であり山王神社の神でもあるのです。

スサノウのお妃でもあったクシナダヒメとヤタガラスとの間に産まれた鴨玉依姫(「古事記」に言う神武の育ての親とは別神)との間に産まれたのが、第10代とされた贈)崇神天皇(ハツクニシラススメラミコト)=現人神社の神(香春岳の北東側) なのです。


山田と日吉神社


前述したように、筑豊には数多くの日吉神社が分布しています。ただ、これが何であるかはほとんど理解されていないようです。少し拾い出してみましょう。


嘉麻市となった旧山田市周辺には多くの日吉神社があります。今回訪問した飯塚市庄内町筒野の外にも


@ 飯塚市庄内町高倉の日吉神社

A      〃   入水の日吉神社

B 糸田町松山(大字無)の日吉神社

C 碓井町下碓井の日吉神社

D 旧山田市下山田の日吉神社・・・  これには理由があるのです(後述)。


さて、故)百嶋由一郎先生によれば、阿蘇高森の草壁吉見宮の主神(ヒコヤイミミ)と白族の宗像市杵島姫との間に産まれたのが大山咋神であり、松尾神社、日枝神社、日吉神社、山王宮、そして、現在、祭神が猿田彦に入替られているものの出雲の佐田大社の祭神でもあるのです。

ここには、今も明瞭な立ち葵の古い神紋が残されているのでぜひ見て頂きたいと思います。

百嶋先生によれば、阿蘇高森の草壁吉見宮の主神(ヒコヤイミミ)と白族の宗像市杵島姫との間に産まれたのが大山咋神であり、松尾神社、日枝神社、日吉神社、山王宮、そして、現在、祭神が猿田彦に入替られているものの出雲の佐田大社の祭神でもあるのです。

ここには、今も明瞭な立ち葵の古い神紋が残されているのでぜひ見て頂きたいと思います。

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この二つ葵の神紋はなかなか遭遇しないものです。二つ葵には多くのバリエーションがあるのですが、全て暗号のように使用され、少しずつ異なる氏族の暗号の様な役割を果たしていたと言われていました。

 今回はこれだけの話です。境内には、まだ、幾つかの書くべき事がありますが話が拡散するため省略します。

ここで、百嶋先生の手書きデータ(ヤタガラス・バリアシオン)をご覧ください。

 見難ければ、パソコンの画面をズームアップして見て下さい。

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百嶋神代系譜(ヤタガラス・バリアシオン)


これが、大山咋命の神紋であることが十分にお分かり頂けたと思います。

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熊本県玉名市の山田と日吉神社


山田の集落は、南北に細長い丘陵上に形成されており、もっとも北側に山田日吉神社が所在します。

もともと日吉神社は、京都府と滋賀県の境の比叡山にあって、山の神である大山咋神(おおやまくいのかみ)を祭ってあり、そこを拠点とした山王信仰の総本山として有名です。また平安時代に最澄によって比叡山に天台宗の延暦寺が開かれると、神仏習合により一体化しつつ全国へ広まっていきました。

山田日吉神社(玉名市)には、本殿に大山咋神、西の相殿に白山比売神(しらやまひめのかみ)が祭ってあり、集落内には延暦寺の末寺とされる山田山吉祥寺もあります。

その他にもお堂や石塔などが多くあり、一帯は玉名地方の天台宗の拠点的な地域であったと思われ、丘陵全体が「玉名の比叡山」と呼べるような状況であったと考えられます。   

熊本県玉名市HPより

このため全国の日吉系に山田が関係します。

白山比売神と言えば、庄内町山倉にも白山姫神社がありますね。

庄内町入水の日吉神社の西隣です。

 白山姫とは天御中主命のことであり、鴨玉依姫の御先祖にあたるからです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 08:21| Comment(0) | 日記