太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2016年02月12日

ビアヘロ005 北北東に進路を取れ! D 石川県七尾市のクマカブトアラカシヒコ神社

ビアヘロ005 北北東に進路を取れ! D 石川県七尾市のクマカブトアラカシヒコ神社

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久留米地名研究会(神社考古学研究班)古川  清久


石川県と言えば、能登半島の和倉温泉からもそれほど遠くないところに鎮座する久麻加夫都阿良加志比古神社が頭に浮かんできます。

 能登に入ったのは三十年も前の話ですから、当然にも初見の神社となります。

 今回の「北北東に進路を取れ!」神社トレッキングにおいても、往路復路のどちらかで見ようと考えていました。

 新潟県の弥彦神社を見せて頂き、秋田県は男鹿半島の真山神社(赤神社)まで足を伸ばそうとまでは考えては見たのですが、夜間のそれも雨の中でさらに350キロの大遠征になることから気力を失い、引返すことにしました。

 カーナビの不調(ホンダのディーラー2店舗でもどうにもならなかったものを、何とか自力でリセットし、回復させましたが…)、パソコンの不調、インターネット・ワイファイの不調もあり、気分が萎えてしまったことが、山形を前に撤退して来た理由です。

 再び、糸魚川静岡構造線を越え、越中富山まで戻る頃には天気も回復し、越前から丹波、丹後辺りの調査への気力も蘇ってきました。

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久麻加夫都阿良加志比古神社 カーナビ検索石川県七尾市中島町

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ひととおり見学させて頂いたあとには陽が指してきました


「クマカブト」の意味については、「クマ」は隈=→熊であり熊本県の熊を意味しており、「カブト」も甲を意味しており、熊本市の南の甲佐神社の「甲」なのです。

ここの祭神は「速瓶玉命」と不当に貶められていますが、阿蘇国造神社の主神であり、本来は、阿蘇神社の主神とされる健磐龍命よりもよほど格式の高い神様なのです。

阿蘇の神様が何故…とお考えになられる向きもあるでしょうが、有明海=天草沖から船出すれば、一気に朝鮮半島南岸に到達できるのであり、半島から船出すれば、敦賀、能登に容易に移動できたのです。

ついでに言わせて頂ければ、アラカジ(シ)ヒコは朝鮮半島のアラ伽耶の舵取り=船乗りの意味なのです。

古代に於いて、半島と列島とは一衣帯水であり、オオヤマクイ、ハツクニシラススメラミコト、シイネツヒコと三代続けて舵取り=船長だったことになるのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜からの切り出し


この神社の祭神に関しては、これまでにも「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)「阿蘇国造神社と甲佐神社の祭神」 @〜B に於いて繰り返し書いていますので、改めて書くことはしませんが、

宗像大社の市杵島姫と阿蘇高森の草部吉見神(ヒコヤイミミ)との間に産まれたのが、久麻加夫都阿良加志比古=大山クイ=日吉神社=松尾大神=佐田大神(猿田彦では断じてない)=山王宮=日枝神社…であり、そのお子さんが、さらに同社の高い所に鎮座している摂社加茂神社(恐らく上賀茂神社の主祭神である贈崇神天皇=ツヌガノアラシト)なのです。

神殿の千木は平切りされていて女性神を意味していますが、これは同格の大山クイ神の母神である市杵島姫かお妃の鴨玉依姫を意味している可能性も考えられそうです。

この神社が成立した当時は、まだまだ、お妃方の家系の方が圧倒的な権威を持っていたことが垣間見えた思いがしています。

残念な事に神紋が確認できません。

ともあれ、同社を自分の目で確認できほっとしています。

アリバイ的にも見ておく必要があったことから、三十年ぶりの能登への旅は意義深いものでした。

今年は、暖冬でもあり、北風も弱く、能登半島により北風が遮られた七尾湾は静かな海でした。

そのかわり、氷見(ヒミ)には一向に寒ブリが上がらないそうですが…。

藤原により第10代と偽装された贈)崇神ツヌガノアラシトの敦賀湾と言い、湧浦=和倉の海と言い、古代に於ける彼らにとっても天然の良港だったのです。

さて、氷見も能登も海士族が付けた二音地名です。経験的に海士族が付した地名には二音地名と、後ろに「見」(美、海、水…)を付けた地名、後ろに「間」(馬、真…)を付した地名があると理解しています。

この、「氷見」は二つの要素が重なっており、典型的な海士族が持ち込んだものと言えるでしょう。

「氷見」は、二見、宇佐美、熱海、渥美、安曇、久美、富海、遠見、速水、伊美、宇美、江見、花見…と多くの類型海岸地名の一つです。

詳しくは、ひぼろぎ逍遥 045「花見潟墓地」の衝撃  でも書いていますので、そちらをご覧ください。


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一段高い位置に鎮座する摂社加茂社(上)神殿千木は平切りされていて女性神を意味しています(下)

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記