太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年12月30日

150 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 D 熊野神社から立岩神社へ(立岩神社編)

150 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 D 熊野神社から立岩神社へ(立岩神社編)

20150922

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


イザナギ、イザナミ外三神を祀る神社であることは熊野神社(飯塚市)の縁起からも明らかです。

一方、神武巡行の事と考えているのですが、北九州に特有の神武東征伝承があります。


神武天皇東征の途中、急に雷雨がおこり天地が鳴り響いた、そのとき巨岩が疾風の如く飛んで来て、この山頂に落下した。そこに手力男神が現れて、「ここに住み不思議な術を持つ熊にも蜘蛛にも似たような悪鬼が、天皇を惑わすので巨岩をもって誅した」と言う。

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熊野神社裏の参道を数百メートル進むと森に開かれた畑の中に立岩神社があります

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縄文の巨石信仰と言えば分かった気になるだけですが、人為的岩立が破壊されたように見えます


熊野神社から立岩神社に向かう狭い参道の途中にも未発掘の古墳が森の中に何基も並んでいます。

元宮との表現はされていませんが、立岩神社の五祭神のうちイザナギ、イザナミの二神を熊崎の先端に降ろしたのが熊野神社なのかも知れません。

元々、飯塚市の中心部であるこの立岩は、夥しい数の甕棺墓群が発見された地であり、その丘陵上部に古墳が乗っている事から考えれば、古代に大きな権力交代が起こったと見えるのです。

百嶋神社考古学の立場からは、隈(熊)地名と関係がある大幡主と、イザナギ+イザナミ+スサノオに対して別の勢力であると思える事から、熊野神社と立岩神社の関係は、各々新旧の勢力を表しているように見えるのです。

岩立神社が手力男命=スサノオを意味しているように見えるのですが、熊野神社の縁起に依る限りは、斉明天皇期にイザナギ+イザナギ→従ってスサノオを切り分け祭神として表現しているのです。

ところが、地名、社名だけは熊野が残されている事から、宮司はことさらに熊野三山とは無関係と言われた様に見えるのです。

熊野神社から立岩神社に向かう狭い参道の途中にも未発掘の古墳が森の中に何基も並んでいます。

元宮との表現はされていませんが、立岩神社の五祭神のうちイザナギ、イザナミの二神を熊崎の先端に降ろしたのが熊野神社なのかも知れません。

元々、飯塚市の中心部であるこの立岩は、夥しい数の甕棺墓群が発見された地であり、その丘陵上部に古墳が乗っている事から考えれば、古代に大きな権力交代が起こったと見えるのです。

百嶋神社考古学の立場からは、隈(熊)地名と関係がある大幡主と、イザナギ+イザナミ+スサノオに対して別の勢力であると思える事から、熊野神社と立岩神社の関係は、各々新旧の勢力を表しているように見えるのです。

岩立神社が手力男命=スサノオを意味しているように見えるのですが、熊野神社の縁起に依る限りは、斉明天皇期にイザナギ+イザナギ→従ってスサノオを切り分け祭神として表現しているのです。

ところが、地名、社名だけは熊野が残されている事から、宮司はことさらに熊野三山とは無関係と言われた様に見えるのです。

この飯塚市の熊野神社の解読は、まだまだ奥が深そうで、直ぐに結論に飛び付くのを止め、問題点の指摘のみにしておきたいと思います。

ここでは、熊野神社の名を体現しているのは、実質的に「昔の名前で出ています」のイザナミ、つまり、後に熊野那智大社でクマノフスミノミコトと名を変えたイザナミだと考えられるという点を確認しておきたいと思うものです。

それは、天孫に協力した新興勢力の大幡主(瀛氏)の一族と、旧勢力と考えられるイザナギ、イザナミの子スサノオに象徴される旧勢力の対抗を意味しているようなのです。

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カーナビ検索省略

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最後になりますが、立岩神社の境内に置かれたある祠の神紋と言うか紋章が気になっています。

 情報をお持ちの方はご連絡頂ければ助かります。

 下は蓮か燭台か秤=天秤、もしかしたら立葵を意味し、上は蛇かとも思うのですが、画像検索はやったことも無く解析できずにいます。

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熊野神社(飯塚市)縁起(上)百嶋由一郎極秘神代系譜の一部(下)

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:19| Comment(0) | 日記