太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



無題.png

無題.png

無題.png

o0198005613264565002.png o0199005613260936971.png 無題.png

2015年12月16日

146 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 @ 馬見神社を考える前に

146 「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々の検証 @ 馬見神社を考える前に

201509016

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


既に、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)141「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々 抄録“トレッキング直前手持ち資料から” において久留米地名研究会の提携連携団体である「豊の国古代史研究会」のメンバーを中心とする遠賀川流域の神社探訪トレッキング(バスツアー)が行われる事はお知らせしています。

Blog 141そのものは、実際のトレッキングを前にした軽い下調べで書いていたものです。

当然、初見の神社もありますし、何度も足を運んでいる神社もあるのですが、二度目、三度目となっても新たな発見はあるものです。

しかも、30人もの目で見ればそれなりに違うものは見えてくるもので、今回も色々な新たな知見が得られ非常に有意義なフィールド・ワークになりました。

このようなイベント関連の話は通常「ひぼろぎ逍遥」で書いてきたものですが、かなり重要なヒントが得られた神社もあったことから、今回探訪トレッキングの対象とされた7社について各々コメントを加える事としたものです。

141「遠賀川の神々探訪ツアー」の神々 抄録“トレッキング直前手持ち資料から”で書いた内容は、軽い下調べ程度のものでしたが、事前の推定と実見後の評価がどのように異なってくるかも関心があるところです。

ともあれ、トレッキングにはもってこいの天候に恵まれ、朝8時半にはバス・ハイクの申込み者25人に随伴者(車)併せ30人規模の探訪ツアーが始りました。以下、Blog 141を一部再掲載します。


無題.png

このような神社ツアーは概して神社丸抱えで行われ、型通りの参拝ツアーになることが多いのですが、自由に遠賀川流域の神社を観察し自らのルーツを考察するというものは、百嶋神社考古学研究班にとっては願っても無い有難いイベントと言えるものです。

 今回訪れる神社は次の67(立岩神社は熊野神社の境内社とも言える事から)社です。

 当初は通説と異なるお話をせざるを得なくなることから解説者の方々にご迷惑ではないかと考え、参加を控えていたつもりだったのですが、そのような異端的な話であってもぜひお聴きしたいと言うお誘いから参加する事にしたものです。

 今回の探訪エリアは筑豊地方でもハート・ランドと言うべき旧嘉麻郡から遠賀川中流域の直方市辺りまでの主な神社を巡るものです。

 当方も少しずつ探訪を進めていますが、まだまだ取りかかった程度で個人的にも有難い企画です。

 今後、国東半島、宇佐〜安心院、彦山へと探訪のエリアは広がるものと思います。

  神社研究者にとって、フィールド・ワークは、他人や時間配分を気にせずにフレキシブルに行う事が鉄則と考えますが、このような大人数によるツアーは、多く 人から多くの知識、知見が得られ、過去数世代に亘る記憶によって思わぬ謎解きができることから、早くも心がざわめいています。

無題.png

嘉麻市馬見神社参道正面


まず、事前資料には馬見神社について以下のように書いていました。


@  馬見神社=伊弉諾尊(イザナギ)天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホノニニギ)

外に賀茂大明神・荒穂大明神 多分、木花咲哉姫命(コノハナノサクヤ)も昔の名前で残されている

A  馬見神社

東隣の白髭神社や北斗宮と並び嘉麻郡では非常に重要な古社


カーナビ検索福岡県嘉麻市馬見(高木大神、海人族、一部金山彦、秦氏のエリアです)


この話に入る前に、複数に言う馬見大明神なるものが何なのかが非常に気になるのです。

まずは、太宰府地名研究会メンバーで「ひもろぎ逍遥」の綾杉るな女史もこの点には注目され、別の神社になりますが、馬見山直下の嘉麻市大隈町の荒穂神社について触れておられます。


@  賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。

A  御祭神に、イザナギの命の名はありません。その代りに、ホホデミの命が出て来ました。ニニギノ命の子供です。山幸彦の名の方が有名です。

B  また、山頂の神は白馬大明神だと言っています。どんな神なのかは分かっていません。

C  ここでははっきりとニニギノ命が白馬大明神だと書いています。


『筑前国続風土記附録』から抜き出します。

馬見大明神社 産土神である。御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。
  馬見山が東にそびえ、渓水が西に流れて、人里離れて潔浄の宮所である。馬見山の山上に社があって、白馬山大明神ともいう。どんな神を祀っているか分からな いという。ここでは、御祭神に、イザナギの命の名はありません。その代りに、ホホデミの命が出て来ました。ニニギノ命の子供です。山幸彦の名の方が有名で す。また、山頂の神は白馬大明神だと言っています。どんな神なのかは分かっていません。
二つに共通するのはニニギノ命でした。そろそろ系図なしには理解が出来ませんねえ。
(
と言って、パッと出てくる。親切ですねえ。)

三つの由緒書の祭神を色分けして囲みました。これで分かるように、共通するのはニニギノ命でした。
江戸時代のガイドブック『筑前名所図会』にも、白馬大明神について書いてあります。

馬 見大明神 古宮は馬見山上にあり。御神域という大岩の辺に石の祠あり。今の社は山下にあり。白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。この 神、葦毛の馬を忌むという。この里に飼うを忌むのみならず、他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。ここでははっきりとニニギノ命が白馬大明神 だと書いています。

dd.gif

当方の悩みというか疑問は明確です。佐賀県、福岡県の境界領域である基山直下や、天拝山直下に鎮座する荒穂神社から馬見神社など、ニニギが祀られている神社の祭神はどうも怪しいと考えています。

それは、天孫族に先行する天神族の排除が見て取れるからですが、これらの神社をじっくり見て回れば多少とも解明の手掛かりが拾えると思うものです。ただ、古代の謎解きでもあり時間が掛りそうです。

馬見神社の場合は賀茂大明神、荒穂大明神(基山の荒穂の場合は随神とされた鴨大神、八幡大神、宝満大神、春日大明神、住吉大明神、五十猛命)は敗散の結果排斥された神々に思えるのです。

百嶋神社考古学では木花咲哉姫命もニニギを袖にして前玉姫と名を変え、豊玉彦(ヤタガラス)と一緒になり、鹿児島県溝部町に南下の後、富士浅間神社を経由し、埼玉県行田市の前玉神社に移動している…とします。これについては、


「ひぼろぎ逍遥」    067 霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社にコノハナノサクヤヒメを探る

「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)023 コノハナノサクヤヒメを祀る霧島市溝部町の前玉(サキタマ)神社再訪


をご参照下さい。 もちろん、通説に言う「その代りに、ホホデミの命が出て来ました。ニニギノ命の子供です。山幸彦の名の方が有名です。」などは大ウソでしょう。山幸彦はニニギの子ではありません。

 結論的には、本来の祭神であるニギハヤヒ=山幸彦がニニギに入れ替えられているものと考えます。

(以上事前資料より再掲)

馬見神社を考える上で、まず、重要なのは白馬大明神です。


白馬大明神について


江戸時代のガイドブック『筑前名所図会』にも、白馬大明神について書いてあります。

馬見大明神 古宮は馬見山上にあり。御神域という大岩の辺に石の祠あり。今の社は山下にあり。白馬大明神とも申して、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なり。この神、葦毛の馬を忌むという。この里に飼うを忌むのみならず、他のことろから来ても、村の方で留めて置くという。ここでははっきりとニニギノ命が白馬大明神だと書いています。                     (ひもろぎ逍遥)再掲


では、白馬大明神とは何でしょうか?馬見神社の主神がニニギではないと考えた理由は、まず、馬見山直下の地が「大隈」という大幡主の領域を示す「隈」地名の土地だからでした(牛隈も…)。

 この「隈」地名は大幡主が熊本から移動する際に持ってきたもので、佐賀県の東から朝倉市、日田市、福岡市周辺に多く見られる○○隈とするものであり、「大隈」もその一つなのです。

 また、白馬大明神とは言うまでも無く白馬に乗った将軍でしょうが、あまたの神々がいる中で、馬に乗る神様として思い浮かぶものが一つだけあります。

それは、百嶋先生の資料にも入っていますが、歌川豊国による「大社縁結図」に登場する博多の櫛田神社の主祭神である大幡主なのです。

 では、馬にまつわる話があるのでしょうか?同じ系統の神社と考えられる延喜式内櫛田神社(富山県射水市串田6841)に次の様な話があるのです。


延喜式内櫛田神社 富山県射水市串田6841

無題.png

櫛田の由来

 古くは百張蘇我國五百枝刺竹田之國(ももはる そがのくに いほえさす たけだのくに)と呼ばれた。垂仁天皇22年、皇女倭姫命に天照大神を鎮座する処を探すように命ぜられ、この地に行幸された時に、斎津爪櫛(ゆつまぐし)を落され、武人の大若子命に早く取揚るように言われ、大若子命は馬で早ぎ、追い着いて櫛を取りもどした。倭姫命は大変喜ばれ、ここに櫛田神社を定めて其の処を櫛田と改称し其の川を櫛田川と名付け、その瀬を早馬瀬とよばれた。

祭神について

 大若子命(おおわくごのみこと)後に大幡主命(おおはたぬしのみこと)


言うまでもなく、子若子は大若子の子=豊玉彦=ヤタガラスになります。

してみると、白馬大明神とは大若子=大幡主の事であり、馬見山も大幡主から付されたものが後にニニギに置き換えられたものの様に見えるのです。

また、イザナギが祀られていながらイザナミが祀られていない事も、大幡主のお妃となったイザナミが隠され、大幡主が隠されている事と符合するのです。

してみると、大隈町の荒穂神社に関しては筑前国続風土記附録」の方が正しく、御祭神は天津彦ホホデミの尊・ニニギノ命であって、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝に祭っている。としている事が理解できるのです。

まず、賀茂大明神・荒穂大明神をも相伝(ママ)に祭っている。とする押しやられた神の方が本来の神であり、ニニギが接ぎ木されていると見たいのです。

ただ、筑前国続風土記附録」もそのまま受け容れる事はできず、ニニギはヒコホホデミではないのです(あくまでヒコホホデミは山幸彦=ニギハヤヒなのです)。

さらに言えば、数か所で混同されている荒穂大明神も、ニニギとは別に祀られている事からニニギではないのです。

再度、百嶋由一郎最終神代系譜を出しておきますので、ヒコホホデミが山幸彦=ニギハヤヒであることを確認しておいて下さい。


※クリックで拡大表示されます。

ddd.png

百嶋由一郎神代系譜(一部分)

ddd.png

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 20:47| Comment(0) | 日記