太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2015年12月10日

144 「日負い鶴の神紋」をご存知ですか?“百嶋由一郎手書き資料から”

144 「日負い鶴の神紋」をご存知ですか?“百嶋由一郎手書き資料から”

20150909

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

「太陽を背にした鶴」というこの印象的なデザインの神紋をご覧になったことがあるでしょうか?

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2015年夏の終わりの「山陰土産」神社探訪においては足を延ばしませんでしたが、この神紋「日負鶴」を使う神社が言うまでも無くその名も高き「物部神社」です。

過去何度か足を運んでいますが、その神社こそ、出雲の市の西隣の島根県太田市にある石見の国の一の宮、文字通りの物部神社です。物部の祖ニギハヤヒが五十猛であることが地図にも明らかですね。


カーナビ検索 島根県大田市川合町川合1545 物部神社

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ただ今回は同社ではなく、この神紋についてのお話です。

この神紋は日ノ丸と鶴と言う日本的なデザインですが、石見を中心とする瓦製造業者が好まれたためか九州の一般住宅でもたまに見掛けることもあるようです。

ただ、神社の神紋として見掛ける事はめったになく、九州でも一、二度見た事があるだけです。

家紋としても鶴丸(旧デザイン)の日本航空はともかくとして、幾つかの類型があるのですが、真っ赤太陽を背にした白い鶴が際立ったものである事は言うまでもありません。

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画像は「玄松子」経由 参考文献 日本「家紋由来」総覧


実は、この神紋を使うものこそ物部氏であり、ニギハヤヒ〜ウマシマジと繋がる物部氏の本流である可能性があるのです。

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石見物部神社
(同社HPより)
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御祭神については、敬愛する「玄松子の記憶」より


現在、百嶋先生から頂いていた文字データのデジタル化作業が最終局面を迎えています。

協力者も現れていますので、あと一回、三人が掛りで半日程度の作業が終われば、少なくとも先生とお会いして五年間ほどの間に頂いた貴重この上ない資料に関する作業が終了します。

実際、そのまま公表してはもったいないような非常に重要な研究内容も含まれており、取扱いに関しては神社考古学研究班のメンバーとも協議したいと考えています。

その中には、多くの神代系譜も含まれていますが、一つにこの日負鶴について簡単なコメントが含まれていましたので、ご紹介したいと思います。

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ニギハヤヒからウマシマジについては説明を省きますが、ウマシマジが何者であるかが良く分かるメモでしょう。

 後で百嶋最終神代系譜と照合しますが、スサノウと龍神姫の間に産まれたのが外宮様=豊受大神で、山幸彦=ニギハヤヒとの間にウマシマジと卑弥呼宗女壱与を産み、高霊天皇との間に高良玉垂命=開化天皇を産んでいるのです。

 分かりにくいのは龍神姫ですが、百嶋由一郎最終神代系譜によれば、大山祗と埴安姫の間の子である神大市姫=罔象女ミズハノメ)と考えられそうです。

 なお、百嶋最終神代系譜でイヨの父をサルタ彦=赤米研究田=四公六民サマとしているのは、当然にも山幸彦=ニギハヤヒの事です。

 これについては ひぼろぎ逍遥 65「四公(シコウ)神社とは何か?」をお読みください。

 では、何故赤い太陽を背にした鶴が描かれているのでしょうか?

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 ヒマラヤを越える何十万羽ものツルの話は良く知られています。

  想像に想像を重ねることを許していただければですが、後に武士(モノノフ)と呼ばれ戦国武将となっていた物部(モノノヘ)氏とは、シルクロードを通って 入って来た馬を使う人々草原の民(であり)だったのであり、この鶴の事を知っていたのではないかと思うのです(百嶋メモにも武部と書いてありますね)。

 もう一つの可能性も考えられそうです。

  飛天、天女に加え、かくが【×駕】というのイメージもあります、


《周の霊王の太子晋(しん)が仙人となり、白い鶴に乗って去ったという「列仙伝」の故事から》

皇太子の乗る車。 仙人の乗り物。 による。


いずれにせよ、赤い太陽を背負った鶴の「日負鶴(ひおいづる)」の具体的な例を一つご紹介して終りにしましょう


 五年ほど前、「九州王朝は但馬に避退した」というテーマで、数回に亘り兵庫県の日本海側の調査を続けていた事がありました。

その二回目でしたか、陸上自衛隊のパイロット出身で元航空管制官の地名研究会メンバーと餘部周辺の神社を調べていた事がありました。

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兵庫県香美町香住御崎


山陰本線の列車転落事故でご存知の餘部大鉄橋の餘部駅からそう遠くない御崎という平家の落人集落に行ったことがありました。

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山陰本線旧餘部鉄橋


 目的は兵庫県養父市大屋町を中心とする御井神社の類型神社を同地に発見したからでしたが、御崎集落から少し登った御崎灯台まで進むと山上に御崎灯台があり、美井神社への参道が延びていました。

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久留米高良大社直下の味水(ウマシミズ)御井神社との関係が考えられる美伊神社


一キロほどの断崖の参道を往復一時間掛けて歩くと、この日負鶴に出会ったのでした。

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美伊神社は高良大社の表紋と物部の「日負鶴」


当時、九州から同行して頂いた地名研究会メンバーはU氏でしたが、時間を気にして参道を歩くのを躊躇したところ、「もう二度と来ることはないと思うので行きましょう」と言ってくれました。

この日負鶴の瓦が、ただの瓦職人の趣味で選ばれたものであれば別ですが、兵庫県養父市大屋町を中心とする多くの御井神社同様に、この神社も、久留米市御井町という地名にその痕跡を残す御井の神(恐らく物部氏)を祀るものと思われます。

この但馬の御井神社については「但馬」として長文を書いています(ネット上には未公開)。

いずれ、皆さんにも再編集の上お読み頂くつもりでいます。

今回は、日負鶴の神紋を残す神社の一つの例をご紹介したまでとします。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 19:56| Comment(0) | 日記